8 / 40
第8話 迎えの名
しおりを挟む
第8話 迎えの名
大使館の中は、外観から受ける印象よりも静かだった。
石造りの廊下は足音を吸い込み、壁に掛けられた簡素な紋章だけが、この場所が公的な施設であることを示している。人の気配はあるが、必要以上に表に出てこない。意図的にそう運営されているのだろう。
男――フォールスにとっては、まだ名も知らぬ同行者は、迷いなく奥へ進んだ。
途中、数名の職員とすれ違ったが、誰も彼に声をかけない。ただ一瞬、視線を交わし、軽く頷くだけだ。その様子から、彼がこの場所の「部外者」でないことは明らかだった。
「こちらへ」
扉の前で立ち止まり、男が短く言う。
分厚い木製の扉。装飾はなく、だが鍵と蝶番は厳重だ。
フォールスは、無意識に背筋を伸ばした。
ここから先で、何かが決まる。
そう直感していた。
扉が開く。
中は、応接用の部屋だった。広くはないが、整然としている。中央には机と椅子が向かい合うように置かれ、窓からは柔らかな光が差し込んでいた。
そして――
すでに一人、男が待っていた。
「初めまして、と言うべきかな」
穏やかな声。
年齢は、王太子より少し上か、同程度に見える。柔らかな微笑を浮かべ、威圧感はない。だが、ただそこに座っているだけで、この部屋の主が誰かは一目で分かった。
フォールスは、無意識に一礼していた。
「フォールス・アキュゼーションです」
「知っている」
男は頷き、椅子を示す。
「どうぞ、座ってほしい」
促されるまま、フォールスは腰を下ろした。
同行してきた男は、部屋の壁際に立つ。護衛の位置だ。
「まずは……」
穏やかな男が、改めて口を開く。
「無事で何よりだ。王弟、エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードだ」
王弟。
その言葉に、フォールスの心臓がわずかに跳ねた。
王太子の叔父。
だが、年齢差はほとんどないと聞いている。
王位継承権こそ低いが、王族であることに変わりはない。
「この男から、話は聞いているだろう」
エクイティは、壁際の男に視線を向ける。
「命を救われ、その対価を求められた、と」
フォールスは、慎重に頷いた。
「……はい」
エクイティは、少しだけ笑みを深めた。
「驚かせてしまったかな」
「正直に申し上げれば……はい」
エクイティは、くすりと笑った。
「だろうね」
その軽さに、逆に緊張が増す。
「だが、約束は約束だ」
エクイティの声が、ほんの少しだけ低くなる。
「君には、体で払ってもらう」
その言葉を、はっきりと告げた。
フォールスの指先が、無意識に膝の上で固くなる。
やはり、逃げられない。
「……どのような形であれ、助けていただいた命です」
フォールスは、静かに答えた。
「要求があるのであれば、拒みません」
その言葉に、エクイティは一瞬だけ、真顔になった。
だが、すぐに元の穏やかな表情に戻る。
「立派だ」
そう言って、椅子に深く腰掛け直した。
「だが、安心してほしい。今すぐ何かをさせるつもりはない」
フォールスは、わずかに眉を寄せる。
「……では」
「“体で払う”という言い方は、あくまで条件だ」
エクイティは、指を組み、穏やかに続けた。
「意味については、追って説明しよう。今日は、ここまででいい」
説明しない。
だが、否定もしない。
それが、最も不安を煽るやり方だと、フォールスは理解していた。
「今は、疲れているだろう」
エクイティは立ち上がり、扉の方へ歩いた。
「部屋を用意してある。今日は休むといい」
扉の前で足を止め、振り返る。
「フォールス・アキュゼーション。君は、すでに“死んだ”ことになっている」
静かな声だった。
「だからこそ、生きている価値がある」
その言葉の意味を、フォールスはすぐには理解できなかった。
エクイティが部屋を出ると、護衛の男が一歩前に出た。
「案内する」
短く告げる。
廊下を歩きながら、フォールスは胸の奥に溜まるものを感じていた。
助けられた。
保護された。
だが、自由ではない。
そして、「体で払う」という言葉は、
今も、何の説明もないまま、彼女の上に残されている。
フォールス・アキュゼーションは、与えられた客室の扉の前で立ち止まり、静かに息を整えた。
ここからが、本当の取引の始まりだ。
そう、理解しながら。
大使館の中は、外観から受ける印象よりも静かだった。
石造りの廊下は足音を吸い込み、壁に掛けられた簡素な紋章だけが、この場所が公的な施設であることを示している。人の気配はあるが、必要以上に表に出てこない。意図的にそう運営されているのだろう。
男――フォールスにとっては、まだ名も知らぬ同行者は、迷いなく奥へ進んだ。
途中、数名の職員とすれ違ったが、誰も彼に声をかけない。ただ一瞬、視線を交わし、軽く頷くだけだ。その様子から、彼がこの場所の「部外者」でないことは明らかだった。
「こちらへ」
扉の前で立ち止まり、男が短く言う。
分厚い木製の扉。装飾はなく、だが鍵と蝶番は厳重だ。
フォールスは、無意識に背筋を伸ばした。
ここから先で、何かが決まる。
そう直感していた。
扉が開く。
中は、応接用の部屋だった。広くはないが、整然としている。中央には机と椅子が向かい合うように置かれ、窓からは柔らかな光が差し込んでいた。
そして――
すでに一人、男が待っていた。
「初めまして、と言うべきかな」
穏やかな声。
年齢は、王太子より少し上か、同程度に見える。柔らかな微笑を浮かべ、威圧感はない。だが、ただそこに座っているだけで、この部屋の主が誰かは一目で分かった。
フォールスは、無意識に一礼していた。
「フォールス・アキュゼーションです」
「知っている」
男は頷き、椅子を示す。
「どうぞ、座ってほしい」
促されるまま、フォールスは腰を下ろした。
同行してきた男は、部屋の壁際に立つ。護衛の位置だ。
「まずは……」
穏やかな男が、改めて口を開く。
「無事で何よりだ。王弟、エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードだ」
王弟。
その言葉に、フォールスの心臓がわずかに跳ねた。
王太子の叔父。
だが、年齢差はほとんどないと聞いている。
王位継承権こそ低いが、王族であることに変わりはない。
「この男から、話は聞いているだろう」
エクイティは、壁際の男に視線を向ける。
「命を救われ、その対価を求められた、と」
フォールスは、慎重に頷いた。
「……はい」
エクイティは、少しだけ笑みを深めた。
「驚かせてしまったかな」
「正直に申し上げれば……はい」
エクイティは、くすりと笑った。
「だろうね」
その軽さに、逆に緊張が増す。
「だが、約束は約束だ」
エクイティの声が、ほんの少しだけ低くなる。
「君には、体で払ってもらう」
その言葉を、はっきりと告げた。
フォールスの指先が、無意識に膝の上で固くなる。
やはり、逃げられない。
「……どのような形であれ、助けていただいた命です」
フォールスは、静かに答えた。
「要求があるのであれば、拒みません」
その言葉に、エクイティは一瞬だけ、真顔になった。
だが、すぐに元の穏やかな表情に戻る。
「立派だ」
そう言って、椅子に深く腰掛け直した。
「だが、安心してほしい。今すぐ何かをさせるつもりはない」
フォールスは、わずかに眉を寄せる。
「……では」
「“体で払う”という言い方は、あくまで条件だ」
エクイティは、指を組み、穏やかに続けた。
「意味については、追って説明しよう。今日は、ここまででいい」
説明しない。
だが、否定もしない。
それが、最も不安を煽るやり方だと、フォールスは理解していた。
「今は、疲れているだろう」
エクイティは立ち上がり、扉の方へ歩いた。
「部屋を用意してある。今日は休むといい」
扉の前で足を止め、振り返る。
「フォールス・アキュゼーション。君は、すでに“死んだ”ことになっている」
静かな声だった。
「だからこそ、生きている価値がある」
その言葉の意味を、フォールスはすぐには理解できなかった。
エクイティが部屋を出ると、護衛の男が一歩前に出た。
「案内する」
短く告げる。
廊下を歩きながら、フォールスは胸の奥に溜まるものを感じていた。
助けられた。
保護された。
だが、自由ではない。
そして、「体で払う」という言葉は、
今も、何の説明もないまま、彼女の上に残されている。
フォールス・アキュゼーションは、与えられた客室の扉の前で立ち止まり、静かに息を整えた。
ここからが、本当の取引の始まりだ。
そう、理解しながら。
11
あなたにおすすめの小説
婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話
ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。
リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。
婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。
どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。
死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて……
※正常な人があまりいない話です。
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤
しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。
父親は怒り、修道院に入れようとする。
そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。
学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。
ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
(完結)モブ令嬢の婚約破棄
あかる
恋愛
ヒロイン様によると、私はモブらしいです。…モブって何でしょう?
攻略対象は全てヒロイン様のものらしいです?そんな酷い設定、どんなロマンス小説にもありませんわ。
お兄様のように思っていた婚約者様はもう要りません。私は別の方と幸せを掴みます!
緩い設定なので、貴族の常識とか拘らず、さらっと読んで頂きたいです。
完結してます。適当に投稿していきます。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?
ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。
卒業3か月前の事です。
卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。
もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。
カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。
でも大丈夫ですか?
婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。
※ゆるゆる設定です
※軽い感じで読み流して下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる