婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第10話 名と役割

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第10話 名と役割

 朝は、音もなく訪れた。

 フォールス・アキュゼーションは、いつの間にか浅い眠りに落ちていたらしく、窓から差し込む柔らかな光で目を覚ました。鐘の音も、騒がしい人の声もない。ただ、遠くで鳥が鳴く気配がするだけだ。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からず、天井を見つめる。

 そして、すぐに思い出した。

 ――セルディア王国にある、アウレリウム王国大使館。
 ――王弟エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロード。
 ――体で払うという、曖昧な対価。

 身体を起こすと、昨夜の疲れが嘘のように軽い。寝台も、用意された部屋も、驚くほど快適だった。最低限とはいえ、ここが正式な施設であることを実感させる。

 ノックの音がした。

「起きているか」

 低く、聞き覚えのある声。

「はい」

 返事をすると、扉が開き、あの同行者が姿を現した。相変わらず、無駄のない佇まいだ。

「朝食の後、殿下がお会いになる」

「……王弟殿下、ですね」

「そうだ」

 短く答え、男は部屋の外で待つ。

 用意された朝食は簡素だったが、滋味深かった。食事を終えると、自然と気持ちが引き締まる。今日、何かが動く。そんな予感があった。

 廊下を進み、昨日と同じ応接室へ入る。

 そこには、すでに王弟エクイティがいた。昨日と同じ穏やかな笑み。だが、今日はその奥に、わずかな緊張が感じられる。

「よく眠れたかな」

「はい。おかげさまで」

 フォールスは一礼し、勧められた椅子に座った。

 護衛の男は、変わらず壁際に立つ。

「まずは、改めて紹介しよう」

 エクイティは、護衛に視線を向けた。

「彼は、ディヴァイン・プロテクション。私の守護騎士の一人だ」

 名を告げられ、フォールスは小さく目を見開いた。

 ――ようやく、名前が出た。

「ディヴァイン」

 その名に、彼はわずかに頷くだけで応えた。

「そして、フォールス・アキュゼーション」

 エクイティは、今度は彼女を見る。

「君の立場も、はっきりさせておこう」

 フォールスは、背筋を伸ばした。

 ここからが、本題だ。

「君は現在、アウレリウム王国の記録上では“死亡した可能性が高い人物”だ」

「……可能性、ですか」

「暗殺者が“殺した”と報告すれば、それ以上の確認はされない。特に、追放された人間であればなおさらだ」

 淡々とした説明だった。

「つまり、君は今、公式には存在しない」

 フォールスは、静かに頷いた。

 自分が生きていること自体が、すでに異常なのだ。

「では、なぜ生かされたのか」

 エクイティは、少し間を置いてから続ける。

「理由は単純だ。君は、真実を知っている」

 フォールスの視線が、自然と鋭くなる。

「書類だ」

 エクイティは、机の上に一枚の紙を置いた。

「フレイム・ファブリケイト・ロイヤル・ロードが提出した契約書。その不備に、君はいち早く気づいていた」

「……はい」

「そして、君は記憶している」

 エクイティの声は、穏やかだが確信に満ちていた。

「どこが、どのように、本来の形式と違っていたかを」

 フォールスは、否定しなかった。

 否定する理由が、ない。

「君は、証拠を持っているだろう」

 一瞬、革袋の存在が脳裏をよぎる。

 エクイティは、それを見透かしたように微笑んだ。

「安心してほしい。今すぐ差し出せとは言わない」

 その言葉に、フォールスは内心で息をついた。

「さて、本題だ」

 エクイティは、姿勢を正す。

「昨日、君に告げた“体で払う”という条件」

 フォールスの指先が、わずかに強張る。

「意味を、今日、説明しよう」

 エクイティは、ゆっくりと言葉を選んだ。

「君には、証人として、表に出てもらう」

 その一言は、思った以上に重かった。

「君の“体”――つまり、君自身が、生きた証拠となる」

 フォールスは、目を伏せた。

 理解できる。
 だが、それは同時に、危険を引き受けるということだ。

「裁きの場に立ち、真実を語る。そのために、君の存在が必要だ」

「……それが、対価」

「そうだ」

 エクイティは、はっきりと肯定した。

「性的な意味ではない。だが、身体的にも精神的にも、楽な役割ではない」

 フォールスは、ゆっくりと顔を上げた。

「私は……選べるのですか」

「形式上は、な」

 エクイティは、少しだけ苦笑した。

「だが、選ばなければどうなるかは、君自身が一番よく分かっているだろう」

 追放された身。
 狙われ続ける命。
 そして、真実が闇に葬られる未来。

 フォールスは、深く息を吸った。

「……分かりました」

 声は、静かだった。

「私は、証人になります」

 エクイティは、満足そうに頷いた。

「ありがとう。君の覚悟に、敬意を払おう」

 その言葉は、形だけの礼ではなかった。

 部屋を出る時、フォールスはディヴァインとすれ違った。

 一瞬、視線が合う。

「……これで、私の役割は決まったのですね」

 小さく問いかけると、彼は短く答えた。

「始まっただけだ」

 フォールスは、わずかに口元を緩めた。

 守られるだけの存在ではない。
 利用されるだけでもない。

 自分の意思で、前に出る。

 フォールス・アキュゼーションは、その日、
 “対価”の本当の意味を知り、
 逃亡者から証人へと、立場を変えた。

 そして――
 王太子フレイム・ファブリケイト・ロイヤル・ロードを追い詰める歯車が、
 静かに、確実に動き始めた。
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