婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第38話 切れない理由

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第38話 切れない理由

 朝霧が、街の輪郭をぼかしていた。

 視界は利く。だが、遠くが曖昧だ。意図せずとも、今の状況をそのまま映したような景色だった。

 フォールス・アキュゼーションは、窓を少しだけ開け、湿った空気を吸い込んだ。冷たさはない。ただ、張りつくような重さがある。

 ――切れない。

 それが、今朝の結論だ。

 切る案は出ている。
 だが、決裁が下りない。

 理由は単純で、複雑だった。

 切った瞬間、説明が要る。
 誰が、何の権限で、何を恐れて切ったのか。

 説明が必要になるということは、構造が露出するということだ。

 彼らは、それを避けたい。

 ノックが鳴った。

「入ってください」

 ディヴァイン・プロテクションだった。今日は外套を着ていない。動く予定がない合図だ。

「朝から会議だ」

「結論は?」

「出ていない」

 フォールスは、静かに頷いた。

「切れない理由が、共有された段階ですね」

「ああ」

 ディヴァインは、短く息を吐いた。

「君を切ると、何が残るか、という話になった」

「……何が残ると?」

「恐怖だけだ」

 フォールスは、目を伏せた。

 それは、正しい。

 証拠も、成果も、支配も残らない。
 ただ、『消された』という事実だけが残る。

「恐怖は、管理できない」

「はい」

「だから、彼らは次を選べない」

 フォールスは、椅子に腰を下ろした。

「使う案は?」

「それも、まとまらない」

「前に出ないから、ですね」

「そうだ」

 使うには、命令が要る。
 命令には、責任が要る。

 責任を負いたがらない者にとって、彼女は扱いにくい。

「……では」

 フォールスは、ゆっくりと言った。

「第三の選択肢が、残ります」

「放置か」

「いいえ」

 彼女は首を振った。

「保留です」

 昼過ぎ、彼女は外へ出た。

 今日は、人目の多い通りを選ぶ。隠れない。だが、目立ちもしない。歩調は一定で、視線は前。

 市場の入口で、ふと足を止める。

 果物屋の店主が、ちらりとこちらを見る。目が合うが、すぐに逸らされる。

 噂は、まだ生きている。
 だが、形を失いつつある。

 それが、保留の効果だ。

 午後、書店で一冊の本を手に取った。政治史の概説書だ。開いて、目次だけを確認し、棚に戻す。

 誰かが、それを見ている。

 ――見せている。

 フォールスは、そう理解していた。

 夕方、大使館に戻る。

 エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードが、非公式に彼女を呼んだ。

「切れない理由が、整理された」

「はい」

「君は、脅威だ」

「承知しています」

「だが、排除すれば、こちらが歪む」

「それも、承知しています」

 エクイティは、苦笑した。

「君は、厄介だな」

「褒め言葉ですね」

「……ああ」

 彼は、真顔に戻る。

「保留は、長く続かない」

「分かっています」

「次は、こちらが選ばされる」

 フォールスは、静かに答えた。

「選ばせるために、私は動きません」

 エクイティは、目を細めた。

「動かないことで、選ばせるか」

「はい」

「残酷だな」

「構造は、優しくありません」

 夜。

 部屋で一人、短剣を手に取る。抜かない。必要はない。

 切れない理由は、はっきりした。

 彼らは、フォールスを恐れているのではない。
 フォールスを切った後の世界を、恐れている。

 構造の隣に立つ者は、
 構造を壊さずに、
 構造の限界を、
 突きつける。

 フォールス・アキュゼーションは、灯りを落とした。

 次に動くのは、
 決断を避け続けた者たちだ。

 その瞬間、
 保留は、
 罪に変わる。
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