婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第37話 判断の影

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第37話 判断の影

 翌朝、街は少しだけざわついていた。

 騒がしいわけではない。声が荒いわけでもない。ただ、人の動きが不自然に揃っている。視線が合うと、ほんの一瞬だけ逸らされる。そんな小さな違和感が、あちこちに点在していた。

 ――判断が、下り始めている。

 フォールス・アキュゼーションは、窓から通りを眺めながら、そう確信していた。

 観測は終わった。
 接触も終わった。

 あとは、相手がどう動くか。

 外出の準備を整え、宿を出る。今日は、市場には向かわない。人の集まる場所ではなく、人が「通過する」場所を選ぶ。橋のたもと、交差点、荷の積み下ろし場。

 動線を見るためだ。

 橋の上で立ち止まり、川面を見下ろす。流れは穏やかだが、底は見えない。人も同じだ、とフォールスは思う。

 背後で、足音が止まった。

 振り返らない。
 それだけで、十分だった。

「……用件は」

 静かに問いかける。

「短く済ませたい」

 昨夜とは別の声だった。少し年上。落ち着いているが、余裕はない。

「ここでは、目立ちます」

「分かっている」

「なら、なぜ」

「確認だ」

 同じ言葉。
 だが、意味が違う。

 フォールスは、ゆっくりと振り返った。

 そこに立っていたのは、平凡な服装の男だった。顔立ちも、特筆すべき点はない。だが、目だけが鋭い。

「何を、ですか」

「君が、どこまで知っているか」

 フォールスは、即答しなかった。

 橋を渡る人々の足音が、二人の間をすり抜ける。

「それは」

 ようやく口を開く。

「私が決めることではありません」

「……逃げるな」

「逃げてはいません」

 フォールスは、視線を逸らさない。

「境界を示しているだけです」

 男の眉が、わずかに動いた。

「境界?」

「はい」

「君は、何者だ」

 問いは、核心に近かった。

 だが、フォールスは答えない。

「名を知りたいなら、正規の手続きを」

「それができないから、ここにいる」

「なら」

 フォールスは、静かに言った。

「それが、あなたの立ち位置です」

 男は、しばらく黙っていた。

 やがて、低く笑う。

「……やはり、前に出ない」

「出れば、壊れます」

「何が」

「全てが」

 その言葉は、脅しでも誇張でもない。

 事実だった。

「君を切る案も、出ている」

 男は、唐突に言った。

「そうでしょうね」

「だが、決まらない」

「理由は、分かります」

「言ってみろ」

「切った後に、何も残らないからです」

 男の視線が、鋭くなる。

「証拠は?」

「私が、生きていること自体が」

 沈黙。

 それは、肯定だった。

「……厄介だ」

「よく言われます」

 男は、深く息を吐いた。

「今日のところは、ここまでだ」

「賢明です」

「忠告だ」

 男は、去り際に言った。

「次は、忠告では済まない」

「承知しています」

 男は、人の流れに紛れて消えた。

 橋の上に残されたフォールスは、川面に視線を戻した。

 判断は、揺れている。
 だが、完全には止まっていない。

 午後、大使館に戻ると、ディヴァイン・プロテクションが待っていた。

「報告は聞いた」

「早いですね」

「監視している」

 責める調子ではなかった。

「評価は?」

「二分だ」

「切るか、使うか」

「……使う、ですか」

「ああ」

 フォールスは、小さく頷いた。

「その場合、私は前に出ません」

「分かっている」

 ディヴァインは、低く言った。

「だからこそ、厄介だ」

 夕暮れ、部屋で一人になる。

 短剣を手に取り、重さを確かめる。抜かない。必要ない。

 判断の影は、すぐそこまで来ている。

 切られるか。
 使われるか。

 だが、どちらでもない可能性が、まだ残っている。

 それを残すために、
 フォールス・アキュゼーションは、
 今日も前に出なかった。

 境界に立ったまま、
 相手が答えを出すのを、
 静かに待っている。
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