婚約破棄? では、その誠実さはどちらに置いていらしたのですか?

鷹 綾

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第五話 仕方なかった

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第五話 仕方なかった

 舞踏会前夜。

 公爵邸は、落ち着かないざわめきに包まれていた。

 仕立て屋が最後の調整を終え、宝石箱が開かれ、使用人たちは走り回っている。

 その中心で、ミレイナは鏡の前に立っていた。

「どうかしら?」

 淡い水色のドレスが、灯りを受けてきらめく。

「まるで妖精のようでございます」

 侍女の声に、ミレイナは満足げに微笑んだ。

「殿下もきっとお喜びになるわよね?」

「もちろんでございます」

 そのやり取りを、セリシアは廊下の端から静かに見ていた。

 自分の支度は、とうに済んでいる。

 飾り気の少ない銀のドレス。

 華美ではないが、格式を失わない色。

 目立たぬように、と継母に言われたとおりだ。

「セリシア」

 背後から、低い声がした。

 振り返ると、父アルドリックが立っている。

「少し話がある」

 書斎へ通される。

 扉が閉まると、外のざわめきが遠のいた。

「舞踏会では」

 父は椅子に腰を下ろし、深く息をついた。

「何があっても、家の体面を守れ」

「何があっても、とは」

「レオンハルト殿下が……正式にミレイナを選ばれたとしてもだ」

 言葉が、重く落ちる。

「それは、決定しているのですか」

「決定ではない。ただ、その可能性が高い」

 可能性。

 曖昧な言葉。

 だが、その裏にある意図は明白だ。

「お前が反発すれば、家は笑いものになる」

「反発する理由はございません」

「……本当にか?」

 父は不安そうに見つめる。

 まるで、娘の感情より、自身の立場を案じる目。

「わたくしは、公爵家の一員です」

「ならば理解しろ」

 再び、その言葉。

「家のためだ。仕方なかったのだ」

 仕方なかった。

 母が亡くなったときも。

 継母が家に入ったときも。

 義妹に立場を譲るよう言われたときも。

 すべて、仕方なかった。

「父上」

 セリシアは静かに問いかける。

「家とは、何でございますか」

「何だと?」

「体面ですか。名誉ですか。それとも」

 一瞬、言葉を止める。

「家族ですか」

 アルドリックは視線を逸らした。

「……お前は難しいことを言う」

「難しいでしょうか」

「私は争いを望まぬだけだ」

「争いを避けた結果、失うものもございます」

 父は苛立ちを隠せない。

「お前はいつもそうだ。正しいことばかり言う」

「間違いをご存じでしたら、教えてくださいませ」

「……」

 沈黙。

 答えはない。

「レオンハルト殿下との婚約は、家を守るためだった」

 父はぽつりと言う。

「だが、情が動けば仕方ないこともある」

「情、ですか」

「王太子の心が動いたのだ。止められるものではない」

 止める気もなかったのだろう。

 セリシアは、胸の奥で小さく何かが切れる音を聞いた。

「ならば」

 穏やかに言う。

「殿下のご決断を、尊重いたします」

「……本心か」

「はい」

 父は安堵したように肩を落とす。

「よかった」

 よかった。

 その一言に、すべてが詰まっている。

 娘の気持ちではない。

 家の安定。

 自分の立場。

 それが守られることが、よかったのだ。

「父上」

「何だ」

「明日、何が起きましても」

 静かに目を合わせる。

「どうか、後悔なさらぬよう」

「後悔?」

「ご決断の結果は、必ず形になります」

 父は意味を測りかねたように眉をひそめた。

「何を言っている」

「いえ」

 セリシアは頭を下げた。

「申し上げたまでです」

 書斎を出ると、廊下の向こうから笑い声が響いた。

 ミレイナが、継母エルヴィラと並んで歩いてくる。

「あら、お姉様」

「準備は整いましたか」

「ええ、とっても素敵な夜になりそうですわ」

 無邪気な笑顔。

「殿下がどんなお言葉をくださるか、楽しみで仕方ないの」

 エルヴィラが柔らかく微笑む。

「セリシア、あなたも穏やかに振る舞いなさい。大人なのですから」

「承知しております」

 氷の令嬢。

 感情のない女。

 そう見えるのなら、それでいい。

 だが、氷は割れるとき、鋭い。

 セリシアは自室へ戻った。

 窓の外、月が高く昇っている。

 明日、何かが終わる。

 それが婚約か。

 家族という幻想か。

 いずれにせよ。

「仕方なかった、ですか」

 小さく呟く。

 仕方ないことなど、ひとつもない。

 選んだのは、彼らだ。

 舞踏会まで、あと数時間。

 公爵家の運命は、静かに傾いていた。
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