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第8話 白い結婚の提案
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第8話 白い結婚の提案
その日の夕刻、私は再び執務室へ呼ばれた。
部屋の様子は、昼と何も変わらない。
書類の山、地図、簡素な机。
――相変わらず、無駄がない。
アンクレイブ公爵は、机に向かったまま視線だけを上げた。
「座れ」
「はい」
促されるまま椅子に腰掛ける。
雑談はない。前置きもない。
彼は一枚の書類を差し出した。
「先ほどの修正案だが、採用する」
「ありがとうございます」
「感謝は不要だ。成果に対して、対価を支払うだけだ」
あくまで事務的。
けれど、嫌な冷たさではない。
私は次の言葉を待った。
アンクレイブは、少しだけ言葉を選ぶように間を置き、続ける。
「……君の立場は、不安定だ」
核心だった。
「元王太子の婚約者。
王都から距離を置かれ、今は後ろ盾がない」
事実だ。
「この国に滞在するだけなら問題はない。
だが、君の能力を最大限使うなら――身分が必要だ」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「……それは」
「結婚だ」
あまりにも淡々とした一言。
私は一瞬、聞き間違いかと思った。
「……結婚、ですか?」
「そうだ」
アンクレイブは、表情を変えない。
「正確には、“白い結婚”を提案する」
その言葉に、ようやく合点がいった。
政治的な結婚。
感情を伴わない、形式だけの夫婦。
「目的は三つある」
彼は指を一本立てた。
「一つ。君に、公国公爵夫人としての身分を与える」
二本目。
「二つ。私の側に、信用できる実務担当を置く」
三本目。
「三つ。余計な干渉を遮断する」
――実に、合理的だった。
「感情的な関係は求めない。
互いの私生活にも干渉しない」
淡々とした条件提示。
「夫婦としての義務も、必要最低限でいい」
私は、少しだけ考えた。
いや、正確には――
すでに答えは出ていた。
(……悪くない)
自由は保たれる。
能力は正当に使われる。
何より、誰かの理想を演じなくていい。
「……ひとつ、確認しても?」
「何だ」
「私が“従順な妻”になることを、期待していませんね?」
アンクレイブは、即答した。
「不要だ」
それどころか、わずかに眉をひそめる。
「従順な人間は、信用しない」
その言葉に、私は小さく笑ってしまいそうになるのを堪えた。
「では――」
私は背筋を伸ばし、彼を見据える。
「条件を、私からも提示させてください」
「聞こう」
「業務内容と裁量は、明文化すること。
私の判断を、感情で覆さないこと」
「当然だ」
「そして――」
ほんの一瞬、間を置く。
「この結婚は、いつでも解消可能であること」
アンクレイブは、私を見つめたまま、しばらく黙っていた。
やがて。
「……合理的だ」
それが、彼の答えだった。
「条件は受け入れる」
彼は立ち上がり、書類に署名を入れる。
「エリーカ・フォルティス。
私の妻となるか」
甘い言葉は、ない。
情熱的な視線も、ない。
けれど。
(……不思議ね)
私は、迷いなく答えていた。
「はい。お受けします」
こうして、
私は“白い結婚”を選んだ。
感情のない、合理的な選択。
――少なくとも、この時点では。
-
その日の夕刻、私は再び執務室へ呼ばれた。
部屋の様子は、昼と何も変わらない。
書類の山、地図、簡素な机。
――相変わらず、無駄がない。
アンクレイブ公爵は、机に向かったまま視線だけを上げた。
「座れ」
「はい」
促されるまま椅子に腰掛ける。
雑談はない。前置きもない。
彼は一枚の書類を差し出した。
「先ほどの修正案だが、採用する」
「ありがとうございます」
「感謝は不要だ。成果に対して、対価を支払うだけだ」
あくまで事務的。
けれど、嫌な冷たさではない。
私は次の言葉を待った。
アンクレイブは、少しだけ言葉を選ぶように間を置き、続ける。
「……君の立場は、不安定だ」
核心だった。
「元王太子の婚約者。
王都から距離を置かれ、今は後ろ盾がない」
事実だ。
「この国に滞在するだけなら問題はない。
だが、君の能力を最大限使うなら――身分が必要だ」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「……それは」
「結婚だ」
あまりにも淡々とした一言。
私は一瞬、聞き間違いかと思った。
「……結婚、ですか?」
「そうだ」
アンクレイブは、表情を変えない。
「正確には、“白い結婚”を提案する」
その言葉に、ようやく合点がいった。
政治的な結婚。
感情を伴わない、形式だけの夫婦。
「目的は三つある」
彼は指を一本立てた。
「一つ。君に、公国公爵夫人としての身分を与える」
二本目。
「二つ。私の側に、信用できる実務担当を置く」
三本目。
「三つ。余計な干渉を遮断する」
――実に、合理的だった。
「感情的な関係は求めない。
互いの私生活にも干渉しない」
淡々とした条件提示。
「夫婦としての義務も、必要最低限でいい」
私は、少しだけ考えた。
いや、正確には――
すでに答えは出ていた。
(……悪くない)
自由は保たれる。
能力は正当に使われる。
何より、誰かの理想を演じなくていい。
「……ひとつ、確認しても?」
「何だ」
「私が“従順な妻”になることを、期待していませんね?」
アンクレイブは、即答した。
「不要だ」
それどころか、わずかに眉をひそめる。
「従順な人間は、信用しない」
その言葉に、私は小さく笑ってしまいそうになるのを堪えた。
「では――」
私は背筋を伸ばし、彼を見据える。
「条件を、私からも提示させてください」
「聞こう」
「業務内容と裁量は、明文化すること。
私の判断を、感情で覆さないこと」
「当然だ」
「そして――」
ほんの一瞬、間を置く。
「この結婚は、いつでも解消可能であること」
アンクレイブは、私を見つめたまま、しばらく黙っていた。
やがて。
「……合理的だ」
それが、彼の答えだった。
「条件は受け入れる」
彼は立ち上がり、書類に署名を入れる。
「エリーカ・フォルティス。
私の妻となるか」
甘い言葉は、ない。
情熱的な視線も、ない。
けれど。
(……不思議ね)
私は、迷いなく答えていた。
「はい。お受けします」
こうして、
私は“白い結婚”を選んだ。
感情のない、合理的な選択。
――少なくとも、この時点では。
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