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第13話 有能すぎる妻
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第13話 有能すぎる妻
公爵城の朝は、以前より少しだけ騒がしくなっていた。
「奥様へ、こちらの確認を」 「この判断、奥様に伺った方が……」 「いえ、公爵様ではなく、まず奥様へ回しましょう」
――完全に、流れが変わっている。
執務室の外、控えの間で交わされる声を聞きながら、私は小さく息を吐いた。
(……早いわね)
昨日まで“様子見”だった視線は、
今や“判断を仰ぐ対象”へと変わっている。
私は書類を受け取り、目を走らせる。
「この契約、条文が甘いですね」
側近の一人が、慌てて頷く。
「やはり……?」
「ええ。このままだと、相手に有利すぎます。
修正案を出します」
ペンが走り、数行で要点が整えられる。
「……助かります」
その言葉に、もはや遠慮はなかった。
――信頼だ。
アンクレイブは、少し離れた位置からその様子を眺めていた。
「……想定以上だな」
彼の低い声が、私の耳に届く。
「何がでしょうか」
「周囲の動きだ。
君が来てから、判断が早くなった」
「迷いが減っただけです」
私は淡々と答えた。
「基準が明確になれば、人は動きやすくなります」
アンクレイブは短く頷いた。
「それを作れる人間は、少ない」
その評価は、飾りではなかった。
昼前、城外からの報告が届く。
「公爵様、北部領の臨時入札ですが――
すでに三社が条件を下げてきています」
側近が報告すると、室内がざわめいた。
「もうですか?」 「昨日出したばかりでは……」
私は数字を確認し、頷いた。
「予想通りです。
彼らは“独占が崩れる”ことを恐れています」
「……見事だ」
誰かが、思わず呟いた。
アンクレイブは私を見る。
「想定削減率は?」
「現時点で、二割五分。
最終的には三割に届くでしょう」
「十分すぎる」
その一言で、場の空気が決まった。
午後、城の使用人たちの態度は、さらに変わった。
挨拶は丁寧に。
報告は簡潔に。
そして、無駄な感情は挟まれない。
――この城では、それが“最高の敬意”だ。
夕刻、執務が一段落した頃。
アンクレイブが、珍しく私に声をかけた。
「無理はしていないか」
「いいえ」
即答する。
「この程度なら、王都では日常でした」
その言葉に、彼は一瞬だけ視線を伏せた。
「……そうか」
短い沈黙。
やがて、彼は静かに言った。
「ここでは、君を消耗品として扱うつもりはない」
その言葉は、約束のようにも聞こえた。
私は少しだけ、微笑む。
「では、安心して働けます」
その日の夜。
王都へ向かう定期報告の文書が、公爵城を発った。
『グラーツ公国の政務、異常な速度で改善中』
『中心にいるのは、公爵夫人』
それを読んだ者たちが、何を思うか。
――それは、また別の話。
ただ一つ確かなのは。
“有能すぎる妻”という評価が、
すでにこの城では、常識になりつつあるということだった。
公爵城の朝は、以前より少しだけ騒がしくなっていた。
「奥様へ、こちらの確認を」 「この判断、奥様に伺った方が……」 「いえ、公爵様ではなく、まず奥様へ回しましょう」
――完全に、流れが変わっている。
執務室の外、控えの間で交わされる声を聞きながら、私は小さく息を吐いた。
(……早いわね)
昨日まで“様子見”だった視線は、
今や“判断を仰ぐ対象”へと変わっている。
私は書類を受け取り、目を走らせる。
「この契約、条文が甘いですね」
側近の一人が、慌てて頷く。
「やはり……?」
「ええ。このままだと、相手に有利すぎます。
修正案を出します」
ペンが走り、数行で要点が整えられる。
「……助かります」
その言葉に、もはや遠慮はなかった。
――信頼だ。
アンクレイブは、少し離れた位置からその様子を眺めていた。
「……想定以上だな」
彼の低い声が、私の耳に届く。
「何がでしょうか」
「周囲の動きだ。
君が来てから、判断が早くなった」
「迷いが減っただけです」
私は淡々と答えた。
「基準が明確になれば、人は動きやすくなります」
アンクレイブは短く頷いた。
「それを作れる人間は、少ない」
その評価は、飾りではなかった。
昼前、城外からの報告が届く。
「公爵様、北部領の臨時入札ですが――
すでに三社が条件を下げてきています」
側近が報告すると、室内がざわめいた。
「もうですか?」 「昨日出したばかりでは……」
私は数字を確認し、頷いた。
「予想通りです。
彼らは“独占が崩れる”ことを恐れています」
「……見事だ」
誰かが、思わず呟いた。
アンクレイブは私を見る。
「想定削減率は?」
「現時点で、二割五分。
最終的には三割に届くでしょう」
「十分すぎる」
その一言で、場の空気が決まった。
午後、城の使用人たちの態度は、さらに変わった。
挨拶は丁寧に。
報告は簡潔に。
そして、無駄な感情は挟まれない。
――この城では、それが“最高の敬意”だ。
夕刻、執務が一段落した頃。
アンクレイブが、珍しく私に声をかけた。
「無理はしていないか」
「いいえ」
即答する。
「この程度なら、王都では日常でした」
その言葉に、彼は一瞬だけ視線を伏せた。
「……そうか」
短い沈黙。
やがて、彼は静かに言った。
「ここでは、君を消耗品として扱うつもりはない」
その言葉は、約束のようにも聞こえた。
私は少しだけ、微笑む。
「では、安心して働けます」
その日の夜。
王都へ向かう定期報告の文書が、公爵城を発った。
『グラーツ公国の政務、異常な速度で改善中』
『中心にいるのは、公爵夫人』
それを読んだ者たちが、何を思うか。
――それは、また別の話。
ただ一つ確かなのは。
“有能すぎる妻”という評価が、
すでにこの城では、常識になりつつあるということだった。
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