『婚約破棄はお好きにどうぞ。――真実の愛に酔った王太子の末路と、私は隣国で王妃になります』

鷹 綾

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第六話 風向きが変わる日

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第六話 風向きが変わる日

 隣国ヴァルディア王との会談から、三日。

 王都の風向きは、はっきりと変わり始めておりました。

 人は、強いものに寄り添います。

 そして――揺らいでいるものからは、そっと距離を取る。

 王太子殿下は、いま“揺らいでいる側”でした。

 

 王宮では、議会が荒れていると聞きます。

「私情による特例相続ではないのか」 「違約金による財政圧迫をどうする」

 守る、と言ったあの言葉が、いまは重石になっている。

 

 公爵邸の応接間には、商会の代表が次々と訪れておりました。

「公爵家は、今後も安定しておられますな」

 笑顔の裏で、計算の目。

「違約金の一部を、港湾整備に?」

「ええ」

 私は穏やかに頷きます。

「長期的に利が見込めますもの」

 怒りも、復讐心も、ここにはございません。

 あるのは、将来設計。

 

 クララがそっと耳打ちしました。

「お嬢様……王宮より使者が」

「また?」

「はい。殿下が、急ぎお会いしたいと」

 あらあら。

 ずいぶん慌ただしいこと。

 

 王宮の中庭は、妙に静まり返っておりました。

 殿下は噴水のそばに立っていらっしゃる。

 以前より、明らかに疲れて見えます。

「アーデルハイト」

「殿下」

 私は礼を取りました。

 距離は、きちんと保ちます。

 

「隣国王と会ったそうだな」

「はい」

「婚約の話が出ている、とも」

 噂は早いですわね。

「否定はなさらないのか」

「事実でございます」

 

 殿下の表情が、わずかに強張りました。

「早すぎないか」

「何がでしょう」

「君は……」

 言葉が続かない。

 私は静かに待ちました。

 

「君は、私を愛していなかったのか」

 ああ。

 そこに戻りますのね。

 

「殿下」

 私はゆっくりと息を吸います。

「愛と契約は、別でございます」

「冷たい」

「冷静です」

 いつものやり取り。

 けれど、今日は少し違います。

 

「君は、最初から隣国を考えていたのか」

 問いの奥にあるのは、疑い。

 私は首を横に振りました。

「計算? そんなもの、ございませんわ」

 はっきりと。

「いったい、誰が殿下が未亡人に熱を上げ、立場を顧みずに動かれるなどと予想できましょう」

 殿下の瞳が揺れます。

「こんな前提の計算など、あり得ません」

 

 沈黙。

 風が、水面を揺らしました。

 

「では……なぜ」

「選ばれなかったのであれば、選び直すだけでございます」

 それだけ。

 単純で、明確。

 

 殿下は、苦笑のようなものを浮かべました。

「私は、間違えたのか」

 その問いに、私は答えません。

 代わりに、こう申し上げました。

「殿下は、選ばれました」

「……何を」

「ご自身の正義を」

 

 守る、と言った。

 婚約を解消した。

 違約金を支払った。

 未亡人を庇った。

 

 すべて、殿下の選択。

 

「私は責任を取った」

「はい」

「それでも足りぬのか」

「責任は、結果が出るまで終わりません」

 

 殿下は噴水の水面を見つめました。

 映る自分の顔を、まるで初めて見るかのように。

 

「隣国王は、君をどう評価している」

「能力を」

「愛ではなく?」

「ええ」

 

 そこが、決定的な違い。

 

 殿下は小さく息を吐きました。

「私は、君を理解していなかった」

「そうでございましょうね」

 柔らかく。

 責めずに。

 

「だが、まだ遅くは」

「遅いかどうかは、殿下ではなく時が決めます」

 

 私は一歩下がりました。

「これ以上は、私情でございます」

 それは、もう終わった話。

 

 背を向けると、背後から低い声が届きました。

「……幸せになるのか」

 私は立ち止まります。

 ほんの一瞬だけ。

 

「選ぶのは、私でございます」

 

 振り返らずに歩き出しました。

 

 王宮を出るころ、空は晴れておりました。

 王都の風は、確実に変わっている。

 商会は公爵家に寄り、議会は王太子に疑問を投げ、神殿は静観に回る。

 

 そして隣国は、じっと機を待つ。

 

 守る、と言った男。

 守れる体制を整える、と言った王。

 

 どちらが国を動かすか。

 答えは、もう見え始めている。

 

 私は馬車に乗り込み、窓の外を眺めました。

 違約金の運用は順調。

 港湾整備は始動。

 軍需契約も整いつつある。

 

 恋の余韻は、すでに過去。

 

 これから始まるのは――

 選ぶ側の物語でございます。
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