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不思議な写真
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それから三日後の水曜日、今日は教授の都合で午後の授業が無くなり、早めにお店に出ていた。捺は水曜は元々午後に講義はないらしく、部屋に籠って色々と調べているようだ。
今週に入ってからずっとあの調子だ。とはいえ、私の事をまだ怒っているとかではなく、単に松田さんの写真についての事らしい。カメラはまだ視ていないが、負けず嫌いの捺は家にある本を片っ端から広げて、手がかりや構造をチェックしているようだ。おかげで部屋は泥棒に入られたのかと思うほどの荒らされよう。終わった後に掃除をするのは誰だとお思いなのでしょうか……。
「燈さん、今日のご飯も美味しかったよ。ご馳走様」
休憩から戻って来た森さんが、カウンターで店番をしていた私に言った。あの後から余裕がある時は森さんにもお昼を用意している。私の勝手でやってるから、捺は納得してないみたいだけど……やっぱりお世辞でも『美味しい』って言ってくれると、作り甲斐があって。
「いえいえ。……捺は食べてたっぽいですか?」
「いや……部屋から降りて来てないと思うけど」
「またご飯抜きか……最近夜もまともに食べないし、栄養失調になるでしょ。カメラ来るまで待ってればいいのに……」
そのくせ嫌味を言う事は忘れないとか、どういうことなの。
「まぁ、捺君があそこまで必死になるのも分からないではないよ。僕も写真は見させてもらったけど、確かに説明出来ないからね。僕等が説明出来ないって事は心霊写真なのかもしれないけど……世の中には悪徳霊媒師がうじゃうじゃいる。たとえ本物の人だとしてもお金はかかる。だとしたら、自分の持ってる知識と本を合わせて完全に説明不可能にしてから返すのが、捺君の仕事だと思っているんだろう。彼は責任感強いし、不器用なだけだから」
森さん、捺の事を信頼してるんだなぁ……本当は私が煽っただけなんだけど。普段は捺の方が立場上は上って感じだけど、年は森さんの方が上なんだし、お兄ちゃんみたいな感じなのかも。年上の優しいお兄さんに、我が儘で小言の多い弟か……うんうん、有り得るね。
森さんを見上げながらしみじみと思っていると、不意に店内にベルの音が響いた。入口にはスーツ姿の女性が立っている。
「あ、松田さん!」
松田さんは少し赤い目をして、ゆっくりこちらに歩いてきた。森さんは彼女とは初対面だから軽く自己紹介して、それから椅子に腰かけた。松田さんは目頭を押さえて、涙を堪えているようだ。
「あの……失礼ですが、何かありましたか……?」
松田さんは初め小声で言っていたけれど、段々に涙が溢れ、震えた声になった。後半は分からなかったけど、辛うじて聞き取れた言葉は、お母さんがもうダメかもしれないとの事だった。
松田さんの隣に腰掛けて、咳込んでいる彼女の背中を擦りながら落ち着かせる。森さんは気を利かせて捺を呼びに行ってくれたようだ。
「落ち着いてくださいね、大丈夫ですから……ゆっくり呼吸してください」
彼女の震えは段々に収まり、呼吸もゆっくりになっていく。涙も収まってきたらしく、目元に当てていたハンカチを下ろした。
「ごめんなさいね……急に……」
「いいえ、大丈夫ですか……?」
松田さんはこくりと頷いて、まだ赤い目を隠すように俯いた。以前に言っていたけど、松田さんは事務の仕事をしている。服装から一度は出勤したようだけど。
「松田さん、カメラは見つかりましたか?」
久しぶりにお店に出て来た捺は、松田さんを見るなり何の迷いもなく言う。少しは気付かうとか出来ないのか、明らかに泣いた跡があるでしょ。
「あぁ……はい、こちらです」
松田さんは捺の言動を気にする事なく、持ってきていた紙袋から一つの箱を取り出した。年季の入った木の箱で、骨董品のツボでも入ってそうな様相だ。
「物置にこの状態で置かれていました。他にそれっぽいのが無かったので、多分これかと……」
「お借りいたします」
捺はまさしく鑑定師の要領で白い手袋をはめると、スライド式の蓋を取り外して中の物を丁寧に取り出す。出て来たカメラは箱とは似合わず、意外にも見慣れた形の物だ。今のカメラよりもちょっと大きめだけど、一眼レフのレンズが着いてて、汚れとかも思ったほどではない。
捺は丁寧に中を開いたり、レンズを外したりして見ていく。他に箱の中には説明書もあるようだけど、捺はそれを見ることなく言った。
「1955年発売のミランダですね。オリオン精機からの発売で、国産では初の一眼レフカメラです」
へぇー国産初の一眼レフか。ていうか今から半世紀以上前のカメラが一般の家庭に残ってるって、凄い事かも。
「ファインダーで見る限りでは生きてますね。フィルムを入れて撮影してみるか」
森さんがすかさず持ってきたフィルムを丁寧に中に入れ、手当たり次第に撮影していく。とは言っても普段から撮影しているだけあって、撮っている姿も様になっていた。
「撮ってみたら何か分かるの?」
そもそもの疑問を、店内を撮影していた捺に問いかける。
「分からないから撮っているんだ。本当にバカか?」
そーですか、悪かったですね!
ぷいっと顔を背けると、隣に座っていた松田さんの表情が冴えない。そわそわして、何かを気にするように、手遊びをしている。心此処に在らずとの感じだ。
「どうかされました?」
「え、えぇ……。実は少し気がかりな事が……」
「もしかして、先ほど泣いていたのはそれが原因で……?」
今はもう平静を取り戻して、落ち着いて澄んだ声で話した。
「あの時はごめんなさい……ちょっと気が緩んでしまって。今日のお昼に、母の様態が急変してね、それで慌てて早退して病院へ行ったの。着いた時はもう駄目なんじゃないかって思うくらい脈が低くて……でもお医者様のお蔭で、なんとか持ち直したの。意識は戻ってないけど……」
「そんな大変な時に……落ち着いてからでも大丈夫でしたのに」
「良いのよ。どの道今日仕事帰りに寄ろうと思ってカメラは持ってたし、今夜は病院に泊まろうと思ってて、一度家に帰って支度しないとだったし」
病院に泊まるって事は、それほど危ないって事なんだろうな……。悟伯父さんの事があったから、彼女の気持ちは痛い程に分かる。普段当たり前だった事が無くなる、普通に居た人が居なくなるというのは、とてつもなく不安で怖い事だ。身近なら、たとえどんなに嫌な奴でも辛いと思う。
「……きっと、旦那さんが助けてくれます。あの写真がどんな事なのか分からないけど、旦那さんなら奥さんの幸せを願うはずです」
こんな不確かな状態で大丈夫なんて無責任な事を言いたくなかった。結果としてかなり曖昧な言葉になってしまったけど、私ではこれくらいしか気の利いた事は言えない。
それでも松田さんは「ありがとう」と言ってくれたけど……。
そして実はその会話を聞いていたらしい捺が、外も含めた一通りの撮影を終えて言う。
「現像や細部の調査に時間がかかりますので、宜しければ一度帰り、再び病院に行く前に寄ってください。ご都合が悪ければ別日でも構いません」
「では……今日病院に行く前に寄らせて頂きます。よろしくお願いします」
松田さんは深くお辞儀をして、扉の向こうに消えて行った。私の前で最後はいつも通りに笑っていたけれど、見えた背中は酷く寂しそうで小さなものだった。
「どうかお母さんが無事に目覚めますように……」
扉の窓からも見えなくなった彼女に、届かない祈りを告げた。春の温かな太陽が彼女を照らしていたけれど、彼女の影は哀しそうにアスファルトを滑っていった。
「森さん、この現像を頼みます」
フィルムを撒き終えた捺は森さんを現像に行かせ、自分はもう一度細部まで細かく見ていく。今度はルーペも使って、かなり細かく。
「ねぇ、何か撮ってて変わった所あった?」
「撮っている限りでは変わっていると感じた所はない。内部のミラーも綺麗だったから、ミラーの汚れというわけでもないだろう」
捺はレンズとの接続部分を詳しく見ている。
あんまり話しかけるとまた怒られるしなぁ。かと言ってすることもないし。というか内部のミラーって何だろう? カメラの内部ってミラーついてるの? なんで?
今までの人生で一度もカメラに興味を持ったことないから、お店のショーウィンドウを見るまで二眼レフなるものがある事も知らなかったくらいだ。この二眼レフというのは文字通りレンズが二つある物で、縦の長方形のボックスを上から覗きこむようにして撮るらしい。二つあるレンズもデザインも可愛いから、女性向きだなって思った。
捺は相変わらずカメラを見つめている。そろそろこのダンマリも辛い、もう静かにしてられない。早く森さん出てきてくれないかな……そう思い始めた頃、現像室の扉を勢いよく開けて森さんが出て来た。何処か焦った表情だ。
「捺君、映ったよ。一枚だけ」
「えっ本当ですか!」
捺が受け取った一枚の写真を後ろに回って覗きこむ。これはイングリッシュガーデンのバラの群れを映したもののようだ。赤、黄、白、ピンクと咲き誇る沢山のバラと葉の中に、突然右上に自然に似つかわしくない青い何かが写っている。同じように逆さにしてみると、丸い形の中で渦を巻いているような感じで、中心の辺りにシャワーの先みたいなのが付いてる。
「これ……何?」
確かに変な物と認識出来るけど、でも何だか分からない。ハッキリと一定の濃さの色を見る限り、人工物っぽい印象ではあるけど……。
捺は写真を持って、外へと出て行った。後を追うと、そこは写真と同じ風景の、つまり写真を撮ったポイントだ。勿論だけどバラの中に謎の青い渦巻きはない。そこは綺麗にバラが咲く庭だった。
意味が分からずに首を傾げる私の隣で、捺は確信した声で言った。
「これだ……」
「捺君、分かったの?」
森さんが捺の視線の先を見た。そこには朝の水まきに使われるシャワーホースが、バラの袂に束ねられていた。
「あ、確かに! 丁度中心付近のグルグル渦巻いた所を丸く切り取って貼ったって感じだね」
「それが意図的に切り貼りしたなら分かるが、これは撮影段階で写っている。何故だろう……俺はこのアングルから撮った。ホースはレンズから完全に外れていたのに」
「そうだね……確実に写らない位置です」
確かに、あの写真と同じように構えているとカメラの斜め下、写真にはバラの足元は写っていなかった。完全に外れた位置である事は分かる。
「ミラーの問題か……でもそれなら全体に問題が出ると思うが」
捺が独り言のように呟く。あ、そうだ、森さんになら聞けるかも。
「あの、カメラの中のミラーって、どうしてついてるんですか?」
「あぁ、それは勿論レンズに写った物を確認する為だけど……」
あ、いや、それはなんとなく分かってるんだけど……。
「まずレンズに写っている物を確認するために、レンズとフィルムの間にミラーが斜めに配置されているんだ。そうするとレンズから入って来た光景が、ミラーによって真上に反射されるね? その上に反射された物が真上のミラーから奥のミラーに、そこから反射してファインダーに写るんだ。ペンタプリズム式一眼レフって言うよ」
「なんでそんな面倒な事を……?」
「……当たり前だが、レンズから一直線に見ることは不可能だ。ミラーを無くしたとしてフィルムが間にあるし、それにフィルムは光を捉えて焼き付けている。ミラーが無くなればフィルムは永遠に撮影状態になっているって事。つまりミラーはフィルムを保護する役目でもある。そしてシャッターを押した時、ミラーは持ちあがって障害物がなくなる、この瞬間にフィルムに焼き付けられてるって事だ。これでお前にも分かるか?」
「わ、分かったよ! ……だけど、今回のも昔の写真も、どっちも対象の物は反対向きに写ってるんだね。位置も似てるし……」
私に向かってため息をついている捺に向かって、何気なく投げた言葉だった。しかし
「……待て、確かにそうだ。どちらも逆さに写っている……」
松田さんから預かった写真と、自身が撮った写真を見比べている。顔とホースの位置は同じ、大きさも同じだ。
「と言う事は、カメラ自体に問題があるんだね」
森さんは捺からカメラと引き換えに受け取った写真を見て言った。
「少なくとも心霊写真じゃないって事ですね。それなら、そう伝えれば完了だと思うけど……」
「まぁ……そうだろうけど……」
捺はまだカメラと睨めっこをしている。
「説明出来ないなんて、捺君のプライドが許さないかな」
「あはは……ですよね。でも覗いてる時に変じゃないって事は、レンズとかミラーとかじゃない部分に問題があるって事なんですよね。撮る瞬間に問題があるのかな」
「……そうか」
捺が確信を持った声で言った。
「ミラーが上がった瞬間にだけ写っている、逆さと言う事は反射だ。つまりはこの辺りに……」
自分に言い聞かせるように言ったあと、捺はカメラをひっくり返して、レンズとの接続部分を注意して見ている。
「捺……どうしたのかな……」
「なるほど……捺君は普段ミラーが下がって隠されている所に、第二のレンズがあると思っているんだね?」
第二のレンズ……? どういう事?
「要は破損してもう一つの露光部分が出来たった事だよ。ミラーが持ち上がった瞬間だけ現れる、ゴーストレンズだね」
「それがどうして下にあるって分かるんですか?」
「ミラーが持ちあがったらペンタプリズムまでの部分は当然塞がれるから、それより上部分から入り込んだ映像ではない。だから下にあるって事じゃないかな」
そっか、ファインダーまでの反射を重ねていく所は塞がれちゃうんだ。確かにそれなら下からしか光は入らないよね。
「それだけじゃない。両方の写真とも、例の物は逆さに写っている。恐らく下から入った映像が持ち上がったミラーに反射してフィルムに焼き付いたと考えられる。だからこの辺りに……あ、此処だな」
捺はカメラの底のレンズ側の所を指さした。丁度カメラ本体の表面と底面を組み合わせた部分だ。見た目では影になっているし、変わった所はなく思える。
「……全然分からないけど……」
「これ使え」
ルーペを渡され、再び見てみる。分厚いだけあって結構な拡大率だ。自分が蟻になったような視点、正直何処を見ているのか分からなくなるほど。
捺が指差した場所に目印として指を置き、もう一度ルーペを覗いた。
「あっ……! 本当だ、小さいけど」
溝の中には欠けたような小さな穴が空いていた。大きさにして塩一粒位だろうか。
「でも、こんな小さい中に人の顔が入りきるの……? それに、他に写ってない写真もあったのに」
「そこについては松田さんの時にまとめて説明する」
捺は勿体ぶって言うと、お店に戻っていってしまった。
今週に入ってからずっとあの調子だ。とはいえ、私の事をまだ怒っているとかではなく、単に松田さんの写真についての事らしい。カメラはまだ視ていないが、負けず嫌いの捺は家にある本を片っ端から広げて、手がかりや構造をチェックしているようだ。おかげで部屋は泥棒に入られたのかと思うほどの荒らされよう。終わった後に掃除をするのは誰だとお思いなのでしょうか……。
「燈さん、今日のご飯も美味しかったよ。ご馳走様」
休憩から戻って来た森さんが、カウンターで店番をしていた私に言った。あの後から余裕がある時は森さんにもお昼を用意している。私の勝手でやってるから、捺は納得してないみたいだけど……やっぱりお世辞でも『美味しい』って言ってくれると、作り甲斐があって。
「いえいえ。……捺は食べてたっぽいですか?」
「いや……部屋から降りて来てないと思うけど」
「またご飯抜きか……最近夜もまともに食べないし、栄養失調になるでしょ。カメラ来るまで待ってればいいのに……」
そのくせ嫌味を言う事は忘れないとか、どういうことなの。
「まぁ、捺君があそこまで必死になるのも分からないではないよ。僕も写真は見させてもらったけど、確かに説明出来ないからね。僕等が説明出来ないって事は心霊写真なのかもしれないけど……世の中には悪徳霊媒師がうじゃうじゃいる。たとえ本物の人だとしてもお金はかかる。だとしたら、自分の持ってる知識と本を合わせて完全に説明不可能にしてから返すのが、捺君の仕事だと思っているんだろう。彼は責任感強いし、不器用なだけだから」
森さん、捺の事を信頼してるんだなぁ……本当は私が煽っただけなんだけど。普段は捺の方が立場上は上って感じだけど、年は森さんの方が上なんだし、お兄ちゃんみたいな感じなのかも。年上の優しいお兄さんに、我が儘で小言の多い弟か……うんうん、有り得るね。
森さんを見上げながらしみじみと思っていると、不意に店内にベルの音が響いた。入口にはスーツ姿の女性が立っている。
「あ、松田さん!」
松田さんは少し赤い目をして、ゆっくりこちらに歩いてきた。森さんは彼女とは初対面だから軽く自己紹介して、それから椅子に腰かけた。松田さんは目頭を押さえて、涙を堪えているようだ。
「あの……失礼ですが、何かありましたか……?」
松田さんは初め小声で言っていたけれど、段々に涙が溢れ、震えた声になった。後半は分からなかったけど、辛うじて聞き取れた言葉は、お母さんがもうダメかもしれないとの事だった。
松田さんの隣に腰掛けて、咳込んでいる彼女の背中を擦りながら落ち着かせる。森さんは気を利かせて捺を呼びに行ってくれたようだ。
「落ち着いてくださいね、大丈夫ですから……ゆっくり呼吸してください」
彼女の震えは段々に収まり、呼吸もゆっくりになっていく。涙も収まってきたらしく、目元に当てていたハンカチを下ろした。
「ごめんなさいね……急に……」
「いいえ、大丈夫ですか……?」
松田さんはこくりと頷いて、まだ赤い目を隠すように俯いた。以前に言っていたけど、松田さんは事務の仕事をしている。服装から一度は出勤したようだけど。
「松田さん、カメラは見つかりましたか?」
久しぶりにお店に出て来た捺は、松田さんを見るなり何の迷いもなく言う。少しは気付かうとか出来ないのか、明らかに泣いた跡があるでしょ。
「あぁ……はい、こちらです」
松田さんは捺の言動を気にする事なく、持ってきていた紙袋から一つの箱を取り出した。年季の入った木の箱で、骨董品のツボでも入ってそうな様相だ。
「物置にこの状態で置かれていました。他にそれっぽいのが無かったので、多分これかと……」
「お借りいたします」
捺はまさしく鑑定師の要領で白い手袋をはめると、スライド式の蓋を取り外して中の物を丁寧に取り出す。出て来たカメラは箱とは似合わず、意外にも見慣れた形の物だ。今のカメラよりもちょっと大きめだけど、一眼レフのレンズが着いてて、汚れとかも思ったほどではない。
捺は丁寧に中を開いたり、レンズを外したりして見ていく。他に箱の中には説明書もあるようだけど、捺はそれを見ることなく言った。
「1955年発売のミランダですね。オリオン精機からの発売で、国産では初の一眼レフカメラです」
へぇー国産初の一眼レフか。ていうか今から半世紀以上前のカメラが一般の家庭に残ってるって、凄い事かも。
「ファインダーで見る限りでは生きてますね。フィルムを入れて撮影してみるか」
森さんがすかさず持ってきたフィルムを丁寧に中に入れ、手当たり次第に撮影していく。とは言っても普段から撮影しているだけあって、撮っている姿も様になっていた。
「撮ってみたら何か分かるの?」
そもそもの疑問を、店内を撮影していた捺に問いかける。
「分からないから撮っているんだ。本当にバカか?」
そーですか、悪かったですね!
ぷいっと顔を背けると、隣に座っていた松田さんの表情が冴えない。そわそわして、何かを気にするように、手遊びをしている。心此処に在らずとの感じだ。
「どうかされました?」
「え、えぇ……。実は少し気がかりな事が……」
「もしかして、先ほど泣いていたのはそれが原因で……?」
今はもう平静を取り戻して、落ち着いて澄んだ声で話した。
「あの時はごめんなさい……ちょっと気が緩んでしまって。今日のお昼に、母の様態が急変してね、それで慌てて早退して病院へ行ったの。着いた時はもう駄目なんじゃないかって思うくらい脈が低くて……でもお医者様のお蔭で、なんとか持ち直したの。意識は戻ってないけど……」
「そんな大変な時に……落ち着いてからでも大丈夫でしたのに」
「良いのよ。どの道今日仕事帰りに寄ろうと思ってカメラは持ってたし、今夜は病院に泊まろうと思ってて、一度家に帰って支度しないとだったし」
病院に泊まるって事は、それほど危ないって事なんだろうな……。悟伯父さんの事があったから、彼女の気持ちは痛い程に分かる。普段当たり前だった事が無くなる、普通に居た人が居なくなるというのは、とてつもなく不安で怖い事だ。身近なら、たとえどんなに嫌な奴でも辛いと思う。
「……きっと、旦那さんが助けてくれます。あの写真がどんな事なのか分からないけど、旦那さんなら奥さんの幸せを願うはずです」
こんな不確かな状態で大丈夫なんて無責任な事を言いたくなかった。結果としてかなり曖昧な言葉になってしまったけど、私ではこれくらいしか気の利いた事は言えない。
それでも松田さんは「ありがとう」と言ってくれたけど……。
そして実はその会話を聞いていたらしい捺が、外も含めた一通りの撮影を終えて言う。
「現像や細部の調査に時間がかかりますので、宜しければ一度帰り、再び病院に行く前に寄ってください。ご都合が悪ければ別日でも構いません」
「では……今日病院に行く前に寄らせて頂きます。よろしくお願いします」
松田さんは深くお辞儀をして、扉の向こうに消えて行った。私の前で最後はいつも通りに笑っていたけれど、見えた背中は酷く寂しそうで小さなものだった。
「どうかお母さんが無事に目覚めますように……」
扉の窓からも見えなくなった彼女に、届かない祈りを告げた。春の温かな太陽が彼女を照らしていたけれど、彼女の影は哀しそうにアスファルトを滑っていった。
「森さん、この現像を頼みます」
フィルムを撒き終えた捺は森さんを現像に行かせ、自分はもう一度細部まで細かく見ていく。今度はルーペも使って、かなり細かく。
「ねぇ、何か撮ってて変わった所あった?」
「撮っている限りでは変わっていると感じた所はない。内部のミラーも綺麗だったから、ミラーの汚れというわけでもないだろう」
捺はレンズとの接続部分を詳しく見ている。
あんまり話しかけるとまた怒られるしなぁ。かと言ってすることもないし。というか内部のミラーって何だろう? カメラの内部ってミラーついてるの? なんで?
今までの人生で一度もカメラに興味を持ったことないから、お店のショーウィンドウを見るまで二眼レフなるものがある事も知らなかったくらいだ。この二眼レフというのは文字通りレンズが二つある物で、縦の長方形のボックスを上から覗きこむようにして撮るらしい。二つあるレンズもデザインも可愛いから、女性向きだなって思った。
捺は相変わらずカメラを見つめている。そろそろこのダンマリも辛い、もう静かにしてられない。早く森さん出てきてくれないかな……そう思い始めた頃、現像室の扉を勢いよく開けて森さんが出て来た。何処か焦った表情だ。
「捺君、映ったよ。一枚だけ」
「えっ本当ですか!」
捺が受け取った一枚の写真を後ろに回って覗きこむ。これはイングリッシュガーデンのバラの群れを映したもののようだ。赤、黄、白、ピンクと咲き誇る沢山のバラと葉の中に、突然右上に自然に似つかわしくない青い何かが写っている。同じように逆さにしてみると、丸い形の中で渦を巻いているような感じで、中心の辺りにシャワーの先みたいなのが付いてる。
「これ……何?」
確かに変な物と認識出来るけど、でも何だか分からない。ハッキリと一定の濃さの色を見る限り、人工物っぽい印象ではあるけど……。
捺は写真を持って、外へと出て行った。後を追うと、そこは写真と同じ風景の、つまり写真を撮ったポイントだ。勿論だけどバラの中に謎の青い渦巻きはない。そこは綺麗にバラが咲く庭だった。
意味が分からずに首を傾げる私の隣で、捺は確信した声で言った。
「これだ……」
「捺君、分かったの?」
森さんが捺の視線の先を見た。そこには朝の水まきに使われるシャワーホースが、バラの袂に束ねられていた。
「あ、確かに! 丁度中心付近のグルグル渦巻いた所を丸く切り取って貼ったって感じだね」
「それが意図的に切り貼りしたなら分かるが、これは撮影段階で写っている。何故だろう……俺はこのアングルから撮った。ホースはレンズから完全に外れていたのに」
「そうだね……確実に写らない位置です」
確かに、あの写真と同じように構えているとカメラの斜め下、写真にはバラの足元は写っていなかった。完全に外れた位置である事は分かる。
「ミラーの問題か……でもそれなら全体に問題が出ると思うが」
捺が独り言のように呟く。あ、そうだ、森さんになら聞けるかも。
「あの、カメラの中のミラーって、どうしてついてるんですか?」
「あぁ、それは勿論レンズに写った物を確認する為だけど……」
あ、いや、それはなんとなく分かってるんだけど……。
「まずレンズに写っている物を確認するために、レンズとフィルムの間にミラーが斜めに配置されているんだ。そうするとレンズから入って来た光景が、ミラーによって真上に反射されるね? その上に反射された物が真上のミラーから奥のミラーに、そこから反射してファインダーに写るんだ。ペンタプリズム式一眼レフって言うよ」
「なんでそんな面倒な事を……?」
「……当たり前だが、レンズから一直線に見ることは不可能だ。ミラーを無くしたとしてフィルムが間にあるし、それにフィルムは光を捉えて焼き付けている。ミラーが無くなればフィルムは永遠に撮影状態になっているって事。つまりミラーはフィルムを保護する役目でもある。そしてシャッターを押した時、ミラーは持ちあがって障害物がなくなる、この瞬間にフィルムに焼き付けられてるって事だ。これでお前にも分かるか?」
「わ、分かったよ! ……だけど、今回のも昔の写真も、どっちも対象の物は反対向きに写ってるんだね。位置も似てるし……」
私に向かってため息をついている捺に向かって、何気なく投げた言葉だった。しかし
「……待て、確かにそうだ。どちらも逆さに写っている……」
松田さんから預かった写真と、自身が撮った写真を見比べている。顔とホースの位置は同じ、大きさも同じだ。
「と言う事は、カメラ自体に問題があるんだね」
森さんは捺からカメラと引き換えに受け取った写真を見て言った。
「少なくとも心霊写真じゃないって事ですね。それなら、そう伝えれば完了だと思うけど……」
「まぁ……そうだろうけど……」
捺はまだカメラと睨めっこをしている。
「説明出来ないなんて、捺君のプライドが許さないかな」
「あはは……ですよね。でも覗いてる時に変じゃないって事は、レンズとかミラーとかじゃない部分に問題があるって事なんですよね。撮る瞬間に問題があるのかな」
「……そうか」
捺が確信を持った声で言った。
「ミラーが上がった瞬間にだけ写っている、逆さと言う事は反射だ。つまりはこの辺りに……」
自分に言い聞かせるように言ったあと、捺はカメラをひっくり返して、レンズとの接続部分を注意して見ている。
「捺……どうしたのかな……」
「なるほど……捺君は普段ミラーが下がって隠されている所に、第二のレンズがあると思っているんだね?」
第二のレンズ……? どういう事?
「要は破損してもう一つの露光部分が出来たった事だよ。ミラーが持ち上がった瞬間だけ現れる、ゴーストレンズだね」
「それがどうして下にあるって分かるんですか?」
「ミラーが持ちあがったらペンタプリズムまでの部分は当然塞がれるから、それより上部分から入り込んだ映像ではない。だから下にあるって事じゃないかな」
そっか、ファインダーまでの反射を重ねていく所は塞がれちゃうんだ。確かにそれなら下からしか光は入らないよね。
「それだけじゃない。両方の写真とも、例の物は逆さに写っている。恐らく下から入った映像が持ち上がったミラーに反射してフィルムに焼き付いたと考えられる。だからこの辺りに……あ、此処だな」
捺はカメラの底のレンズ側の所を指さした。丁度カメラ本体の表面と底面を組み合わせた部分だ。見た目では影になっているし、変わった所はなく思える。
「……全然分からないけど……」
「これ使え」
ルーペを渡され、再び見てみる。分厚いだけあって結構な拡大率だ。自分が蟻になったような視点、正直何処を見ているのか分からなくなるほど。
捺が指差した場所に目印として指を置き、もう一度ルーペを覗いた。
「あっ……! 本当だ、小さいけど」
溝の中には欠けたような小さな穴が空いていた。大きさにして塩一粒位だろうか。
「でも、こんな小さい中に人の顔が入りきるの……? それに、他に写ってない写真もあったのに」
「そこについては松田さんの時にまとめて説明する」
捺は勿体ぶって言うと、お店に戻っていってしまった。
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