おれたちの、距離

けふ

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【第一部】香月からの距離

9.ひさしぶりの距離


 彼女からの連絡が、少し減った。

 減ったというより、必要最低限になった。
 用件だけ。結論だけ。そこに感情の余白がない。

 それを責める気にはなれなかった。
 曖昧な態度をとったのは、オレの方だ。分かっているのに、落ち着かない。

 仕事帰りに、雨が降り出した。
 傘は持っていない。駅の軒下で足を止める。

 こんなとき、前なら暁に連絡していた。
 迎えに来い、じゃない。「降ってきた」と、それだけ。意味のない共有。でも、それが成立する相手。

 スマホを取り出して、画面を見つめる。
 少し迷ってから、指を動かした。

『今、時間ある?』

 送信した後、胸の奥がざわつく。
 期待している自分に気づいて、目を逸らした。

 返事は、思ったより早かった。

『少しなら』

 それだけ。
 それだけなのに、肩の力が抜けた。

 暁の部屋は、前と変わっていなかった。家具の配置も、置いてあるものも。

 ただ、空気だけが違う。
 気のせいだと思おうとして、言葉を探した。

「久しぶり」

 ぎこちない笑顔で紡いだ挨拶への返事は、少しの間を置いて、ぎこちなく返ってきた。

「…そうだな」

 会話は続く。
 でも、どこか距離がある。当然だと分かっているのに、胸の奥がちくりとした。

 コーヒーを淹れる暁の背中を見ながら、考える。

 ――オレ、何を言いに来たんだろう。

「最近どう?」

 ありきたりな質問。暁も、ありきたりに答える。
 それが、余計に居心地を悪くした。

 近況をひとしきり話した後、

「前みたいにさ」

 気づいたら、口から零れていた。
 暁の手が止まる。

「……前?」

 聞き返されて、言葉に詰まる。

「飯行ったり、何も考えずに、だらっとしたり」

 自分でも分かる。ひどく抽象的だ。
 何を求めているのか、はっきりしていない。

 暁はカップを置いて、こっちを見る。

 表情は穏やかだ。でも、そこに線を引くような冷静さがある。

「それ、戻るってこと?」

 声は静かだった。

 頷けなかった。
 頷いたら、何かを引き受けることになる気がした。

「別に、そういう……」

 言い淀んだ瞬間、暁の目が伏せられる。

「香月」

 名前を呼ばれて、息が詰まる。

「俺はさ、また曖昧な場所に戻るの、無理なんだ」

 思っていたより、まっすぐだった。

「期待しないって決めても、どうせ無理になる。それで、また自分で線引いて、勝手に傷つく」

 責められている感じはしない。
 説明されているだけだ。

 だから、何も言えなくなる。

「今は……距離、置きたい」

 それで終わった。

 それ以上、踏み込めなかった。
 引き止める理由を、言葉にできなかった。

 部屋を出るとき、暁は何も言わなかった。見送られもしなかった。

 外に出る前、エントランスで足を止めた。
 雨上がりの湿った空気が、ガラス越しに滲んで見える。

 そのとき、さっきまで感じていた違和感の正体に気づいた。
 暁の部屋には、あの柑橘系の香りがなかった。

 エントランスの自動ドアが開く。
 その瞬間、風向きが変わったみたいに、嗅ぎ慣れた爽やかな香りが鼻をかすめた。

 柑橘系。
 はっきり分かる。
 暁の部屋から消えていた匂い。

 振り返ると、コンビニの袋を持った男が、マンションに入っていくところだった。スーツの上着を肩に掛けて、慣れた足取りでオートロックを抜ける。

 すれ違いざま、香りがはっきり残った。
 暁の部屋に、これから入る匂いだと、理屈じゃなく分かった。

 呼び止める理由はなかった。
 視線を向ける資格もなかった。

 自動ドアが閉まる音が、やけに静かに響く。
 しばらく、その場から動けなかった。

 拒否された、というほど強い言葉じゃない。
 でも、線は引かれていた。
 しかも、もう誰かが、その内側に足を踏み入れている。

 不思議と、怒りは沸かなかった。
 代わりに、胸の奥に重たいものが沈んでいく。

 ようやく分かった。

 オレは、戻りたかったわけじゃない。
 逃げ場が欲しかっただけだ。

 そして、その逃げ場が、すでに誰かのものになってしまっていた。
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