先生の手で僕を殺して欲しい。

四月の苦しみ

 喧騒。狂騒。混走_______________________

 横田は一人、席に座っていた。耳に触れる誰かの煩わしい声が、そっと彼の気に触れる。ここで一つ。“うるさい！”と怒鳴ることが出来れば、周囲の奴らが思う僕の印象は変わるのだろうか。いや、変わったとしても、変わらなくとも、僕は僕だ。注意なんてできない。僕はそんな“役”を担っていない。朝のHRが始まるまであと五分。三分遅れた時計の針を睨み付けながら、公園の便所と化した前方の黒板を見つめた。


 低偏差値高校に朝はない。


 やっとの思いで、定時制の高校を免れた彼らは生活リズムが狂っているのだ。遅刻なんて日常茶飯事。朝のHRが始まっても、クラスに居るのは半分程度しかいない。いつまでも、寝ぼけ眼のバカが多いのだ。例え、遅刻をしたとしても、頭を下げずに何食わぬ顔で授業を途中参加する奴が多い。遅刻をしたのに、まだ授業中に寝るのだから。

 それに加え、横田は真面目だった。遅刻は一回もしたこと無く、休んだことも無い。彼にとってそれが当然なのに、この高校に来てからはこの当然が当然じゃないことに気づいた。


 朝のHRが始まった。


 「おはようございます！！」


 まだ話し足りないクラスメイトの声を遮るように、担任が大声でかき消す。声の大きな教師が多いのも、ひとつの特徴だった。


 「先日！この高校に新たな先生が来ました！！覚えていますか？」


 「覚えてるよ！先生、俺たちのことバカにしすぎでしょー」

 「せんせー、サイテー！」

 ギャハギャハとまた沸き上がる。先生は苦笑しながら、話を続けた。


 「今日はその先生の顔を覚えてもらうため、クラスに来ています！先生、入ってください！」


 誰かが“来んじゃねーよ”と大声で叫ぶ、クラスメイトはまた笑い声を上げる。バカバカしくてやってられなくて、僕は開きかかった前方の扉を見た。


 扉が開くと同時に、クラスメイトは一気に声を潜める。まるで商品を見て、品定めをしているみたいだった。“あの人、アレじゃない？”“嫌いだわー”“ガチャ外れたわ”失礼にも程があるだろう。横田は目を細めながらも、教卓の前に立ち、口を半開きにした新たな教師の顔を伺う。


 「ええ、いいかな？」


 教卓の前に立つ教師は、何とも正気を失った感じだった。確か、今年からこの高校に赴任してきたとか。見た目若いが、声は低い。そして、横田と幾度も目が合っている。


 「今年から、この高校に来た小鳥遊です。」


 「先生ってェ、どこから来たんですかー？！」
 「お前バカかよ！！話の途中だって！！」


 クラスカースト上位の男女が、口を開いた。また教室内は喧騒が酷くなる。担任も注意をしていたが、収まる気配はない。横田はじっと、小鳥遊の顔を見つめていた。こんな高校に来るだなんて、可哀想に。



 「皆さん、その、静かにして！」
 「先生、もうHR終わるよー？もう終わりにしよー！」



 担任がキレかけた時、先程の女子が叫ぶ。同時にチャイムが鳴った。皆が椅子を引き始め、勝手に教室から出ていったのだった。



 「…」

 急に静かになるクラス。ああ、可哀想だな。そんなことしか思えない。頬杖をついて、教卓を見直す。




 小鳥遊はもう居なくなっていた。