黒柳悦郎は走ったり走らなかったりする

織姫ゆん

文字の大きさ
66 / 171
8章  八日目 はじめての場所へ

8-3 いつもと少し違う土曜の午前

しおりを挟む
「おはようございまーす」
「お、来たね」

玄関から、見知らぬ声が聞こえてきた。

「え? 誰? お客さん?」

俺的には予定のなかった来客に、ほんの少しだけ戸惑う。
なぜならその声は若い女の子の声で、なんとなく俺が相手をさせられそうに思えたからだ。

「咲、聞いてるか?」
「うん。聞いてるよ」
「は?」

幼馴染の裏切りに、俺は呆気にとられてしまう。
だがまあよく考えてみれば、そんなことは日常茶飯事だった。

「新しい練習生候補だって。ただ、まだ学生さんだから見習いみたいな感じになるかもって」
「あー。美沙さんの後輩になるのか」
「で、寮のみなさんの食事の支度の仕方とか教えて欲しいって」
「そういうことな」

つまりそれは、我が家への来客というよりは咲への来客だった。
場所がうちなのは謎だが。

「じゃあ咲ちゃん、あの子のことは頼むね」
「はい」

そうしてかーちゃんと美沙さんは寮の方に言ってしまう。

「あのー」
「あ、ごめんなさい」

玄関に1人残されていた練習生候補(予定)の女の子が、リビングに向かって声を掛けてくる。
先はパタパタとスリッパの音を響かせながら、その子を迎えに行った。

    *    *    *

「はじめまして、鈴木すずめです」
「黒柳悦郎です」

咲が玄関から連れてきた女の子は、俺の想像とはまったく違っていた。
練習生候補なんて言うから、てっきり美沙さんとかかーちゃんみたいなマッスルな感じの子を想像していた。
そうじゃなくても、洋子先輩みたいな戦い向きの体型をしているんだと思っていた。

(っていっても洋子先輩ケンカ嫌いだけどな。したら強いけど)

「あの……私の顔になにかついてます?」
「あ、いや。あんまりレスラーっぽくない子だなって意外に思ってさ」
「ですよね。だからなんですっ」
「え!?」

唐突にその子……鈴木すずめさんは、俺にズイッと近づいてきた。
どうやらなにかのスイッチが入ってしまったらしく、彼女が女子プロレスにハマった経緯を俺に熱く語ってきた。
なんでももともと身体が弱くて、頻繁に病院に通うような生活をしていたらしい。
そしてその待合室で見た、かーちゃんが一度は陥落した王座を奪還したときのドキュメンタリー。
そのテレビ番組に感動して、入門を希望してきたらしい。
かーちゃんのように、強い女性になりたいんだとか。

(うーん、あれは強いとかそういうのじゃないと思うんだよなあ。確かに腕っぷしは強いけど、それ以外の何かが欠落してるというか……まあ、限りなく善良な人間だとは思うけどね)

「じゃあ鈴木さん、早速お昼のメニューをどうするか一緒に考えましょうか」
「え? もうですか?」
「仕込みの量が多いから、早くはじめないと間に合わないの」
「ちょっとでも遅れるとあの腹ペコたちがぶーぶー文句言いだすからな」
「なるほど、勉強になります。でも……」
「ん?」
「私本当は、トレーニングの見学がしたいんです。だって私、なりたいのは食事当番じゃなくてチャンピオンなんですから」

フンスと鼻息荒くそう語る鈴木さん。
見た目はややファンシー寄りな彼女がそう語ると、違和感しか感じられない。
しかしながらその表情は真剣そのもの。
もちろん、その決意がずっと続くかどうかはわからないが。

「まあそれはまたあとでってことで。私もあなたに食事当番としてのイロハを仕込んでって頼まれちゃってるから」
「そうですね。何事も一足飛びにはいきませんよね。まずは食事当番から。それに、そんなにたくさんのお料理をすれば腕っぷしも少しは鍛えられるかもしれませんしね」

そう言って鈴木さんは細い腕で力こぶを作る。

(おっ……)

思ったよりも盛り上がった上腕二頭筋に、もしかしたらこれは口だけじゃないのかもしれないなと彼女の認識を改めた。
かーちゃんのところへの入門希望者は、年に何人か現れる。
それでも残るのはほとんどいない。
ここ何年かでは、美沙さんが唯一と言っていいくらいだ。
久しぶりに、美沙さんの後輩ができるのかもしれない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

失恋中なのに隣の幼馴染が僕をかまってきてウザいんですけど?

さいとう みさき
青春
雄太(ゆうた)は勇気を振り絞ってその思いを彼女に告げる。 しかしあっさりと玉砕。 クールビューティーで知られる彼女は皆が憧れる存在だった。 しかしそんな雄太が落ち込んでいる所を、幼馴染たちが寄ってたかってからかってくる。 そんな幼馴染の三大女神と呼ばれる彼女たちに今日も翻弄される雄太だったのだが…… 病み上がりなんで、こんなのです。 プロット無し、山なし、谷なし、落ちもなしです。

フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件

遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。 一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた! 宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!? ※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

私がガチなのは内緒である

ありきた
青春
愛の強さなら誰にも負けない桜野真菜と、明るく陽気な此木萌恵。寝食を共にする幼なじみの2人による、日常系百合ラブコメです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...