愛理の場合 〜レズビアンサークルの掟〜

本庄こだま

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6.狩るものと狩られるもの

夜に咲く花



 「1番ホームに電車が参ります。白線の内側までお下がりください」

 定刻どおりやってくる、シルバーボディの快速電車。

 時間は朝の9時。通勤ラッシュの喧騒がひと段落し、まばらな人並みの中を愛理は縫うように歩いていた。

 来た時と何も変わらないはずの風景。

 だが愛理には、全てが異なる世界に見えた。

 次回のEl Doradoエルドラードの試合に備えた、ケイとのセックス漬けの1日。

 いや、本来であればであった。だが、その予定は愛理の〝覚醒〟によって短縮された。

 ケイ曰く、「1週間前とは別人」だと。

 10両編成の最前車両に乗り込んだ愛理は、操縦室の窓を覗きながら、都心の合間をすり抜けてゆく線路を目で追っている。

 昨夜あった出来事──。

 絶望的な力量差、暴かれた脆弱性、そして屈辱的な服従、敗北宣言……。

 (マゾ……私は……)

 それでも、認めたくなかった自らの〝本性〟を受け入れた時。

 そこに待っていたのは〝空前絶後の快楽〟だった。

 虐げられる事の痛み、苦しみ。

 犯される事の恥辱、悔しさ。

 そのすべてを喰らい、吐き出し、死に物狂いで掴み獲った最上の悦び……。

 だが、そんな「最高に気持ちいいマゾ・セックス」を、一番見られたくない女に見られた。

 あの人だから許したのに。あの人だから見せた顔なのに。

 すべて奪われてしまった。すべて晒されてしまった。

 無理矢理にあの人の前で、を剥がされた。

 (完成した……って言われても)

 最寄駅が近づく。

 ドアの前に立つ愛理は、窓に映る疲れ切った自分の姿を睨みつける。

 (私には……分からないわよッ……)



 愛理がこのアパートに戻るのは何週間ぶりだろう。

 幼馴染であり、恋人同士だった事もある、レズキャバ嬢の美雪とシェアしている部屋だ。

 (美雪、怒ってるかしらね)

 それまでもウリをやっていた当時は、毎晩のようにホテル泊まりだったため、部屋は頻繁に空けていた。

 それが、サークルに加入してからというもの、立ち寄ることすらしていなかった。
 同居人である美雪には、「家庭の事情で実家に帰っている」と伝えていたが……。

 (まさか美雪に、レズサークルに参加してるだなんて言えないしね)

 恋人としての関係はとうの昔に解消したものの、一度沸いた〝色恋の情味〟というのはなかなか消えるものではないらしい。

 美雪は愛理との仲に未練があるようだし、愛理にとっても美雪は〝特別な存在〟だった。

 鍵を開けて玄関に入る。部屋の匂いに懐かしさすら覚える。

 「ただいまー……あら?」

 愛理はすぐさま違和感を覚える。

 音がなく、静かな空間だった。
 
 カーテンを閉め切り真っ暗なリビングには、居ると思っていた美雪の姿が無い。

 (まだキャバの出勤時間には早いハズだけど)

 愛理はいぶかしげに唇を尖らせ、誰もいない部屋を見渡すと、奥の寝室へと足を運んだ。

 「ただいま……」

 そっと寝室のドアを開け、頭を覗かせる愛理。
 だが、そこにも美雪の姿はなかった。

 (出掛けてるのかしら……?)

 愛理はリビングに戻ると、コートを脱ぎチェアの背もたれに投げ捨てる。

 (まぁいっか。そのうち帰ってくるわよ。居たら居たで、ヤリたくなっちゃうだろうし……他のご機嫌取りの方法、考えなきゃね)

 部屋着のキャミソールとパンティ姿になった愛理は、ソファに倒れ込むように座るとそのまま目を閉じ、いつしか微睡まどろみにいざなわれていた。

 再び戦場に舞い戻る前、僅かばかりの〝戦士の休息〟であった。



 都心のシティホテルの一室には、ケイの姿があった。

 ケイはベッドに腰掛け、窓際に立ち外を眺めるに話しかける。

 「すべて終わったわよ。ARISAの命令どおり、仕込みは完成した。あとは舞台の上で派手にもらうだけ」

 「そう、ご苦労さま」

 報告を受けた女王クイーンはケイの方へと振り返ると、満足げに微笑んで革張りのチェアに腰を下ろす。

 「予定してたより早かったわね。まぁ、ケイの技量を信頼してたから任せたんだけどね❤︎」

 ニッコリと悪戯な笑みを浮かべてケイをねぎらうARISAだが、ケイはそんな女王に冷めた視線を向けて溜め息をつく。

 「はぁ……調子のいいこと。〝無理が通れば道理が引っ込む〟って、まるでARISAのためにあるような言葉……」

 「だってしょうがないじゃなーい?ホラ、私〝絶対女王〟だからっ❤︎」

 腰に両手を当て、鼻息荒く満面のしたり顔で胸を張るARISA。

 無邪気な少女のような振る舞いとは裏腹に、女王であるという自覚、その強権を振るう術を自ずと身につけている、まさに〝生粋の支配者〟だ。

 だがARISAはすぐさま姿勢を戻すと、ケイに問い掛ける。

 「それで……どうだった?はじめての愛理ちゃんは」

 ケイは一瞬視線を床に落としたが、すぐARISAの方を向いて答えた。

 「……あなたと史織さんが惚れ込む理由が分かった……かな。特訓?調教?そんなんじゃない、あの娘相手のセックスは、かなりギリギリの綱渡りだったわ」

 「ふふっ……そう」

 ケイの返答を聞き、ARISAは目を細めて舌舐めずりをする。

 「一歩間違えば、こちらがしまいそうな、女としての〝淫力〟……テクニックやパワー、スタミナを超越するもの……それが〝淫乱〟なのかもしれない」

 「そうよ……それが〝淫乱〟という特性なの。心身を焦す程に持て余した情欲を、けだもののように一心不乱に貪るだけの、色狂いの成れ果て……」

 ARISAは身震いする自らの身体を抱き止め、恍惚の表情で天井を仰いで呟いた。

 「あぁ……!堪らないわ……やっぱりあの娘もなのね……❤︎」



 「んっ……んん……」

 やたらと部屋に響く秒針の音に、愛理の意識は呼び戻された。

 薄目を開けて覗いた壁掛け時計は、夜の6時を廻っていた。

 (……もうこんな時間?ずいぶん寝ちゃったわ)

 ソファに寝そべる身体を無理矢理に起こし上げると、凝り固まった背筋を天井に向かって目一杯に伸ばす。

 「ふぁ……」

 誰にもはばかる事なく、口を大きく開けて欠伸をひとつ。乱れた髪を手櫛で梳かしながら、なおも眠たげな視線を窓にやる。

 窓の外の見慣れた風景は闇に静まり、遠くには繁華街の灯りがまばゆく輝き始めていた。

 自らが感じるよりも余程肉体は疲れていたのだろうか、久しぶりの安息に時間も忘れて惰眠を貪ってしまった。

 「あ、起きた」

 「?」

 背後から声がする。慌ててその方に視線をやると、リビングテーブルには同居人が座っていた。

 「おかえり愛理。そんなカッコで寝てると風邪ひくよー?」

 「……ただいま、美雪。アンタこそ風邪ひくわよ?」

 美雪は白の下着姿のまま、ビール缶を傾けていた。



 床でも椅子でも、胡座あぐらをかいて座るのは美雪の癖だった。

 「お先やってまーす❤︎」

 カシュッ

 ギラギラに〝ギャルメイク〟を施す普段とは異なり、ほとんどのままの彼女は、年齢にそぐわぬ幼い顔立ちで早くも2本目のビールに口をつける。

 愛理はそんな美雪の振る舞いに、どこか一抹の不安を覚えた。

 美雪の性格はよく知っているつもりだ。だからこそ、小学校の頃からの腐れ縁で今日まで付き合ってきた。

 1ヶ月近く家を空けた愛理に対して、従来の美雪ならばあらゆる詮索せんさくを仕掛けてくるはずだ。

 美雪の精神は愛理に半ば依存しており、そんな彼女がこの〝空白の1ヶ月〟について何も聞いてこないのが、愛理にとっては妙に不気味であった。

 「美雪、今日キャバは?」

 愛理はあえて自ら質問して探りを入れた。

 美雪はテレビのチャンネルをザッピングしながら、口に含んだビールを飲み下して答える。

 「私、もうキャバやめたんだ」

 「え?やめた?」

 意外な返答に、愛理は思わず上半身を乗り出した。

 「キャバやめて、今は何してるのよ?」

 「〝レズ専ソープ〟やってんの。自慢じゃないけど、結構売り上げいいかんね?」



 あっけらかんと答える美雪に、愛理は返す言葉が見当たらない。

 たった1ヶ月顔を合わせないうちに、同居人がカラダを売る仕事を始めていた。

 同じ夜の仕事とはいえ、キャバクラとソープではまるで意味合いが異なる。

 「ソープ……って……」

 愛理にとって、その事実はいささかショックであった。

 今は他人……とはいえ、元恋人が、幼馴染が、不特定多数の知らない女たちを相手にカラダを売っている──。

 だが、それは愛理自身も同じことだ。いや、それ以上に質の悪い人生を歩んできたかもしれない。

 若い肉体の快楽と、下らない承認欲求を満たすためだけに、夜な夜な街に立っては僅かばかりの泡銭あぶくぜにを握らされて〝一端のオンナ〟になったつもりで生きてきた。

 そんな蓮っ葉な生き方に比べれば、美雪の方がまだ健全にすら思えた。

 押し黙る愛理に美雪は何も言わず、ただビール缶を傾けている。

 この1ヶ月で変わったのは、愛理だけではなかった。



 木曜、試合前日──。

 午前11時、愛理は部屋を出る支度を始めていた。

 美雪のいるマンションに戻った数日間、ついに美雪からのは一度もなかった。

 禁欲中の愛理には幸か不幸か、しかし心に強烈な〝違和感〟だけは強く残る。

 (美雪が求めてこないなんて、ソープで疲れてるのかしら?)

 昨晩も深夜2時に帰宅した美雪は、ギラギラなギャルメイクもそのままに、ソファに座ったまま眠りこけてしまっていた。
 それを揺すり起こして、せめて洗顔と着替えだけでもと促したのは愛理だった。

 美雪は未だにベッドルームで眠っている。

 部屋を空けている間、美雪には心配も苦労もかけたはずだ。

 だが、美雪はこの1ヶ月間に起こった事を愛理に問わないばかりか、自らの日常を語ることも無かったのである。

 愛理から、心が離れてしまったのか。

 連絡すらろくにせず、何処か奔放に彷徨うろつくような女に、いよいよ愛想が尽きてしまったか。

 だが、それはそれで仕方の無い事だ。

 もう、2人は恋人ではない。

 長年の付き合いから情に絡まれて、互いに身動きが取れていなかったのだとしたら、今この時が〝潮時〟という事だ。

 (すべて私のせい。何を言っても……言い訳にしかならないわね)

 玄関を出る愛理はブーツのつま先を地面で軽く叩くと、部屋に向かって振り返る。

 「美雪、ありがとう……」

 まだ夢の中にある〝愛した女〟の寝顔を想い描き、小さく呟いた。



 夕方から小雨がちらつく東京の空。

 金曜の夜、今宵もハプニングバー「DEEP LOVERディープラヴァー」には、非日常の快楽を求めて女たちが集い、酒と肉欲の狂宴を催す。

 そんな彼女たちが一夜の以上に渇望するものが、週末のレズバトルイベント〝El Doradoエルドラード〟だ。

 1週間前、その舞台で愛理は初陣を勝利で飾ったものの、試合内容はあまりにも無様な醜態であった。

 敗北に等しい勝利──。

 地下へと続く階段を、愛理は一歩ずつゆっくりと降りてゆく。

 共鳴するヒールの音が、胸の鼓動の高まりと連動しているようだ。

 膝が震える。渇いた唇を舌で湿らせると、愛理はドアの前で立ち止まり目を瞑る。

 (怖い……舞台に立つのが怖い……でも)

 トンッ、トンッ

 大きく息を吸い込んだ愛理は、湧き出る〝恐怖〟を押し込めるように、握った拳で自らの心臓を二度叩いた。

 (負けるのはもっとイヤ!勝ちたい!もっと本当の私を魅せたい!)

 覚悟を秘めた真っ直ぐな瞳を見開き、愛理は再び〝戦場〟に立つ。

 (もう恐れないわ……私の強さを史織に見せてやるから!)



 ドア一枚を挟んだ薄暗いホールの中は純度100%の「オンナの世界」だ。

 妖しく照らされたピンクや紫の間接照明の下に、複数の人影が揺れ動く。

 フロアに立ち込める、女達のむせ返るような熱気を後ろ髪にまとわせながら、愛理は関係者用の控え室へと向かった。

 パーテーションでフロアと仕切られた通路へと差し掛かった時、対面から歩いてきた見慣れた顔に愛理は思わず立ち止まる。

 「あ……恭子……」

 暗い通路でも一瞥して分かる背の高さ。
 そして何より、愛理の記憶深くに刻まれた彼女の匂い。

 恭子は乳房を大胆に曝け出した過激なボンデージ衣装でそこにいた。

 恭子も愛理の姿を認めると、足を止めてやや前屈するように顔を近づける。

 「愛理じゃん、お疲れさま。今日2戦目だったよね。頑張って!」

 恭子は愛理の頭をポンとひとつ撫でると、そのまますれ違いフロアへと向かおうとする。

 (え、そんな……)

 どこか素っ気ない恭子の挨拶に、愛理の胸中がざわつきを覚える。

 勘違いかもしれない。だが、今を逃したら、もう二度と聞くことはできないかもしれない。

 「恭子ッ」

 愛理は振り返り、去りゆく恭子を咄嗟とっさに呼び止める。

 愛理の声に恭子も振り向き、2、3歩後ろ向きのまま戻ってきた。

 「ん?どしたの?」

 「あっ、あの……あのね」

 反射的に呼び止めたはいいが、何から話せばいいのか分からない。

 あの日、ケイとのセックスで許してしまった不本意な〝2度目の膣内射精なかだし〟──。

 の相手を、頑なに言わなかった愛理。

 だがその張本人は、その光景を何も言わずに見ていた。

 責めたいわけじゃない。まして恭子に対して怒りや疑念などは微塵も無い。

 ただ「あの時の恭子の気持ち」が知りたいと思った。

 「恭子……」
 
 「この前……さ」

 「え……?」

 愛理が口籠くちごもり言葉を躊躇った隙に、話し始めたのは恭子だった。

 「ケイとのセックスを見せてもらった時……愛理、すっごく〝成長してる〟って思ったよ」

 (成長してる?私が……?)

 愛理は恭子の言葉に戸惑う。

 愛理にはまるで成長の自覚は無い。

 だが、ケイも恭子も、口にするのは〝変化〟だった。

 「多分、自覚は無いと思う。愛理は、今日の試合でいつも通りのプレイを見せればいいよ。自覚は無くても、が覚えてるはずだからね」

 「から……だ……?」

 その言葉を聞いた時、肉体の芯に微弱な電流が流れたような錯覚を感じた。

 自分でも気付かない変化が自らの肉体に起きていることを、愛理はその時に悟った。

 (何が起きるの?私の身体に……)

 「まぁ、ケイはああ見えて責任感強いからさ。特訓の成果ってヤツ、期待してやってもいいんじゃない?」

 「……ええ、がんばる」

 だが、今の愛理にはそう答えるのが精一杯だった。

 愛理が目線を上げた時、恭子はすでに再びフロアへと歩み始めていた。

 肩越しに手を振る恭子の後ろ姿を、愛理は目を細めて見つめ続ける。

 (はぐらかされたかしら……でも、やっぱり恭子の気持ちが知りたい……!)

10

 『みなさ──んっ!お待たせしましたっ!金曜夜のメインイベント、オンナ達の淫らな戦い〝El Doradoエルドラード〟開催しますっ!!』

 怒鳴るような女性キャストのアナウンスに、呼応する観客の大歓声。

 ドア越しに感じるフロアの熱狂を、シャワー上がりの濡れ髪にドライヤーに当てながら愛理は聞いていた。

 (このアナウンス、ひょっとして恭子?)

 普段の地声よりもかなり高い、他所よそ行きの声で観客を煽り立てる恭子が、愛理には妙に新鮮だった。

 「ふふっ、変なの。ぜーんぜん柄じゃないわね」

 笑いながら、ひとり呟く。

 1週間前、初めての試合に緊張していた愛理のそばにいてくれたのは恭子だった。

 あの時、突然訪れた恭子の笑顔を見て、不意に涙が溢れたのは何故だろう。

 陶器のように白い愛理の肌は、薄っすらと桃色に紅潮し、熱く火照る。

 (バカ、今は試合に集中しないと……)

 パシンッ

 雑念を振り払おうと、自らの両頬を張って意識を研ぎ澄ます。

 恭子の本心は、ひとまず隅に置いておこう。この戦いのあとに、たっぷりと聞かせて貰えばよい。

 「恭子、ケイ、あなた達を信じるからね……」

 1週間前とは違う自分。まだ出会えていない、

 今日の舞台で、〝新生・愛理〟が花開く──。
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