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「イアンは頼りになるし、いっしょにいてくれるとすごく安心できるよ?」

(それに顔もいいし、声だって大好きだ)

 こんなにも彼に安堵させられ彼を好ましいと思ってしまうのは、自分が死ぬかと思ったときに助けてくれたから、その刷りこみなのだろうか。
 望んではいけないことだとわかっているが、危険をかえりみず彼がいっしょに井戸に落ちてくれたことが、本当にうれしかった。宝は鼻をすすると云った。

「だから、明日。絶対にここに帰ってきてね」

 この先のことだって、怖いのだ。明日だって命を狙われるかもしれない。自分はちゃんと生きてもとの世界に帰れるのだろうか……。
 そこまで考えて、ハタともうひとつ大切なことを思いだす。

(ってか、さっさと童貞をなんとかしなきゃ、だ。なんならもうこの星のひとでもいいや。つぎにちょっとでもときめくひとがいたら、さっさと告白してヤッてやる)

 このさい相手の容姿だとか体型だとか、若い子がいいだとか贅沢は云っていられない。それぐらい絶対に、童貞で死ぬのだけはイヤなのだ。

 イアンの胸のなかで、早急さっきゅうな脱童貞の遂行すいこうを自分に誓った宝だった。
 だってもし死んだら次の日は訪れないのだから。
 人生はいつ終わるかなんてわからない。つぎの瞬間に簡単に終わったりもするのだ。だからやるべきことはさっさと実行に移し、そして大切なことはちゃんと口に出していかなければならないのだ。宝は濡れた目をこすった。

「僕ここで待っているからな。必ずだよ」

 本当ならイアンには明日の朝の集会には行って欲しくない。イアンにもしなにかあったらと考えるだけで、指先は震えてくる。しかし今の自分の立場でそれを口にすることは憚られた。

「まかせてください。必ずあなたのもとへ戻ってまいります」

 イアンが宝の指先をぎゅっと握りしめて、やさしく囁いてくれる。

 イアンは皇太子の願いは聞いてくれるのだ。
 そして騎士はきっと、皇太子と交わした約束をたがえない。


                   ***


「宝、どうかされました? 浮かない顔をしているわ」
「大丈夫だよ、プラウダ。ちょっと寝たりないかもだけど、俺は元気だよ」

 朝食の席でプラウダに訊かれた宝は、彼女にちいさな嘘をついた。昨夜宝はイアンの部屋でぐっすり眠れたのだ。しかし夜明けになると集会へ出かけてしまった彼のことが心配で、宝はいまとても憂鬱だった。
 それでも彼女に気丈に答えたのは、やはり男としてはかわいい女の子のまえで恰好つけていたいからだ。

 ちなみにプラウダは、宝の恋人候補にはなりそうにない。彼女はこの国では高貴な存在らしいし、実際に畏れ多い感じが漂っているので、手を握ろうという気すら湧いてこない。

 プラウダはとても強かな女性だ。どんな危険に晒されても泰然としていて、涙ひとつ見せることはなかった。それに比べて連日号泣している宝は彼女に不名誉なところを見られた記憶を、なんとかして脳みその奥底に封印してしまおうとやっきになっている。

 それにしてもだ。イアンが出かけてからもう三時間がたとうとしている。宝は彼が気がかりで、食事にもまともに手をつけられないでいた。
 会合のある駅舎はここから歩いても十五分程の距離だと聞いている。集会が長引いているのだろうか。それとも――。不安にかられて泣いてしまいそうだ。

(イアン。絶対に無事に帰ってきて……)

「イアン、はやく帰ってこないかなー」
 テーブルに肘をついた結城が溜息まじりに云ったのを聞いて、ちょうどおなじことを考えていた宝はどきっとした。

「あたしはやく出かけたいよ。今日はどんなお楽しみが待っているのかなぁ」
「おまえ、なに暢気なこと云ってんだよ」
「だって悪者の標的は宝とプラウダなんだもん。あたしは別に命狙われてないから、そりゃ暢気だよ。悪党倒すのだってスリルあるし、見える景色も生き物も珍しくって楽しいさぁ」
「ぐっ」
「晶もたのしいよねぇ。ふつうじゃだれかに使えない作品、ここじゃ使いたい放題だもん。だれも宝みたいにブーブー文句云わないし」
「うん」

 結城の言葉に宿で借りた本を読んでいた晶が、こくんと頷いた。

「宝だって死ぬ死ぬ云う割には、かすり傷ひとつついてないでしょ? まぁついてもプラウダがちょちょちょいって、治してくれるだろうけどさ。いい加減認めなよ。死亡フラグは立ちまくってるけども、宝は案外強運なのよ。だからビビってないで、もっとリラックスしてこの世界を楽しんじゃえ」
「そんなこと云われても……」
「大丈夫よ。あたしがちゃんと守ってあげるんだから」

(いや、それはそれで嫌なんだよ……)

 気まずくて、宝はウインクしてくる結城から顔をそらせた。

「それはそうとして、なんで晶は今日もまた、少年仕様なんだ?」

 宝はやたらと凝った刺繍いりの生成りのドレスシャツに、ベストとパンツを身に着けている。そして今日も頭には王冠がちょこんと載せられていた。

 結城も宝ほどではなかったが、それでも刺繍のはいった華やかなデザインの短いワンピースにスキニーなボトムを履いている。

 それなのに、晶はシンプルな濃紺の貫頭衣かんとういにスキニーパンツだけだ。貫頭衣の丈は膝上五センチくらいか……、妙に短い。

「ロカイが用意したのをそのまま着ている」
「あれじゃない? きっと晶の身長にあうペタンつるんストンの女性ものって、売ってないんじゃないの?」
「へぇ。まぁ、似合っているよな。なんかお前だけアクセサリー多いのも気になるけど」
「ロカイも晶を少しでも女の子っぽく見せるために、気を使ってくれてんのよ」

 結城の憶測に、宝はなるほどと納得させられた。
「そっか」

 そうこうしているうちに、ロカイがイアンを伴って食堂に現れた。
「イアンが帰って来たよ。みんな食事が終わったら私の部屋に来てくれ」

「はぁい。イアンおかえりー」
「イアンおかえりなさい」

 口々にみんなが挨拶するなか、イアンはまっさきに宝に視線を合わせそして安心させるように頷いてくれた。

(よかった、イアン)

 ようやく宝は人心地ひとごこちついて、朝から張りつめていた胸を撫でおろすことができた。

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