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金曜日。
職場からの帰りに春臣と買い物をすませた神野は篠山の車をマンションに返したあと、そのままいつものようにふたりで彼の住戸にあがりこんでいた。
持って帰った作業着をすぐに洗濯機にいれ、作業着だけで洗濯してしまうのはもったいないと着ていた服も脱いで全部放りこんでしまう。
そうして心のなかで家主にひとこと詫びると、準備しておいた風呂にさきにはいらせてもらった。
春臣も今夜はここで風呂にはいっていくと云っていた。ご飯を頂いて片づけが終わったころにはちょうど洗濯物も仕上がっているだろう。
なにかと無駄が多い独り暮らしも、こうやって気心しれたもの同士で風呂や食事をいっしょにしてしまうと、ずいぶんと金銭的にも時間的にも効率のいいものになる。
篠山と知りあってすぐに彼のもつアパートの店子となった春臣は、篠山とはかれこれもう四年のつきあいになるそうで、このマンションにもそれとおなじだけの年数通ってきているという。
この家の客間のクロゼットのなかには、春臣のための収納ケースもちゃんとあるのだ。
そして春臣の収納ケースのすぐ横にはおなじようにしてここに長らく通っている篠山の部下であり元カレである遼太郎の収納ケースも、並んで置かれていた。
はじめてその引き出しの存在を知ったとき、思わずそれとすぐ傍にある客用のベッドをジト目で長々と見つめていた神野は、通りすがりの春臣に引き摺られるようにしてリビングに連れ戻され篠山のまえにぺいっと放りだされた。
そして寝室の隅にある真新しい引きだしを指さされ、
「お前のだって、ここに買ってもらってあるだろうがっ! 恨みがましい目ぇして遼太郎くんの引きだし眺めるくらいなら、素直にそれを使えばいいでしょ!」
と、叱られたのだ。
去年、晴れて篠山に想いがつうじて彼と恋人同士としておつきあいがはじまったときに買い与えられたローチェストは、寝室の雰囲気に合わせたシックな色の木製のもので見た目はとてもいいのだが、神野としては価格についていた〇の数に納得のいかないものだった。
篠山はそれを店に行かずに、大手家具メーカーのホームぺージから購入したのだが、神野はそのときに「だからはやく春臣のところから戻ってこい」と告げられていていて甘い誘惑に胸をきゅんと弾ませたものだった。
にもかかわらず、あれからひと月以上たったいまもまだ神野は恋人のもとであるこのマンションには帰っておらず、同級の春臣の部屋に居座っている。
目標としては、あともうすこし自分を磨いて、ひととしてもっと立派になってからここに帰ってきたいと考えているのだ。
そんな神野には規格外の学生であるしっかりものの春臣や、そしてアパートにやってくる彼の友人たちと接することのできる彼のアパートは、とても都合がよかった。
最近では趣味で勉強しはじめた中国語を、大学の選択授業で学んでいるという春臣の友人が教えに通ってきてくれていたりする。
仕事から帰ってきて、少ないながらも家事をして、春臣や彼の友人たちとわいわいしていると、あっというまに時間は経っており、一週間二週間と過ぎているのだ。
春臣が篠山に曰く。「祐樹はミーハーだから、遊ぶのに忙しくてマンションに引っ越すのが面倒なんだよ」とのことだ。
「ちゃんと、使わせてもらっています」
床に転がされたあと、そのままそこに正座して背筋を正していた神野は、顎を引いて答えたが、心なしか唇が尖ってしまっていた。
買ってもらった新品の引きだしには、ちゃんと替えのパンツ二枚と着替えの上下一式はいれてあるのだ。
それに、そのことと遼太郎の使っている収納ケースやベッドをついつい恨みがましく睨んでしまうのは、理由が根本的に違う。
書類片手にたばこを吹かしていた篠山は、突然足もとに転がってきた神野と説教しだした春臣のいきおいに、いったいなんなんだ、と口を開きかけたが、遼太郎の名まえがでてきたことでぴたりと発言をやめて、黙ってふたりのいきさつを見ている。
「そういう意味じゃないんだよ。いちいち嫉妬しているくらいなら、ここに住んでふたりを見張ってりゃいいだろって、俺は云ってるの」
「どこに住んでいても、私は嫉妬します。だったらちゃんと立てた目標を遂行します。それに篠山さんだって、いまはまだお仕事が忙しいんです。私がいたら邪魔になりますから」
「神野、俺は別に――」
篠山がなにか云おうとしたセリフを、無視して神野はつづけた。
「それとも、春臣くんも私がいたら邪魔ですか? だったら私は……」
「なに云ってるの? 俺が祐樹のこと邪魔に思うわけないじゃない?」
「本当でしょうか? せめて通勤はひとりでしますし、だから……」
「おい、その通勤のことだけどな――」
またなにか篠山が云おうとしていたが、こんどは春臣がそれを無視した。
「なんでそんな水くさいこと云うかな? 祐樹はうちで堂々としていたらいいんだよ? 自分の家だと思って」
「だったら、あと暫く、おねがいします」
「あぁぁっ、もうそれはやめてっ」
床に三つ指をついて頭を下げようとした神野を、慌てて春臣が止めにはいった。
口を挟ましてももらえずにかれこれ似たようなやりとりを、もうなんども見せつけられていた篠山は、「茶番だな……」とぼやきながら、そんなふたりをそこに捨て置いて仕事場へと戻っていったのだが。
金曜日。
職場からの帰りに春臣と買い物をすませた神野は篠山の車をマンションに返したあと、そのままいつものようにふたりで彼の住戸にあがりこんでいた。
持って帰った作業着をすぐに洗濯機にいれ、作業着だけで洗濯してしまうのはもったいないと着ていた服も脱いで全部放りこんでしまう。
そうして心のなかで家主にひとこと詫びると、準備しておいた風呂にさきにはいらせてもらった。
春臣も今夜はここで風呂にはいっていくと云っていた。ご飯を頂いて片づけが終わったころにはちょうど洗濯物も仕上がっているだろう。
なにかと無駄が多い独り暮らしも、こうやって気心しれたもの同士で風呂や食事をいっしょにしてしまうと、ずいぶんと金銭的にも時間的にも効率のいいものになる。
篠山と知りあってすぐに彼のもつアパートの店子となった春臣は、篠山とはかれこれもう四年のつきあいになるそうで、このマンションにもそれとおなじだけの年数通ってきているという。
この家の客間のクロゼットのなかには、春臣のための収納ケースもちゃんとあるのだ。
そして春臣の収納ケースのすぐ横にはおなじようにしてここに長らく通っている篠山の部下であり元カレである遼太郎の収納ケースも、並んで置かれていた。
はじめてその引き出しの存在を知ったとき、思わずそれとすぐ傍にある客用のベッドをジト目で長々と見つめていた神野は、通りすがりの春臣に引き摺られるようにしてリビングに連れ戻され篠山のまえにぺいっと放りだされた。
そして寝室の隅にある真新しい引きだしを指さされ、
「お前のだって、ここに買ってもらってあるだろうがっ! 恨みがましい目ぇして遼太郎くんの引きだし眺めるくらいなら、素直にそれを使えばいいでしょ!」
と、叱られたのだ。
去年、晴れて篠山に想いがつうじて彼と恋人同士としておつきあいがはじまったときに買い与えられたローチェストは、寝室の雰囲気に合わせたシックな色の木製のもので見た目はとてもいいのだが、神野としては価格についていた〇の数に納得のいかないものだった。
篠山はそれを店に行かずに、大手家具メーカーのホームぺージから購入したのだが、神野はそのときに「だからはやく春臣のところから戻ってこい」と告げられていていて甘い誘惑に胸をきゅんと弾ませたものだった。
にもかかわらず、あれからひと月以上たったいまもまだ神野は恋人のもとであるこのマンションには帰っておらず、同級の春臣の部屋に居座っている。
目標としては、あともうすこし自分を磨いて、ひととしてもっと立派になってからここに帰ってきたいと考えているのだ。
そんな神野には規格外の学生であるしっかりものの春臣や、そしてアパートにやってくる彼の友人たちと接することのできる彼のアパートは、とても都合がよかった。
最近では趣味で勉強しはじめた中国語を、大学の選択授業で学んでいるという春臣の友人が教えに通ってきてくれていたりする。
仕事から帰ってきて、少ないながらも家事をして、春臣や彼の友人たちとわいわいしていると、あっというまに時間は経っており、一週間二週間と過ぎているのだ。
春臣が篠山に曰く。「祐樹はミーハーだから、遊ぶのに忙しくてマンションに引っ越すのが面倒なんだよ」とのことだ。
「ちゃんと、使わせてもらっています」
床に転がされたあと、そのままそこに正座して背筋を正していた神野は、顎を引いて答えたが、心なしか唇が尖ってしまっていた。
買ってもらった新品の引きだしには、ちゃんと替えのパンツ二枚と着替えの上下一式はいれてあるのだ。
それに、そのことと遼太郎の使っている収納ケースやベッドをついつい恨みがましく睨んでしまうのは、理由が根本的に違う。
書類片手にたばこを吹かしていた篠山は、突然足もとに転がってきた神野と説教しだした春臣のいきおいに、いったいなんなんだ、と口を開きかけたが、遼太郎の名まえがでてきたことでぴたりと発言をやめて、黙ってふたりのいきさつを見ている。
「そういう意味じゃないんだよ。いちいち嫉妬しているくらいなら、ここに住んでふたりを見張ってりゃいいだろって、俺は云ってるの」
「どこに住んでいても、私は嫉妬します。だったらちゃんと立てた目標を遂行します。それに篠山さんだって、いまはまだお仕事が忙しいんです。私がいたら邪魔になりますから」
「神野、俺は別に――」
篠山がなにか云おうとしたセリフを、無視して神野はつづけた。
「それとも、春臣くんも私がいたら邪魔ですか? だったら私は……」
「なに云ってるの? 俺が祐樹のこと邪魔に思うわけないじゃない?」
「本当でしょうか? せめて通勤はひとりでしますし、だから……」
「おい、その通勤のことだけどな――」
またなにか篠山が云おうとしていたが、こんどは春臣がそれを無視した。
「なんでそんな水くさいこと云うかな? 祐樹はうちで堂々としていたらいいんだよ? 自分の家だと思って」
「だったら、あと暫く、おねがいします」
「あぁぁっ、もうそれはやめてっ」
床に三つ指をついて頭を下げようとした神野を、慌てて春臣が止めにはいった。
口を挟ましてももらえずにかれこれ似たようなやりとりを、もうなんども見せつけられていた篠山は、「茶番だな……」とぼやきながら、そんなふたりをそこに捨て置いて仕事場へと戻っていったのだが。
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