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しかし、春臣はまったく凝りていなかったらしい。悪戯な顔を寄せてくると、耳もとで囁いたのだ。
「今日さ、祐樹の笑顔に癒された?」
「――っ⁉」
悪魔のように口角をあげて笑う春臣に、篠山は苦虫を潰したような顔になる。
さっきリビングで飲まないビールを神野に返した。その時、缶を掴んだ互いの指が触れあうと、彼は恥ずかしそうに笑ったのだ。その時に、かわいいなと思ってしまった。
要するにあの瞬間の、自分の鼻の下が伸びてきっていただろう顔を、春臣は見ていたってことだ。
「あはははっ。ざ・ま・あ・み・ろ。はこっちのセリフだよ。なに、その顔?」
「こら、やめろって!」
頬を突いてくる春臣に、もうこいつには敵わない、と篠山は白旗をあげた。
「……ほら、やめとけって。俺まだ仕事中」
「へーい。じゃあ、祐樹連れて帰るよ。――またね」
「ああ」
にやりと笑って手を振った彼に、篠山は嘆息する。
(最悪だ。こいつ、絶対まだなにか企てている……)
明朗闊達なイメージのある彼が意外に策士であることは、周囲にはあまり知られていない。
じつは彼はやりてのアイデアマンだ。この歳ですでに数件の飲食店の立ち上げに関わってきているし、メニューの提案から懇意している店のウェブサイトの管理まで手掛けたりもしている。
油断ならない策略家に心中をかき乱され、渋い顔で部屋に戻った篠山は、どうかあいつが余計なことをしてくれませんようにと、指を組んで本気で祈った。
その閉めた扉の外で、
「ふん。やっぱ気になってんじゃん」
と、嘯いた春臣の言葉なんてもちろん聞こえてはおらず、――ましてや、いまの悪ふざけのような春臣とのキスを、神野に見られていただなんて思いもしない。
その週末のことだった。夜中に、神野が一升瓶を抱えて篠山のところへやってきたのは。
*
玄関の扉が開いた音に気づいた神野は、使っていた掃除機を置いて春臣を出迎えた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。あ、洗濯物もらいます。ありがとうございます」
春臣が洗いあがった衣類の入った袋を手渡してくれる。
「祐樹、もしかして屋外灯の電球とり替えてくれた?」
「はい。たまたま住人さんが、自転車に鍵を挿すのに暗くて見えないって困っていたところにでくわしまして」
「そっか、ありがとう」
マンションで車を降りたあと一足さきに帰宅すると、駐輪場の照明が消えていた。それでさっさと備品倉庫から新しい電球をみつけてきて付け替えておいたのだが、まさか春臣がそれにすぐ気づくとは思わなかった。
篠山と春臣が濃厚な口づけをしているのを見てしまってから、今日で三日がたつ。
しばらくは篠山の顔を見たくなくて、あれからマンションには一歩も足を踏みいれていない。春臣には悪いが、洗濯も任せっきりだ。
(俺が気にするから、匡彦さんにちょっかいかけるわけがないとか、云っていたくせに……)
それなのに舌の根も乾かないうちから、あんなことってあるだろうか。そんな春臣には責任の一端を持ってもらって、洗濯くらいしてきてもらってもいいのではないかと自分に云い聞かせている。
それでもやはり罪悪感がないわけではなく、せめてものお返しにと神野はアパートの共有スペースの掃除をするようになった。
「えっと、さきにお風呂いただきました」
「じゃあ、湯が冷めないうちに、俺も入ってこようかな」
「はい。いま掃除機かけている最中なので、ぜひそうしてください」
「今日さ、祐樹の笑顔に癒された?」
「――っ⁉」
悪魔のように口角をあげて笑う春臣に、篠山は苦虫を潰したような顔になる。
さっきリビングで飲まないビールを神野に返した。その時、缶を掴んだ互いの指が触れあうと、彼は恥ずかしそうに笑ったのだ。その時に、かわいいなと思ってしまった。
要するにあの瞬間の、自分の鼻の下が伸びてきっていただろう顔を、春臣は見ていたってことだ。
「あはははっ。ざ・ま・あ・み・ろ。はこっちのセリフだよ。なに、その顔?」
「こら、やめろって!」
頬を突いてくる春臣に、もうこいつには敵わない、と篠山は白旗をあげた。
「……ほら、やめとけって。俺まだ仕事中」
「へーい。じゃあ、祐樹連れて帰るよ。――またね」
「ああ」
にやりと笑って手を振った彼に、篠山は嘆息する。
(最悪だ。こいつ、絶対まだなにか企てている……)
明朗闊達なイメージのある彼が意外に策士であることは、周囲にはあまり知られていない。
じつは彼はやりてのアイデアマンだ。この歳ですでに数件の飲食店の立ち上げに関わってきているし、メニューの提案から懇意している店のウェブサイトの管理まで手掛けたりもしている。
油断ならない策略家に心中をかき乱され、渋い顔で部屋に戻った篠山は、どうかあいつが余計なことをしてくれませんようにと、指を組んで本気で祈った。
その閉めた扉の外で、
「ふん。やっぱ気になってんじゃん」
と、嘯いた春臣の言葉なんてもちろん聞こえてはおらず、――ましてや、いまの悪ふざけのような春臣とのキスを、神野に見られていただなんて思いもしない。
その週末のことだった。夜中に、神野が一升瓶を抱えて篠山のところへやってきたのは。
*
玄関の扉が開いた音に気づいた神野は、使っていた掃除機を置いて春臣を出迎えた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。あ、洗濯物もらいます。ありがとうございます」
春臣が洗いあがった衣類の入った袋を手渡してくれる。
「祐樹、もしかして屋外灯の電球とり替えてくれた?」
「はい。たまたま住人さんが、自転車に鍵を挿すのに暗くて見えないって困っていたところにでくわしまして」
「そっか、ありがとう」
マンションで車を降りたあと一足さきに帰宅すると、駐輪場の照明が消えていた。それでさっさと備品倉庫から新しい電球をみつけてきて付け替えておいたのだが、まさか春臣がそれにすぐ気づくとは思わなかった。
篠山と春臣が濃厚な口づけをしているのを見てしまってから、今日で三日がたつ。
しばらくは篠山の顔を見たくなくて、あれからマンションには一歩も足を踏みいれていない。春臣には悪いが、洗濯も任せっきりだ。
(俺が気にするから、匡彦さんにちょっかいかけるわけがないとか、云っていたくせに……)
それなのに舌の根も乾かないうちから、あんなことってあるだろうか。そんな春臣には責任の一端を持ってもらって、洗濯くらいしてきてもらってもいいのではないかと自分に云い聞かせている。
それでもやはり罪悪感がないわけではなく、せめてものお返しにと神野はアパートの共有スペースの掃除をするようになった。
「えっと、さきにお風呂いただきました」
「じゃあ、湯が冷めないうちに、俺も入ってこようかな」
「はい。いま掃除機かけている最中なので、ぜひそうしてください」
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