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第二章

ヴィクトリアたちの故郷

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 タディリス王国の北東、北は森林が広がり、東はイザリア帝国と国境を接する。アイラ領はそんな場所だ。公爵家の祖先は王国が今の形になる以前からこの土地に住んでいたが、建国の際は民の血が流れることを嫌い、真っ先に王家に忠誠を誓ったという。

 争いを嫌い、民を慈しみ、故郷を愛する。アイラ公爵家の思想はそれに尽きる。だが、決して腑抜けている訳ではない。

 隣国のイザリアは内乱と戦争を繰り返す軍事国家で、皇帝の首すら簡単に挿げ替わる。帝国領とされる場所も幾度となく変わり、隣接する国々とはこれまでに何度も衝突してきた歴史を持つ。タディリス王国もまた例外ではなく、アイラ領もしばしば戦場となった。

 国境に触れる領地の者は、そうなることを覚悟している。民を、土地を守るため、アイラは代々騎士団の育成に力を入れていた。バルフォア家をはじめ、家臣には騎士の家系が多いのはそのためだ。

 そのお陰か、これまでアイラ領が侵略されたことは一度もない。

 ここ何代かはイザリアの皇帝も穏健派が続き、周辺国との関係も良好だ。しかし、それこそフォルジュ家のように開戦を望む派閥もあり、平和になった今でも水面下では激しい情報戦が行われている。

 アイラ公爵家は積極的に内偵を行っている家の一つだ。帝国と接している領地を持つ家はどこもそうだろう。帝国の動向に注意を払い、いつでも領地を守る準備ができるように。

 王都に近い者ほど、この平和な時代に、と笑う。そうやって笑えているうちが幸せなのだと、知らないまま。

 幸い、今のタディリス国王はそういった懸念をしっかりと受け止めてくれる。今回、アイラ領を狙う動きが出たことを重く見てくれるだろう。

 エルベールとの会合を父に報告した時、ヴィクトリアとリアムの婚約を遅らせていたのは、国王の意向もあったと知った。ギルバート元第三王子との婚約破棄以来、その婚約にまつわる悪い噂が僅かながら出ていたらしい。ヴィクトリアの策略にギルバートが嵌められただとか、リアムが裏ですべて操っていただとか、くだらない内容の噂だ。どれもアイラ公爵家を引きずり落としたい貴族たちが発生源で、それらを消すために第二王子を筆頭に王家が動いてくれていたと。

 ヴィクトリアの新しい婚約が、なんの憂いもなく祝福されるように。


「ヴィクトリアに知らせないように、というのは、王家の配慮だ。ギルバート元殿下の家族として、姻戚となるはずだったお前のために、せめて尻拭いは、と」


 父の言葉に、ヴィクトリアは黙ったまま元婚約者のことを思った。

 ポーラと出会って道を踏み外すまでは、彼は悪い人ではなかった。凡人ではあったが、優しくて、まっすぐだったはずだ。そして、王族としては優秀で、私人としては足りないものが多かった彼の家族たちは、それでもちゃんとギルバートのことを愛していた。

 ヴィクトリアにかけられた情は、その愛情のひとかけらに他ならない。

 末子の犯した罪を庇うのではなく、総出で償わせようとするのが、あの王家の在り方らしいと思う。


「ヴィクトリアとリアムの婚約は、陛下も歓迎してくださっている。帝国への嫁入りなど、領地のことがなくてもありえないと分かってくださるだろう」

「それならば、少しは安心です」

「フォルジュ家にも追加で説明を求める手紙を出そう。反対の立場は示しておかなければ」


 今のところ、エルベールはヴィクトリアへの求婚以外でアクションを起こしていない。ヴィクトリアとリアムを領地ごと取り込みたい、という言葉が本当なら、武力に訴える方法は取らないだろう。現時点では、だが。
 ヴィクトリアから色よい返事がもらえないままだと、次の手段に移行するだろう。それまでにこちらでも手を打たなければならない。


「お父様、もう一度レスターに会ってみますわ」

「ああ、あの劇作家か? だが、断られたのではなかったか」

「支援は断られましたが、作品制作の依頼は受けてくれるはず」

「民衆に広げるつもりか」


 貴族にとって、民衆の評判というのは無視できないものだ。

 政治に関わらない農民は、国境を意識せず近くの村同士で交流を持っていることが多い。ここ百年近く平和が続いているアイラ領の民も、それは変わらない。

 アイラ領で民衆向けに流行らせたものは、帝国の民にも伝わっていく。

 今は国境付近の民だけでいい。帝国民に知られるという状況が必要だ。


「フォルジュ家は領地を持たない家門です。向こうは民衆を動かす手段が少ない。返される可能性は低いはずですわ」


 前回レスターに手伝ってもらおうとした時は、リアムとの婚約を広める手伝いをしてもらおうと思っていた。新進気鋭の劇作家が注目しているとなれば、流行に敏感な貴族たちがこぞって噂するだろう、と。

 けれど今回は、彼の作家としての技術を借りることができれば。

 帝国側にも働きかけたいとなれば、貴族の身分で政治的に動くよりも、文化的な手段で民を動かした方がいい。


「悪くはないな。何もしないよりはずっといいだろう」


 アルフレッドにも了承をもらい、ヴィクトリアは再びレスターを訪ねることにした。
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