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第二章

ユージェニーとレスター

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 今日は観劇している時間がないため、すぐに応接室に案内してもらった。朝のうちに手紙を出しておいたため、レスターは既に待っているとのことだった。

 前回、同じ場所で顔を合わせた時と比べ、レスターは酷く緊張している様子だった。心なしか肌が青醒めている。

 それを見て、ヴィクトリアが「まあ」と嬉しそうにするのに、リアムがもっと蒼白な顔をする、という一幕もありつつ。ともかく話し合いは始まった、のだが。


「お、俺はあなた様からの依頼を受けるわけには参りません」


 紅茶の置かれたローテーブルに突っ伏すほどに頭を下げて、レスターは震えながらそう言った。どころか、「もう何も書かない」とまで言い出す始末。


「本当は、支援を申し出てくださった時から悩んでいました。俺は作家に向いていないのでは、と」

「その才能がありながら? 聞く者によってはとんでもない暴言ね」

「そうかもしれません。ですが俺は……」


 言い淀むレスターに、ため息をついたのはユージェニーだった。

 何か知っているのか、と視線を向けたヴィクトリアに、ユージェニーは言う。


「こうなるだろうなと、そう思ってついてきましたの。ヴィクトリア様、どうか彼と二人で話をさせていただけませんか?」


 僅かに逡巡する。ユージェニーがレスターに関して悩んでいたことを知っている。だが、ユージェニーがまっすぐに見つめてくるから、結局ヴィクトリアは頷いた。





 ヴィクトリアとリアムが出て行った応接室で、ユージェニーとレスターは向かい合った。

 狼狽している様子のレスターに、持参した手紙を差し出す。ユージェニーに宛てられた、レスターからの二通目の手紙だった。

 観劇の誘いに、断りの手紙を出した。それに対して再び送られてきた手紙。


「私、本日は容赦しないつもりで来ましたの」

「……はい」

「ですから、さっそく突っ込ませていただきますわね」


 ヴィクトリアがいた時とはまた違う緊張感で顔を強張らせるレスター。ユージェニーは薄く笑った。


「私、怒っていますの。なんですの、この舐めた手紙は」

「それは……」

「『劇作家を辞めて父と兄の仕事を手伝うようになれば、あなたに求婚する権利を得られますか』だなんて。あの夜会で私が探す結婚相手の条件を聞いたのでしょうけれど」


 ぐっと押し黙るレスター。

 ユージェニーは家の利益になる結婚を望んでいる。条件として挙げていたのはデラリア領の商品を扱ってくれそうな貿易関係の家だが、要するに双方が得を得られる関係ならばそれでいい。

 レスターの生まれたクリーズ家は、王家に仕える官僚の家系だ。家族からしてみれば、劇作家ではなく官僚として働いて欲しいだろう。彼が売れ始めたのは最近だと言うし、この仕事が反対されていただろうことは想像に難くない。

 そんな次男が結婚を機に公職に就くなら、喜ばしい話だろう。領地持ちのデラリア家と繋がりを持てるのも、クリーズ家にとってはプラスに働く。

 一方、水害からまだ復興しきっていないデラリア家にとっても、長女が王家に近しい場所に行くのは歓迎すべきことだ。有力な貴族と顔を合わせる機会が増えれば、デラリア領の細工物を宣伝することができる。

 大きな利益を生み出す関係ではないが、デメリットはない。条件としては悪くはないだろう。

 だが。


(随分とヴィクトリア様に影響されてしまったわ)


 ユージェニーは、手紙をレスターの手元に弾いた。


「私、自分の信念を貫けないお人は嫌いですの」


 だって、そんな生き方は美しくない。


「そう、ですか」


 俯いてしまったレスターに、ユージェニーは夜会の時と同じ質問をした。


「レスター卿、なぜヴィクトリア様の支援をお断りになったのです? 劇作家を辞めたいから、という理由ではないのでしょう?」


 レスターは変わらず答えない。だがユージェニーは、セルマのお茶会である程度の知識を得ていた。


「王家より制作を止められたという作品、あれが関係してらっしゃっるのでしょう?」

「そこまでご存じでしたか」


 観念したように息をついたレスターは、リアムが淹れていった紅茶を一気に飲み干した。


「あっつ! ……劇作家を辞めようと思ったのは、今ここで上演している作品を書き上げた後です。思うように書けなくなって、所詮俺の才能はこの程度かと愕然としていました。書き続けられなければ、劇作家として生きていくことはできませんから」


 ユージェニーも紅茶のカップを持ち上げる。


「人気が出て、生活が成り立つならば父も認めてくれるでしょう。次男である俺は家を継げませんから、何か仕事をして身を立てなければ」

「そうですわね」

「焦っていた時、学園に通っている妹から話を聞きました。――学期末パーティーで起きた騒動を」


 騒動の渦中にいたユージェニーは、黙ったまま頷いた。


「面白いと思って、それで一作書こうとしました。しかしあらすじを起こしてみても妹に聞いた話のままで、俺の色もなければ話の盛り上がりもない。妹は断片的な情報しか知りませんでしたから……。その上、すぐ父に見つかり、陛下に報告が上がって制作が禁止されました。人物の配置もそのままだったので当然ですね。自国の王子が悪役の物語など、王家が許すはずがありませんからね」


 レスターは頭を抱えてため息を吐いた。


「もう駄目かと思っていた時、アイラ令嬢から支援の申し出を受けました。自分が情けなくて仕方がなかったですよ。俺にはあの方に認めていただく資格などありません。次の作品も、きっと書けないでしょう」

「……それで、私との結婚に逃げようと思ったのですか?」


 しおしおと項垂れていたレスターは、その言葉に勢いよく顔を上げた。

 微笑むユージェニーと目が合って、そこからさらに立ち上がる。


「それは違います! ユージェニー嬢は本当に魅力的で、恥ずかしながら一目惚れというか、その」


 顔を真っ赤にしたレスターは、拳をきつく握りしめて言い募った。


「あなたに相応しい人間になりたかったんです。すぐに沈んでいく劇作家ではなく、隣に立っても誇ってもらえるような人間に。ですが、あの夜会でさえ、あなたを狙う男はたくさんいました。先を越される訳にはいかないと、焦りました。……焦ると碌なことをしませんね、俺は」


 すぐに力が抜けたように座り込んだレスター。弱々しく眉を下げ、ローテーブルの上に放りっぱなしの手紙を回収しようとする。

 それを、ユージェニーは手を伸ばして止める。手紙を引き寄せて、軽くレスターを睨んで見せた。


「まあ、良いでしょう。私の件はひとまず置いておいて、ヴィクトリア様の依頼ですわ」

「保留、ということですか……?」

「そうですわね。私の結婚相手よりも、ヴィクトリア様の状況の方が切羽詰まっておりますから。だから、保留といたします」


 レスターの顔がぱあっと輝く。きしりと痛んだ胸を無視して、ユージェニーは努めて真面目な顔を作った。


「あのお方は、ご自身のことを話のネタにされたからと、怒るような方ではございませんわ。そんなくだらないことで、と笑い飛ばされるでしょう」

「ですが、もう俺には作品が書けません」

「ならば、ご自分でそう説明なさって。でなければ、ヴィクトリア様に対して失礼ですわ」


 夜会での会話や手紙の内容から、なにやらヴィクトリアに対して負い目を感じているのは分かっていた。誰かが間に入らなければ話が進まないと思ったが、ヴィクトリアに心酔するリアムでは難しい。だから、ここまでついてきた。

 恐る恐る、レスターが頷いたのを確認して、ユージェニーは二人を呼ぶために席を立った。
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