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第1章 ギル
7.王子のカナリア
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「ふう」
宴会が終わって、私はレオンが用意してくれたテントで、一息ついていた。私のテントは王宮の女官達のテントの近くに設営されている。女官達が冗談を言っているのか、華やかな笑い声が微かに聞こえた。テントの入り口には兵士が二人。
「アップフェルト殿、バーゼルです。少しよろしいか?」
え? こんな時間にと思ったけど、バーゼル騎士団長ならお話を聞かなければいけないだろう。
「は、はい、どうぞ!」
テントに入って来たバーゼル様は無表情だ。さっきまで宴会でお酒を飲んで笑っていたのに。なんだか、怖い!
「あの、あのう、何か?」
バーゼル様は、急にとても難しい顔をした。
さっきの無表情よりはましかな? それにしてもこの人、男前だなあ。
「レオニード殿下があなたを『私のカナリア』と呼ばれた意味がおわかりか?」
「は? あの、いきなり何のお話でしょう」
「あなたが自分の立場をわかっていないようだから教えに来たのです」
「立場?」
「殿下があなたを『私のカナリア』と呼んだ以上、あなたの将来は約束されたようなものです。今までも、侯爵夫人の庇護の元、男爵との結婚やもっと上の階級の貴族の愛人や妾になれたでしょう。しかし、殿下が『私のカナリア』と呼んだ以上、それはなくなりました」
「あの、あの、愛人とか妾とか何の話ですか? 私はそんなものになる気なんてありません! 私は遊び女ではありません。いくらなんでも失礼です!」
バーゼル様は私の怒りの言葉を無視した。
「先程、あなたの歌声を聞かせて貰った。素人の私でもわかる。あなたは優れた歌い手だ。恐らく一級品の歌姫となるでしょう。あなたの評判が上がるにつれ、あなたを自分の勲章のように恋人にしたがる男達が必ず出て来ます。いや、もう現れているかもしれない。しかし、今日の殿下の発言でそれはなくなった。殿下が所有物と言われた以上、誰もあなたに手を出さないでしょう。だが、あなたが心底結婚したい相手が出来た時、それを殿下に言えば、殿下は恐らくお許しになるでしょう。あの方はそういうお方だ」
「どういう意味です?」
「あなたは以前よりずっと安全になったという事です。殿下の物に迂闊に手を出す男はいない。だが、あなたが好きになる事は出来る。選択権はあなたにある。数ある男性の中から誰を選ぶか、よく考えて決めてほしい。殿下の為にも」
「あの、でも、私は殿下の所有物ではありませんし、結婚なんて考えていません」
「あなたがそう思っていなくても周りは違います。殿下の『私のカナリア』発言はあなたの背後に殿下がついた事を意味しているのです。それを忘れないように。下手な行動は殿下の名誉を傷つける。よく自覚して行動して下さい」
「私、侯爵夫人の庇護を受けています。私の行動が侯爵夫人の名誉を傷つけるかもしれないと以前から思っていました。行動には十分気をつけています!」
「それなら、結構……」
バーゼル様は、何か言おうとして逡巡された。
「……、あなたがその気になれば殿下の愛人になる事も可能ですよ。ただ、今はいけない。皇女様が表敬訪問中ですからね」
「愛人! 私が殿下の! 殿下の愛人なんて考えた事もありません! 私にとっては殿下は、レオンです。友人です。愛人なんて! 第一、レオンは私を子供扱いするんですよ! 愛人なんてとんでもない!」
「あなたがそう思っていても、周りはそう見ないのですよ。あなたも殿下もその自覚がまるでない」
バーゼル騎士団長はため息をついた。
「それとあなたには護衛がつきます」
「は?」
「殿下と殿下の所有物をお守りするのが、我ら赤獅子騎士団の役目。宜しいですね」
一体、誰が誰の所有物なのと言いたいけど、この人に反論しても無駄だと、私はすでに悟っていた。宜しいも何もないではないかと思ったが、私は黙ってうなずいた。
バーゼル様は、テントの外に控えていた二人の守りの騎士を私に紹介すると帰って行った。
私は一人になると、簡易ベッドに寝っころがってため息をついた。
レオンの愛人……。
レオンが友人ではなく愛人として私を求めたら……?
そんな事したら、蹴っ飛ばしてやる!
そんなの嫌! 絶対、嫌!
バーゼル様の言葉に、私は自分の初恋が汚されたような気がして凄く嫌だった。
私がもう一度、盛大にため息をついて休もうとした時、声が聞こえた。
「ギル、まだ起きているか?」
私は簡易ベッドから起き上がってテントの入り口に行った。
「レオン! どうしたの?」
「入ってもいいか?」
「え、あ、はい、どうぞ!」
私はレオンをテントに招き入れた。簡易ベッドをソファがわりに並んで座る。
「バーゼルが来なかったか?」
「ええ、さっき来て私にお説教して帰っていったけど」
「気にしないでやってくれ。あれは、頭が固い。どんな話をした?」
「レオンの『私のカナリア』発言について説明してくれたわ。私の背後にレオンがついたから安全だって。殿下の物に迂闊に手を出す男はいないって。でも、行動には気をつけるようにって。レオンの名誉を傷つけるような事はするなって言って帰っていったわ。私の歌声を一流だって言って褒めて下さったのは嬉しかったけど」
「そうか……、叔母上から聞いたんだが、君が初舞台を踏んでから、ぜひ、君の世話をしたいという申し出が幾つかあったそうだ。ほとんどが、愛人か妾の話で、叔母上の一存で断ったと聞いた」
「私、聞いてません。そんな話があったなんて!」
「君の耳にいれたくなかったんだろう。あまり、いい話じゃないからな。歌姫として有名になればなるほど、この手の話は増えて行く。中には脅しまがいの台詞を言う奴もいたそうだ。叔父上が亡くなっているから見くびったのだろう。それで、叔母上の為に一役かった」
「ああ、それで」
「叔母上は君を娘のように思っている。ちゃんとした結婚をさせたいのだと思う。俺の発言で大抵の男達は君に手を出して来ない。だが、国王陛下、父上は別だ。デビューの時、君の歌声に興味を示していた」
「ええ! 国王様が!」
「俺は、君は舞台で歌わせて国の為に働かせた方がいいと言っておいたが、いつ気が変わるかわからない。幸いな事に、父上は今、ベルハの元王妃にご執心だ。君が後宮に入らないで済むよう出来るだけの事はするから」
「国王陛下が私に興味を持つなんて! そんな事、考えもしなかった」
私はぞっとした。私の国を滅ぼしたあんな男に抱かれるなんて考えただけで鳥肌が立つ。
「それとな……」
レオンが声を低めた。よく、聞き取れない。私は頭を寄せた。
すると、レオンの唇が私の頬に素早くあてられた。
「な、何するのよ!」
「この間のお返しだ!」
レオンが高らかに笑いながらテントを出て行った。
翌日、街に戻るとお屋敷は大騒ぎになっていた。
殿下の「私のカナリア」発言は侯爵夫人の耳にも届いていた。私は奥様にレオンからの手紙を渡した。レオンの手紙を読むと、難しい顔をされていた奥様が晴れやかな笑顔になった。
「レオンから聞いたのね、パトロンの話……」
私が頷くと奥様はほぅっとため息をついた。
「この国では歌姫の地位は高いわ。それでも、遊び女と見られてしまうのは悲しい話よね。レオンのおかげで、馬鹿な男達はあなたを敬遠するでしょう。もし、レオンを恐れずにあなたの愛を勝ち取ろうとする男性が現れたら、それはそれで見所のある男性が現れたと思っていいわけだし……。さ、あなたを警護する騎士達の部屋を用意させるわ。これはあなたにとって、喜ばしい事ですものね。ほほほ」
そして、劇場に行くと、総支配人室に呼ばれた。
「アップフェルト嬢、あなたの為に一場面増やしましょう」
殿下の愛人になったのだからと総支配人が言ったので私は必死に否定した。
「私は殿下の愛人ではありません! 友人です!」
「つまり、まだ、男女の仲になっていないと……」
「はあ? 私と殿下はそんな関係ではありません。本当です、信じて下さい」
私は総支配人に事情を説明した。
「実は……、私を愛人にしようとして、あの、私の御世話して下さっているローゼンタール侯爵夫人を脅すような事を言った人がいたそうです。それで、殿下が侯爵夫人のお身の安全を考えて、『私のカナリア』発言をして下さったのです。お願いですから、実力通りに扱って下さい。私にはまだ、一場面を持つ実力はありません」
オルコットさん、総支配人の名前だが、は考えながら歩き回った。長い足だ。よく絡まないものだと思う。
「そういう事なら、あなたを贔屓するとかえって殿下のご機嫌を損ねるかもしれませんね。しかし、あなたは実力通りと言うが、あなたは一場面持つ実力がありますよ。後は、もっと多くの歌を歌って、場数を踏んでゆくだけでしょう」
「支配人さん」
「いいでしょう、今まで通り前座で歌って貰いましょう。しかし、もったいない。私なら、王子の愛人だと言って、一場面確保したでしょうからね」
「私には出来ません。そんな人を騙すような事」
「ふむ。だから、殿下はあなたを友人だと言ったのでしょう。殿下は卑怯な真似が一番嫌いですからね」
支配人は私に以前と同じ前座で歌うようにするから心配しなくていいと言ってくれた。
私はほっとした。
「支配人、少し宜しいかしら?」
「これは、エリーゼ。何か御用かな?」
劇場一、街一番の歌姫のエリーゼ・カースティンが部屋に入って来た。飴色の髪、白い肌、紫の瞳。赤い唇が蠱惑的だ。
街一番の歌姫の登場に総支配人は満面の笑顔を浮かべた。
「ふふふ、こちらが王子のカナリアさん?」
私は下を向いて「そうです」と答えていた。
「まあ、浮かない顔をしているのね。何故? ふふふ、あなた、幸運は喜ぶべきよ。ね、支配人、夏の野外公演。彼女にヒロインをやって貰ったら?」
「エリーゼ、何を言ってる。君以外に誰がヒロインをやれるんだ」
「いいえ、彼女の歌声は素晴らしいわ。特に高音の伸び。主題歌『風よ届けて』の高音部、彼女ならもう一段高く出来るわ。誰も聞いた事のない歌が聞けるわ」
「うーーむ」
「それに、彼女は見事な金髪。毎年、野外劇ではかつらを使うけれど、彼女ならかつら無しでやれるわ」
「え! 野外劇なのに金髪のヒロインなんですか?」
「ええ、そうよ。大丈夫、竜は夜、飛ばないわ。毎年、やってるけど、竜が来た事は一度もないの」
結局、私は野外劇「花火師ジョフレの冒険」のヒロインをやる事になった。
ヒロインに抜擢されたので、「私のカナリア」発言の噂が下火になればいいと思ったけれど、そんな都合のいい事、起こる訳がなかった。行き先々で、ひそひそと噂され、ヒロインの歌を歌いこなせるのかと聞こえよがしに言われた。
ただ、劇場付きの作曲家の先生や歌を指導してくれるオギー・カウンタック先生は、私を認めてくれ、励ましてくれた。そして、私は先生方の命じるまま、とてもとても厳しい練習をこなした。
宴会が終わって、私はレオンが用意してくれたテントで、一息ついていた。私のテントは王宮の女官達のテントの近くに設営されている。女官達が冗談を言っているのか、華やかな笑い声が微かに聞こえた。テントの入り口には兵士が二人。
「アップフェルト殿、バーゼルです。少しよろしいか?」
え? こんな時間にと思ったけど、バーゼル騎士団長ならお話を聞かなければいけないだろう。
「は、はい、どうぞ!」
テントに入って来たバーゼル様は無表情だ。さっきまで宴会でお酒を飲んで笑っていたのに。なんだか、怖い!
「あの、あのう、何か?」
バーゼル様は、急にとても難しい顔をした。
さっきの無表情よりはましかな? それにしてもこの人、男前だなあ。
「レオニード殿下があなたを『私のカナリア』と呼ばれた意味がおわかりか?」
「は? あの、いきなり何のお話でしょう」
「あなたが自分の立場をわかっていないようだから教えに来たのです」
「立場?」
「殿下があなたを『私のカナリア』と呼んだ以上、あなたの将来は約束されたようなものです。今までも、侯爵夫人の庇護の元、男爵との結婚やもっと上の階級の貴族の愛人や妾になれたでしょう。しかし、殿下が『私のカナリア』と呼んだ以上、それはなくなりました」
「あの、あの、愛人とか妾とか何の話ですか? 私はそんなものになる気なんてありません! 私は遊び女ではありません。いくらなんでも失礼です!」
バーゼル様は私の怒りの言葉を無視した。
「先程、あなたの歌声を聞かせて貰った。素人の私でもわかる。あなたは優れた歌い手だ。恐らく一級品の歌姫となるでしょう。あなたの評判が上がるにつれ、あなたを自分の勲章のように恋人にしたがる男達が必ず出て来ます。いや、もう現れているかもしれない。しかし、今日の殿下の発言でそれはなくなった。殿下が所有物と言われた以上、誰もあなたに手を出さないでしょう。だが、あなたが心底結婚したい相手が出来た時、それを殿下に言えば、殿下は恐らくお許しになるでしょう。あの方はそういうお方だ」
「どういう意味です?」
「あなたは以前よりずっと安全になったという事です。殿下の物に迂闊に手を出す男はいない。だが、あなたが好きになる事は出来る。選択権はあなたにある。数ある男性の中から誰を選ぶか、よく考えて決めてほしい。殿下の為にも」
「あの、でも、私は殿下の所有物ではありませんし、結婚なんて考えていません」
「あなたがそう思っていなくても周りは違います。殿下の『私のカナリア』発言はあなたの背後に殿下がついた事を意味しているのです。それを忘れないように。下手な行動は殿下の名誉を傷つける。よく自覚して行動して下さい」
「私、侯爵夫人の庇護を受けています。私の行動が侯爵夫人の名誉を傷つけるかもしれないと以前から思っていました。行動には十分気をつけています!」
「それなら、結構……」
バーゼル様は、何か言おうとして逡巡された。
「……、あなたがその気になれば殿下の愛人になる事も可能ですよ。ただ、今はいけない。皇女様が表敬訪問中ですからね」
「愛人! 私が殿下の! 殿下の愛人なんて考えた事もありません! 私にとっては殿下は、レオンです。友人です。愛人なんて! 第一、レオンは私を子供扱いするんですよ! 愛人なんてとんでもない!」
「あなたがそう思っていても、周りはそう見ないのですよ。あなたも殿下もその自覚がまるでない」
バーゼル騎士団長はため息をついた。
「それとあなたには護衛がつきます」
「は?」
「殿下と殿下の所有物をお守りするのが、我ら赤獅子騎士団の役目。宜しいですね」
一体、誰が誰の所有物なのと言いたいけど、この人に反論しても無駄だと、私はすでに悟っていた。宜しいも何もないではないかと思ったが、私は黙ってうなずいた。
バーゼル様は、テントの外に控えていた二人の守りの騎士を私に紹介すると帰って行った。
私は一人になると、簡易ベッドに寝っころがってため息をついた。
レオンの愛人……。
レオンが友人ではなく愛人として私を求めたら……?
そんな事したら、蹴っ飛ばしてやる!
そんなの嫌! 絶対、嫌!
バーゼル様の言葉に、私は自分の初恋が汚されたような気がして凄く嫌だった。
私がもう一度、盛大にため息をついて休もうとした時、声が聞こえた。
「ギル、まだ起きているか?」
私は簡易ベッドから起き上がってテントの入り口に行った。
「レオン! どうしたの?」
「入ってもいいか?」
「え、あ、はい、どうぞ!」
私はレオンをテントに招き入れた。簡易ベッドをソファがわりに並んで座る。
「バーゼルが来なかったか?」
「ええ、さっき来て私にお説教して帰っていったけど」
「気にしないでやってくれ。あれは、頭が固い。どんな話をした?」
「レオンの『私のカナリア』発言について説明してくれたわ。私の背後にレオンがついたから安全だって。殿下の物に迂闊に手を出す男はいないって。でも、行動には気をつけるようにって。レオンの名誉を傷つけるような事はするなって言って帰っていったわ。私の歌声を一流だって言って褒めて下さったのは嬉しかったけど」
「そうか……、叔母上から聞いたんだが、君が初舞台を踏んでから、ぜひ、君の世話をしたいという申し出が幾つかあったそうだ。ほとんどが、愛人か妾の話で、叔母上の一存で断ったと聞いた」
「私、聞いてません。そんな話があったなんて!」
「君の耳にいれたくなかったんだろう。あまり、いい話じゃないからな。歌姫として有名になればなるほど、この手の話は増えて行く。中には脅しまがいの台詞を言う奴もいたそうだ。叔父上が亡くなっているから見くびったのだろう。それで、叔母上の為に一役かった」
「ああ、それで」
「叔母上は君を娘のように思っている。ちゃんとした結婚をさせたいのだと思う。俺の発言で大抵の男達は君に手を出して来ない。だが、国王陛下、父上は別だ。デビューの時、君の歌声に興味を示していた」
「ええ! 国王様が!」
「俺は、君は舞台で歌わせて国の為に働かせた方がいいと言っておいたが、いつ気が変わるかわからない。幸いな事に、父上は今、ベルハの元王妃にご執心だ。君が後宮に入らないで済むよう出来るだけの事はするから」
「国王陛下が私に興味を持つなんて! そんな事、考えもしなかった」
私はぞっとした。私の国を滅ぼしたあんな男に抱かれるなんて考えただけで鳥肌が立つ。
「それとな……」
レオンが声を低めた。よく、聞き取れない。私は頭を寄せた。
すると、レオンの唇が私の頬に素早くあてられた。
「な、何するのよ!」
「この間のお返しだ!」
レオンが高らかに笑いながらテントを出て行った。
翌日、街に戻るとお屋敷は大騒ぎになっていた。
殿下の「私のカナリア」発言は侯爵夫人の耳にも届いていた。私は奥様にレオンからの手紙を渡した。レオンの手紙を読むと、難しい顔をされていた奥様が晴れやかな笑顔になった。
「レオンから聞いたのね、パトロンの話……」
私が頷くと奥様はほぅっとため息をついた。
「この国では歌姫の地位は高いわ。それでも、遊び女と見られてしまうのは悲しい話よね。レオンのおかげで、馬鹿な男達はあなたを敬遠するでしょう。もし、レオンを恐れずにあなたの愛を勝ち取ろうとする男性が現れたら、それはそれで見所のある男性が現れたと思っていいわけだし……。さ、あなたを警護する騎士達の部屋を用意させるわ。これはあなたにとって、喜ばしい事ですものね。ほほほ」
そして、劇場に行くと、総支配人室に呼ばれた。
「アップフェルト嬢、あなたの為に一場面増やしましょう」
殿下の愛人になったのだからと総支配人が言ったので私は必死に否定した。
「私は殿下の愛人ではありません! 友人です!」
「つまり、まだ、男女の仲になっていないと……」
「はあ? 私と殿下はそんな関係ではありません。本当です、信じて下さい」
私は総支配人に事情を説明した。
「実は……、私を愛人にしようとして、あの、私の御世話して下さっているローゼンタール侯爵夫人を脅すような事を言った人がいたそうです。それで、殿下が侯爵夫人のお身の安全を考えて、『私のカナリア』発言をして下さったのです。お願いですから、実力通りに扱って下さい。私にはまだ、一場面を持つ実力はありません」
オルコットさん、総支配人の名前だが、は考えながら歩き回った。長い足だ。よく絡まないものだと思う。
「そういう事なら、あなたを贔屓するとかえって殿下のご機嫌を損ねるかもしれませんね。しかし、あなたは実力通りと言うが、あなたは一場面持つ実力がありますよ。後は、もっと多くの歌を歌って、場数を踏んでゆくだけでしょう」
「支配人さん」
「いいでしょう、今まで通り前座で歌って貰いましょう。しかし、もったいない。私なら、王子の愛人だと言って、一場面確保したでしょうからね」
「私には出来ません。そんな人を騙すような事」
「ふむ。だから、殿下はあなたを友人だと言ったのでしょう。殿下は卑怯な真似が一番嫌いですからね」
支配人は私に以前と同じ前座で歌うようにするから心配しなくていいと言ってくれた。
私はほっとした。
「支配人、少し宜しいかしら?」
「これは、エリーゼ。何か御用かな?」
劇場一、街一番の歌姫のエリーゼ・カースティンが部屋に入って来た。飴色の髪、白い肌、紫の瞳。赤い唇が蠱惑的だ。
街一番の歌姫の登場に総支配人は満面の笑顔を浮かべた。
「ふふふ、こちらが王子のカナリアさん?」
私は下を向いて「そうです」と答えていた。
「まあ、浮かない顔をしているのね。何故? ふふふ、あなた、幸運は喜ぶべきよ。ね、支配人、夏の野外公演。彼女にヒロインをやって貰ったら?」
「エリーゼ、何を言ってる。君以外に誰がヒロインをやれるんだ」
「いいえ、彼女の歌声は素晴らしいわ。特に高音の伸び。主題歌『風よ届けて』の高音部、彼女ならもう一段高く出来るわ。誰も聞いた事のない歌が聞けるわ」
「うーーむ」
「それに、彼女は見事な金髪。毎年、野外劇ではかつらを使うけれど、彼女ならかつら無しでやれるわ」
「え! 野外劇なのに金髪のヒロインなんですか?」
「ええ、そうよ。大丈夫、竜は夜、飛ばないわ。毎年、やってるけど、竜が来た事は一度もないの」
結局、私は野外劇「花火師ジョフレの冒険」のヒロインをやる事になった。
ヒロインに抜擢されたので、「私のカナリア」発言の噂が下火になればいいと思ったけれど、そんな都合のいい事、起こる訳がなかった。行き先々で、ひそひそと噂され、ヒロインの歌を歌いこなせるのかと聞こえよがしに言われた。
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