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第3章 王子と皇女
26.エリステ
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「歌姫殿、我々と共に暮らしませんか? ここは平和で、とてもいい所ですよ。いかがです?」
青年を指示する拍手が沸き起こる。私が答える前に陛下が青年を嗜めた。
「エリステ、皆の者。彼らは明日の夜、ここを発つのだ。私は最初から彼女の喉が治るまでと決めていた。ギルベルタが仮に望んでも、私は滞在を許すつもりなはい」
「陛下、それはとても残念です。彼女の歌声をただの一度しか聞けないとは……。僕はもう一度聞きたいのです。陛下、明日、外で歌って貰いませんか? 私は竜体で彼女の歌を聞きたい……」
「ファニが聞いたようにか?」
「はい。ファニ姉上が何故、この歌姫をさらってくるほど執着したのか? 今朝、竜体で聞いていてわかったのです。全身が震えるようでした」
「どうする? ギルベルタ。もう一度、歌うかね?」
「はい、喜んで」
私は丁寧にお辞儀をした。私は相手がどんな相手であっても、私の歌を聞きたいという人の為に、歌いたかった。
翌朝、謹慎が解けたレオンが寝室から出て来た。私はレオンに駆け寄った。
「レオン、あのね、私、今日、湖の側で歌うの。エリステさんっていう人が、ぜひ、聞きたいって……。それでね、陛下がその……、レオンにも出席して貰いなさいって」
「そうか、陛下は俺を許して下さったのだな」
「うん……」
「ギル、もう、その……、体の方はいいのか?」
「? 喉なら治ったし、私は元気よ」
「……そうか」
レオンが緑の瞳で私を見つめる。私は俯いた。レオンの腕が私に伸びる。
「おはようございます」
皇女様だ。皇女様が寝室から支度をして出て来られた。レオンの腕がさっとひっこんだ。レオンが皇女様に挨拶をしてソファに座る。
私は淋しかった。レオンの温もりを感じたかった。
喉が治ったから私達は帰らなければならない。身分で分け隔てられた人の世界に。
もうこんなふうに、レオンと共に時を過す事はないのだ。
レオンは私をどうするつもりなのだろう。ファニの洞窟でレオンは私に言った。
(ずっと一緒だ)
ずっと一緒ってどういう意味なんだろう。訊きたい。だけど、怖くて訊けない。
ガリタヤがやって来て、今日の予定を教えてくれた。
「午前中は、今夜の為に使役の竜に乗る練習をして貰います。大丈夫です、乗るのは簡単ですから。すぐに、乗れるようになります。午後からは歌会をお願いします。出発は夕餉の後です」
使役の竜というのは、竜人とは違って、自分で人に変身出来ない小型の竜なのだそうだ。使役の竜は竜王様の魔力によって、人に変身、様々な雑用をこなすのだという。例えば、食事の席で給仕をしていた人達は皆、使役の竜の化身なのだそうだ。使役の竜達は竜王様への忠誠心が強いのだという。
私達はガリタヤに森の中にある使役の竜の巣に連れて行って貰った。使役の竜は草食なのだそうだ。ガリタヤが言った。
「殿下の乗る竜の名前はアル、皇女様はエル、ギルベルタさんはゼルです。それぞれ、乗せてほしいと心の中で頼んで下さい。断らない筈です。乗り方を教えてくれるので、その通りにして下さい」
私はゼルに心の中で(乗せて下さい)と頼んだ。
「イイデスヨ! ドウゾ」
頭の中に声がした。私はゼルの背中によじ上った。
竜は馬と違って鞍はない。直接背中に乗るのだ。私はゼルの首にしがみついた。ファニにさらわれて空を飛んだけれど、あの時はかぎ爪に掴まれていた。今は背中に乗っている。灰色狼ヴォルの背に乗った時とも違っていた。太ももで竜の体を締め付ければいいのだろうけれど、うまくいかない。それでも、なんとか乗った。
「イキマスヨ。前屈ミニナッテ」
ゼルがはばたく。助走をつけて飛んだ。
「きゃああああ」
私はゼルの首にしがみついた。
ゼルが体の動きを教えてくれた。降りる時は後ろにそる。上昇する時は前屈み。水平飛行の時はまっすぐに。右に曲がる時は右の肩を下げ、左に曲がる時は左の肩を下げる。
だけど、私はどんな時も必死にしがみつくだけだった。ゼルがよろよろと地上に降りた。
「仕方がありませんね」
ガリタヤが見兼ねて紐を持って来た。私を紐で竜の背中に固定してくれた。まるで、竜におんぶされているみたいだ。
「こんなのって、カッコ悪い!」
「落ちるよりましでしょう」
ガリタヤが笑う。
レオンと皇女様はすぐに、使役の竜を乗り回すようになった。レオンは空を飛ぶのが楽しそうだ。レオンは竜に括り付けられた私を見て、吹き出した。
「くくくくく、ギル。乗れないのか? ガリタヤ、ギルを私と同じ竜に乗せて貰えないだろうか」
「いえ、それでは飛べません。もともと人を乗せるように出来ていないのです。二人乗せるのはとても、とても。大丈夫ですよ。僕も一緒に飛びますから」
ガリタヤが並走して飛んでくれるという。不測の事態に備えるのだそうだ。
不測の事態って!?
と私は思ったが、考えない事にした。考えたら、飛べない!
夕べ、私を引き留めたエリステさんがやってきた。栗色の巻き毛の貴公子、エリステさんは陛下に面差しが似ている。ファニを姉上と呼んでいたから兄弟なのだろう。でも、老婆になったファニが、美青年のバチスタ様を兄上と呼んだ。変身する竜に見た目は関係ないのかもしれない。エリステさんは、私の様子を見て、やはり笑った。
「ガリタヤ、歌姫殿を降ろして差し上げなさい」
私が使役の竜から降りると言った。
「良ければ、僕があなたを抱き上げて運んで上げましょう」
「エリステ様、陛下の許可を取ったのですか?」ガリタヤがやや不審そうに言う。
「ガリタヤ、大丈夫、歌姫殿のこの様子を見たら、陛下はお許しになる。いかがです? 歌姫殿」
私が「喜んで」というと、エリステさんは見る見る竜に変身した。ファニと同じ黄金竜だ。ファニより明るい金色だ。エリステさんが私を抱き上げふわりと舞い上がった。頭の中に声がした。
「どうです。これなら楽でしょう」
「はい、とても素敵です!」
エリステさんは、私を抱いて湖の上を一周した。湖を一望出来る高台に降り立つ。景色が凄くきれいだ。透明な水をたたえた湖。湖岸に広がる緑濃い森。遠くに見える白い雪を乗せた山々。青い空。流れる雲。
竜体のエリステさんが頭の中で言った。
「ここからの眺め、如何です?」
「綺麗、なんて、綺麗!」
「あなたは、どうしても人の世界に帰ってしまうのですか?」
「私には故郷で待っている人達がいます。私が生きているようにと、祈ってくれている人達がいます。その人達の為に帰りたいのです」
「ここは平和で、こんなに美しいのに?」
「……でも、故郷ではないのです」
エリステさんの苦笑いが頭の中に伝わってくる。
「あなたはファニ姉上を倒した時の悲鳴を、もう一度上げる事ができますか?」
「さあ、わかりません。あの時は焼き殺されると思って必死だったんです。レオン、レオニード殿下が焼き殺されると思うと! 悲鳴を上げたからといって助けられる筈がないのに。でも、何がなんだかわからない内に悲鳴を上げていました」
「どんな音だったか覚えていますか?」
「そうですね、あの音は……、いいえ、あれは音ではありません。少なくとも音楽ではありません」
「なるほど……、ね、僕の目を見て」
見上げると、エリステさんの瞳の虹彩がくるくると回っている。
くるくる、くるくる。
くるくる、くるくる。
「あなたはまた悲鳴をあげるでしょう。ファニ姉上の鱗を破壊した悲鳴を。僕があなたに『悲鳴をあげるな』と言ったらあなたは悲鳴を上げるのです。わかりましたか?」
くるくる、くるくる。
私はこくこくとうなずいた。
くるくる、くるくる。
「今言った事はすべて忘れて」
パンッ
私は瞬きをした。
「ここの景色をあなたに見せたかったのです。さあ、戻りましょう」
「あの、ありがとうございます。こんな綺麗な景色、見たことがありませんでした。あの、もし、良かったら、人の世界に、その、人の姿で聞きに来て下さい。私の歌は国立劇場で聞けます」
「ふふ、あなたはいい子ですね」
エリステさんは私をレオン達の元へ戻してくれた。私がレオンに今見た景色の話をすると、レオンは皇女様と二人、使役の竜に乗って見に行ってしまった。
「あなたの恋人とミレーヌ殿は、仲が良さそうだ」
「ええ、お二人は、その……、戦友なんです」
かすかな苦みが私の舌の上をころがった。
青年を指示する拍手が沸き起こる。私が答える前に陛下が青年を嗜めた。
「エリステ、皆の者。彼らは明日の夜、ここを発つのだ。私は最初から彼女の喉が治るまでと決めていた。ギルベルタが仮に望んでも、私は滞在を許すつもりなはい」
「陛下、それはとても残念です。彼女の歌声をただの一度しか聞けないとは……。僕はもう一度聞きたいのです。陛下、明日、外で歌って貰いませんか? 私は竜体で彼女の歌を聞きたい……」
「ファニが聞いたようにか?」
「はい。ファニ姉上が何故、この歌姫をさらってくるほど執着したのか? 今朝、竜体で聞いていてわかったのです。全身が震えるようでした」
「どうする? ギルベルタ。もう一度、歌うかね?」
「はい、喜んで」
私は丁寧にお辞儀をした。私は相手がどんな相手であっても、私の歌を聞きたいという人の為に、歌いたかった。
翌朝、謹慎が解けたレオンが寝室から出て来た。私はレオンに駆け寄った。
「レオン、あのね、私、今日、湖の側で歌うの。エリステさんっていう人が、ぜひ、聞きたいって……。それでね、陛下がその……、レオンにも出席して貰いなさいって」
「そうか、陛下は俺を許して下さったのだな」
「うん……」
「ギル、もう、その……、体の方はいいのか?」
「? 喉なら治ったし、私は元気よ」
「……そうか」
レオンが緑の瞳で私を見つめる。私は俯いた。レオンの腕が私に伸びる。
「おはようございます」
皇女様だ。皇女様が寝室から支度をして出て来られた。レオンの腕がさっとひっこんだ。レオンが皇女様に挨拶をしてソファに座る。
私は淋しかった。レオンの温もりを感じたかった。
喉が治ったから私達は帰らなければならない。身分で分け隔てられた人の世界に。
もうこんなふうに、レオンと共に時を過す事はないのだ。
レオンは私をどうするつもりなのだろう。ファニの洞窟でレオンは私に言った。
(ずっと一緒だ)
ずっと一緒ってどういう意味なんだろう。訊きたい。だけど、怖くて訊けない。
ガリタヤがやって来て、今日の予定を教えてくれた。
「午前中は、今夜の為に使役の竜に乗る練習をして貰います。大丈夫です、乗るのは簡単ですから。すぐに、乗れるようになります。午後からは歌会をお願いします。出発は夕餉の後です」
使役の竜というのは、竜人とは違って、自分で人に変身出来ない小型の竜なのだそうだ。使役の竜は竜王様の魔力によって、人に変身、様々な雑用をこなすのだという。例えば、食事の席で給仕をしていた人達は皆、使役の竜の化身なのだそうだ。使役の竜達は竜王様への忠誠心が強いのだという。
私達はガリタヤに森の中にある使役の竜の巣に連れて行って貰った。使役の竜は草食なのだそうだ。ガリタヤが言った。
「殿下の乗る竜の名前はアル、皇女様はエル、ギルベルタさんはゼルです。それぞれ、乗せてほしいと心の中で頼んで下さい。断らない筈です。乗り方を教えてくれるので、その通りにして下さい」
私はゼルに心の中で(乗せて下さい)と頼んだ。
「イイデスヨ! ドウゾ」
頭の中に声がした。私はゼルの背中によじ上った。
竜は馬と違って鞍はない。直接背中に乗るのだ。私はゼルの首にしがみついた。ファニにさらわれて空を飛んだけれど、あの時はかぎ爪に掴まれていた。今は背中に乗っている。灰色狼ヴォルの背に乗った時とも違っていた。太ももで竜の体を締め付ければいいのだろうけれど、うまくいかない。それでも、なんとか乗った。
「イキマスヨ。前屈ミニナッテ」
ゼルがはばたく。助走をつけて飛んだ。
「きゃああああ」
私はゼルの首にしがみついた。
ゼルが体の動きを教えてくれた。降りる時は後ろにそる。上昇する時は前屈み。水平飛行の時はまっすぐに。右に曲がる時は右の肩を下げ、左に曲がる時は左の肩を下げる。
だけど、私はどんな時も必死にしがみつくだけだった。ゼルがよろよろと地上に降りた。
「仕方がありませんね」
ガリタヤが見兼ねて紐を持って来た。私を紐で竜の背中に固定してくれた。まるで、竜におんぶされているみたいだ。
「こんなのって、カッコ悪い!」
「落ちるよりましでしょう」
ガリタヤが笑う。
レオンと皇女様はすぐに、使役の竜を乗り回すようになった。レオンは空を飛ぶのが楽しそうだ。レオンは竜に括り付けられた私を見て、吹き出した。
「くくくくく、ギル。乗れないのか? ガリタヤ、ギルを私と同じ竜に乗せて貰えないだろうか」
「いえ、それでは飛べません。もともと人を乗せるように出来ていないのです。二人乗せるのはとても、とても。大丈夫ですよ。僕も一緒に飛びますから」
ガリタヤが並走して飛んでくれるという。不測の事態に備えるのだそうだ。
不測の事態って!?
と私は思ったが、考えない事にした。考えたら、飛べない!
夕べ、私を引き留めたエリステさんがやってきた。栗色の巻き毛の貴公子、エリステさんは陛下に面差しが似ている。ファニを姉上と呼んでいたから兄弟なのだろう。でも、老婆になったファニが、美青年のバチスタ様を兄上と呼んだ。変身する竜に見た目は関係ないのかもしれない。エリステさんは、私の様子を見て、やはり笑った。
「ガリタヤ、歌姫殿を降ろして差し上げなさい」
私が使役の竜から降りると言った。
「良ければ、僕があなたを抱き上げて運んで上げましょう」
「エリステ様、陛下の許可を取ったのですか?」ガリタヤがやや不審そうに言う。
「ガリタヤ、大丈夫、歌姫殿のこの様子を見たら、陛下はお許しになる。いかがです? 歌姫殿」
私が「喜んで」というと、エリステさんは見る見る竜に変身した。ファニと同じ黄金竜だ。ファニより明るい金色だ。エリステさんが私を抱き上げふわりと舞い上がった。頭の中に声がした。
「どうです。これなら楽でしょう」
「はい、とても素敵です!」
エリステさんは、私を抱いて湖の上を一周した。湖を一望出来る高台に降り立つ。景色が凄くきれいだ。透明な水をたたえた湖。湖岸に広がる緑濃い森。遠くに見える白い雪を乗せた山々。青い空。流れる雲。
竜体のエリステさんが頭の中で言った。
「ここからの眺め、如何です?」
「綺麗、なんて、綺麗!」
「あなたは、どうしても人の世界に帰ってしまうのですか?」
「私には故郷で待っている人達がいます。私が生きているようにと、祈ってくれている人達がいます。その人達の為に帰りたいのです」
「ここは平和で、こんなに美しいのに?」
「……でも、故郷ではないのです」
エリステさんの苦笑いが頭の中に伝わってくる。
「あなたはファニ姉上を倒した時の悲鳴を、もう一度上げる事ができますか?」
「さあ、わかりません。あの時は焼き殺されると思って必死だったんです。レオン、レオニード殿下が焼き殺されると思うと! 悲鳴を上げたからといって助けられる筈がないのに。でも、何がなんだかわからない内に悲鳴を上げていました」
「どんな音だったか覚えていますか?」
「そうですね、あの音は……、いいえ、あれは音ではありません。少なくとも音楽ではありません」
「なるほど……、ね、僕の目を見て」
見上げると、エリステさんの瞳の虹彩がくるくると回っている。
くるくる、くるくる。
くるくる、くるくる。
「あなたはまた悲鳴をあげるでしょう。ファニ姉上の鱗を破壊した悲鳴を。僕があなたに『悲鳴をあげるな』と言ったらあなたは悲鳴を上げるのです。わかりましたか?」
くるくる、くるくる。
私はこくこくとうなずいた。
くるくる、くるくる。
「今言った事はすべて忘れて」
パンッ
私は瞬きをした。
「ここの景色をあなたに見せたかったのです。さあ、戻りましょう」
「あの、ありがとうございます。こんな綺麗な景色、見たことがありませんでした。あの、もし、良かったら、人の世界に、その、人の姿で聞きに来て下さい。私の歌は国立劇場で聞けます」
「ふふ、あなたはいい子ですね」
エリステさんは私をレオン達の元へ戻してくれた。私がレオンに今見た景色の話をすると、レオンは皇女様と二人、使役の竜に乗って見に行ってしまった。
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