婚約者にブランド香水の匂いが気に入らないと捨てられましたが、そのブランドに勤めるイケメン香水職人に溺愛されることになりました!

鯨井イルカ

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二つの間違いと温かな手のひら

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 移動したラウンジの窓辺にある、カウンター席にて。
 紗江子は誠とともに、眼下に広がる夜景を眺めながら、ジンバックのグラスを傾けていた。

「それで、一体なぜ、香水を捨ててしまったんですか?」

「実は……」

 問いかける誠に、紗江子は自分の身に起きたことを語りだした。

 学生時代からの恋人、幸二と婚約したこと。
 その幸二が心変わりしたこと。
 背伸びして買った香水のことを「自分勝手だ」と言われたこと。

「それで……、お店を出て泣いてたんですが……、香水を持ってきてたのを見つけて……、すごく虚しくなって……」

 言葉を続けるうちに、目からは再び涙がこぼれだした。

「幸二は……、勉強も仕事もできて、見た目もカッコイイ、完璧な人でした……。だから……、そんな彼に、見合うような女性になろうと、頑張ってたのに……」

 紗江子は両手で顔を覆い、嗚咽しだした。すると、それまで黙ってうなずきながら話を聞いていた誠が、そっと口を開いた。

「それは、つらかったですね……」

「はい……、でも、仕方ないんです。もともと、私なんか……、幸二につりあうだけの魅力がなかったんですから……」

「そんなことは、ないですよ。ただ、二つほど、間違いはありますが」

「……間違い?」

 両手を離して目を向けると、誠が穏やかな微笑みを浮かべてうなずいた。

「ええ、一つ目は香水の選び方。あの香水は、紗江子さんがはじめて買った香水だったんですよね?」

「はい。でも、選ぶというより店員さんに勧められるまま、というかんじでしたが……」

「それじゃあ、自分でもあまりいい香りだとは、思わなかったのでしょう?」

「え……、それは……」

 正直な感想は、そのとおりだ。しかし、それを口に出してしまうのは、気が引けた。誠はあの香水を生み出した人間なのだから。

 答えあぐねているうちに、誠の微笑みは苦笑いに変わった。

「言葉に詰まる、ということは、正解だったみたいですね?」

「すみません……、正直なところ……」

「ははは、謝ることではことではないですよ。むしろ、それが当然です」

「当、然?」

 問い返す紗江子に、誠は笑顔でうなずいた。

「ええ。だって、あの香水は紗江子さんよりも、もっと年上の方々が好むような香りにしましたから」

「そうだったんですね」

「そうなんです。販売するほうは、とにかく新作を売りたい、という気持ちだったんでしょう。まあ、その気持ちも分からなくはないのですが……」

 誠はそこで言葉を止めると、ジンバックを一口飲んだ。

「心を動かすような香水との出会いは、しばしば恋にたとえられたりするほどです。なので、人に勧められたものよりも、自分が心からいい香りだと思ったものを選んだほうがいいですよ」

「そうですか……」

 もしも心からいい香りだと思える香水をつけていたら、幸二を引き止めることができたんだろうか。ぼんやりとそう考える紗江子の頭を、誠が再びそっとなでた。

「それと、もう一つの間違い。こちらのほうが、重大な間違いです」

「……それは、なんなのですか?」

 目を見つめて問いかけると、優しげな微笑みが返ってくる。

「貴女に魅力がない、という思い込みですよ。貴女はとても魅力的で、美しい女性ですから」

「へ……?」

 予想外の言葉に、紗江子は気の抜けた声を上げた。
 
 男性から容姿を褒められたのは、これがはじめてだった。
 幸二は交際を始めた頃から、目つきが悪い、だの、顔立ちが全体的に男っぽいだの、と容姿をからかっていた。それは、照れくささかくるものだったが、紗江子はその悪態をずっと真に受けていた。そのせいで、誠の言葉の意味が、分からなかった。

 戸惑う紗江子をそよに、誠は席を立った。

「さて、間違いが分かったところで、行きましょうか」

「行くって、どこへ?」

「間違いを正しに、ですよ」

「間違いを正す?」

「はい。決して悪いようにはしないので、ね?」

 誠は微笑みを浮かべながら首を傾げ、紗江子へ手を差し伸べた。
 
 普段なら、いくら「決して悪いようにはしない」などと言われても、初対面の男性についていくことなど、絶対にありえなかった。しかし、婚約を破棄され自暴自棄になっている今夜、自分のことを美しい女性と評する男性の誘いに抗うのは難しい。

「……」

 紗江子は無言でうなずくと、そっと手を取った。
 骨張った温かい手の感触が、心地良い。

 誠は立ち上がった紗江子の肩を抱くと、耳元に顔を近づけた。

「少し酔っているようなので、こうして支えていますね」

「……」

 再び無言でうなずくと、誠は満足げに微笑んだ。

 そうして、二人はラウンジを出ると、高層ビルを後にした。

 
 人でにぎわう週末の街を抜けて二人が向かった先は、ビルからほど近いタワーマンションだった。

「ここは?」

 紗江子が答えの分かりきった質問をすると、誠は穏やかに微笑んだ。

「俺の家ですよ。間違いを正すには、もってこいの場所ですから」

「そう、ですか……」

 予想通りの答えに、紗江子はしなだれかかりながら返事をする。
 誠はそんな紗江子の肩を抱く手に、そっと力を込めた。

 そうして、二人はエントランスホールの中へ、消えていった。
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