婚約者にブランド香水の匂いが気に入らないと捨てられましたが、そのブランドに勤めるイケメン香水職人に溺愛されることになりました!

鯨井イルカ

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凜とした香りと意外な言葉

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 その夜も、紗江子は誠と身体を重ね合わせた。
 はじめのうち、紗江子はどこかぎこちなく誠からの愛撫を受けていた。しかし、的確に快感を与えられているうちに、いつしか相手の身体を貪っていた。それに気をよくしたように、誠も口の端を上げて微笑み、身体を貪り返す。部屋の中には、二人のつた香水と汗の香りが混ざり合って広がった。


 そんな激しい行為が終わると、二人は向かい合うようにしてベッドに横たわった。
 未だ惚けた顔をした紗江子の額に、唇が落とされる。

「今日の紗江子さん、とても可愛らしかったですよ」

 そんな言葉とともに背中に腕が回り、ほのかにリンゴに似た香りのする胸に引き寄せられる。

「できることならば、今夜だけじゃなくて、ずっとこうしていたいです」

 頭上からかけられる声に、返事ができない。

 幸二も、同じように甘い言葉をかけてくれることはあった。それでも、結局……。

 ――本当の愛に気がついたんだ。
 ――それに比べて君は……。

 いつかは、誠にも同じことを言われるかもしれない。
 ひょっとしたら、それはすぐ先のことなのかもしれない。
 たとえば、愛菜と会う今週の土曜日とか……。

「……紗江子さんは、どうですか?」

「……」

 返事の代わりに、縋り付くように胸に身体を寄せた。頭上からは、ふっという穏やかな笑い声が聞こえ、強張る背中があやすように撫でられる。

「大丈夫ですよ、俺は貴女を離したりなんてバカな真似、絶対にしませんから」

「……」

「なにがあっても、ね」

 穏やかな声を聞きながら、紗江子はきつく目を閉じた。そうしているうちに、いつの間にか眠りに落ちていった。
 夢すら見ないほど、深く。





「紗江子さん、朝になりましたよ」
 
 深い眠りを覚ましたのは、目覚まし時計のベルではなく、穏やかな男性の声だった。
 重い目蓋をゆっくりと開くと、目の前でパジャマ姿の誠が微笑んでいた。ぼんやりと眺めていると、骨張った細い指が額を優しく撫でた。

「おはようございます。起きられそう、ですか?」

「……」

 無言で頷くと、よかった、という言葉が返ってくる。

「それじゃあ、簡単な朝食を作ったので、ダイニングで待ってますね」

 誠はそう言うと、額に口づけてから部屋を出ていった。
 紗江子も眠い目を擦りながら上体を起こし、いつの間にか枕元に用意されていたガウンを羽織って、寝室を後にした。


 それから、軽い朝食を済ませ、身支度を調えているうちに、出社する時間になった。
 靴を履く間際になって、誠が、そうそう、と言いながら、紗江子に白い小箱を差し出した。

「はい、これ。昨日気に入ってくれた香水です。週末は、ぜひこれをつけていってください」

「ありがとうございます……」

 軽く頭を下げながら香水を受け取ったと同時に、箱にプリントされたブランド名が目に入る。それは、世界的に有名な高級ブランドの名前だった。
 今さらながら、罪悪感が胸に湧き上がった。 

「あの……、本当にいいんですか? この間いただいたばかりなのに、また新しい香水をいただいてしまっても……」

「ええ、もちろんですよ。ただ、これは作品の参考資料に使った物なので、封が開いていてもうしわけないです。今度、改めて未開封の物をプレゼントしますよ」

「いえいえいえ! そんな、大丈夫ですよ、封が開いていたとしても、とてもいい香りでしたから!」

「ふふふ、そう言ってもらえるなら、なによりです」

 穏やかな微笑みとともに、骨張った細い指をした手が頭を撫でる。

 ……知り合ったばかりだけれど、もう少しの間この人と一緒に過ごしてみたい。
 そんな紗江子の思いを知ってか知らずか、誠は頭から手を離して革靴に足を入れた。

「さて、それじゃあ行きましょうか」

「そう、ですね」

「紗江子さんと一緒に玄関を出られるなんて、夢のようですよ」

「それは、どうも……」

 気恥ずかしいセリフに目を反らしながら、紗江子もパンプスに足を入れ、二人で玄関を後にした。


 その後、出社した紗江子は、何事もなく仕事をこなした。その日だけでなく、翌日からも。しかし、週末が近づくにつれて心の中は波立っていった。それでも、誠から贈られた香水たちや、他愛ないメッセージのやり取りのおかげで、仕事中に大きく取り乱すことはなかった。

 そうしているうちに、金曜日の夜を迎えた。

 誠からは、「やっぱり家に来ませんか?」や、「俺も同行しますよ?」というメッセージを受け取ったいた。それでも、紗江子はその誘いを断った。

 また顔を合わせれば、きっと今以上に神谷さんに惹かれてしまう。
 そんなことになれば、愛菜さんに会って心変わりされたときに、耐えられない。
 
 自室の鏡台の前に座りながら、悲観的な考えばかりが頭に浮かんだ。しかし、それをなんとか振り払うように、両手で頬を軽く叩いてから、引き出しを開けた。中には、香水の箱が二つ、しまわれている。

 紗江子は、「強さを感じる香り」と呼ばれた方の香水の箱を手に取り、中身を出して手首に吹きかけた。すると、薬品のようでありながらも、どこか凜とした上品な香りに包まれる。

「……神谷さんが離れてしまっても、きっと一人で過ごしていけるはず」

 諦念のようでもあり、鼓舞のようでもある言葉を口にして、紗江子は香水を引き出しにしまった。そして、ベッドに移動し、倒れ込むように眠りについた。


 そして、一夜が明け、ついに愛菜と対峙する日を迎えた。

 キッチリとしたスーツを着込み、凜とした香りの香水を吹き付け、待ち合わせの場所に向かう。すると、待ち合わせ時間の十五分前だったが、指定したカフェの席には既に女性の姿があった。

 毛先がふわりとウエーブしたボブカットで、薄紅色の小花模様をしたワンピースを着た小柄な女性。

 SNSの写真でも見た、野村愛菜の姿に間違いなかった。

 紗江子は左の手首をギュッと掴んでから、早まる鼓動を落ち着かせるために深く息を吸い込んだ。凜とした香りが、鼻腔いっぱいに広がる。

 きっと、大丈夫だから。 

 心の中でそう呟いてからゆっくりと息を吐き、姿勢を正して愛菜の待つ席へと足を進めた。


「あの、お待たせしました。野村さん」


 紗江子が声をかけると、愛菜は肩をビクッと震わせた。それから紗江子の顔を確認すると、真剣な面持ちで深々と頭を下げた。

「いえいえ、お気になさらずに! 私が早く来すぎただけですから! あ、どうぞ座ってください!」

「ああ、どうも……」

 ハキハキとした声にうながされ、紗江子は席についた。

「えーと、それで……、単刀直入に聞きますけど今日のお話というのは、一体なんなのですか?」

「はい。岡本さんて、長谷川先輩との婚約を解消されたんですよね?」

「……ええ、まあ、そう、なりますね」

「それじゃあ、長谷川先輩のこと、まだ好きだったりします?」

「……別に、こちらがどう思っていても、向こうは完全に愛想が尽きたそうですから」

「そうですか。ちなみに、よりを戻したいとかは、考えて……、ないですよね? さすがに」

「……よりを戻す、なんてことは二度とない、と思いますよ」

 全部知っているくせに、なんでわざわざ嫌なことを掘り返すんだろう。
 そう思いながらも、なんとか表情を動かさずに答えた。すると、愛菜は安堵したように、深いため息を吐いた。



「よかった……。それなら、長谷川先輩のことを訴えても、特に問題はないですよね?」

「そうですね……、え? 訴え、る?」



 予想外の言葉を問い返すと、愛菜は苦笑しながら首元を掻いた。

「はい。実は来週早々にでも、長谷川先輩のこと、セクハラで訴えようと思っていて」

「セク……、ハラ?」

 困惑する紗江子には、再び告げられた予想外の言葉を繰り返すことしかできなかった。
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