ローリン・マイハニー!

鯨井イルカ

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地下にて☆

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 蛍光灯が点滅する地下の一室にて、一人の女性が腕を組んで立っていた。その女性は髪をまとめあげ、胸元にリボンのついた黒い半そでのカットソーと黒いフレアスカート姿で、ヒールの低い黒のパンプスを履いている。女性は冷たい視線を床に向けていたが、時折思い出したように腕時計を眺めてはヒールを鳴らしていた。
「……遅かったわね」
 溜息をついてから女性が振り向かずにそう呟くと、彼女の背後から陽気な調子の声が響く。
「メンゴメンゴ★たまよちゃんと繭子を病院に連れて行ったり、警察さんに事情を説明したりで大変だったなりよ」
 声の主はカラコロと下駄を鳴らしながら、まとめ髪の女性の隣まで歩みを進めた。その姿は、ゆるくウェーブのかかった明るい茶色の長い髪を一つに束ね、濃い藍色の浴衣に薄い藤色の帯というものだった。
「で、日神の容態は?」
 まとめ髪の女性が視線だけを向けて尋ねると、浴衣の人物は目を細め微笑んだ。
「ふっふっふ。適切な処置を受けたので、命に別状は無かったなり★」
「そう、それなら良いわ」
 そっけなくそう言うと、女性は視線を床に戻した。
「しっかし、まさか部長がこの件に全面協力してくれるとは思わなかったなりよ」
 浴衣の人物が茶化すように言うと、まとめ髪の女性は視線を動かすことすらせずに答えた。
「別に、前回の事にも事情があったと言うことも分かったし、今まで社に貢献してきたことを考えると、手伝いくらいはしても良いと思っただけよ」
「ふーん。でも、よく信じたなりね。ひがみんのことだから適当なことを言って裏でほくそ笑んでる、とか思わなかったの?」
 浴衣の人物がわざとらしく首を傾げると、まとめ髪の人物は軽く溜息を吐いてから答える。
「念のため確認しに行ってみたけど、奥さんへの対応を見る限り信じるに値すると判断はできたわ」
「え?確認しに行ったの?いつ?しかも、よくバレなかったね?」
 先程の質問とは打って変わって本気で尋ねる浴衣の人物に対して、まとめ髪の女性はニヤリと笑顔を向けた。
「姿形を変えるのは、別にアンタの専売特許じゃないでしょ?」
 浴衣の人物は、あー、と言いながら2回頷く。
「部長が本気出すと、アタシよりも完成度が恐ろしいもんね。ミカンを鼠に変えたり、折り鶴を小鳥に変えたり」
 感心したように言う浴衣の人物に対して、まとめ髪の女性は呆れたような表情でコメカミをおさえてから答えた。
「それは、私の息子の話でしょ。流石に果物やら紙やらを動物に変えるのは、私には無理よ」
「そうだっけ?それはともかく、そうなら教えてほしかったなりー。最近その姿しか見てなかったから、たまには別の姿も見たいなりよー」
 口をとがらせる浴衣の人物の言葉に対して答えることなく、まとめ髪の女性が表情と話題をもとに戻した。
「それはともかく、件の奥さんに対して過保護なくらい配慮していたから、月見野君からもらった音声も事実でしょうね」
「あー、うん。過保護だよねー、ひがみん」
 まとめ髪の女性の言葉に対して、浴衣の人物は再び納得するように2回頷いた。
「……まあ、私たちも大概過保護ではあるのだけどね」
 そう言ってまとめ髪の女性が視線を床に落とす。
「……まあ、いいんじゃないか?若人を時に優しく見守り、時に厳しく指導するのも年長者の務めだろ?」
 浴衣の人物もそれに続いて声を低くしてそう言うと、床に向かって口角を吊り上げただけの笑顔を床に向ける。
「なぁ?浦元?」
 二人の視線の先には、手足を縛られ轡を噛まされた浦元が怯えた表情で横たわっていた。全身をカタカタと震わせている様子から、怯えた表情が演技ではないことがはっきりと伝わる。
「10年前の時に言ったわよね?おとなしくしていれば、こちらからお前に手出しはしないであげるって」
 まとめ髪の女性が身を乗り出して、横たわる浦元に凄絶な笑みを向ける。
「ああ、あれってもう10年も前だったんだ。7、8年くらいだと思ってたよ」
 相変わらず口元だけで笑う浴衣の人物の言葉に、まとめ髪の女性があきれ顔で軽く嘆息を吐いて、そうよ、と呟いてから浦元を睨みつけた。そして、ゆっくりと罪状を告げる。
「部下に対する直接的な暴力、口止めのために行ったその家族に対する嫌がらせ」
 まとめ髪の女性が一呼吸置くと、浴衣の人物が口を開く。
「部下を追い詰めて良からぬ道に向かわせたこと……これについては、相手が悪かったな。あの子はお前が思っているよりも、したたかだったろ?何せ彼女と私も、最近まで真意を見抜けなかったくらいだから」
 その言葉に、まとめ髪の女性が渋い顔をして眉間をおさえる。
「その割には脆いのよね。10年かそこらでガタが来るくらいなら、最初からこっちに詳しい報告をしてくれれば良かったものを」
 その肩を浴衣の人物が宥めるように軽く叩いた。
「そう言ってやるなって。あれだけの頻度でえげつない恨み辛みを請け負っていたんだ、10年保ったならいい方だろ?それより前にも、過保護が高じて自主的に呪いを使ってたみたいだしな。それに、保たなくなった後にしでかしてしまった事に対しての後始末も、最初は一人でしようとしていたし。そう考えると、なかなか健気じゃないか。それに引き替え……」
 浴衣の人物が浦元の顔をのぞき込み、鋭い視線を向ける。
「お前はどうだ?悔い改める時間は充分与えてやったというのに、反省一つせず繭子に危害を加えようとしたあげく、それが上手くいかなくなった腹いせにあの子らに危害を加えるなんて、なぁ?」
 その口元からは既に笑みは消えていた。まとめ髪の女性は軽く嘆息を吐き、ガタガタと震え続ける浦元に憐みの視線を向けた。
「そんなに怯えるくらいなら、品行方正に生きていれば良かったのよ。でも、大丈夫よ。10年前にお仲間にしたことと同じことをするだけだから」
 まとめ髪の女性が、手入れの行き届いた爪をした手を伸ばして、身をかがめた。その手が近づくにつれ、浦元がくぐもった声を上げて首を必死に横に振る。
「そう言えば、前回の奴らは何にしたんだっけ?」
 浴衣の人物が腕を組みながらとぼけ気味に尋ねると、まとめ髪の女性は振り返ることなく、蜈蚣よ、と呟いて浦元の額を鷲掴みにした。その様子を見て、浴衣の人物が嘲笑を浦元に向ける。
「ああ、そうだった、そうだった。案外、床で丸まっている蜈蚣がお仲間だったかもしれないのにね……ってもう聞こえてないかな」
 浴衣の人物が言葉を告げ終わる頃には、浦元の姿は既に消えていた。その替わりに、いつの間にかまとめ髪の女性の掌の上で、小さなブドウ虫の幼虫が身をよじっていた。
「相変わらず、君の術は凄まじいね」
 感心したように浴衣の人物がそう言うと、まとめ髪の女性は小さくため息を吐いた。
「別に、仕組みさえ会得していれば、生き物を別の生き物に変えるくらい造作もないわよ」
「ふーん。そんな物なのか。ところで、コレどうするの?」
 掌をのぞき込みながらブドウ虫を指でつつく浴衣の人物の問いに、まとめ髪の女性はもう片方の手を顎に添えしばし思案した。そして何か思いついたらしくスカートのポケットからスマートフォンを取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。
「はーい。株式会社おみせやさんの社長ですけど、どなたですかー?」
 数コールの後、スマートフォンから可憐な声が聞こえてきた。
「お疲れ様です。管理部の信田しのだです」
 スマートフォンの向こうから小さく、うっ、といううめき声が響く。その反応に、まとめ髪の女性が眉間にしわを寄せた。
「なんですか、その嫌そうな反応は?」
「だってー!部長いつも叱るんだもん!」
 凄みを利かせたまとめ髪の女性の問いに、少女のような声が反論する。
「今日はちゃんとみんなに伝達して、正式に取得してる夏休みなんだから、別に部長に叱られるようなことしてないもん!」
「誰がいつ、叱るって言ったのよ。それよりも、ちょっとした報告と質問があるのだけど、いいかしら?」
 敬語をやめてそう尋ねるまとめ髪の女性に、社長もやや警戒心を説いて、なーに?、と告げた。
「まずは報告。例の新製品のテストは無事に終わったわ。少人数でのテストではあったけど、予期せぬ不具合は起こらなかったから、試験的な導入までくらいならできそうね」
「よかったー。じゃあ、ひがみんが復帰したら、営業部第三課のみんな総出で頑張ってもらわないとねー」
 期待に満ちた社長の言葉に、そうね、と呟いてから、まとめ髪の女性は話題を切り替えた。
「で、次は質問なんだけど、10年ちょっと前に、中途で入社した浦元ってやつのこと覚えてる?」
「あー!あの悪いやつだね!」
 単刀直入にそういう社長に、まとめ髪の女性が本日何度目か分からないため息を漏らす。
「そうよ。今更で悪いんだけど何故あいつを採用したの?私もアイツも反対していたはずだけど」
 まとめ髪の女性の問いに、やや間をおいてから社長が答えた。
「うーん。直感でね、アイツとなんかの形でけりを付けないといけない子が、うちに入ってくるような気がした……から?」
「なんで最後が疑問系なのよ……まあ、ならその件はもういいわ。ああ、それと、前に養殖ものじゃないブドウ虫が欲しいって言ってたわよね?ちょうど手に入ったから、あげるわ」
 その言葉に、スマートフォンの向こうから歓喜の声が上がる。
「えー!!ほんとー!?ありがとー!!部長、大好き!!」
 その声が浴衣の人物にも聞こえたらしく、ニヤニヤと笑みながらまとめ髪の女性の腕を肘でつつく。まとめ髪の女性は煩わしそうにその肘を払いのけると、平然とした口調で社長との通話を続けた。
「それはどうも。では、私の隣で暇そうにしている神出鬼没の人事課長に持たせますので、その後はどうぞご自由に」
 その言葉に、浴衣の人物が驚愕の表情を浮かべる。しかし、電話の向こうにいる相手の表情が見えるはずもなく、社長は無邪気な声で、ありがとー、と喜んだ。
「じゃあ、西の渓流にある隠れ家で待ってるからね!楽しみだなー!そのまま使っちゃうか、品種改良の研究してもっと食いつきのいい釣り餌用の子を開発するか……あ、ねぇねぇ部長!?これ新しい製品に……」
 まとめ髪の女性は社長が言葉を言い終わる前に、通話を切った。彼女の隣では、浴衣の人物が頬を膨らませている。
「部長、酷いなりよー。折角、大好き!愛してる!、って言われたんだから自分で行けばいいなり」
「社長の声を真似て妙な台詞を吐かないの!私はまだ他の業務があるんだから、夏休み中のアンタが行ってきなさい!」
 浴衣の人物が、へいへい、といいながらブドウ虫を受け取ろうと手を差し出すと、まとめ髪の女性は一瞬だけ躊躇するようにソレを見つめた。その後、すぐにブドウ虫を預けたが、浴衣の人物はその様子を見逃さなかった。
「……情でも移ったなりか?」
「違うわよ!……ただ、日神もいつかまた同じ事を繰り返すようなら、こういう目に遭わせないといけないのかしらね」
 まとめ髪の女性は、無表情ではあるが口調はどこか悲しげにそう零した。浴衣の人物はその様子を見て、彼女の頭を軽くなでてから穏やかに微笑んだ。
「君もなんだかんだで優しいから、心配なのは分かるよ。まあでも、今のひがみんと、これからのひがみんなら、その心配は少ないと思うよ」
 その言葉に、まとめ髪の女性は、きっとそうね、と呟いて穏やかに微笑んだ。
 その表情に浴衣の人物が軽く頬を染めたことに気づかないふりをして、まとめ髪の女性は手を振りながら振り返ることなく部屋を出て行った。
 部屋に残された浴衣の人物は気まずそうに頬を掻いた後袂から手ぬぐいを取り出し、ブドウ虫を包んでまた袂にしまった。そして、カラコロと下駄を数回鳴らして、部屋から消えていった。
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