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渡る世間には鬼がどうこうして云々みたいな
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その後、リツはソウを仮の自室へと案内し、詰所での過ごし方や書類仕事を教えることになった。
「……で、最後の行に署名したら私のところに持ってきて」
「はい! 姉様!」
「分からないところがあったら、すぐに聞きにくるのよ」
「かしこまりました!」
説明用の書類を載せた文机をはさみ、朗らかかな返事が戻ってくる。どうやら仕事内容や生活に主だった不服はないようだ。
それに、今なら折り合いが悪い相手もいない。
「それと、セツ班長が処方した薬はちゃんと飲むこと」
「……」
文机に薬袋を置いたとたん、朗らかだった表情は俄かに曇っていった。おのずと深いため息がこぼれる。
「かなで、苦い薬がいやなのは分かるけど、体調が悪くなって苦しむのもいやでしょう?」
「……そう、かもしれませんが」
「それとも、薬が身体に合わなかったりするの? それなら、セツ班長に相談して別の薬にできないか聞いてみるけど」
「……いえ、大丈夫です」
返事とは裏腹に表情は曇ったままだ。この様子だと、飲んだ、と報告だけして中身を捨ててしまう可能性も捨てきれない。
「じゃあ、薬をちゃんと飲めたらなにか物語を読んであげるから」
一緒に暮らしていたころのようにあやしてみると、向かい合った顔はみるみるうちに頬を膨らませた。
「もう、姉様ってば! 私をいくつだと思っているのですか!」
その表情は幼い頃から何も変わらないように見え、思わず顔がほころんでしまう。
「笑わないでくださいませ!」
「あはは、ごめんごめん」
「もう……。でも、薬をちゃんと飲みますから、ときには眠れるまで一緒にいてくださると嬉しいです。昔、熱病にかかったときと同じように」
おずおずと繰り出された言葉に幼い頃の記憶が甦った。その時は不安げに自分を呼び続ける妹の手をずっと握っていた。
きっと苦い薬を嫌がるという子供のような振る舞いの原因も、飛び出してきたとはいえ慣れない場所へ来た不安にあるのかもしれない。
「うん、わかった。だから、ちゃんと飲むのよ」
「ありがとうございます! 姉様!!」
「こらこら、抱きつかないの」
文机越しに背に回された袖から、ほのかに渋みを帯びた甘い香が漂った。一緒に暮らしていた頃よりずっと大人びた香だ。それゆえに。
「ふふふ! では、絶対に義兄様よりも姉様のお役に立ちますから、どうぞご期待なさってください!!」
子供じみた対抗意識との間に大きな落差を感じる。
「……ほどほどに期待してる」
「ええ! 尽力いたします!!」
きっと背伸びをしたい年頃なのだろう。そう思いながら、リツは本日何度目かも分からないため息を吐いた。
※※※
それからというもの、第七支部第一班では……
「ソウ。この報告書文字が少し曲がってるんだけど、何があったのかな?」
「セツ班長、そのくらいは大目に見ても問題ないかと──」
「あら、そんな些細なことにお気づきになられるなんて、セツ班長の観察眼はすばらしいのですね!!」
「──ソウも、煽り返さないの」
書類の細かすぎる不備にまつわるイザコザが発生したり……
「あらセツ班長。そんなにお怪我をなさるなんて! 小型のあやかしの駆除とはとても恐ろしく危険な任務なのですね!!」
「ソウ、このくらいのかすり傷はどんな任務でも──」
「ああ、そうなんだよ。昨日、どこかの新入りが報告書に大間違いをしてくれたおかげで久しぶりにかなりの寝不足だから、回避が遅れてしまってね!」
「──セツ班長も、部下の失敗を声高らかに責めないでください」
退治任務で負った怪我でのイザコザが発生したり……
「ソウ、そろそろ自分の部屋に戻ったら? それとも、仲睦まじい夫婦の仲を邪魔するのが楽しくて仕方ないのかな?」
「セツ班長、今は口より先に手を動かして書類を終わらせてくだ──」
「セツ班長こそ、お疲れのようですし休まれてはいかがですか? まさか、仲睦まじい姉妹の仲に割って入るなんて悪辣な趣味をお持ちではないでしょう?」
「──ソウも、いちいち応戦しないの。というか、二人とも喧嘩をするくらいなら私の部屋じゃなく、自分の部屋で作業してください」
作業後の時間を誰と誰で過ごすかでイザコザしたり……
「こんなところに埃が残ってるけど、今日の掃除担当は誰だっけかな?」
「こんなに独創的な味を人に出せるなんて、本日の食事当番様は素晴らしく肝が据わっていらっしゃるのですね!!」
「書き損じの紙と墨の費用は──」
「こんなに期日が近づくまで書類に手をつけられていないなんて──」
「武具の手入れが──」
「装束のほつれが──」
「ああ、もう!! 嫁姑問題なら他所でやってください!!」
……イザコザに巻き込まれたリツが声を荒らげたりする事態が頻発していた。
本日も報告書の最後の一文字が若干にじんでいたというイザコザが起きたばかりだ。
「え、えと、なにか、お手伝いした、ほうが、いいです、か?」
「そうだな……、あれなら報告書の確認とか武具の手入れの確認とかは……、俺とメイでやっておくから……、副班長は気晴らしに行ってくるといい……」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
助け舟を出すメイとハクにも、力ない笑みを返すのが精一杯の有様だ。
「今日はもうイザコザが一段落したので」
「そうです、か。でも、何かあったら、すぐに、手伝います、から」
「ああ……、遠慮なく頼ってくれ……」
「ありがとうございます。では、私は諸々の作業に入りますので、これで」
リツは二人に頭を下げると、夕陽の差し込む廊下を進んで自室へ戻った。文机の上には確認を待つ書類が積まれている。
「内容自体は問題なし」
独り言に続いて深いため息がこぼれた。
いくら内容に問題がなくても、少しでも文字の乱れがあればまたイザコザに発展する。
「……」
あやかしを見つけるのと同じくらいの労力を使いながら書類を眺めていると、一箇所だけ「はらい」が「とめ」になっている文字を見つけた。
そこまで長い報告書ではないため、今からなら日が沈み切る前に書き直せるだろう。そう思いながら部屋を後にした。
わけなのだが。
「姉様!?」
「……かなで、何をしているの?」
「これは、その、違うんです」
薄暗い部屋のなか、ソウが薬の包みを解き、中身を香炉の灰の中へと捨てている。
あたりにはかすかに渋みのある甘い香が漂っていた。
「……で、最後の行に署名したら私のところに持ってきて」
「はい! 姉様!」
「分からないところがあったら、すぐに聞きにくるのよ」
「かしこまりました!」
説明用の書類を載せた文机をはさみ、朗らかかな返事が戻ってくる。どうやら仕事内容や生活に主だった不服はないようだ。
それに、今なら折り合いが悪い相手もいない。
「それと、セツ班長が処方した薬はちゃんと飲むこと」
「……」
文机に薬袋を置いたとたん、朗らかだった表情は俄かに曇っていった。おのずと深いため息がこぼれる。
「かなで、苦い薬がいやなのは分かるけど、体調が悪くなって苦しむのもいやでしょう?」
「……そう、かもしれませんが」
「それとも、薬が身体に合わなかったりするの? それなら、セツ班長に相談して別の薬にできないか聞いてみるけど」
「……いえ、大丈夫です」
返事とは裏腹に表情は曇ったままだ。この様子だと、飲んだ、と報告だけして中身を捨ててしまう可能性も捨てきれない。
「じゃあ、薬をちゃんと飲めたらなにか物語を読んであげるから」
一緒に暮らしていたころのようにあやしてみると、向かい合った顔はみるみるうちに頬を膨らませた。
「もう、姉様ってば! 私をいくつだと思っているのですか!」
その表情は幼い頃から何も変わらないように見え、思わず顔がほころんでしまう。
「笑わないでくださいませ!」
「あはは、ごめんごめん」
「もう……。でも、薬をちゃんと飲みますから、ときには眠れるまで一緒にいてくださると嬉しいです。昔、熱病にかかったときと同じように」
おずおずと繰り出された言葉に幼い頃の記憶が甦った。その時は不安げに自分を呼び続ける妹の手をずっと握っていた。
きっと苦い薬を嫌がるという子供のような振る舞いの原因も、飛び出してきたとはいえ慣れない場所へ来た不安にあるのかもしれない。
「うん、わかった。だから、ちゃんと飲むのよ」
「ありがとうございます! 姉様!!」
「こらこら、抱きつかないの」
文机越しに背に回された袖から、ほのかに渋みを帯びた甘い香が漂った。一緒に暮らしていた頃よりずっと大人びた香だ。それゆえに。
「ふふふ! では、絶対に義兄様よりも姉様のお役に立ちますから、どうぞご期待なさってください!!」
子供じみた対抗意識との間に大きな落差を感じる。
「……ほどほどに期待してる」
「ええ! 尽力いたします!!」
きっと背伸びをしたい年頃なのだろう。そう思いながら、リツは本日何度目かも分からないため息を吐いた。
※※※
それからというもの、第七支部第一班では……
「ソウ。この報告書文字が少し曲がってるんだけど、何があったのかな?」
「セツ班長、そのくらいは大目に見ても問題ないかと──」
「あら、そんな些細なことにお気づきになられるなんて、セツ班長の観察眼はすばらしいのですね!!」
「──ソウも、煽り返さないの」
書類の細かすぎる不備にまつわるイザコザが発生したり……
「あらセツ班長。そんなにお怪我をなさるなんて! 小型のあやかしの駆除とはとても恐ろしく危険な任務なのですね!!」
「ソウ、このくらいのかすり傷はどんな任務でも──」
「ああ、そうなんだよ。昨日、どこかの新入りが報告書に大間違いをしてくれたおかげで久しぶりにかなりの寝不足だから、回避が遅れてしまってね!」
「──セツ班長も、部下の失敗を声高らかに責めないでください」
退治任務で負った怪我でのイザコザが発生したり……
「ソウ、そろそろ自分の部屋に戻ったら? それとも、仲睦まじい夫婦の仲を邪魔するのが楽しくて仕方ないのかな?」
「セツ班長、今は口より先に手を動かして書類を終わらせてくだ──」
「セツ班長こそ、お疲れのようですし休まれてはいかがですか? まさか、仲睦まじい姉妹の仲に割って入るなんて悪辣な趣味をお持ちではないでしょう?」
「──ソウも、いちいち応戦しないの。というか、二人とも喧嘩をするくらいなら私の部屋じゃなく、自分の部屋で作業してください」
作業後の時間を誰と誰で過ごすかでイザコザしたり……
「こんなところに埃が残ってるけど、今日の掃除担当は誰だっけかな?」
「こんなに独創的な味を人に出せるなんて、本日の食事当番様は素晴らしく肝が据わっていらっしゃるのですね!!」
「書き損じの紙と墨の費用は──」
「こんなに期日が近づくまで書類に手をつけられていないなんて──」
「武具の手入れが──」
「装束のほつれが──」
「ああ、もう!! 嫁姑問題なら他所でやってください!!」
……イザコザに巻き込まれたリツが声を荒らげたりする事態が頻発していた。
本日も報告書の最後の一文字が若干にじんでいたというイザコザが起きたばかりだ。
「え、えと、なにか、お手伝いした、ほうが、いいです、か?」
「そうだな……、あれなら報告書の確認とか武具の手入れの確認とかは……、俺とメイでやっておくから……、副班長は気晴らしに行ってくるといい……」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
助け舟を出すメイとハクにも、力ない笑みを返すのが精一杯の有様だ。
「今日はもうイザコザが一段落したので」
「そうです、か。でも、何かあったら、すぐに、手伝います、から」
「ああ……、遠慮なく頼ってくれ……」
「ありがとうございます。では、私は諸々の作業に入りますので、これで」
リツは二人に頭を下げると、夕陽の差し込む廊下を進んで自室へ戻った。文机の上には確認を待つ書類が積まれている。
「内容自体は問題なし」
独り言に続いて深いため息がこぼれた。
いくら内容に問題がなくても、少しでも文字の乱れがあればまたイザコザに発展する。
「……」
あやかしを見つけるのと同じくらいの労力を使いながら書類を眺めていると、一箇所だけ「はらい」が「とめ」になっている文字を見つけた。
そこまで長い報告書ではないため、今からなら日が沈み切る前に書き直せるだろう。そう思いながら部屋を後にした。
わけなのだが。
「姉様!?」
「……かなで、何をしているの?」
「これは、その、違うんです」
薄暗い部屋のなか、ソウが薬の包みを解き、中身を香炉の灰の中へと捨てている。
あたりにはかすかに渋みのある甘い香が漂っていた。
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