イセカイ召命譚

すいせーむし

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序章 異世界召喚

八話 一歩

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 目覚めの瞬間、見知らぬ天井に違和感を覚える。そこは記憶にない静かな部屋だった。

「う……ん? ……どこだ、ここ?」

 俺は眠気眼を擦り、部屋を見渡す。
 壁は白く塗られ、窓際には陽光をやわらかく受ける薄いカーテン。木製の棚には整然と並んだ薬瓶や包帯、乾燥させた薬草の束。

 ベッドは俺の他にも二つ並んでおり、誰も使っていない様子だった。簡素だが清潔で、落ち着いた雰囲気が漂っている。
 どうやら、ここは医務室らしい。
 そして、疑問が湧く。

 ……俺、なんでこんなところにいるんだ?
 
 静けさの中、記憶の糸を手繰るように俺は頭を巡らせる。
 確か、"カーリスの家"を飛び出したリオを追って、森に入ったらゴブリン達に襲われている彼を見つけたから、逃して、俺が囮になって……。

「そっか、俺……生きてたんだな」

 俺は安堵する。

 きっと、ソフィアが助けてくれて、カーリスの家まで連れ戻してくれたのだろう。
 曖昧だが、意識を失う直前に、俺はソフィアの姿を見た。
 俺の弱さが見せた幻覚かとも思ったが、どうやらそれは違うらしい。

 俺の作戦は成功していた。

 打ち上げた閃光玉。
 あれは俺がゴブリンに攻撃を入れる隙を作るためのものでもあったのだが、それ以上に自身の位置をソフィアや他の誰かに伝えるという意図があった。
 今、俺が生きていることを考えると、事は俺の思惑通りに動いたと言っていいだろう。
 そこまで考えて、はっとする。

「そうだ! リオは……! って、痛っ……!?」

 背中の辺りに激痛が走った。
 きっと、ゴブリンにやられた傷だ。俺は自身の身体に目を向ける。

 ぐるぐる巻きの包帯。血はにじんでいたが、すでに応急処置は施されているようだった。あの薬草の匂いが微かに鼻をつく。動かさなければ、痛みもそれほどではない。
 きっと、デルタさんあたりが処置をしてくれたのだろう。

 ベッドの脇には、水差しとコップ、それに果物らしきものが置かれていた。折りたたまれた濡れた布も、まだ少し湿っている。誰かが熱を測ったり、汗を拭いたりしてくれたのだろう。

 ……看病、してくれてたんだな。

 誰の手かはわからない。だが、その気配は部屋に残っていて胸が温かくなった。

 俺は静かに息を吐く。だが、安堵している暇はない。リオが無事かどうか、それを確かめなければ。

 ゆっくりと身体を起こし、ベッドから足を下ろす。床に触れる足の裏に、ひんやりとした感触が広がった。

「……行くか」

 ふらつく足をなんとか踏ん張り、俺は脚に力を込めて立ち上がろうとした、そのとき。
 部屋の扉が静かにゆっくりと開いた。
 俺の視線は自然にそちらへと向く。
 扉の向こう側から現れたのは……頭部に包帯を巻いた少年の姿だった。

 俺と彼の視線が交差する。

「あ……」

 彼は小さく声を漏らして「バタン」と音を立てて扉を閉める。

「ちょ、ちょっと待って!」

 俺はそんな声を上げて、彼を追いかけた。

          ◇

 本気で逃げようという意図はなかったのだろう。彼はそれほど早くはない足取りで俺のいた部屋から離れようとしていた。
 だから、あの時とは違いすぐに彼に追いつくことができた。

「……リオ!」

 名前を呼ぶと、彼はぴたりと足を止めた。

 無言のまま向き直ると、まるで観念したかのように、わずかに肩を落とす。その様子に俺は小さく安堵しながら、彼の肩をそっと押してもう一度医務室へと連れ戻した。

 俺とリオは、部屋にあった椅子に腰を下ろす。それから、気まずい時間が流れた。
 このままではいけないと、俺は口を開く。

「えーっと……とりあえず、無事でよかったよ」

 俺の言葉にリオは俯いたまま、ぴくりとも動かない。
 無音がむず痒い。
 何か言わなきゃと思えば思うほど、喉が詰まったように言葉が出てこなかった。

 時間にすれば、ほんの数秒。けれど、やけに長く感じられたその静寂をリオの声が切り裂いた。

「あの……」

 ぽつりと落とされたその一言に、俺は咄嗟に返事ができなかった。
 そんな、掠れた声すら吐き出せない俺にリオは続けた。

「アンタ……いや、レン……さん。その……身体は大丈夫なのかよ」

「え?」

 思いがけない問いだった。

 呆気に取られて視線を落とすと、リオの右手に握られている湿ったタオルが目に入った。それは俺の額に乗せられていたものと同じように思える。

 ——もしかして、リオが?

 気づいた瞬間、胸の奥が熱くなる。
 今すぐにでも感謝の言葉を口にしたい。しかし、リオがそれを拒絶するのはなんとなく理解できた。
 だから、俺は簡単に言葉を返す。

「うん、大丈夫。絶好調だよ」

 本当は嘘だ。俺の身体はボロボロで、立ち上がるのすらしんどい。
 だから、これはただの痩せ我慢だ。看病をしてくれた彼に、見栄を張りたくてこんな言葉を口にした。

 嘘が嫌いと言っていたリオがそれに気づいていたのかは分からない。ただ、「そっか」とだけ口にして、部屋は再び沈黙に包まれた。
 しかし、先程とは違いこの沈黙は気まずさを感じさせない。

 そして、リオが再び口を開いた。

「……なぁ」

「何?」

「……なんで、おれを助けたんだ?」

 それはか細い声で紡がれた言葉。彼の中で何かが揺らいでいるようであった。

 俺はリオの顔を見つめる。
 視線を交わすのが怖いのか、それとも何かを押し殺しているのか、彼の目は俺を見ようとしない。そして、そのまま彼は続ける。

「おれはアンタのことを魔物の使い呼ばわりして、ここから追い出そうとしたんだ。嫌なヤツだったろ?」

「そんなヤツを死ぬような目に遭ってまで、なんで、助けた?」

 彼がそう口にしたとき、やっと目が合った。その真剣な眼差しに、今度は俺が目を逸らしたくなる。

「答えてくれよ。話は後ってあの時言ってたよな」

 リオは俺のことを逃してはくれない。
 俺はゆっくりと息を吐いた。

「……分かったよ。説明する」

 そうして、喉の奥に詰まった言葉を掘り起こすようにして、言葉を紡ぐ。

「理由といった理由はないんだよ。気づいたら走ってた」

 リオは小さく目を見開いた。何かを期待していたのか、それとも拍子抜けしたのか、反応が読めない。
 そんな彼を横目に俺は続ける。

「ただね。強いて言うなら、リオ。君の理性を奪った俺が、無茶をしないわけにはいかないって……思ったんだ」

 エドさんにも伝えた言葉。それは、自身の行動を顧みて得た結論だ。
 それを俺が口にした時、リオの肩がわずかに揺れる。

「……」

 何も言わず、ただその場に立ち尽くす彼を俺は正面から見据えた。
 また、目線が合わなくなる。彼の中で、俺の言葉は納得できないものだったのだろうか。
 
「ずるいな」

 ふと、そんな声が耳に届いた。

「え?」

「アンタはずるいよ。レンさん」

 その声色には、怒りも棘もない。ただ、どこか戸惑ったような......いや、諦めに近い響きがあった。

「おれはもう、人は打算でしか動かないと思ってるんだ。それなのに、アンタみたいな人がいるって分かっちゃったら……もう、どうしようもないだろ」

 やがて、リオは顔を上げる。そして、こう言葉を漏らした。

「——もしも、あの村にアンタみたいな奴が居たら、おれの価値観も人生も、もっと違ってたのかもしれないな」

 言い終えたリオは、しばらく口を噤んだまま、視線を宙に漂わせていた。
 俺も言葉を挟まず、ただ静かにその沈黙を受け入れる。

 そして、ぽつりと——その言葉はこぼれ落ちた。

「……もう、知ってるかもしれないけどさ」

 リオがゆっくりと、けれど確かに言葉を紡いだ。

「俺の家族は"人"に騙されて"魔物"に殺されたんだ」

 その言葉から感じられるのは怒りでも悲しみでもない。
 まるで既に燃え尽きた灰を擦るように、静かで淡々としていた。その上で、諦めや絶望の色が滲む。

「昔、おれたち家族は貧しくて……それでも、支え合って暮らしてた。裕福じゃなかったけど、毎日はちゃんとあった」

 言葉を選ぶように、一つひとつ、ゆっくりと語られていく。

「でも、金を生まないおれ達は村じゃずっと嫌われ者だった」

 リオは短く息を吸い込むと、口調を少し低く落とした。

「……ある日、村に魔物が出た。人が何人か襲われて、村中が恐慌状態になった」

「村の奴らは、それをなんとかしようとして、こっそりおれ達を贄として魔物に差し出した」

 リオの拳が膝の上で震える。

「そして、魔物に無理やり差し出された家族は殺された。そして、おれだけは……デルタさんに助けられた」

 声が掠れる。

「……何も残らなかった。家も、思い出も。全部、埋もれちまった」

 彼は苦笑を浮かべた。

「それ以来、おれは人を信じないって決めたんだ。人間は都合のいい時だけ寄ってきて、不要になれば切り捨てる。弱いものを踏みつけにして、自分だけ生き残ろうとする。そういうもんだって……ずっと、思ってた」

そして、リオは視線を上げて俺を見つめた。

「でもさ……アンタみたいなやつを、見ちまったから」

 目が合う。その瞳は揺れていた。戸惑いと、葛藤と、わずかな期待。

「おれなんかのために、命を賭けて……打算なんて少しも感じさせない奴が、ほんとにいるなんて……思ってなかったんだよ」

 そして、リオは立ち上がり、一拍置いて呟いた。

「——リオ・クレティス」

「え?」

 俺は思わず問い返す。そんな俺に、リオは少しばつの悪そうな顔をした。

「……それが、おれの本当の名前だよ」

「デルタさんにも、ソフィアにも……今まで誰にも言ってなかった。でも……今だけは、言ってもいい気がした」

 その言葉には迷いと勇気の両方が混じっていた。
 きっと、彼にとってそれは過去を掘り返すような行為だったのだろう。けれど、それでも口にしてくれた。俺に、自分の"本当"を。

「そっか、リオ・クレティス……うん、素敵な名前だね。教えてくれてありがとう」

 心からそう返すと、リオはほんのわずかに顔を背けて、鼻を鳴らした。

「……勘違いするなよ。まだ、アンタを信用したわけじゃない。たぶん、これからも何度も疑うし、何度も試す」

「でも……」

 少し間を置いて、リオが俺をまっすぐに見た。

「……今だけは、ちゃんと礼を言わせてくれ。——助けてくれて、ありがとう」

 その言葉は短く、とても重たかった。

 今まで一度も信じてこなかった"人"という存在に対して。
 今まで誰にも教えなかった"名前"という大切なものを差し出して。
 そして今、彼は"ありがとう"を口にした。

 それは、きっと彼なりの"第一歩"だった。

 俺はそれを、しっかりと受け止める。

「うん。こちらこそ、生きててくれてありがとう」

 そう言うと、リオはふっと目を伏せた。そして、どこか照れ隠しのように背中を向けた。

 言葉の余韻が、部屋を満たす。
 それを邪魔する者は、誰もいなかった。

        ◇

 お互いに、それ以上言葉を交わすことなく、ただ時間だけがゆっくりと過ぎていった。

「コン、コン」

 そんな穏やかな空気を破ったのは、控えめなノックの音だった。

 俺とリオは、ほぼ同時にそちらに目を向けた。
 まるで、タイミングを見計らっていたかのような絶妙な間だった。

「どうぞ」

 俺が促すと、ゆっくりと扉が開く。
 そこに立っていたのはソフィアだった。

「レン、目が覚めたんだね! それに、リオも!」

 ソフィアは俺の方へと駆け寄ってくる。

「うん。おかげさまで無事だったよ。ソフィア、本当にありがとう」

「ううん! 二人とも無事で本当に良かったよ」

 ソフィアはそう言って、笑みを浮かべる。
 ソフィアの言葉と笑顔に、俺は少し照れながらも微笑みを返す。
 その横で、リオもどこか気まずそうに視線を逸らしている……が、心なしかその頬にはほんのわずかに紅が差しているように見えた。

 そして。

「……ん?」

 ふと、俺は気づく。

 ソフィアの後ろ、少し開いた扉の影に、ふたつの小さな影が重なるように隠れていた。

 チラリと顔を覗かせた瞬間、二人の顔が目に入る。

 ——リオが助けた子ども達だ。

 あの時は必死で気づかなかったが、彼女達の見た目に俺は衝撃を受ける。
 ……双子だろうか。まるで鏡写しのように似た顔立ちに、同じ髪型。違うのは、片方が緑の髪に翠眼、もう一方が紫髪に紫色の瞳なことくらい。それ以外はまるでコピーでもしたように瓜二つだった。

 俺が視線を向けると、双子はびくりと肩を震わせ、身をすくめる。そこにあるのは怯えではなかった。

 ただ、どこか後ろめたそうに俺とリオの顔を交互に見ている。

 彼らの視線の先は、俺の包帯とリオの頭に巻かれた白い布だった。

 双子は一歩も前に出ようとしない。
 まるで、自分達にはその資格がないとでも思っているかのようである。

 ああ……そういうことか。

 俺は彼女らの心境を理解する。その瞬間、ソフィアがくるりと振り返って口を開いた。

「……あのね。あの子達、ずっと気にしてたの」

 彼女は双子の方へと目を向ける。

「リオもレンも、大怪我をしてまで助けてくれたって聞いて……それなのに、自分たちは怖くて、何もできなかったって……」

 そう言ってから、ソフィアは扉の方へと戻っていき、そっと膝をついて双子と目線を合わせた。

「"ミリナ"、"シイナ"。ちゃんと気持ちを伝えるのって、とっても大事なことなんだよ」

 ミリナ、シイナと呼ばれた双子の少女たちはしばらくの間、言葉を探すように顔を見合わせていた。
 その小さな手がぎゅっと握られる。
 やがて、一歩、また一歩とためらいがちに俺達の方へと歩みを進めた。

 その姿にリオがほんの少しだけ背筋を伸ばしたのが目に入る。
 そして、二人は俺たちの目の前で立ち止まると、深々と頭を下げた。

「……ごめんなさい!」

 震える声が重なる。息を合わせたように、ふたり同時に。

「こわくて……何もできなくて……! レンさんも、リオさんも、すごく痛い思いをしたのに……!」

 涙を浮かべながら、緑髪の少女が言った。

「私達が夜こっそり家を抜け出したばっかりに……!」

 続けて、紫髪の少女も口を開く。

「もう死んじゃうかと思った!」
「もう、お父さんにもお母さんにも会えないのかと思った!」

 二人は涙を浮かべながら、あの時感じた恐怖を口々に漏らす。
 そして、一言。

「ありがとう!」

 その言葉にリオは顔を背けた。たぶん、彼なりに何かが込み上げたのだろう。
 彼を横目に俺はそっと微笑んで二人に言葉を返した。

「こちらこそ、無事でいてくれてありがとう」

 そう言って、俺は二人の頭にそっと手を伸ばし、軽く撫でる。ミリナもシイナも、びくっとしたけれど、やがて安心したように目を閉じた。

 そして、リオが小さく口を開く。

「おれは何も出来なかったけど……お前たちが無事だったんなら、それでいい」

 その言葉に、ソフィアが「む」と反応する。そうして、何かを言おうとした時、双子がぶんぶんと首を振って反論した。

「そんなことないもん!」
「助けてくれたもん!」

 ミリナとシイナが声を張り上げる。小さな胸に宿った想いはまっすぐで濁りがなかった。

 その言葉に、リオは目をまん丸に見開いて、それから苦笑した。

「……そっか。なら……よかった」

 どこか照れくさそうに頭を掻くリオ。
 それを見るソフィアの表情は今まで見たどの顔よりも優しさで溢れていた。
 そして「ぱん」と一回、手を叩く。

「じゃあ、ミリナ、シイナ。お礼も言えたし、お母さん達のところに戻ろっか。きっと心配してるからね!」

 ソフィアの言葉に双子はこくこくと頷いた。

「じゃあ、バイバイ! リオさん、レンさん!」

 二人は手を振って、笑顔を見せながら医務室を後にした。

         ◇

「さて、と」

 双子を見送った後、ソフィアが医務室の椅子に腰を下ろし、こちらを見た。

 その目はにこにこしていたけれど、どこか光の奥が怖い。

 なんというか……嵐の前の静けさ、ってやつだ。

「ふたりとも、ちょっとそこに座って?」

 俺とリオは条件反射のように姿勢を正して、ベッドの端に並んで腰を下ろす。妙に空気が張り詰めた気がした。

「……ねぇ、リオ」

 ソフィアはまず、リオの方に顔を向ける。

「は、はい」

「……リオの過去のことは、デルタさんから聞いたから少しは知ってるつもり。だから、人を信じられない理由も分かる」

「……」

「でも、ひとりで抱え込まない!」

 押し黙るリオにソフィアの放った言葉は、鋭く温かいものだった。

「一人じゃできないことだって世の中には沢山ある。それがリオのやりたいことだったとき、今回みたいに誰かと一緒に頑張らなきゃ行けないの」

 リオは目を見開いて、ソフィアを見つめる。

「全部信じろなんて言わない。怪しむことだって大事だってデルタさんも言ってた。……それでも」

 ソフィアは一拍、言葉を区切ってから少しだけ声のトーンを落とす。

「それでもね、リオ。助けてもらったらありがとうってちゃんと伝える。悲しい時には悲しいって言っていい。苦しいなら助けてって声を出していいの」

 その言葉はまるで、幼い弟に向けるようなやさしさと、姉のような厳しさを孕んでいた。

「強いってね、ひとりで生きることじゃないんだよ。誰かと支え合って生きていくことを選べる……それが、本当の強さだと私は思うな」

「……」

 彼は頷かない。しかし、否定するわけでもなかった。
 そんな彼を見て、ソフィアは微笑む。

 きっと、彼は前進しているのだ。少しずつ、確かに。

「あと、レン!」

「えっ? あ、はい!」

 不意に名前を呼ばれて、俺は咄嗟に顔を上げた。
 ソフィアの声色は明るく柔らかい……のに、なぜか背筋がぴしりと伸びる。

「……リオのことも、子ども達のことも、助けてくれて本当にありがとう。すごく、感謝してるの」

「う、うん。どういたしまして」

 そう言う俺にソフィアは一歩、近づいてくる。
 その顔には笑顔が浮かんでいる。しかし、その表情は感謝以外の何かを孕んでいた。

「……でも、だからこそ、すっごく怒ってるんだよ?」

「え?」

 にこにこと笑いながら、ソフィアは俺の額を「ぺちん」と軽く叩いた。

「痛っ!?」

「もうっ、なんであんな無茶したの! 一人で囮になって、命を賭けて……!」

 彼女の声が震え始める。

「怖かったんだよ……? レン、死んじゃうんじゃないかって……!」

 彼女の言葉に、息を飲んだ。
 俺はあの時、自分が死んでリオ達が助かるならそれでいいと思っていた。
 そりゃあ、死にたくなかったし、カーリスの家のみんなには多少嫌な思いをさせるとも考えていたけれど、俺のことをここまで大切に想ってくれていたとは……正直意外だった。

「……ごめん。心配してくれて、ありがとう」

「うん……もう、無理はしないでね」

 ぽつりと、弱々しい声。

 彼女はそっと袖で目元を拭うと、顔を背ける。声は少しだけ震えていた。
 そして、「ふぅ」と小さく息を吐くと、ソフィアは顔を上げてぱっといつもの調子に戻った。

「……ま、私からはこれくらいにしておくね」

 「ぱん」と手を打ち鳴らし、声のトーンを一気に軽くする。

「でも、覚悟しておいてね? あとでデルタさんから、もっともーっと本気の説教が待ってるから!」

 にこり、と笑うソフィアの顔は優しさに満ちているのに、なぜか背筋が凍るような気配をまとっていた。

「うっ……マジか」

 俺は思わず顔をしかめる。

 横を見ると、リオも同じように気まずそうな表情を浮かべていた。

「……もしかして、おれも?」

「もちろん!」

 ソフィアは即答した。
 絶句する俺達。

「……なぁ、デルタさんって怒ったら怖い?」

 俺はリオにこっそりと耳打ちする。

「……いや、分からない。ただ、さっき……あのドワーフのおっさんが、デルタさんに説教されてたらしくて、めちゃくちゃ小さくなってるのは見た」

 ドワーフのおっさん……多分、エドさんの事だろう。あのいかつい彼が、小さくなるとは……いったいどんな説教が待っているのだろうか……?
 俺達は息を呑む。

「二人とも無茶したんだから、反省するところは反省してくださーい」

 ソフィアはそんなことを言って、ぷいっと顔をそらした。
 俺とリオは顔を見合わせ、そして同時に小さく肩を落とした。

「……覚悟、しておこうか」

「……うん」

 リオの返事はぶっきらぼうだったが、その声はどこか穏やかだった。

「……あ、それとね、レン」

 ふと、ソフィアが口を開く。その言葉に、なぜか一抹の不安を感じた俺は反射的に顔を上げる。

「ん?」

「しばらく、っていうか……最低でも、一ヶ月くらいはこの医務室から出ちゃダメだからね?」

「……え?」

 ソフィアはにこっと笑った。

 俺は理解が追いつかないまま、瞬きを数度繰り返した。

「いや、ちょっと待って。い、今、なんて……?」

「だから、一ヶ月はこの医務室で療養! 外出禁止! 絶対安静!」

「ま、待って! そんなにかかるの!? 俺、だいぶもう動けるし孤児院のことも手伝えるし——」

「ダメっ!」

 ピシャリと遮るように、ソフィアが指を突きつけてきた。

「レンは今、正真正銘の重傷患者なんだよ! そんな体で孤児院の手伝いなんてしたら、本当に倒れて動けなくなっちゃう!」

「ぐっ……」

 ……確かに。身体中、悲鳴をあげているのが分かる。
 ソフィアにあそこまで強く言われるってことは、俺の容態は本当に危ういラインだったんだろう。
 
 しかし、望んで来たわけじゃないとはいえ、異世界に来てからすぐ、一ヶ月も外に出れないというのは何というか……生殺しもいいところだ。
 
 だからと言って、首を横に振ることはできない。
 ぐぬぬ、と悩んでいるとソフィアが小さく笑う。

「その間はね、ちゃんと看病もするし……暇なら相手もするから。安心して寝てていいよ」

 彼女の言葉は優しさに溢れている。しかし、それはどこかしら"見張りも兼ねてますよ?"という圧も感じられた。

 俺は言葉を失い、天井を仰ぐ。

「……こりゃ、牢屋みたいなもんだな」

「医務室です!」

 即答。
 リオはそれを横で見ながら、鼻で笑っている。

「リオ……お前、他人事だと思って……」

「おれは医務室に缶詰じゃないからな。デルタさんからの多少の説教で済むならまだマシかも」

「ぐぬぬ……」

 もう、諦めるしかないか。

 こうして、異世界での一ヶ月入院生活が始まった。
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