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序章 異世界召喚
十一話 境界を越えて
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あれから、俺は自分を知るためにデルタさんやエドさんの手伝いなど出来ることを片っ端からやった。
薬草の整理に帳面の記録、料理の他、子ども達の勉強を見たりもした。
そうして、気づけたのは自分が人より多少器用だということくらい。
でも、十分だった。俺には特別な才能がない。それでも、目の前のことをこなしていくたびに確かに自分の中に積み上がるものがある気がしていた。
——そうしてまた、季節は巡る。
庭の木々に新芽がのぞき、小さな花が、まだ冷たい風の中で顔を覗かせているのが窓から確認できた。
その光景をぼんやりと眺めながら、俺は思う。
異世界に来てから、俺は長い時間をここで過ごした。
最初こそ、魔物に襲われたり、リオと色々あったりと大変だった異世界生活……。しかし、今ではそんな事もほとんどない。
その結果、気づけば元の世界に帰りたいと思うこともなくなり、この"カーリスの家"こそが俺の居場所なのだと思うようになっていた。
この心境の変化が良いことなのかは分からない……でも、悪くはない。そう思える自分が、今はいる。
そんなことをぼんやり考えていると、不意に名前を呼ばれた。
「ねぇ、レン」
振り返ると、そこにはソフィアがいた。柔らかな笑みを浮かべながらも、どこか寂しげな瞳をしている。
「ん、どうした?」
俺の問いかけに、彼女は少しだけ視線を落とす。
「そろそろ、私達……ここを出て行かなくちゃだね」
「……え?」
思考が一瞬、止まる。
「だって、もう私達18歳になるでしょ?成人したら自立する。それが"カーリスの家"のルールなの」
「あ、あぁ……そっか」
確かに最初の頃、誰かがそんな話をしていた。
でも、いざその時が迫っていると知らされると、何とも言えない寂しさが胸に込み上げてくる。
まるで、穏やかな日々が唐突に終わりを告げるような、そんな感覚だった。
「レンは、やりたいこと……もう決まった?」
「……いや、まだ分からないんだ」
「そっか」
ソフィアが静かに頷く。
「子ども達はみんな夢を持ってるのに、俺は……なんつーか、情けねぇよな」
リエルは冒険家になりたいと言っていた。
ルーチアは医者、フィナはシスター、クララは料理人。ラーファは研究者志望だ。
リオは「秘密」なんて言っていたけど、彼なりの目標があることは目に見えて分かった。
皆、自分の未来に向かって歩いている。それなのに、俺だけが足踏みしているようで、気が逸る。
「そんなことないよ!」
ソフィアが、少し強めの声で言った。
「この世界のこと、何も分からなかったのに、それでもレンはずっと頑張ってきた。前に進もうとしてた。……私は、それ、すごいことだと思うよ!」
その言葉に、胸の奥に少しだけ灯りがともる。
見えない暗がりの中にいたはずなのに、ソフィアの言葉は、まるで進むべき方角を指し示してくれるようだった。
「……ありがとう、ソフィア」
俺はそう口にして、少し考えてから逆に問い返す。
「ソフィアはどうするの?」
彼女は少しの沈黙のあと、まっすぐ前を見つめた。
「私は……"聖環機士団"に入りたいんだ」
迷いのない声だった。
"聖環機士団"。
本で読んだ。教団に使える騎士団のようなものであり、魔物の討伐や教団施設の防衛、民の救護などを行う由緒ある部隊だ。
入団を目指す者は多いが、そのほとんどが選抜試験で落とされるという。
彼女はそこを目指している。
「ずっと、夢だったのか?」
俺がそう訊ねると、ソフィアは小さく笑って、うなずいた。
「うん。……私ね、目標にしてる人がいるの」
「目標にしてる人?」
「うん。デルタさんだよ」
その名前を聞いて、俺は納得すぐに納得した。
「私、ずっと思ってたんだ。デルタさんみたいに、誰かを助けられる人になりたいって。誰にでも優しくて、でもちゃんと強くて……あの人がいてくれたから、私、ここで頑張ってこられた」
言葉を紡ぎながら、ソフィアの目がどこか遠くを見ていた。
「……だから、"聖環機士団"を?」
「うん。デルタさんが私達を助けてくれたみたいに、私も"聖環機士団"に入って、誰かを助けたいんだ」
ソフィアの声には、真っ直ぐな憧れが込められていた。
それが夢であり、誓いでもあるような響きだった。
そして、彼女はいたずらっぽく微笑む。
「それにね……デルタさん、昔“聖環機士団”に所属してたんじゃないかって話があるんだよ」
「……え、マジで?」
「うん。本当かどうか分からないけど、エドさんがこっそり言ってた。だから、"武機"の扱いにも長けていて、強いんじゃないかって」
そう噂を口にした彼女がふっと表情を引き締める。
「とにかく、“聖環機士団”に入るにはもっともっと強くならなきゃ!」
その目にまっすぐな決意が宿る。覚悟を固めるようにソフィアは一つ息をつき、言葉を続けた。
「それから、都"オートルティア"に行かなきゃだね!入団試験はそこで行われるから」
そう言って、ソフィアは真剣なまなざしでこちらを見つめた。
「ねぇ、レン。……まだ、やりたいことが決まってないならさ。一緒に"オートルティア"まで行ってみない?」
「え……?」
「もちろん、今の強くなったレンならこの世界でも十分、一人で生きていけると思うよ?でも……」
ソフィアは、少しだけ不安そうに笑う。
「私、一人はちょっと心細くて……。だから、少しのあいだでいいから、一緒に行けたら嬉しいなーって」
頼まれた、というより——誘われたといった感じだ。
これほど嬉しいことはない。迷う理由なんて、どこにもなかった。
「喜んで」
俺の返事を聞いた瞬間、ソフィアの顔がぱっと花開くように明るくなる。
「やった!ありがとう、レン!」
はにかむように笑うその顔を見て、俺の胸にもふっと温かいものが広がった。
旅立ちは今すぐ、というわけじゃない。けれど、その日は確実に近づいている。
きっと、別れは寂しくて、胸が締めつけられるような思いをするだろう。
それでも——。
その先に希望があると信じられるのは、隣で笑ってくれる彼女がいるからだ。
「ありがとう」
心の中でソフィアにそっと感謝を告げる。
そして俺は"カーリスの家"での日々の一瞬一瞬をしっかりと噛みしめることにした。
◇
時間というのは待ってくれない。俺達は着実に、"あの日"へと近づいていた。
「そろそろですね……」
夕食を終えて机の上を片付けている時、ふとデルタさんがそんな独り言を呟いた。
「え?何がですか?」
俺の問いに、デルタさんは一瞬こちらを見てから、ゆっくりと口を開いた。
「成人の儀ですよ。"カーリスの家"を巣立つ前に、みんなに課す最後の試練です」
「……試練?」
俺は皿を運んでいたソフィアの方に視線を移す。彼女は頷く。
「そういえば、言ってなかったったね。"カーリスの家"では、18歳になると旅立つっていうのは知ってると思うんだけど、その前に、本当に旅立てるのかの確認みたいなものがあるんだよ」
「確認、ですか」
「えぇ、確認です」
デルタさんは穏やかに頷いたが、その声には、どこか張りつめた空気が含まれていた。
いつもより少し真剣なその表情に、身体が自然と強張る。
俺には"武機"は扱えない。そんなやつにもその試練とやらは受けることが出来るのだろうか……?
そんな不安とは裏腹に、彼女の顔には柔らかい笑みがすぐに戻った。
「もっとも、さほど厳しいものではありませんよ。恐れるようなものではないはずです」
安心させるような口調に、少しだけ緊張が和らぐ。
そして、隣でソフィアが頷いた。
「今まで、"カーリスの家"から旅立った人たちも、みんなちゃんと乗り越えてるし!大丈夫だよ!」
その励ましの言葉に胸の奥が少しだけ軽くなる。きっと、自分にも出来る、と思いたかった。
しかし、試練の内容に次第では、やはり俺には荷が重いかもしれないという不安も心の片隅で静かに息を潜めていた。
「で、ええと……具体的には、何をするんですか?」
そう尋ねると、デルタさんはゆっくりと立ち上がり、手にしていたマグカップを静かにテーブルへ置いた。
「お二人には"試練の谷"に向かってもらいます」
「試練の谷……?」
「はい」
デルタさんは頷き、窓の外を見やる。その視線の先には、遠く霞む山々が薄く浮かんでいた。
「正式な名称は、"エルグラスの谷"。あの山の向こう側に広がる、緩やかな渓谷地帯のことです」
彼女はそう言うと、戸棚から一枚の紙を取り出して広げる。それは、ここら一帯の地図だった。
「ここが"ルミナ"。そして……ここに谷があります。往復で二日は見ておくべきでしょう」
デルタさんは地図上の印を辿る。
谷の位置は、山の向こうにあるらしく、地図上でも小さく描かれている。細く続く山道はくねくねと蛇のように伸びていて、俺は思わず眉をひそめた。地図で見る限りでも、簡単な道のりじゃなさそうだった。
「特別な魔物がいるわけでも、厳しい戦いが待っているわけでもありません。そこはご安心ください」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。けれど、ただの道のりというには、あまりに試練という言葉が重く響く。
「なるほど……それで、そこに行って何をすれば?」
俺が問いかけると、デルタさんはわずかに微笑んだ。
「宝箱の中身を持ち帰ってきてください」
「宝箱……」
どこか突拍子もないような言葉に、思わず聞き返してしまう。けれどデルタさんは、そのまま続けた。
「はい。です。谷に行けば、きっと分かりますよ」
そう言って、彼女はまたカップを手に取り、少しだけお茶をすする。
俺は思わず眉をひそめた。
「えっと……ヒントとか、ないんですか?」
「ふふ、ありません。ただ、心を開いて歩いてください。道すがら見えるもの、聞こえる音、感じる風……それがアナタたちを導いてくれるはずです」
まるで詩のような物言いだった。けれど、その表情は冗談ではない。本気だ。
ソフィアも、わずかに真顔になって頷いていた。どうやら、こういう"試練"なのだろう。
「……なるほど。分かったような、分からないような……」
俺がぼやくと、デルタさんはふっと笑う。
「大丈夫ですよ。アナタ達なら、きっと気づけます。"カーリスの家"での日々が、無駄じゃなかったと分かるはずですから」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。分からないことだらけでも、信じてみようと思えた。
「出発は一週間後です。それまでに必要な準備を整えておいてくださいね」
デルタさんはそう言って立ち上がると、部屋
を後にした。
夕暮れの残光がカーテン越しに差し込み、部屋の空気を少しだけ黄金色に染める。
その中で、俺とソフィアはしばらく黙って向かい合っていた。
「……レン」
先に口を開いたのは、ソフィアだった。
「うん?」
「怖いって……思ってる?」
「……正直、ちょっとな」
そう答えると、ソフィアはふっと微笑んだ。
「私も、だよ。でもね……なんか、楽しみでもあるんだ」
「楽しみ?」
「うん。だって、これってきっと、私達の冒険のはじまりなんだと思うから」
その言葉に、思わず笑みがこぼれた。
「……そうだな。俺も、逃げたくはない。怖いけど、やるしかないよな」
俺は拳をぎゅっと握る。
「頑張ろう!」
その言葉に、ソフィアが力強く頷く。
「うん!」
二人で手を合わせるように拳を突き出し、軽くぶつけ合った。
◇
翌日の昼下がり。
俺はリオと二人でエドさんの店を訪れていた。
「しっかしまぁ、もう、レンとソフィアは"成人の儀"かい!」
エドさんがそう声高らかに笑った。
どうやら、俺達の行う試練は"成人の儀"と呼ばれているらしい。
「おれはあと、3年か……」
リオがボソリと呟く。
「なんだ、リオ!オメェ、レンとソフィアと離れるのが寂しいのか!」
「ばっ!ちげぇよ!」
リオは顔を真っ赤にして、エドさんの言葉を否定する。
その反応を見て、エドさんは腹を抱えて笑った。
「ガハハ!照れるんじゃねぇよ、リオ!」
「だから違うってば!……ったく、ほんとにもう!」
ぷいっと横を向いたリオの耳は、ほんのり赤く染まっていた。
俺も思わず笑ってしまう。
「なんだよ!レンさんまで笑って!」
リオがむくれながら言う。
「悪い悪い。ただ……変わったよな、リオ」
「は?いきなりなんだよ」
「いや、昔はもっとトゲトゲしてたっていうかさ。誰にも心開かねぇし、すぐ突っかかってくるし」
「うっせぇな……そりゃ、最初はお前が怪しかったからだろ」
口を尖らせて視線をそらすリオの姿に、積み重ねてきた日々がふと重なる。
その成長を見届けてきた時間が、胸の奥にやわらかな温もりを滲ませていた。
「お前らほんと、兄弟みたいだなぁ」
カウンターの奥から、エドさんが茶化すように言った。
「兄弟じゃねぇよ!」
リオが即座に否定した。
顔を赤くして、少しむきになっている。
でも、その声の奥に、どこか照れ隠しみたいな優しさが混じっていた。
「まったく……誰がこんなヤツの弟だってんだ」
「はは、こんなヤツで悪かったな」
俺は苦笑して、軽く肩をすくめた。
でも、俺にとってリオはもうそういう存在だった。
血の繋がりなんかなくても、ここで過ごした時間が、それを越えていた。
いつの間にか、当たり前になっていた日々。
笑って、喧嘩して、また笑って——そんな日常が、もうすぐ終わる。
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
言葉にしなければ、溢れてしまいそうで。
「……俺は、寂しいよ」
ぽつりと呟いた。
リオは何も言わない。
もしかしたら、聞こえていなかったのかもしれない。
でも、返事の代わりに、ほんの少しだけ視線がこちらを向いた気がした。
「ゔぅんっ!」
その静寂を咳払いでエドさんが破る。
「で、ウチに来たってことは仕事か?それとも……」
「はい、試練で有用そうなものを買いにきました」
「おれは暇だったから、その付き添い」
エドさんは「なるほどな」と頷く。そして、顎に手をやりながら奥の棚へと目を向ける。
「試練に有用なものなぁ……」
「保存食と薬草、火打ち石も予備で。あとは……護身用に何かあればお願いしたいです」
リオが首を傾げる。
「ソフィアさんと一緒に行くんだろ?なら大丈夫だろ」
確かにソフィアは強い。彼女がいれば、大抵の魔物と対峙したとしてもなんとかなるという安心感があった。
しかし、有事に備える必要はあるだろう。俺は首を横に振った。
「いや、何があるか分からないからね。それに、ソフィアに頼ってばかりもいられないし」
「ふーん。まぁ、そっか」
リオは適当な相づちを打ちながら、棚の上の変な形の瓶をつついて遊んでいる。なんというか、楽観的な様子だ。
そして、その隣でエドさんが顎に手を当てて唸る。
「保存食、薬草、火打石は分かった。ただ、護身用の道具か……ううむ」
彼は太い腕を組み、眉間にしわを寄せた。
「あの、めちゃくちゃ光るやつはないのか?あれ、レンさんに持たせたのはエドさんだろ?」
リオが思い出したように口を挟む。
その問いに、エドさんは「おぉ、あれか」と頷きかけたが、すぐに首を横に振った。
「すまねぇな。閃光玉はあれで最後だったんだよ」
「あれから結構経ってるだろ?入荷とかしてないの?」
「あぁ、残念ながらな。たまに来る行商人から卸してたんだが、最近はめっきり来ねぇ。まぁ、ここは田舎だから仕方ねぇんだがな!ガハハ!」
エドさんが豪快に笑うと、店内の吊りランプが小さく揺れた。
その明かりに照らされたリオの顔は、どこか呆れた様子である。
「じゃあ、他ので何かないですか?」
「そうだなぁ……」
エドさんはガサゴソと棚を漁る。そうして、「お!」と声を漏らして、棚の奥へと突っ込んでいた手を引き抜く。
「これなんかどうだ、レン!」
彼の手に握られていたのは、小ぶりながらもずっしりとした重みを感じさせるナイフ。刃渡りは手のひらほど。光を受けて鈍く銀色に光り、無駄な飾りひとつない。
「ナイフ……なんというか、普通ですね」
俺は思わずそう口にした。
この世界では、戦うなら"武機"が当たり前。異世界に来てから今まで、武器はそれとゴブリンが用いていた粗雑な棍棒くらいしか見たことがない。
だからこそ、このナイフの素朴さが、少しだけ場違いに感じた。
そんな俺の言葉にエドさんはにやりと口の端を上げる。
「当たり前だろ。命を預ける道具に、余計な飾りは要らねぇ!コイツぁ、実用一点張りの作りだ!」
そう言って、柄の部分を指で叩く。
革巻きのグリップは手になじみそうで、滑り止めのために細かな刻みが入っていた。
「刃は鋼製だ。研げばちゃんと切れるし、折れにくい。重くねぇから持ち運びにもいい。……"武機"の使えねぇレンでも扱いやすいと思うぜ!」
「なるほど……いいですね」
素直にそう思った。
この道具には異世界特有の特別な力は何一つない。しかし、エドさんに手渡された瞬間に伝わってくる現実感があった。
これで枝を切り、木を削り、火を起こす。そんな絵が自然と浮かぶ。
「ただの刃物だが、油断すんなよ」
「はい、ありがとうございます」
「いい返事だ」
彼は満足げに頷き、引き出しから革の鞘を取り出した。
「これも持ってけ。オレの手製だ。あと、ナイフはちゃんと研いどいたから、すぐ使える」
「ありがとうございます。大事にします」
「大事にするのはいいが、使う時は迷うなよ。ためらいは時に命取りになる」
その言葉には、いつもの軽口とは違う重みがあった。
ゴブリンとの戦いを思い出す。
あの時、俺は躊躇した。命を散らすことに恐怖して、何もできずに……ソフィアに助けられた。
もう、迷惑はかけたくない。
「……はい」
頷く俺の姿にエドさんは一瞬目を細めて、ゆっくりと頷く。
「よし。それでいい」
エドさんはニッと笑い、今度はリオの方に目を向けた。
「オマエも、そろそろ"武機"が欲しいだろ?どんなのがいいんだ?」
「そうだな……おれは"貫突式"が得意だから、槍とかだと嬉しいかもしれない」
「よし、分かった!リオ、オマエにはオレ特製の"武機"を作ってやろう!」
ほんの刹那、嬉しそうに笑いかけたその表情を、彼はすぐに誤魔化すように引っ込める。
「……ありがと」
照れ隠しのようにぼそりと呟くと、すぐさまいつもの調子を取り戻した。
「じゃあ、帰ってきたら金貨百枚用意しておけよ!」
「いや、そんな金、貯められねぇよ!!」
「ガハハッ!」
エドさんの豪快な笑い声が店中に響き渡る。
笑い声に釣られて、リオも口元をゆるめ、俺もつい笑ってしまった。
しばらく笑い声が響いたあと、エドさんは目尻の皺を深くしながら俺の方を見る。
「……ったく、オマエらといると飽きねぇな。ほら、他にも要るもんがあるんだろ?」
「あ、そうでした。保存食と薬草、それから火打ち石をお願いします」
「おう、任せとけ!」
エドさんは手際よく店の奥へ引っ込むと、次々と品を抱えて戻ってくる。
干し肉や硬焼きパン、乾燥させた野草、油紙に包まれた薬草の束。
どれも、冒険を支える有用品だ。
「これでひと通りだな。ナイフの手入れ油と砥石もつけといた。おまけだ」
「いいんですか?」
「気にすんな。すぐに戻るとはいっても、旅立ちの祝いだ!」
その言葉に、胸が少し熱くなる。
エドさんのぶっきらぼうな優しさが、じんわりと沁みてきた。
「ありがとうございます。……本当に、お世話になりました」
頭を下げると、エドさんは大きな手で俺の肩を軽く叩いた。
「頭を下げるのは全部終わってからにしろ!本当の別れは帰ってきてからだぞ!」
「はい。必ず、戻ってきます」
「おう、待ってるぜ!」
エドさんが笑う。
その笑顔が、なぜかいつもより少しだけ優しく見えた。
「じゃあ、またな!」
そう言って手をブンブンと振るエドさんに、リオが軽く手を振る。
俺も小さく頷き返し、用意された包みを抱えて店を出た。
扉の外に出ると、澄んだ空気が頬を撫でた。
昼下がりの陽光が街並みを金色に染め、遠くで鐘の音が小さく響いている。
「さ、戻るか」
——こうして、試験に必要なものをすべて揃え、代金を払い終えた俺たちは、なんでも屋を後にした。
◇
通りを抜け、丘を下る帰り道。
買い物袋の中で干し肉の包みが小さく揺れ、夕暮れの風が頬を撫でた。遠くでは、子ども達の笑い声が聞こえる。
どこか懐かしく、穏やかな時間が流れている。
そんな中で、不意にリオが口を開いた。
「ソフィアさんから聞いた。試験が終わって、準備ができたら二人は"オートルティア"に行くんだってな」
その声には、いつもの軽さがなかった。
どこか寂しげで、けれど真っすぐな響きを帯びている」
「あぁ。"聖環機士団"の試験を受けるって言ってたし、俺も着いていこうと思ってる」
「そっか」
リオは短く相づちを打ち、しばらく無言で歩いた。靴が砂利を踏む音だけが、静かな道に響く。
やがて、ぽつりと呟くように続けた。
「……おれは、まだここにいる。すぐには行けねぇけどさ」
リオは空を見上げた。茜色に染まる雲が、ゆっくりと流れていく。
「だから、その間に絶対強くなる。誰よりも強くなって、みんなを守れるようになる」
そして、ちらりと俺の方を見る。その瞳はまっすぐで、迷いがなかった。
「だから——安心して旅立っていいぞ」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。
笑って誤魔化そうとしたけれど、うまく声が出ない。
「リオ……」
「数年して、おれも"成人の儀"が終わったら、会いに行く。その時——」
リオはぐっと拳を握りしめ、口角を上げた。
「ヘタレてんじゃねぇぞ、レンさん!」
その言葉に、思わず吹き出してしまう。なんというか……らしいな、と思った。
最後まで素直じゃない。でも、それが彼の優しさだ。
「……おう。お前に笑われないように、頑張るよ」
「ハッ、言ったな。約束だからな!」
リオは拳を突き出す。
俺も同じように拳を伸ばし、軽くぶつけ合った。
乾いた音が、小さく響く。
その一瞬の衝突が、言葉以上の約束だった。
夕暮れの道の先、孤児院"カーリスの家"の屋根が見えてくる。
そこからは、いつも通りの笑い声と夕餉の香りが漂ってきていた。
——この場所から旅立つ日が、すぐそこまで来ている。
そう思うと、胸の奥が少し痛くなった。けれど、その痛みはどこか温かかった。
薬草の整理に帳面の記録、料理の他、子ども達の勉強を見たりもした。
そうして、気づけたのは自分が人より多少器用だということくらい。
でも、十分だった。俺には特別な才能がない。それでも、目の前のことをこなしていくたびに確かに自分の中に積み上がるものがある気がしていた。
——そうしてまた、季節は巡る。
庭の木々に新芽がのぞき、小さな花が、まだ冷たい風の中で顔を覗かせているのが窓から確認できた。
その光景をぼんやりと眺めながら、俺は思う。
異世界に来てから、俺は長い時間をここで過ごした。
最初こそ、魔物に襲われたり、リオと色々あったりと大変だった異世界生活……。しかし、今ではそんな事もほとんどない。
その結果、気づけば元の世界に帰りたいと思うこともなくなり、この"カーリスの家"こそが俺の居場所なのだと思うようになっていた。
この心境の変化が良いことなのかは分からない……でも、悪くはない。そう思える自分が、今はいる。
そんなことをぼんやり考えていると、不意に名前を呼ばれた。
「ねぇ、レン」
振り返ると、そこにはソフィアがいた。柔らかな笑みを浮かべながらも、どこか寂しげな瞳をしている。
「ん、どうした?」
俺の問いかけに、彼女は少しだけ視線を落とす。
「そろそろ、私達……ここを出て行かなくちゃだね」
「……え?」
思考が一瞬、止まる。
「だって、もう私達18歳になるでしょ?成人したら自立する。それが"カーリスの家"のルールなの」
「あ、あぁ……そっか」
確かに最初の頃、誰かがそんな話をしていた。
でも、いざその時が迫っていると知らされると、何とも言えない寂しさが胸に込み上げてくる。
まるで、穏やかな日々が唐突に終わりを告げるような、そんな感覚だった。
「レンは、やりたいこと……もう決まった?」
「……いや、まだ分からないんだ」
「そっか」
ソフィアが静かに頷く。
「子ども達はみんな夢を持ってるのに、俺は……なんつーか、情けねぇよな」
リエルは冒険家になりたいと言っていた。
ルーチアは医者、フィナはシスター、クララは料理人。ラーファは研究者志望だ。
リオは「秘密」なんて言っていたけど、彼なりの目標があることは目に見えて分かった。
皆、自分の未来に向かって歩いている。それなのに、俺だけが足踏みしているようで、気が逸る。
「そんなことないよ!」
ソフィアが、少し強めの声で言った。
「この世界のこと、何も分からなかったのに、それでもレンはずっと頑張ってきた。前に進もうとしてた。……私は、それ、すごいことだと思うよ!」
その言葉に、胸の奥に少しだけ灯りがともる。
見えない暗がりの中にいたはずなのに、ソフィアの言葉は、まるで進むべき方角を指し示してくれるようだった。
「……ありがとう、ソフィア」
俺はそう口にして、少し考えてから逆に問い返す。
「ソフィアはどうするの?」
彼女は少しの沈黙のあと、まっすぐ前を見つめた。
「私は……"聖環機士団"に入りたいんだ」
迷いのない声だった。
"聖環機士団"。
本で読んだ。教団に使える騎士団のようなものであり、魔物の討伐や教団施設の防衛、民の救護などを行う由緒ある部隊だ。
入団を目指す者は多いが、そのほとんどが選抜試験で落とされるという。
彼女はそこを目指している。
「ずっと、夢だったのか?」
俺がそう訊ねると、ソフィアは小さく笑って、うなずいた。
「うん。……私ね、目標にしてる人がいるの」
「目標にしてる人?」
「うん。デルタさんだよ」
その名前を聞いて、俺は納得すぐに納得した。
「私、ずっと思ってたんだ。デルタさんみたいに、誰かを助けられる人になりたいって。誰にでも優しくて、でもちゃんと強くて……あの人がいてくれたから、私、ここで頑張ってこられた」
言葉を紡ぎながら、ソフィアの目がどこか遠くを見ていた。
「……だから、"聖環機士団"を?」
「うん。デルタさんが私達を助けてくれたみたいに、私も"聖環機士団"に入って、誰かを助けたいんだ」
ソフィアの声には、真っ直ぐな憧れが込められていた。
それが夢であり、誓いでもあるような響きだった。
そして、彼女はいたずらっぽく微笑む。
「それにね……デルタさん、昔“聖環機士団”に所属してたんじゃないかって話があるんだよ」
「……え、マジで?」
「うん。本当かどうか分からないけど、エドさんがこっそり言ってた。だから、"武機"の扱いにも長けていて、強いんじゃないかって」
そう噂を口にした彼女がふっと表情を引き締める。
「とにかく、“聖環機士団”に入るにはもっともっと強くならなきゃ!」
その目にまっすぐな決意が宿る。覚悟を固めるようにソフィアは一つ息をつき、言葉を続けた。
「それから、都"オートルティア"に行かなきゃだね!入団試験はそこで行われるから」
そう言って、ソフィアは真剣なまなざしでこちらを見つめた。
「ねぇ、レン。……まだ、やりたいことが決まってないならさ。一緒に"オートルティア"まで行ってみない?」
「え……?」
「もちろん、今の強くなったレンならこの世界でも十分、一人で生きていけると思うよ?でも……」
ソフィアは、少しだけ不安そうに笑う。
「私、一人はちょっと心細くて……。だから、少しのあいだでいいから、一緒に行けたら嬉しいなーって」
頼まれた、というより——誘われたといった感じだ。
これほど嬉しいことはない。迷う理由なんて、どこにもなかった。
「喜んで」
俺の返事を聞いた瞬間、ソフィアの顔がぱっと花開くように明るくなる。
「やった!ありがとう、レン!」
はにかむように笑うその顔を見て、俺の胸にもふっと温かいものが広がった。
旅立ちは今すぐ、というわけじゃない。けれど、その日は確実に近づいている。
きっと、別れは寂しくて、胸が締めつけられるような思いをするだろう。
それでも——。
その先に希望があると信じられるのは、隣で笑ってくれる彼女がいるからだ。
「ありがとう」
心の中でソフィアにそっと感謝を告げる。
そして俺は"カーリスの家"での日々の一瞬一瞬をしっかりと噛みしめることにした。
◇
時間というのは待ってくれない。俺達は着実に、"あの日"へと近づいていた。
「そろそろですね……」
夕食を終えて机の上を片付けている時、ふとデルタさんがそんな独り言を呟いた。
「え?何がですか?」
俺の問いに、デルタさんは一瞬こちらを見てから、ゆっくりと口を開いた。
「成人の儀ですよ。"カーリスの家"を巣立つ前に、みんなに課す最後の試練です」
「……試練?」
俺は皿を運んでいたソフィアの方に視線を移す。彼女は頷く。
「そういえば、言ってなかったったね。"カーリスの家"では、18歳になると旅立つっていうのは知ってると思うんだけど、その前に、本当に旅立てるのかの確認みたいなものがあるんだよ」
「確認、ですか」
「えぇ、確認です」
デルタさんは穏やかに頷いたが、その声には、どこか張りつめた空気が含まれていた。
いつもより少し真剣なその表情に、身体が自然と強張る。
俺には"武機"は扱えない。そんなやつにもその試練とやらは受けることが出来るのだろうか……?
そんな不安とは裏腹に、彼女の顔には柔らかい笑みがすぐに戻った。
「もっとも、さほど厳しいものではありませんよ。恐れるようなものではないはずです」
安心させるような口調に、少しだけ緊張が和らぐ。
そして、隣でソフィアが頷いた。
「今まで、"カーリスの家"から旅立った人たちも、みんなちゃんと乗り越えてるし!大丈夫だよ!」
その励ましの言葉に胸の奥が少しだけ軽くなる。きっと、自分にも出来る、と思いたかった。
しかし、試練の内容に次第では、やはり俺には荷が重いかもしれないという不安も心の片隅で静かに息を潜めていた。
「で、ええと……具体的には、何をするんですか?」
そう尋ねると、デルタさんはゆっくりと立ち上がり、手にしていたマグカップを静かにテーブルへ置いた。
「お二人には"試練の谷"に向かってもらいます」
「試練の谷……?」
「はい」
デルタさんは頷き、窓の外を見やる。その視線の先には、遠く霞む山々が薄く浮かんでいた。
「正式な名称は、"エルグラスの谷"。あの山の向こう側に広がる、緩やかな渓谷地帯のことです」
彼女はそう言うと、戸棚から一枚の紙を取り出して広げる。それは、ここら一帯の地図だった。
「ここが"ルミナ"。そして……ここに谷があります。往復で二日は見ておくべきでしょう」
デルタさんは地図上の印を辿る。
谷の位置は、山の向こうにあるらしく、地図上でも小さく描かれている。細く続く山道はくねくねと蛇のように伸びていて、俺は思わず眉をひそめた。地図で見る限りでも、簡単な道のりじゃなさそうだった。
「特別な魔物がいるわけでも、厳しい戦いが待っているわけでもありません。そこはご安心ください」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。けれど、ただの道のりというには、あまりに試練という言葉が重く響く。
「なるほど……それで、そこに行って何をすれば?」
俺が問いかけると、デルタさんはわずかに微笑んだ。
「宝箱の中身を持ち帰ってきてください」
「宝箱……」
どこか突拍子もないような言葉に、思わず聞き返してしまう。けれどデルタさんは、そのまま続けた。
「はい。です。谷に行けば、きっと分かりますよ」
そう言って、彼女はまたカップを手に取り、少しだけお茶をすする。
俺は思わず眉をひそめた。
「えっと……ヒントとか、ないんですか?」
「ふふ、ありません。ただ、心を開いて歩いてください。道すがら見えるもの、聞こえる音、感じる風……それがアナタたちを導いてくれるはずです」
まるで詩のような物言いだった。けれど、その表情は冗談ではない。本気だ。
ソフィアも、わずかに真顔になって頷いていた。どうやら、こういう"試練"なのだろう。
「……なるほど。分かったような、分からないような……」
俺がぼやくと、デルタさんはふっと笑う。
「大丈夫ですよ。アナタ達なら、きっと気づけます。"カーリスの家"での日々が、無駄じゃなかったと分かるはずですから」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。分からないことだらけでも、信じてみようと思えた。
「出発は一週間後です。それまでに必要な準備を整えておいてくださいね」
デルタさんはそう言って立ち上がると、部屋
を後にした。
夕暮れの残光がカーテン越しに差し込み、部屋の空気を少しだけ黄金色に染める。
その中で、俺とソフィアはしばらく黙って向かい合っていた。
「……レン」
先に口を開いたのは、ソフィアだった。
「うん?」
「怖いって……思ってる?」
「……正直、ちょっとな」
そう答えると、ソフィアはふっと微笑んだ。
「私も、だよ。でもね……なんか、楽しみでもあるんだ」
「楽しみ?」
「うん。だって、これってきっと、私達の冒険のはじまりなんだと思うから」
その言葉に、思わず笑みがこぼれた。
「……そうだな。俺も、逃げたくはない。怖いけど、やるしかないよな」
俺は拳をぎゅっと握る。
「頑張ろう!」
その言葉に、ソフィアが力強く頷く。
「うん!」
二人で手を合わせるように拳を突き出し、軽くぶつけ合った。
◇
翌日の昼下がり。
俺はリオと二人でエドさんの店を訪れていた。
「しっかしまぁ、もう、レンとソフィアは"成人の儀"かい!」
エドさんがそう声高らかに笑った。
どうやら、俺達の行う試練は"成人の儀"と呼ばれているらしい。
「おれはあと、3年か……」
リオがボソリと呟く。
「なんだ、リオ!オメェ、レンとソフィアと離れるのが寂しいのか!」
「ばっ!ちげぇよ!」
リオは顔を真っ赤にして、エドさんの言葉を否定する。
その反応を見て、エドさんは腹を抱えて笑った。
「ガハハ!照れるんじゃねぇよ、リオ!」
「だから違うってば!……ったく、ほんとにもう!」
ぷいっと横を向いたリオの耳は、ほんのり赤く染まっていた。
俺も思わず笑ってしまう。
「なんだよ!レンさんまで笑って!」
リオがむくれながら言う。
「悪い悪い。ただ……変わったよな、リオ」
「は?いきなりなんだよ」
「いや、昔はもっとトゲトゲしてたっていうかさ。誰にも心開かねぇし、すぐ突っかかってくるし」
「うっせぇな……そりゃ、最初はお前が怪しかったからだろ」
口を尖らせて視線をそらすリオの姿に、積み重ねてきた日々がふと重なる。
その成長を見届けてきた時間が、胸の奥にやわらかな温もりを滲ませていた。
「お前らほんと、兄弟みたいだなぁ」
カウンターの奥から、エドさんが茶化すように言った。
「兄弟じゃねぇよ!」
リオが即座に否定した。
顔を赤くして、少しむきになっている。
でも、その声の奥に、どこか照れ隠しみたいな優しさが混じっていた。
「まったく……誰がこんなヤツの弟だってんだ」
「はは、こんなヤツで悪かったな」
俺は苦笑して、軽く肩をすくめた。
でも、俺にとってリオはもうそういう存在だった。
血の繋がりなんかなくても、ここで過ごした時間が、それを越えていた。
いつの間にか、当たり前になっていた日々。
笑って、喧嘩して、また笑って——そんな日常が、もうすぐ終わる。
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
言葉にしなければ、溢れてしまいそうで。
「……俺は、寂しいよ」
ぽつりと呟いた。
リオは何も言わない。
もしかしたら、聞こえていなかったのかもしれない。
でも、返事の代わりに、ほんの少しだけ視線がこちらを向いた気がした。
「ゔぅんっ!」
その静寂を咳払いでエドさんが破る。
「で、ウチに来たってことは仕事か?それとも……」
「はい、試練で有用そうなものを買いにきました」
「おれは暇だったから、その付き添い」
エドさんは「なるほどな」と頷く。そして、顎に手をやりながら奥の棚へと目を向ける。
「試練に有用なものなぁ……」
「保存食と薬草、火打ち石も予備で。あとは……護身用に何かあればお願いしたいです」
リオが首を傾げる。
「ソフィアさんと一緒に行くんだろ?なら大丈夫だろ」
確かにソフィアは強い。彼女がいれば、大抵の魔物と対峙したとしてもなんとかなるという安心感があった。
しかし、有事に備える必要はあるだろう。俺は首を横に振った。
「いや、何があるか分からないからね。それに、ソフィアに頼ってばかりもいられないし」
「ふーん。まぁ、そっか」
リオは適当な相づちを打ちながら、棚の上の変な形の瓶をつついて遊んでいる。なんというか、楽観的な様子だ。
そして、その隣でエドさんが顎に手を当てて唸る。
「保存食、薬草、火打石は分かった。ただ、護身用の道具か……ううむ」
彼は太い腕を組み、眉間にしわを寄せた。
「あの、めちゃくちゃ光るやつはないのか?あれ、レンさんに持たせたのはエドさんだろ?」
リオが思い出したように口を挟む。
その問いに、エドさんは「おぉ、あれか」と頷きかけたが、すぐに首を横に振った。
「すまねぇな。閃光玉はあれで最後だったんだよ」
「あれから結構経ってるだろ?入荷とかしてないの?」
「あぁ、残念ながらな。たまに来る行商人から卸してたんだが、最近はめっきり来ねぇ。まぁ、ここは田舎だから仕方ねぇんだがな!ガハハ!」
エドさんが豪快に笑うと、店内の吊りランプが小さく揺れた。
その明かりに照らされたリオの顔は、どこか呆れた様子である。
「じゃあ、他ので何かないですか?」
「そうだなぁ……」
エドさんはガサゴソと棚を漁る。そうして、「お!」と声を漏らして、棚の奥へと突っ込んでいた手を引き抜く。
「これなんかどうだ、レン!」
彼の手に握られていたのは、小ぶりながらもずっしりとした重みを感じさせるナイフ。刃渡りは手のひらほど。光を受けて鈍く銀色に光り、無駄な飾りひとつない。
「ナイフ……なんというか、普通ですね」
俺は思わずそう口にした。
この世界では、戦うなら"武機"が当たり前。異世界に来てから今まで、武器はそれとゴブリンが用いていた粗雑な棍棒くらいしか見たことがない。
だからこそ、このナイフの素朴さが、少しだけ場違いに感じた。
そんな俺の言葉にエドさんはにやりと口の端を上げる。
「当たり前だろ。命を預ける道具に、余計な飾りは要らねぇ!コイツぁ、実用一点張りの作りだ!」
そう言って、柄の部分を指で叩く。
革巻きのグリップは手になじみそうで、滑り止めのために細かな刻みが入っていた。
「刃は鋼製だ。研げばちゃんと切れるし、折れにくい。重くねぇから持ち運びにもいい。……"武機"の使えねぇレンでも扱いやすいと思うぜ!」
「なるほど……いいですね」
素直にそう思った。
この道具には異世界特有の特別な力は何一つない。しかし、エドさんに手渡された瞬間に伝わってくる現実感があった。
これで枝を切り、木を削り、火を起こす。そんな絵が自然と浮かぶ。
「ただの刃物だが、油断すんなよ」
「はい、ありがとうございます」
「いい返事だ」
彼は満足げに頷き、引き出しから革の鞘を取り出した。
「これも持ってけ。オレの手製だ。あと、ナイフはちゃんと研いどいたから、すぐ使える」
「ありがとうございます。大事にします」
「大事にするのはいいが、使う時は迷うなよ。ためらいは時に命取りになる」
その言葉には、いつもの軽口とは違う重みがあった。
ゴブリンとの戦いを思い出す。
あの時、俺は躊躇した。命を散らすことに恐怖して、何もできずに……ソフィアに助けられた。
もう、迷惑はかけたくない。
「……はい」
頷く俺の姿にエドさんは一瞬目を細めて、ゆっくりと頷く。
「よし。それでいい」
エドさんはニッと笑い、今度はリオの方に目を向けた。
「オマエも、そろそろ"武機"が欲しいだろ?どんなのがいいんだ?」
「そうだな……おれは"貫突式"が得意だから、槍とかだと嬉しいかもしれない」
「よし、分かった!リオ、オマエにはオレ特製の"武機"を作ってやろう!」
ほんの刹那、嬉しそうに笑いかけたその表情を、彼はすぐに誤魔化すように引っ込める。
「……ありがと」
照れ隠しのようにぼそりと呟くと、すぐさまいつもの調子を取り戻した。
「じゃあ、帰ってきたら金貨百枚用意しておけよ!」
「いや、そんな金、貯められねぇよ!!」
「ガハハッ!」
エドさんの豪快な笑い声が店中に響き渡る。
笑い声に釣られて、リオも口元をゆるめ、俺もつい笑ってしまった。
しばらく笑い声が響いたあと、エドさんは目尻の皺を深くしながら俺の方を見る。
「……ったく、オマエらといると飽きねぇな。ほら、他にも要るもんがあるんだろ?」
「あ、そうでした。保存食と薬草、それから火打ち石をお願いします」
「おう、任せとけ!」
エドさんは手際よく店の奥へ引っ込むと、次々と品を抱えて戻ってくる。
干し肉や硬焼きパン、乾燥させた野草、油紙に包まれた薬草の束。
どれも、冒険を支える有用品だ。
「これでひと通りだな。ナイフの手入れ油と砥石もつけといた。おまけだ」
「いいんですか?」
「気にすんな。すぐに戻るとはいっても、旅立ちの祝いだ!」
その言葉に、胸が少し熱くなる。
エドさんのぶっきらぼうな優しさが、じんわりと沁みてきた。
「ありがとうございます。……本当に、お世話になりました」
頭を下げると、エドさんは大きな手で俺の肩を軽く叩いた。
「頭を下げるのは全部終わってからにしろ!本当の別れは帰ってきてからだぞ!」
「はい。必ず、戻ってきます」
「おう、待ってるぜ!」
エドさんが笑う。
その笑顔が、なぜかいつもより少しだけ優しく見えた。
「じゃあ、またな!」
そう言って手をブンブンと振るエドさんに、リオが軽く手を振る。
俺も小さく頷き返し、用意された包みを抱えて店を出た。
扉の外に出ると、澄んだ空気が頬を撫でた。
昼下がりの陽光が街並みを金色に染め、遠くで鐘の音が小さく響いている。
「さ、戻るか」
——こうして、試験に必要なものをすべて揃え、代金を払い終えた俺たちは、なんでも屋を後にした。
◇
通りを抜け、丘を下る帰り道。
買い物袋の中で干し肉の包みが小さく揺れ、夕暮れの風が頬を撫でた。遠くでは、子ども達の笑い声が聞こえる。
どこか懐かしく、穏やかな時間が流れている。
そんな中で、不意にリオが口を開いた。
「ソフィアさんから聞いた。試験が終わって、準備ができたら二人は"オートルティア"に行くんだってな」
その声には、いつもの軽さがなかった。
どこか寂しげで、けれど真っすぐな響きを帯びている」
「あぁ。"聖環機士団"の試験を受けるって言ってたし、俺も着いていこうと思ってる」
「そっか」
リオは短く相づちを打ち、しばらく無言で歩いた。靴が砂利を踏む音だけが、静かな道に響く。
やがて、ぽつりと呟くように続けた。
「……おれは、まだここにいる。すぐには行けねぇけどさ」
リオは空を見上げた。茜色に染まる雲が、ゆっくりと流れていく。
「だから、その間に絶対強くなる。誰よりも強くなって、みんなを守れるようになる」
そして、ちらりと俺の方を見る。その瞳はまっすぐで、迷いがなかった。
「だから——安心して旅立っていいぞ」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。
笑って誤魔化そうとしたけれど、うまく声が出ない。
「リオ……」
「数年して、おれも"成人の儀"が終わったら、会いに行く。その時——」
リオはぐっと拳を握りしめ、口角を上げた。
「ヘタレてんじゃねぇぞ、レンさん!」
その言葉に、思わず吹き出してしまう。なんというか……らしいな、と思った。
最後まで素直じゃない。でも、それが彼の優しさだ。
「……おう。お前に笑われないように、頑張るよ」
「ハッ、言ったな。約束だからな!」
リオは拳を突き出す。
俺も同じように拳を伸ばし、軽くぶつけ合った。
乾いた音が、小さく響く。
その一瞬の衝突が、言葉以上の約束だった。
夕暮れの道の先、孤児院"カーリスの家"の屋根が見えてくる。
そこからは、いつも通りの笑い声と夕餉の香りが漂ってきていた。
——この場所から旅立つ日が、すぐそこまで来ている。
そう思うと、胸の奥が少し痛くなった。けれど、その痛みはどこか温かかった。
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