イセカイ召命譚

すいせーむし

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序章 異世界召喚

十二話 行商人と記録帳

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 あれから一週間が経った。

 日々の準備は、思っていたよりもあっという間に過ぎ、気づけば旅立つ日。

 俺はあまり深く眠れず、早朝、まだ空が淡く群青に染まるころに外に出た。
 吐く息は白く、頬にあたる風が少しだけ冷たい。
 中庭にはもう、ソフィアが立っていた。

「おはよう、レン」

 振り返った彼女の声は静かに澄んでいた。
 旅装に身を包んだその姿は、いつもの柔らかな印象よりもずっと凛々しく見える。
 手入れでもしていたのか、彼女の手には『薄霞銀刀』が握られており、光を受けて鈍く輝く刃は彼女の決意を映しているようだった。

「早いね。まだ誰も起きてないと思ったけど」

「ふふ、レンこそ。……緊張して眠れなかったでしょ?」

「まぁね」

 二人して、笑い合う。
 けれどその笑いは、どこか寂しさを帯びていた。

 それから数分後、木の扉がゆっくりと軋む音を立てて開く。
 冷たい朝の空気の中、そこからデルタさんが姿を見せた。

「……もう、外に出ていたんですね」

 柔らかく微笑むデルタさんの声に、俺とソフィアは思わず姿勢を正す。

「二人とも、おはようございます」

「おはようございます、デルタさん」


 デルタさんは微笑んだまま、少しだけ目を細めた。
 その視線の奥には、優しさと、それを覆い隠すような静かな緊張が見えた。

「よく眠れましたか?」

「……まぁ、あんまりですね。緊張して」

「そうでしょうね。誰だって、初めての旅立ちは落ち着かないものです」

 彼女はそう言って、そっと手を胸の前で組んだ。
 薄明の光がその横顔を照らし、白い髪が金色に透けて見える。
 いつも通りの穏やかな声なのに、不思議とその言葉のひとつひとつが胸に染みた。

「——あのね、デルタさん」

 隣でソフィアが、少しだけ口を開く。

「私達……絶対、ちゃんと戻ってきます!」

「ええ。信じていますよ」

 デルタさんが静かに頷いた、その時だった。
 屋敷の扉の奥から小さな足音が駆け寄ってきて、リオと子ども達が次々に顔を出した。
 みんな厚手の上着を羽織り、寝癖のままの髪を風に揺らしている。

「レン兄さん、ソフィア姉ちゃん!」
「頑張ってね!レン兄!!!」
「き、気をつけてね……」
「絶対、負けんなよ!!!」
「おみやげ!絶対おみやげ持ってきてね!」

 次々にかけられる声に、思わず笑みがこぼれる。
 彼らの笑顔を見ていると、張りつめていた胸の奥が少しだけゆるんだ。

「おいおい、まだ早い時間だぞ」

 低く響く声に振り向くと、丘の下からエドさんがやってくるところだった。
 分厚いコートに身を包み、大きな包みを片手にぶら下げている。

「門出の日に挨拶もなしに行こうなんて冷てぇじゃねぇか!」

「エドさん……!」

「ったく、オレだって見送らなきゃ気が済まねぇ!……ほら、これ——餞別だ!」

 そう言って渡されたのは、小さな布袋。
 開けてみると、中には乾いた果実と数枚の銀貨が入っていた。

「そんな、受け取れませんよ!まだ、試練を達成したわけじゃないですし!」

「いーんだよ。祝いだ祝い!まぁ、銀貨なんて使うこたぁねぇだろうがな!」

 エドさんが豪快に笑う。
 リオは横で腕を組み、むすっとした顔をしていたが、目だけはどこか寂しげだった。

「……あのさ」

 ぽつりとリオが口を開く。

「ちゃんと帰ってこいよ。途中でヘタれんなよ、レンさん」

 その言葉に、俺は思わず笑って頷いた。

「おう。お前に笑われないように、頑張るよ」

「ハッ、言ったな。約束だからな!」

 二人で拳を軽くぶつけ合う。乾いた音が、朝の空気に小さく響いた。

 デルタさんが静かに一歩、前へ進む。
 全員の視線が自然と彼女に集まった。

「——成人の儀。それは、"カーリスの家"で育った者が新たな世界へ踏み出すための通過点」

 彼女はゆっくりと俺達を見渡す。
 その瞳に映るのは、どこまでも優しい光。

「恐れずに進みなさい。きっと、この旅がアナタ達を更に成長させるでしょう」

 俺とソフィアは同時に頷く。

「はい」
「行ってきます」

 デルタさんは微笑み、そっと俺達の肩に手を置いた。

「行ってらっしゃい」

 その一言を合図に、俺達は歩き出した。
 丘の上から見下ろす"カーリスの家"は、朝焼けの中で金色に輝いて見えた。
 背後からは、子ども達の声援がいつまでも響いていた。

 ——こうして俺とソフィアは、"試練の谷"へ向けて、最初の一歩を踏み出した。

          ◇

 丘を越え、しばらく歩いた頃。
 朝靄が少しずつ晴れていき、太陽が山の端から顔を出した。
 木々の葉に宿っていた露が光を受けてきらめき、鳥達の声が森の奥からこだまする。

「ふぅ。結構歩いたね」

「えぇ?谷まではまだまだ先だよ?」

 ソフィアが小さく笑う。

 薄々気づいていた。俺とソフィア……いや、俺と異世界の人々の間には、体力に大きな差がある。
 彼女は息一つ乱さず歩き続けているのに、俺の方はというと、すでに足の裏がじんじんと痛み出していた。
 きっと、この試練は俺基準ではない。だとしたら、この旅はひどく過酷なものになるんじゃないだろうか。そう、頭に不安がよぎる。

「……」

 ソフィアがじっと俺の顔を見つめる。

「ん?どうした?」

「いや、なんでもない!……あっ!あそこにいい感じの岩があるよ!ちょっと休憩しない?」

 彼女はそう言って、俺に手を差し出す。

「……ありがとう。助かる」

 その優しさに救われる。

「急いでるわけじゃないんだし!私達のペースで行こ?」

 ソフィアは微笑んで俺の手を引き、岩の方へと走り出した。
 そうして、俺達は岩の上に座る。
 眼下に広がる森はまだ朝靄に包まれ、陽光が淡くその輪郭を照らしていた。
 遠くには小さな川が流れ、きらめく水面がちらちらと揺れて見える。

「こうして見ると、綺麗だな」

 ルミナ周辺の景色はエドさんの手伝いで薬草を取りに行く際に何度も見てきた。しかし、旅の途中として眺めるそれらはまるで別の世界のように見える。どれも新鮮で、美しい。

「そうだね」

 ソフィアが頷きながら、遠くを指差す。

「あの丘を越えると、もうすぐ谷の入り口が見えるはずだよ」

「へぇ、あの向こうに……」

 俺はぼんやりと、霞の向こうを見つめる。そして、視界の端に小さく人影が映った。

「ん……?」

 まだ、かなり遠くにいるであろう人影はどうやらこちらへ向かって走っているらしい。

「レン、どうしたの?」

「いや、あっちに……」

 俺が人影の方を指さそうとしたその時、叫び声が聞こえた。

「ちょ、誰か助けてぇなぁー!!」

 それは俺の指差そうとした彼の出したSOSだった。

 俺の体はその声を聞いた瞬間、駆け出す。

「え?ちょっ、レン!?」

 背後からソフィアの声が響いた。
 驚きと焦りの混じった声だったが、次の瞬間には彼女の靴音がすぐ後ろまで迫ってきた。

「待って、ひとりで行かないでっ!」

 ソフィアが追いかけてくる。
 振り返る余裕もないが、その声が確かに背中を押した。

 木々の間を抜け、湿った草を踏みしめ、俺はただ声のした方へと走る。
 朝靄の中に揺らめく人影が少しずつ近づいていく。
 息が上がり、足がもつれそうになっても、止まれなかった。

「ひいぃぃぃ!」

 再び響いた悲鳴。今度ははっきり聞こえた。
 何かが倒れる音。その後、土が舞い、低い唸り声が響く。

 木の枝を払いのけ、勢いのまま茂みを抜ける。
 視界が開けた瞬間、目に飛び込んできたのは角を持つウサギのような魔物に追い詰められている青年の姿だった。

「レンっ、待ってってば!」

 ようやく追いついたソフィアが息を切らせながら叫ぶ。
 だが、彼女の目が獣を捉えた瞬間、表情が一変した。
 すぐさま、腰の銀刀を抜き放ち、俺の横に並ぶ。その動作は、まるで最初から息を合わせていたかのように自然だった。

          ◇

 俺達の視線の先にいたのは、額に一本の長い角を持つウサギのような魔物だった。
 全身を覆う茶色い毛並みが朝日を浴びて淡く光り、その目はぎらついている。

「ぶっ……ぶっ……」

 草食動物とは思えないほど、鼻息を荒くしながら地団駄を踏み、地を蹴るたびに土が弾けていた。

「コイツは確か……"アルミラージ"」

 デルタさんから貰った書物の中に記載されていた。
 草食だが極めて縄張り意識が強く、危険を察知すると角で相手を貫き、電撃を放つという小型の魔物。ソフィアなら倒すのは容易であろうが、俺なんかが対面すればひとたまりもないだろう。

 そんなことを考えていた俺の隣で、ソフィアがアルミラージへと勢いよく"武機"を振り下ろした。

「はぁっ!」

 銀の刃が日の光を受けてきらめき、アルミラージの角にぶつかった瞬間、「バチィッ!」と閃光が弾けた。
 火花とともに空気が焼ける音。ソフィアの腕が弾かれ、足元がふらつく。

「ッ!?なに、これ!」

「ソフィア、離れて!」

 俺が叫ぶのと同時に、アルミラージが低く身を沈め、角先に青白い光を集めはじめた。

「雷撃がくる!角から放たれるんだ!」

「えっ、角!?」

 俺の声に反応したソフィアは、すぐさま後ろへ跳び退く。
 直後、アルミラージの角先から閃光が放たれ、さっきまで彼女が立っていた地面を焦がした。
 小さなウサギとは思えないほどの威力。
 乾いた草が焼け焦げ、煙が上がる。

 彼女は焦げた地面を見つめながら、息を整える。

「……レン、あれ、どうすれば?」

「角は狙っちゃダメだ!多分、電撃で反撃される!」

「じゃあ、どこ!」

「胴体の下! 跳ぶ瞬間、腹が無防備になる!」

 言葉を聞くや否や、ソフィアはすぐに動いた。
 地を蹴り、低く構え、アルミラージとの間合いを測る。
 魔物は耳を伏せ、再び突進の構えを取った。

「キィー!」

 鼻を鳴らしながら、地を蹴る。
 目で追えないほどの速度で迫るアルミラージ——だが、ソフィアの目はその動きを捉えていた。

「……今っ!」

 アルミラージの角が瞬間、ほんの一拍。
 跳躍に入る刹那、その身体が沈む。その一瞬の隙を逃さず、ソフィアの刃が閃いた。

「《斬断式:一閃いっせん)》!」

 銀の光が空を裂き、稲妻のように走る。
 次の瞬間、アルミラージの動きが止まった。

 ソフィアの剣が、正確にその胴を切り裂いていたのだ。

 魔物は苦しげに身を震わせ、やがてその身体が崩れ落ちる。
 乾いた土煙が舞い上がり、静寂が戻った。

「……ふぅ」

 ソフィアが息を吐き、刀を引き抜く。
 その表情には、安堵と緊張の残滓が混じっていた。

「ソフィア、大丈夫!?」

「う、うん……」

 近づいて確認すると、アルミラージの角の根元がひび割れ、微かに青白い光が漏れていた。
 まるで電気が抜けきるように、じりじりと光が弱まっていく。

「アルミラージ。角から電気を放つ魔物……デルタさんから借りた本に書かれてた」

「そっか。レン、よくそんなの覚えてたね」

「まぁ、今の俺には知識と器用なことくらいしか取り柄ないし」

 そう言うと、ソフィアはふっと笑う。
 戦いの余韻がまだ残っているのに、その笑みは柔らかかった。

「レンがいなかったら、私……電撃でやられてたよ?」

「いや、ソフィアが強かったからだよ。さっきの技もすごかったし」

「え!本当!?あれ、ずっと練習してたんだー!上手く決まって良かった!」

 ソフィアは嬉しそうに刀をくるりと回し、鞘に収めた。

「っと、そうだ!さっきの人は!?」

 はっとして周囲を見渡すと、少し離れた場所で悲鳴をあげていた青年があぐらをかいていた。
 しかも、拍手している。

「いやぁ~、あんさんら、すごかったで!助かったわぁ~、ありがとさん」

 満面の笑み。
 まるで命の危機なんてなかったかのような明るさに、俺とソフィアは思わず顔を見合わせた。

「えぇっと……大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫!ちょっとビリッときただけや!」

 男は頭をかきながら立ち上がった。
 俺と同じ黒髪——ただし、その髪はあちこち跳ねていて、まるで雷にでも打たれたみたいだ。
 服の端は焦げ、ところどころ煙の匂いまでしている。

 ……もしかして、髪の色も焼け焦げの副産物だったりするのか?
 だとしたら、彼がアルミラージから受けた痛みは、常人なら立ち上がれぬほどのものだったろう。
 しかし、彼は笑っていた。

「いや、ビリッとって……」

 呆れ半分にそう呟きながら、俺は思わず首をかしげた。
 さっきの喋り方——関西弁?
 こっちの世界にもそんなのあるのか?と気になって、隣のソフィアに小声で尋ねる。

「なぁ、ソフィア。この人の喋り方……」

「うん、不思議な喋り方だよね。どこかの方言かな……?」

 どうやら、彼女は知らないらしい。しかし、方言というものが存在しているのであれば、関西弁に似たものがあっても何らおかしくはないだろう。……そもそも、この世界では日本語が通用しているわけだしな。
 そんなことを考えていると、ソフィアが男に問いかける。 

「それにしても、こんなところで何をしていたんですか?それほど、危険な場所ではないかも知れませんが、ここは魔物も数多く出没します」

 ソフィアの言葉に、男は首をすくめた。

「ワイ、行商人やねん」

 よく見れば、彼は背中に巨大なバッグを背負っている。

「それで、まぁ……旅の途中やってんけど……」

「アルミラージの縄張りに足を踏み入れちゃったってわけですね」

「せやねん。ちょっと道を外れたら、あのツノ付きウサギがいきなり突っ込んできてなぁ~。命からがら逃げとったんや」

「そっか。それは、運が悪かったね」

 ソフィアが苦笑すると、男はがくっと肩を落とした。

「ほんまやで。あんさんらがおらんかったら、今頃ワイ、ビリビリの丸焼きやったわ……」

 そう言って、彼はぺこりと頭を下げた。

「改めて、助けてくれておおきに!大したもんは持っとらんけど……」

 彼は背中のカバンを下ろしてごそごそと中を探り、何か取り出す。

「ほれ、これ。助けてもろたお礼や」

 彼は俺に一冊の本を手渡してきた。白い装丁の綺麗な本だ。

「ありがとうございます。えぇっと、この本は何の本ですか……?」

 そう言って、俺は本のページをペラペラとめくる。厚手の羊皮紙を綴じたその本には、何も書かれていなかった。
 文字どころか、挿絵のひとつもない。真っ白なページが、風に揺れてぱらぱらと音を立てる。

「……空っぽ、ですね」

「そりゃそうや。この本の中身は"まだ"ないんやからな」

 行商人の男が、にやりと唇を吊り上げた。
 その笑みはどこか悪戯っぽく、それでいて底が見えない。

「先の戦い、見とって思たんやけどな」

 彼は肩の荷を軽く叩きながら、言葉を続ける。

「あんさん、やけに物知りっぽかったやろ?でもな、知っとるだけで終わらすんは、ちと勿体ないと思たんよ」

「勿体ない……?」

「そ。知るだけやと風みたいなもんや。吹いて過ぎたら、もう跡も残らん。せやけど、"書き残す"っちゅうのは違う。跡をつけることや。あんさんが見たもん、感じたもんをその白い紙に刻んだらそれは自分だけやない——万人の地図になる」

 ヤガネは手をひらひらと振り、軽く笑った。
 風がその指の隙間をすり抜けていく。

「あー、たかが行商人のくせに説教じみたこと言うてもうたな。けどな、"残す"っちゅうんはよっぽど価値があるで」

 その言葉を聞いて、俺は思わずその本を見つめ直した。羊皮紙は少しざらついていて、手のひらに温もりを残す。
 それはまるで、何かを拾い集めるための器のようだった。

「でも……俺なんかが残せるものなんて、あるのかな」

 自然と漏れた独り言に、隣でソフィアが小さく笑った。

「あるよ!」

 その声は、まっすぐで、どこか誇らしげだった。

「レンって、なんでも覚えてるでしょ?"魔物"の名前も"武装機式"の歴史も!デルタさんも言ってたけど、知識って、誰かの助けになるんだよ。それを残せるなら……すごく、素敵なことだと思う」

 彼女は照れくさそうに笑いながら、指で頬を掻く。

「ソフィア……」

 行商人はそんな俺達二人を見て口元を緩めた。

「ほぉ。ええ娘さんやな~。よう分かっとる」

 彼は感心したように目を細め、顎に手を当てて続ける。

「ま、せやからこそ、この本は空にしてあるんや。中身を埋めるのはあんさんらの仕事やで」

 そう言って、彼は俺の手にある本を軽く指先で叩いた。

「ま、好きに使うてくれや」

 彼は満足げに頷いたその直後、にやりと悪い笑みを浮かべる。

「……ただし、万年筆とインクは有料やで?」

「えっ、そこは有料なんですか!?」

「そらそうやろ?商売人やさかい、善意だけで飯は食われへんのや」

 彼のカバンから取り出されたのは、黒鉄の軸に金の装飾が施された細身のペンと、小瓶に詰められた深い群青のインク。
 どちらも旅の途中で出会うには似つかわしくないほど、上品で、どこか古めかしい趣がある。

「今ならおまけしとくで~。銀貨3枚や!」

「……はいはい、わかりましたよ」

 苦笑しながら銀貨を渡すと、彼は器用に指先でそれを弾き、懐に仕舞い込んだ。
 そのとき、ふと思い出したように「あ」と声を上げる。

「せやせや。せっかく助けてもろたんやし、もう一個サービスしとくわ」

「サービス?」

「これや」

 また彼はカバンを開き、小さな球体を取り出す。手のひらにすっぽり収まるサイズ。
 金属とガラスが組み合わさったような構造で、外側にはレバーとピンのようなもの、内部には赤い液体がゆらゆらと揺れている。

「"爆裂玉"言うてな。とっても便利な投擲具や。そのピンを引くと、中の液体が反応、暴発して衝撃波を生む。まぁ、いわゆる——」

「爆弾……?」

「そ。便利やでぇ~?魔物に囲まれた時とか、退路を作る時とか。くれぐれも自分の足元では使わんようにな!」

 そう言って、彼はケラケラと笑う。
 軽口のように聞こえるが、手渡された球体は微かに熱を持っていた。

「これ……本当に爆発するんですか?」

「するする。けど、まぁ、小型やから喰らっても命までは取れんやろ……多分な」

「多分!?」

「ははっ、そんぐらいスリルがないと旅はつまらんやろ?」

 あっけらかんと笑う彼に、ソフィアが半ば呆れたように眉をひそめる。

「そんなもの、軽々しく渡すなんて……」

「安心しいや、お嬢ちゃん。扱い間違わん限り、安全設計や。ワイの特製やで」

 彼はウインクをして、指先で小さく弾く仕草をした。

 どこか胡散臭いが、不思議と嫌な感じはしない。むしろ、その軽さが彼の人となりを表しているようだった。

「それにしても、行商人さん」

「ん、なんや?」

 ふと、俺は気になって尋ねた。

「旅って言ってましたけど、なんでこんな場所まで来たんですか?どこか行きたい場所でも?」

「お、ええ質問や」

 行商人の瞳の奥に、一瞬だけきらりと光が宿る。

「旅の道中、ルミナって村があるって聞いてな?そこで物売ろう思て、こっち来たんよ」

「ルミナ……」

 ソフィアが俺の方を見る。
 俺は頷き、男の言葉を引き取った。

「それ、俺達の村ですよ。丘を超えた先にあります」

「おぉ、ほんまか!」

 男はぱっと顔を明るくして、嬉しそうに手を打った。

「ほな、ワイはそっち行くとするわ。あんさんら、ほんまにありがとうな」

「えぇ、こちらこそ。本と……爆弾、ありがとうございました」

 行商人は肩の荷を背負い直すと、小さく伸びをして、こちらへと向き直った。

「そういや、まだ、名乗っとらんかったな。ワイの名前は"ヤガネ"や。また縁があったらよろしく頼むで~」

 彼は「ほな」と言って、肩の荷物を背負い直すと、飄々とした笑みを浮かべたまま、"ルミナ"の方へと去っていった。

 ヤガネと名乗った行商人の背中が日の光の中に溶けていく。
 その姿が完全に見えなくなった頃、ソフィアがぽつりと呟いた。

「……面白い人だったね」

「そうだね。きっと、またどこかで会える気がする」

 俺は手の中の白い本を見つめる。
 風にページがめくられ、白紙の中で光が揺れた。

「さて——俺達も、行こうか」

「うん。試練の谷が待ってる!」

 再び歩き出す。
 陽はすでに高く、木々の隙間からこぼれる光が、俺達の道を照らしていた。
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