イセカイ召命譚

すいせーむし

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序章 異世界召喚

十六話 幕は上がる

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 成人の儀から戻って、一週間ほどが経った。

 "聖環機士団マキナ・サンクタリア"の入団試験までは残り1ヶ月。
 俺達はその日に間に合うように、"カーリスの家"を出ることにした。

 来たる別れの日に備えて、荷造りを進めたり、装備を整えたり……けれど、心のどこかでそれを実感できずにいた。

 外では、リオが訓練用の"武機"を振る音が響いている。
 エドさんはソフィアの"武機"を作るために奮闘中。
 デルタさんは相変わらず子ども達の世話に追われながらも、俺達の旅支度を静かに手伝ってくれていた。

 あまりに穏やかな日々。
 その穏やかさが、かえって胸を締めつける。

「……みんなには、本当に助けられたな」

 あの日、俺が異世界に降り立った日のことを思い出す。
 右も左も分からず、スライムに襲われているところをソフィアに助けられて、"カーリスの家"ではここにいてもいいとデルタさんに言われて……。

 ここは居場所になった。

 寂しい、別れたくない。そんな感情が心の中でずっと渦巻いている。
 しかし、それと同じくらい新たな日々に期待もしていた。

「なんつーか、入学式前日の子どもみたいだな、俺」

 自分の幼稚さに自虐的な笑いが溢れる。でも、この感情はきっと悪いものではないはずだ。

 そんなことを考えていると——
 コン、コン。と、控えめなノックの音が響いた。

「レン、いる?」

 聞き慣れた声に顔を上げる。
 扉を開けると、そこにはソフィアが立っていた。
 彼女はいつもより少しだけ表情を引き締めている。

「どうしたんだ?」

「エドさんがね、できたって。……私の"武機"」

「ほんとに!? もう仕上がったのか!」

 思わず身を乗り出すと、ソフィアは小さく笑って頷いた。
 その目は、どこか誇らしげで、でも少しだけ緊張も混じっていた。

「うん。だから、レンにも一緒に来て欲しくて」

「俺に?」

「うん。だって、レンが"機術核"を見つけてくれなかったら、私はきっと諦めてたから……だからさ、レンにも見て欲しいんだ! 生まれ変わった私の相棒を」

「そっか」

 頬が少し熱くなる。
 そう言われて、嬉しくないわけがない。

「ありがとう。じゃあ、エドさんの店に見に行こうか」

「うん! 早く行こ!」

 二人で笑い合いながら、階段を降りた。
 木の床を踏むたび、軋む音が耳に馴染んでいる。
 "カーリスの家"の廊下には、もうすぐ別れを告げる二人の足音が静かに響いていた。

          ◇

「おう、来たか! 二人とも!」

 なんでも屋の扉を開けば、エドさんが作業台の前で腕を組みながら待っていた。
 彼の背後には、整然と並べられた工具と、鉄と油の匂いが漂っている。

 そして、作業台の上——その中央に、一本の刀が静かに置かれていた。

 淡い銀色の刀身。
 かつての『薄霞銀刀』よりもすこし細身で、透き通るような光を宿している。
 刃の根元には、脈動する青白い輝き。あの"機術核"が、まるで心臓のように微かに明滅していた。

「おぉ、本当に出来たんですね!」

 俺が声を上げればエドさんはニカッと笑みを浮かべる。

「おうよ! まだ微調整は必要だろうが、"武機"として扱えるようになったぜ」

「……」

 ソフィアはそっと歩み寄り、作業台の前に立つ。
 その目は刀に吸い寄せられるように向けられており、まるで失くしていた何かと再会した子どものように輝いていた。

「これが」

 ソフィアの声が、息と一緒にこぼれる。

「オマエの新しい相棒だ。名はまだねぇが……まあ、持ち主が決めりゃいい」

 エドさんは腕を組んだまま、誇らしげな表情を浮かべる。

「触ってみてもいい?」

「もちろんだ。オマエさんの相棒なんだからよ」

 エドさんの言葉にソフィアはゆっくり手を伸ばし、柄に触れた。そうして、ぎゅっと握りしめて、剣を持ち上げる。

 その瞬間、刀身に青白い光が走り、紋様が一瞬だけ浮かび上がる。

「わ……」

「どうだい、持った感想は」

「『薄霞銀刀』に、よく似ています。でも、少し重たい……かな?」

「ガハハ! まぁ、そのまんま作るってぇのは難しいからな! だが、"武機"の核は同じだ。今まで通り、その"武機"はアンタに応えてくれるだろうよ!」

 エドさんは満足そうに鼻を鳴らした。

「ありがとう、ございます」

 そう口にして、ソフィアは刀を胸の前でじっと見つめている。

「名前、どうするんだ?」

 隣で俺が問いかけると、ソフィアは刀身に映る自分の瞳を見つめたまま、ほんの少しだけ息を吸った。

「……まだ、決められないや」

「え?」

 予想外の答えに思わず聞き返す。
 けれどソフィアは困ったように、しかしどこか愛おしむように微笑んだ。

「この子のこと、もっと知りたいから。前の『薄霞銀刀』とは似てるけど……でも、違う。触ってみて、余計にそう思ったの」

 刀身を撫でる彼女の指先は、まるで相棒の呼吸でも確かめるように優しかった。

「一緒に旅して、戦って、悩んで……その中で、この子自身の名前が見えてくる気がするんだ。だから今は、まだ呼ばないでおく」

「そっか」

「うん」

 そんなやりとりを前に、エドさんは腕を組んだまま、満足げに目を細めた。

「……ほぉ。いいじゃねぇか」

 その声音には、職人としての誇りと、静かな喜びが滲んでいた。

「名前ってのは急いで決めるもんじゃねえ。"武機"ってのは持ち主と一緒に育つもんだ。だったら、名前だって時間かけりゃいい」

「……うん」

 ソフィアは少し照れたように笑うと、刀をそっと鞘に収めた。

「よし、それじゃあ最低限の調整は済んでるはずだ。ただまぁ、完璧とは言えねぇ。……オマエら、いつまでここにいる?」

 エドさんはそう問いながら、俺達の方から視線を外す。
 まるで、その答えを聞くのが怖いかのように。

 いずれ来る別れを、自分の口で確かめようとしている——そんな気配があった。

「あと、三日くらいはこっちにいますよ」

 ソフィアが静かに答えると、エドさんは一瞬だけ動きを止めた。
 それから、無理やり明るく見せるように、手をパンと叩く。

「よし分かった。じゃあ、その間に忙しいだろうが、試しに使ってみてくれ! 違和感があったら遠慮なく言え! 何度でも調整してやる!」

 胸をドンと叩くその仕草は豪快だったが、どこか不器用な優しさに満ちていた。

「ふふ……。エドさん、本当にありがとうございました」

 ソフィアが深く頭を下げる。
 新しい相棒を胸元に抱えたまま、まるで宝物を扱うように。

 エドさんは照れくさそうに鼻を鳴らした。

「礼なんざいらねぇよ。……オマエらが前に進む道に、この刀が必要だっただけだ」

 その言葉に、ソフィアはぎゅっと鞘を握りしめる。
 俺も横で、小さく息を吸った。
 胸が熱い。名残惜しさと、誇らしさと、少しの寂しさが混ざったような感情がじわりと広がっていく。

「……ありがとう、エドさん」

 俺がそう言うと、エドさんはようやくこちらを向き、いつものニッとした笑みを浮かべた。

「かまわねぇって言ってるだろ! さぁ、とっとと行け!」

 その声は、どこか震えていた。

          ◇

 その日の夜。
 夕食を終え、子ども達が眠りにつき、“カーリスの家”がようやく静かになったころ。
 俺とソフィアは、居間の片隅で湯気の立つカップを手にのんびりと話していた。

「……ねぇ、レン」

「ん?」

 火の消えかけたランプの明かりが、ソフィアの横顔を柔らかく照らす。

「明日さ……あの洞窟に行ってみない?」

「洞窟?」

 尋ね返すと、ソフィアは少し照れたように笑った。

「うん。レンと私が、最初に出会った場所。あの洞窟。あそこで——この子を試してみたいんだ。私の"武機"を」

 そう言って、胸元に抱えていた新しい鞘を、そっと撫でる。

「……なるほどな。思い出の場所で、初陣か」

「うん。ダメかな?」

 期待と不安が混じった瞳で見つめられて、断れるはずもない。

「ダメなわけないだろ。明日、行こう」

「うん!」

 ソフィアの表情がぱぁっと明るくなる。
 その笑顔を見て、俺も思わず笑って——

「ずるい」

 突然、部屋の扉が開いた。

「うおっ!? り、リオ!?」

 小さな影が飛び込んでくる。
 眠る時間はとうに過ぎているのに、リオは目を爛々と輝かせて立っていた。

「なに二人で明日の作戦立ててんだ。おれも連れていけよ」

「えっ、リオ聞いてたの?」

「そりゃ聞こえるだろ。二人の声、すっごい楽しそうだったし」

 ソフィアは苦笑し、俺は頭をかく。

「リオ、"武機"を用いた魔物との実戦闘はまだだよね? 大丈夫なの?」

 ソフィアの問いかけに、リオは頷く

「大丈夫。レンさんよりは戦える」

「……お前なぁ」

 思わず苦笑が漏れる。
 リオは胸を張っているが、ソフィアは呆れた顔でため息をついた。

「強がり言って。リオ、まだ訓練用の"武機"しか触ってないじゃん」

「だ、だからこそ! 実戦の場で一回くらい経験積みたいんだよ! 二人だけで行くなんてズルいだろ!」

 言いながら、リオはふっと視線をそらす。

「でも、リオ。デルタさんが許してくれるかな?」

 ソフィアがニヤニヤと笑いながらそんなことを口にする。
 リオは「ぐっ……」と小さく呻いた。

「……明日の朝、ちゃんと聞く! だから! だからさ」

 彼ははきゅっと唇を結び、まっすぐ俺達の方を見る。

「おれも、"二人"と一緒に行きたいんだ」

 真剣で、まっすぐで、子どもらしい無茶が混じったその瞳を見て、ソフィアの表情がやわらぐ。

 リオはいつだって反抗期みたいな態度を取る。けれど、本当は寂しがりで、誰より家族思いだ。
 その気持ちはきっと、これから別れることになる俺達にも向けられている。

「……分かった。デルタさんがいいって言ったら、ね?」

「……っ! 分かった!」

 リオの顔が一気に輝き、ソフィアは「ほんとにもう」と微笑む。

「ただし、デルタさんがダメって言ったら諦めるんだぞ」

「分かってるよ!」

 元気よく返事をしたリオは「約束だからな」と念を押し、ばたばたと居間を飛び出していった。

 残されたのは、俺とソフィア、そして静かに揺れるランプの光。

「……明日、賑やかになりそうだな」

「ふふっ、ほんと。リオも明るくなったよね」

 ソフィアはくすりと笑い、湯気の消えかけたカップへ視線を落とす。

「じゃあ、私ももう寝るね。楽しみだね、明日」

「ああ。おやすみ」

 ソフィアは新しい"武機"を抱え、そっと部屋を出ていった。
 その背中は、不思議なくらい軽やかで——
 灯りが消えた後も、しばらく余韻が胸に残った。

 やがて俺も立ち上がり、自分の部屋へ向かう。

 明日、俺達は思い出の場所へ行く。
 出会いの始まりの洞窟へ。

 あの頃より強くなった自分達を、きっと見られる。
 そんな期待を胸に抱きながら、俺はそっと目を閉じた。

 ——だが。

 リオとのその"約束"は、翌朝、果たされることはなかった。

          ◇

 ……鼻を刺す、焦げ臭さ。

 煤の粒が肺の奥に入り込み、喉が焼けつくように痛む。

「……っ、げほっ……! な、なんだ……これ……?」

 激しい咳とともに、意識がゆっくりと浮上する。
 視界は灰色に濁り、光の届かない闇の底で手探りに呼吸を繰り返す。

 胸が苦しい。
 冷たい床の感触。
 そして、かすかに漂う木材が焼け落ちたあの、いやな臭い。

 なんだ……これ……。

 ぼんやりとした思考が少しずつ形を持ち始める。

 ここは——俺の部屋だ。

 2階にある、いつもの寝床。
 だけど、薄い木壁の向こうからは、バキバキと木が裂ける音と、激しい炎のうねりが聞こえてくる。

 燃えてる、のか……!?

 その現実が、頭の中にじわりと染み込んでいく。

 熱が、壁越しに伝わってくる。
 煙が、天井下に溜まっている。
 床には落ちた梁の破片、焦げた布の残骸。

 ここがもう安全ではないことだけは、すぐに理解できた。

「みんな……っ、ソフィア……? リオ……デルタさん……っ!」

 声を張り上げようとしたが、喉が焼けついてうまく出ない。
 返事も、物音も、聞こえない。

 ——人の気配がない。

 ……もう、逃げた……?全員、外に出たのか……?

 そう思おうとして、胸の奥がざわりと騒ぐ。

 分からない。
 だが、このままここにいたら確実に死ぬ。

 ……俺も、逃げないと。

 震える手で、部屋の扉に触れる。
 金属の取っ手は熱く、じりっと皮膚を焼いた。

「……っ」

 袖で手を覆い、もう一度押し下げる。

 開いた瞬間、熱気が一気に吹き込んだ。
 廊下は煙で満たされ、炎に照らされた影が揺れている。

 下に……降りるしかない。

 階段は途中で崩れかけていたが、まだ辛うじて形を保っていた。

 足元の板が軋む。
 階下から炎が噴き上がるたびに、影がゆらりと伸びる。
 この家で何度も見た景色なのに、今はどこか知らない場所のようだ。

 みんな……本当に外に出たのだろうか。

 胸がざわつく。
 焦燥が足を速める。

 手すりを握りしめ、炎の合間を縫うように階段を下りる。
 熱に耐えながら、潰れた廊下を抜け、ようやく玄関へと辿り着いた。

 倒れた柱をどかして、必死に火の粉を払いながら外へと飛び出す。

 冷たい朝の空気が肺に入り、ようやく呼吸ができた。

 振り返ると——

 "カーリスの家"が、炎に包まれていた。

 言葉を失った。

 目の前で燃え上がる、赤と黒の塊。
 見慣れた家のかたちをしていたはずのものは、もうどこにもない。

 柱が崩れ落ちるたび、火花が高く弾ける。
 屋根がきしむ音が、まるで悲鳴のようだった。

「っ! なんでだよ……!」
 
 脳みそが理解を拒み、俺は何も出来なかった。
 そうして、ただ茫然としていると……

「……アハハハハ」

 掠れるような声が、耳に届いた。
 女の声。低く、乾いていて、どこか嘲るような響き。

 炎の奥。
 揺らめく熱のゆがみの向こうに、影がひとつあった。

「……ソフィア?」

 名を呼ぶと、影が振り返る。

 炎の反射で橙に染まった横顔。
 煤で汚れ、汗に濡れ、それでも凛とした表情は崩れていない。

 ソフィアだ。

 しかし、彼女は俺ではなく……その前に立つ"何か"を睨みつけていた。

「レン、来ちゃダメ!」

 鋭い声。
 今まで聞いたことがないほど強い拒絶。

「こっちに来ちゃ、ダメ! 逃げて!」

「何、言ってるんだ……?」

 俺はそんなことを口にして、視線を横にずらした。

 その時、ソフィアの前に立つ影が、ゆっくりとこちらに視線を向ける。
 炎に照らされたその姿は、前足が翼のように進化した、巨大な爬虫類のかたちをしていた。

「なっ……」

 炎の向こうで、巨大な影がゆっくりと羽を広げる。

 紺碧の鱗。鉤爪。裂けた皮膜。
 その生々しい気配だけで、足が震えた。

 "ワイバーン"——。

 あの洞窟から抜け出た時に、見えた怪物……いや、"魔物"。
 背丈はカーリスの家の屋根ほどもある。

「レン……離れて……!」

 ソフィアの声は震えていた。
 その背後で、怯えた子ども達がまとまり、涙を流しながら震えている。

 そして、ワイバーンの背に——黒いローブの女が腰掛けていた。

「あらあら泣くことしか出来ないで……哀れで仕方ないわ」

 彼女は炎を背景に、まるで日常の延長にでもいるかのような、静かで落ち着いた気配をまとっていた。

 誰なのかはわからない。
 けれど——コイツが"魔女"であると、一目で理解できた。

 その佇まいは異様なほど静かで、炎と悲鳴で満ちた世界の中で、たったひとりだけ別の時の流れに立っているようにすら見える。
 そして、ワイバーンの背で足を組み、黒いローブを撫でるように風が揺らしていた。

「あぁ……可哀想。どうして、絶望ってこんなにも同情を誘うのかしら」

 ゆっくりと瞼を開き、俺を見る。
 その目は深い紫色。底知れない闇が、瞳の奥で静かに蠢いていた。

 そして、"魔女"はワイバーンの背からな軽やかに、ひらりと宙を舞って降り立った。
 黒いローブがふわりと広がる。

 そうして、一歩。また、一歩と俺の方へと近づいて来る。

「あなたもこの家の子どもよね? 黒髪の、名前は確か……レン、だったかしら?」

 魔女は俺の名を口にしながら、微笑む。
 それは優しげなのに——まるで「この後に起きること」を心の底から楽しんでいる化け物の笑みだった。

「なんで、俺の名前を……」

「さぁ、なんででしょうね」

 魔女は、まるで子どもの悪戯でも思い返しているかのように、細く笑った。
 炎の光に照らされた頬は赤く染まり、そのくせ不思議なくらい冷たい気配だけが肌に刺さる。

「カーリスの家の子……アイツの、子ども。……最初は、あなたからにしましょうか」

 足音は静か。
 けれど、彼女が一歩近づくごとに肌が粟立つ。

 ——殺される。

 理由なんてわからない。
 でも、わかってしまう。
 この女はためらいなく俺を殺す。
 息を吸うくらいの自然さで。

「安心して。痛みは……そんなに長く続かないわ」

 魔女はすっと手を前に伸ばす。
 指先に淡く赤い光が灯り、ひどく冷たい"死の気配"が周囲の空気を凍らせる。

「や、やめろ……」

 声は震えていた。
 足も、胸も、呼吸すらまともじゃない。

 逃げられない。

「レンッ!!!」

 ソフィアが叫んだ。
 でも、その願いは届かない。
 魔女が一歩踏み込み、光が弾けた。

 死が、目の前に迫る。

 ——その瞬間。

 炎と煙を切り裂いて、小さな影が横から飛び込んできた。

「レンさんから離れろッッ!!」

 甲高い怒号。
 短い刃が閃き、魔女の手の光に叩きつけられる。

 ガンッ!!

 衝撃音が響き、光が弾け飛んだ。

「……あら」

 魔女の手元から光が散り、動きが一瞬止まる。

 俺の目の前に飛び出して来たのは——

「リオ……!?」

 煤で真っ黒になり、腕も足も震え、息は荒い。
 それでも、リオは俺の前に立ちはだかり、小さな体で訓練用の"武機"を構えた。

「レンさんを、殺させてたまるかよ……」

 リオの声は震えている。
 それでも、その背中はたしかに俺を守ろうとしていた。

「リオッ! 下がれ!!」

「いやだ!」

 その言葉に、魔女はほんのわずかだけ眉を動かした。

「……へぇ」

 紫の瞳が、興味深そうに細められる。

「あなたも、アイツの子どもね? なるほど……守り合うなんて、まるで"家族"みたいじゃない」

 ぞわり、と背筋をなでるような声。
 魔女は一歩、リオへ近づく。

「でも残念。——あなた達が守りたいものは、今日すべて、私が壊してあげる!」

「くそがぁっ!」

 リオが刃を構える。
 小さな手は震え、汗と煤で滑りそうになっている。
 それでも——引かなかった。

「はあああああッ!!」

 リオが叫び、全身の力を振り絞って刃を振り下ろした。
 訓練用の”武機”——それでも、子どもの腕力とは思えないほどの速さと鋭さだった。

 刃が、魔女へと吸い込まれる。

 ——届くはずの距離だった。

 だが。

「……危なっかしいわね」

 魔女は視線すら寄越さなかった。
 まるで見飽きた虫でも相手にしているかのように、体をわずかに傾けるだけで、リオの一撃を避ける。

 刃は空を裂き、虚しく炎の熱へ溶け込んだ。

「なっ……!」

 リオは踏み込みの勢いを殺せず、よろめく。

 魔女はようやく目線を落とし、退屈そうに言った。

「本当に——弱いのね」

 その言葉は、燃え盛る炎よりも冷たかった。

 魔女はゆっくりと右手を持ち上げた。
 次の瞬間——

 パチン。

 軽い指鳴らしの音が、異様なほど耳に残る。

「逃げろ、リオッ!!!」

 俺が声を張り上げた瞬間だった。

 炎の壁の影から、巨体が弾丸のように突っ込んできた。
 ワイバーンが、地面を削りながら横合いから食らいつく。

「——ぁっ」

 その牙は、あまりにも速く、鋭く、重かった。

 リオの体は、刃を構えた姿勢のまま宙へ持ち上がり——ワイバーンの強靭な顎に、まるで布切れのように挟み込まれた。

「「リオッッッ!!!!」」

 喉が裂けるような叫びが自分とソフィアから漏れた。

 火の粉が舞う。
 ワイバーンはそのままリオの小さな体を咥え上げ、地面に叩きつけるように揺さぶった。

「やめろぉぉおおお!!!」

 腕が震える。足が勝手に前へ出る。
 でも間に合わない。間に合うはずがない。

「……ふふ、アハハ」

 魔女は微笑む。

「あぁ、いいわね。アイツの大切なものが、壊れる音」

「や……やめて……やめろよ!!!」

 声は涙で詰まり、視界は赤く滲む。
 全身が震え、胸が潰れ、呼吸がうまくできない。

 ワイバーンはゆっくりと頭を持ち上げ、リオを咥えたまま魔女の横に立つ。

 魔女はその頭を撫でながら、俺を見た。

「一人目、終わり」

 炎が揺れる。
 灰が舞う。
 世界の音が遠のく。

 ソフィアの悲鳴すら、もう聞こえなかった。
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