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16. 分かりにくい優しさ

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  声は小さかったけど、間違いなくメイリン男爵令嬢は、今、私の名前を呟いた。

「……どうして私の名前を?」

  私がそう訊ねると、メイリン男爵令嬢は一瞬『しまった!』って顔をしたように見えたけれど、すぐにその顔を戻し私に笑顔を向けながら口を開いた。

「レインヴァルト殿下の婚約者であるフィオーラ・オックスタード侯爵令嬢様を知らない人間なんていませんわ!」

  …………ん?

  それを聞いて私は疑問に思う。
  “フィオーラ・オックスタード侯爵令嬢”というレインヴァルト殿下の婚約者の存在を知っている人は多くいても、学園に通っている人達以外で私の顔までしっかり知っている人というのは……なかなかいないはずなのだ。
  ましてや、彼女は新入生だから尚更不思議に思えてならない。

「……貴女は随分と情報に詳しい方なのね」
「はい?」
「私は、確かに貴女の言う通り、レインヴァルト殿下の婚約者であるフィオーラ・オックスタードと申します。ですが私はまだ表舞台に立った事がありません。だから、あまり学園以外では顔を知られていないのだけれど、貴女は新入生なのに私の顔を知っているみたいだったから……」

  私がいまだに表舞台に出ていない理由はただ1つ。
  私はまだ社交界デビューをしていないから。

  この国では16歳以上であればいつでも可能なのだが、私はそれとなく断り続けてきた。
  両親は『殿下の婚約者なのだから、早くデビューして顔を売るべきだ』と散々説得してきたけれど、私は時が戻ったこの2年、頑なに首を横に振り続けてきた。

  もちろん理由は、将来、婚約破棄の可能性があるから。出来る事ならいたずらに顔など売りたくはない。
  (ちなみに今世以外の過去の人生は全て16歳の時にデビューを済ませていた。今世はデビュー前に戻ったので延ばす事が出来ている)

「え?  ……社交界デビュー……していないのですか?」

  メイリン男爵令嬢は、かなり驚いているようで目が大きく見開かれている。

「していないわ」
「レインヴァルト殿下の婚約者なのに、ですか?」
「ええ。だから不思議だなと思いまして。先程貴女が私を知らない人間なんていませんわ!  と言うものですから」
「え?  何で……違う……そんな設定……どうして……」

  何故かメイリン男爵令嬢の顔には焦りの様子が見て取れる。しかも、小さな声でブツブツと何か呟いている。
  やがて彼女は慌てた様に言った。

「そ、そうなのです!  私にはちょっとした、つ、伝手がありまして!  そ、そう!  そこでフィオーラ様のお顔を知ったのですわ!!」

  何だか吃っているし、明らかに嘘よね?  と問いたくなるけれど、ここでそれを追求してもしょうがないのでそのまま受け入れる事にした。
  ……もちろん疑問は残るけれども。

「……そう、なのね」
「お、お声かけいただき、ありがとうございました!  でも、私は大丈夫ですのでこれで失礼しますねっ!!」

  そう言ってメイリン男爵令嬢は、私に軽く礼をして足早にこの場を去っていく。
  その足取りは迷う事なく、入学式の会場へと向かって行った。

「あれ?  ……迷子だったんじゃ……?」

  その場に取り残された私はポツリと呟いた。
  ちゃんと場所を分かってそうな足取りだったように感じたのだけど。

「何だか……別の意味で不気味だわ……」

  と、その場で呟きながら考え込んでいたら、

「フィオーラ」
「ひっ!」

  突然後ろから名前を呼ばれた。
  ビックリして一緒に肩も跳ねてしまった。

  いやいや、ちょっと待って?
  ………………この声って。

「フィオーラ」

  2回も呼ばれたので、もうこれは間違いないと分かる。
  私はおそるおそる振り返った。
  そこには思った通りの人物が立っていた。

「な、な、何故ここにいるんですか?  レ、レインヴァルト様……」

  そんな私の問いかけにレインヴァルト様はニッコリ笑って言った。
  笑っているけど少し怒っているような気がする。
  やっぱりさっき呼び止めていたのを無視してしまったから?

「何で?  とは心外だな。俺はフィオーラを迎えに来ただけだぞ」

  その事に何の問題が?  と言った顔でレインヴァルト様は言ってのけた。

「入学式は?  スピーチはどうしたんです?」
「入学式は、もうすぐ始まるだろ。スピーチは、まぁ……時間を少し後にしてもらった」

  なんですって!?
  私は驚きが隠せない。何しちゃってるの、この人は。

「お前を放っておけるわけないだろ?」
「……」
「ほら、行くぞ。さすがに行かねぇとそろそろヤバイ」

  レインヴァルト様に手を引かれ私も一緒に会場に向かう。

「それで……何で1人だったんだ?  迷子はどうした?」

  レインヴァルト様が、歩きながら聞いてくる。
  ……こう聞いてくるって事は、レインヴァルト様とメイリン男爵令嬢は会っていないんだ……

  その事にホッとした。

「迷子……だと思ったのですけど、どうやら大丈夫そうでした。声をかけた後は迷う素振りもなく会場に向かわれましたから」
「……そうなのか?」

  レインヴァルト様の目がちょっと見開いた。
  どうやら驚いてるようだった。

「そういえば、私達の入学式の時、具合を悪くした私をレインヴァルト様は医務室に運んでくださいましたけど、あの時、レインヴァルト様も迷わず医務室に向かっていましたよね?  すでに入学前から医務室の場所をご存知だったのですか?」
「え?」

  あの時、ふと疑問に感じた事を何となく思い出したので聞いてみたら、レインヴァルト様はびっくりした顔をして固まった。
  どうしてそんなに驚くの?  そんな変な事を聞いてしまったかしら?

「……………………予め、学園内の配置は頭に入れていたからな」
「あぁ、そうだったんですね。大変でしたね」
「……」

  ちょっとだけ、レインヴァルト様も、記憶を持っていたなら知っていて当然だったのかも……なんて考えてしまったけど、どうやらそれは私の考え過ぎだったみたい。

  そんな事を考えていたから、横でレインヴァルト様が複雑そうな顔をしている事に私は気付かなかった。

  




  その後の入学式は順調に進んだ。
  レインヴァルト様のスピーチも、順番の変更はあったもののしっかり行われた。
  新入生達は、王族に祝いの言葉を貰って嬉しそうにしていた。

  だけどそんな中、私はどうしてもメイリン男爵令嬢からずっと目を離せずにいた。



「お前は俺がスピーチしている間、いったいどこ見てたんだよ!」
「……え?」

  スピーチを終えたレインヴァルト様が、私の側に来て怒りを含んだ声で問い詰めてきた。

「お前がちっとも俺を見ないで余所見していた事は分かってんだぞ」
「えぇ?」

  確かに私はメイリン男爵令嬢に気を取られていた。それは間違いない。
  しかし何故、壇上にいてスピーチをしていた筈のレインヴァルト様がそれを知っているの?

「……ったく!  フィオーラはいつもそうなんだよな」
「え、いや、すみませんでした」
「そう素直に謝られるってのもなぁ……」
「うぅ」

  私は申し訳なさに項垂れる。

「フィオーラ」

  名前を呼ばれたので顔を上げると、レインヴァルト様は私に顔を近付けて、額に軽くキスを落とした。

「……へ?」
「これで、少しは頭の中、俺でいっぱいにしろ」
「!?」

  いやいやいや、それは無茶苦茶な要求です!

  だけど、
  メイリン男爵令嬢の登場に怯えて塞ぎ込んでいた気持ちが吹き飛んだのは事実で。

  ……もしかしたら、レインヴァルト様は私が元気ないのを感じてわざとこう振舞ったのかもしれない。
  そんないつもの分かりにくい優しさが今はとても温かく感じた。

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