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第34話 貴族
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ポリムの執務室は空気が固まったように静まり返っていた。
アイシスの言葉を聞いて、ポリムとリディは顔を見合わせた。二人ともどうしたものかと考えあぐねている。
アイシスがそれで納得するならと思うが、リディ達に同行したいという理由がわからなかった。
「……理由を聞いても?」
尋ねたのはリディだった。
「被害にあっているのはアキュレティ家の領地よ」
アイシスは静かに口を開く。
「村が……、領民が無惨に襲われるのを力のない私は黙って見ることしかできない。でも、領民がどんな被害にあったのか、それを直接知るのは領主であるアキュレティ家の義務よ」
アキュレティ領の領主はアイシスの父であり、アイシスはまだ実権は持たない。
そのため今のアイシスに力はなく、ただ黙って見ていることしかできないのが現実だった。
それでも、何もできなくても、せめて自身の家の領地で何が起こっているのかを知りたい。それがアイシスの願いだった。
(耳が痛いな……)
アイシスの言葉を聞いてリディは目を閉じてひとつ溜息をついた。
リディはアイシスの言葉から将来領主になる者としての、貴族としての覚悟を感じていた。
リディ自身は意味があることと考えているとはいえ、本来すべきことを王都に置いたままこうして旅をしているリディの胸に刺さる言葉だった。
「……わかった」
「お、おい」
リディの肯定の返事は想定外だったのか、驚いたのはポリムだった。
「その代わり村への同行中は私の指示に従ってもらう。勝手な行動は禁止だ、いいな」
「えぇ、わかったわ。……と言いたいのだけれど」
リディの示した条件に対して、アイシスの口から出たのは素直な返事ではなかった。
「――その前に、あなたが何者か教えてくれるかしら?」
アイシスは透き通るような青い瞳でリディを射抜いた。
アイシスは冷静な頭で考えると、ふとリディの素性を何も聞いていないことに気がついた。アイシスがリディについて知っていることは、ポリムから捜査協力依頼を受けたということと、本名かどうかも分からない『リディ』という呼び名だけだ。
意趣返しの意味もあったが、リディ達に同行するということはリディ達に自分の命を預けることに等しい。先程の件で信用できると判断はしていたが、素性を知らぬものに命を預けるわけにもいかなかった。
「あ、あぁ彼女は王都の近衛……」
横でポリムが説明しようとするが、リディはそれを手で遮る。
そして、リディはアイシスの方へと歩み寄る。
西日の差し込みオレンジに染まる部屋で二人の影が近づいていき、影が重なる手前で止まる。
「――リディアンヌ・フォン・ライフェルト。ライフェルト公爵家が嫡女リディアンヌ」
リディは胸を張り、右足を引き片手を前にアイシスに対して恭しく一礼する。
太陽の光を受けて、リディの金色の髪がきらきらと輝く。
「それが私の名前です。アイシス様、どうぞお見知りおきを」
リディが顔を上げると、そこには引きつった顔のアイシスがいた。
「ラ、ライフェルト家のご令嬢……?」
リディの明かした身分はアイシスが予想だにしていなかったもので、アイシスは身動きが取れなくなってしまった。
ライフェルト家といえば、王家に連なる大貴族だ。アイシスのアキュレティ家とは文字通り格が違う貴族である。
そのリディがふざけているのか真面目なのか、アイシスに対して謙る態度を取ったため、アイシスの脳内は混乱を極めた。
「ほ、本当に……?」
「ん?私の真似をして証明しろということか?」
「い、いや」
「まぁ、構わんが、ちょっと待ってろ」
リディは元の気さくな態度に戻って、アイシスの返事を待たずに身分を証明するための品を荷物から探し始めた。整理などされていない袋の中を腕を伸ばしてごそごそと漁り、袋の底に追いやられていたソレを見つけた。
「あったあった、これでどうだ」
リディが見せたのは印章だった。サイズは小さいが豪奢な細工が施されており印面にはライフェルト家の紋章が刻まれている。
まごうことなき、ライフェルト家の印章であった。
貴族間のネットワークは強い。情報はすぐに巡るし、どこの貴族がどれだけの力を持っているか、あるいは衰退を始めているかなどという噂話は貴族たちの大好物である。
当然ながら大貴族であるほどその噂話の種となる機会が多くなる。そういった噂話をあまり好まないアイシスでさえもライフェルト家のことは知っている。この国の貴族にとってライフェルト家の存在は常識であるためだ。
アイシスは自身の記憶をたどる。アイシスの記憶が正しければ、ライフェルト家の娘は王女の侍女として仕えていたはずだった。数年前に催された王女の生誕祭にアイシスも参加していた。そして、確かに王女には側仕えしている女性がいた。王女はアイシスと同じ歳の長い黒髪の美しい少女であったが、側にいた女性は金色の長い髪の、王女よりも幾分年上の女性だった。
そして記憶の中に浮かぶその女性の顔は、目の前にいるリディと名乗る女性と一致していた。
「な、なんで……」
なぜ大貴族のご令嬢が長く美しかった髪を切って、冒険者として今目の前にいるのかアイシスにはさっぱり理解できず、ただ戸惑うことしかできない。
「アイシス」
「ひゃ、ひゃい!」
リディに斬りかかられた時とは別の緊張がアイシスを襲っていた。
「あなたの貴族としての覚悟、振る舞い。称賛に値するものだった。だから、私もあなたに対しては貴族としてちゃんと名乗ることにした。騙すような真似をしてすまない」
「い、いえ。そんな……」
「2つの村を見に行く間、あなたのことは責任を持って私が守ろう」
貴族であるアイシスの守護を誓うリディのその姿は、ご令嬢でも侍女でもなかった。
そこにいたのは、『騎士』そのものだった。
アイシスの言葉を聞いて、ポリムとリディは顔を見合わせた。二人ともどうしたものかと考えあぐねている。
アイシスがそれで納得するならと思うが、リディ達に同行したいという理由がわからなかった。
「……理由を聞いても?」
尋ねたのはリディだった。
「被害にあっているのはアキュレティ家の領地よ」
アイシスは静かに口を開く。
「村が……、領民が無惨に襲われるのを力のない私は黙って見ることしかできない。でも、領民がどんな被害にあったのか、それを直接知るのは領主であるアキュレティ家の義務よ」
アキュレティ領の領主はアイシスの父であり、アイシスはまだ実権は持たない。
そのため今のアイシスに力はなく、ただ黙って見ていることしかできないのが現実だった。
それでも、何もできなくても、せめて自身の家の領地で何が起こっているのかを知りたい。それがアイシスの願いだった。
(耳が痛いな……)
アイシスの言葉を聞いてリディは目を閉じてひとつ溜息をついた。
リディはアイシスの言葉から将来領主になる者としての、貴族としての覚悟を感じていた。
リディ自身は意味があることと考えているとはいえ、本来すべきことを王都に置いたままこうして旅をしているリディの胸に刺さる言葉だった。
「……わかった」
「お、おい」
リディの肯定の返事は想定外だったのか、驚いたのはポリムだった。
「その代わり村への同行中は私の指示に従ってもらう。勝手な行動は禁止だ、いいな」
「えぇ、わかったわ。……と言いたいのだけれど」
リディの示した条件に対して、アイシスの口から出たのは素直な返事ではなかった。
「――その前に、あなたが何者か教えてくれるかしら?」
アイシスは透き通るような青い瞳でリディを射抜いた。
アイシスは冷静な頭で考えると、ふとリディの素性を何も聞いていないことに気がついた。アイシスがリディについて知っていることは、ポリムから捜査協力依頼を受けたということと、本名かどうかも分からない『リディ』という呼び名だけだ。
意趣返しの意味もあったが、リディ達に同行するということはリディ達に自分の命を預けることに等しい。先程の件で信用できると判断はしていたが、素性を知らぬものに命を預けるわけにもいかなかった。
「あ、あぁ彼女は王都の近衛……」
横でポリムが説明しようとするが、リディはそれを手で遮る。
そして、リディはアイシスの方へと歩み寄る。
西日の差し込みオレンジに染まる部屋で二人の影が近づいていき、影が重なる手前で止まる。
「――リディアンヌ・フォン・ライフェルト。ライフェルト公爵家が嫡女リディアンヌ」
リディは胸を張り、右足を引き片手を前にアイシスに対して恭しく一礼する。
太陽の光を受けて、リディの金色の髪がきらきらと輝く。
「それが私の名前です。アイシス様、どうぞお見知りおきを」
リディが顔を上げると、そこには引きつった顔のアイシスがいた。
「ラ、ライフェルト家のご令嬢……?」
リディの明かした身分はアイシスが予想だにしていなかったもので、アイシスは身動きが取れなくなってしまった。
ライフェルト家といえば、王家に連なる大貴族だ。アイシスのアキュレティ家とは文字通り格が違う貴族である。
そのリディがふざけているのか真面目なのか、アイシスに対して謙る態度を取ったため、アイシスの脳内は混乱を極めた。
「ほ、本当に……?」
「ん?私の真似をして証明しろということか?」
「い、いや」
「まぁ、構わんが、ちょっと待ってろ」
リディは元の気さくな態度に戻って、アイシスの返事を待たずに身分を証明するための品を荷物から探し始めた。整理などされていない袋の中を腕を伸ばしてごそごそと漁り、袋の底に追いやられていたソレを見つけた。
「あったあった、これでどうだ」
リディが見せたのは印章だった。サイズは小さいが豪奢な細工が施されており印面にはライフェルト家の紋章が刻まれている。
まごうことなき、ライフェルト家の印章であった。
貴族間のネットワークは強い。情報はすぐに巡るし、どこの貴族がどれだけの力を持っているか、あるいは衰退を始めているかなどという噂話は貴族たちの大好物である。
当然ながら大貴族であるほどその噂話の種となる機会が多くなる。そういった噂話をあまり好まないアイシスでさえもライフェルト家のことは知っている。この国の貴族にとってライフェルト家の存在は常識であるためだ。
アイシスは自身の記憶をたどる。アイシスの記憶が正しければ、ライフェルト家の娘は王女の侍女として仕えていたはずだった。数年前に催された王女の生誕祭にアイシスも参加していた。そして、確かに王女には側仕えしている女性がいた。王女はアイシスと同じ歳の長い黒髪の美しい少女であったが、側にいた女性は金色の長い髪の、王女よりも幾分年上の女性だった。
そして記憶の中に浮かぶその女性の顔は、目の前にいるリディと名乗る女性と一致していた。
「な、なんで……」
なぜ大貴族のご令嬢が長く美しかった髪を切って、冒険者として今目の前にいるのかアイシスにはさっぱり理解できず、ただ戸惑うことしかできない。
「アイシス」
「ひゃ、ひゃい!」
リディに斬りかかられた時とは別の緊張がアイシスを襲っていた。
「あなたの貴族としての覚悟、振る舞い。称賛に値するものだった。だから、私もあなたに対しては貴族としてちゃんと名乗ることにした。騙すような真似をしてすまない」
「い、いえ。そんな……」
「2つの村を見に行く間、あなたのことは責任を持って私が守ろう」
貴族であるアイシスの守護を誓うリディのその姿は、ご令嬢でも侍女でもなかった。
そこにいたのは、『騎士』そのものだった。
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