魔獣の友

猫山知紀

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第43話 火球

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 草原は静まり返っていた。
 ニケは両手を伸ばしたまま動かず、何かを待っているようにそのままの姿勢でいる。

 草原に風が吹き始める。
 始めは弱く、草原の草を撫でるようにニケの掲げる手の先へと風が集まっていく。

 徐々に、徐々に強く草原の草花を引っ張るように風が強さを増していく。

 ニケの手のひらの前には風が集まり、その中心に小さな火球が現れる。
 周りの空気を集めるように、火球を中心に風が集まり火球はじわじわと膨れ上がっていく。

 リディはニケのそばにいるのは危険と判断して、アイシスをつれてニケの側から離れる。
 アイシスにはリディを盾にするように伝え、アイシスはリディの服の裾を掴んでリディの腰の横からニケの様子を覗き込んだ。

 ニケが作る火球は膨らみ続け、やがてニケの身長と同じぐらいになった。

「あ、あんなに大きい火の玉を作ってニケ君は大丈夫なのかしら?」
「あのサイズの火球は以前ニケは簡単に作っていた。その時はこんなに時間をかけてはいない」

 ――ということは。

「まだ終わらない」
「えっ!?」

 リディの言葉を肯定するように火球はまだ膨らみ続ける。ニケ自身の魔力だけでなく、周囲の魔力を吸い込むように周りから風が集まり、魔力が圧縮されながら火球が形作られる。

 距離はとったがリディとアイシスにも火球の熱が感じられるようになってくる。人という存在は本能的に火を恐れるのか、発生源がニケだとしてもこの眼の前にある巨大な火球に対して軽く恐怖を感じる。
 この熱量で近くにいるニケは大丈夫なのかとリディはニケの表情をうかがってみるが、そこにはいつもの表情に乏しいニケの顔があった。力が入っているわけでもない、熱さに顔を歪めるでもない。いつもどおりの飄々とした表情で両手を掲げ火球の中心を見つめている。

 火球を取り巻く風は勢いを増し、火球の大きさはニケの身長の3倍ほどになった。
 リディは自身の正面に魔法で風の膜を作り、火球の熱から自身とアイシスを守っていた。
 火球の中心は直視すると目がくらむほどの輝きを放ち、溢れ出る熱はリディの魔法を超えて伝わり、リディの後ろに隠れているアイシスは熱さに表情を歪ませていた。

 これ以上は危険だと感じ、リディがニケを止めようとした時だった――。

 火球の周りを荒れ狂っていた風がぴたりと止んだ。

 辺りに静けさが戻る。

 それと同時にニケが火球に向かって掲げていた両手を後ろに引く。

「せーのっ!」

 ニケは掛け声と共に後ろに引いた両手を一気に突き出した。

 その動きに合わせてドンッという衝撃と共に火球が一気に加速して上方めがけて放たれる。アイシスの水球の速度など比ではない。ぶっ飛ぶような速度で火球は遥かへ飛んでいき曇天の雲を貫き、ポッカリと穴を開けた。

 そして――。

「やぁ!!」

 というニケの声に合わせて火球が爆裂するのが雲に開いた穴から見えた。

 そこからリディにはすべてがゆっくりに見えた。

 火球が一瞬強く輝き、周りにあった雲が瞬間的に霧散する。
 火球が爆散した衝撃は球形に広がり、火球の直下にあった草原の草がまず大きく揺れたのが遠くに見えた。そして、その衝撃は徐々にリディ達の方へと向かってくる。大海の波のように遠くの草花から続々と風圧で倒される。
 その衝撃が到達する前にリディはすばやくアイシスを庇うように抱きかかえて屈み込み、背中を丸めて衝撃波に備えた。

 そのとき、火球を放ち終わったニケは両手で耳を塞いでいた。

 向かってきていた衝撃波がリディたちを襲う。
 台風のような風圧が襲ったと思ったら、近くに落雷が落ちたような轟音が轟く。
 その直後に、今度は通り過ぎた風が戻るような強い吹き戻しを経て、辺りの状況は徐々に落ち着いていった。

 落ち着いたのを確認してリディが顔を上げると。
 先程まで完全に覆われていた曇天にはぽっかりと一箇所大きな穴が空き、のびのびと育っていた草原の草は、巨人が寝そべってゴロゴロ転がった跡のように一方向に向かって倒れていた。

「アイシス、大丈夫か?」
「し、死ぬかと思ったわ」

 爆発の衝撃は凄まじかったが、リディにもアイシスにも怪我はなかった。

「どうだった?」

 リディ達の元へニケがトコトコと歩いてやってくる。

「ニケも怪我はないか?」
「……?ないけど」

 ニケは首を傾げながら答える。

「それで、どうだった?」
「あ、あぁ。すごかったぞ……本当に……すごすぎるぐらいだ」

 リディはその言葉を絞り出した。

 本当は叱らねばならないが、思いっきり魔法を放てと言ったのはリディ自身だ。
 ニケの魔法の実力を把握していなかった自分のミスだと、リディは自分に言い聞かせた。

「ホント?……よかった」

 リディに認めてもらってホッとしたようなニケの表情を見て、なおさらリディに説教などできるわけがなかった。

 時間をおいて、今回のことは後でニケにしっかり伝えようとリディが先送りしようとした時だった。
 二人の様子を見ていたアイシスが動いた。

「ニケ君、ニケ君の魔法は確かにすごかったわ。私の魔法の何十倍、いや、何百倍の威力だったもの。でもに私は同時にとっても怖かったの」
「怖かった……?」
「そう、ニケ君には撃てて当然の魔法かもしれないけど、今の魔法はとんでもない威力よ。うちの学校の先生でも無理。いえ、世界中を探しても数人いるかどうかよ」
「そう、なの……?」

 ニケはリディの方をちらりと見る。そして、リディは頷き返す。

「だから、あんまり威力の大きい魔法をいきなり放っちゃだめよ。ニケ君だって、いきなり大きい音を出されたら、びっくりするでしょう」
「……うん」
「それと同じで、今の魔法を見た人は大きい音と比較にならないぐらいびっくりするし、近くに建物があったりしたら大変なことになるわ。だから、今の魔法を気軽に撃ったりしちゃ絶対に駄目よ」

 アイシスはなるべくニケにわかりやすいように言葉を選びながら、ニケの魔法の危険性を伝える。

「ごめん、なさい」
「ううん、私達には謝らなくていいの。ニケ君だって自分の魔法の威力が周りと比べてどうかなんて知らなかったんだもの。今回のはしょうがないわ。でもね『無知は罪』って言う人だっているの。自分の行動が周りどんな影響を与えるかを想像することは重要よ」

 世の中には『知らなかったでは済まされない』ことが多々ある。当事者からすればそれは理不尽に映るものだが、ニケの魔法の件のような大きなものでなくても、例えば貴族間のルールや暗黙の了解など、人と人が関わる時には当然のように暗黙知が存在する。

 それを知らずに破ってしまうと、鼻つまみ者の扱いをうけ、不利益を被ることにつながってしまうのだ。貴族社会を見てきたアイシスにはそれが特に身に沁みていた。

「どういうことをしちゃいけないか、わからない……かも」
「大丈夫、私とリディがちゃんと教えるわ。それと、心配なことがあったらニケ君の方からも聞いてね」
「えと、わかった」
「イダンセに着くまで時間はたっぷりあるわ。その間にお勉強しましょう」

 アイシスの言う通りイダンセに到着するためには、まだ2日以上歩く必要がある。その帰り道でニケに色々と常識を教えようとアイシスは決めた。

「じゃあ、この話はこれでおしまいね。ちょっと中断しちゃったけど、次はリディの番ね。リディにもすごい魔法を期待してるわよ」

 今回やっていたのは元々は魔法の威力比べだった。アイシスの言葉を受けてリディは二人から離れるため立ち位置を移動する。
 そしてその際、すれ違いざまにアイシスに小声で声をかけた。

「すまん、助かった」
「あなた、ニケ君に対しては甘いわね。教えるべきときにしっかり教えないとダメだと思うわ」
「肝に銘じるよ」

 そうして、リディはアイシスとニケから少し離れた位置に向かった。



 ニケの魔法の余韻もすっかり収まり、草原には穏やかな風が流れている。

「さて、最後は私だな」

 アイシス、ニケと魔法を披露し、最後はリディの番だった。
 リディは魔法を放つために前へと歩み出る。

「なにか見たい魔法はあるか?火、水、地、風、雷どれでもいいぞ」

 リディはニケとアイシスにリクエストを求めた。

「リディは器用なのね」

 魔法の習得は得意な魔法をまず習得し、そこで覚えた基礎を応用して、別の魔法を習得するというのが一般的な流れだ。
 それぞれの魔法を実用レベルにするのにもそこそこの年月が必要で、極めようと思えばキリがないため、普通習得できるのは2種類、覚えが速い者でも3種類で止める者が多い。

 5種類もの魔法を実用レベルで運用することができるリディは、数少ない人間の内の一人と言ってよかった。

「水と雷は見たことあるから……地がいい」

 水の魔法はヒジカ退治のときに、雷の魔法は魚を獲るときにリディが使ったのをニケは見ていた。せっかくなら見たことがないものが良いと思って、ニケは『地』の魔法をリクエストした。

「地だな。わかった」

 そう言うとリディは目を閉じて集中を始める。

 体の前に両手を構え魔力を集める。
 大地から魔力を吸い上げるようにリディの足を魔力が上がっていくのが、ニケにはぼんやり見えた。

 魔力が高まり、リディの両手がぼんやりと土色に光り始める。
 そして、それに呼応するようにリディの足元に地割れが走る。

 リディの集中が一段と高まったときリディはカッと目を見開き、魔力を蓄えた両手を地面に叩きつけた。

 リディの両手から魔力が地面に流し込まれると、ドゴォ!という音と共にリディの数歩前の地面が壁を作るように一気に盛り上がる。
 高さはリディの身長の二倍ほど、幅は歩幅で十歩ほどの巨大な土の壁だった。

「はぁ、はぁ……どうだ!」

 リディは振り返ってアイシス達の反応の見た。

「すごい……けど、ニケ君の後だと霞むわね」
「言うなっ! これだって十分すごいんだぞ! すっごい丈夫で敵の攻撃を通さないんだ」

 作った壁をバンバン叩きながらリディはそう主張する。

「試してもいい?」

 ニケは質問するとリディに壁から離れるように言う。そしてリディが安全な位置まで離れたことを確認すると、いつかケルベたちと遊んだ時と同じサイズの火球を壁に向かってぶん投げた。

 ニケが投げた火球は壁に衝突し爆発する。先程の巨大な火球ほどではないが、結構な衝撃が離れて立っているアイシスのところにも届いた。
 そんな火球の爆発を受けてもリディの作った壁はびくともしていなかった。
 焦げ跡は付いたがひび割れなどもなく崩れる様子はない。壁の反対側はきれいな草原のままになっていて、熱も衝撃も伝わっていないようだった。

「ほんとだ。硬い……」
「どうだ、見たか!」

 リディの作った壁は土を固めただけのような外見をしていてパラパラと固まりきっていない土が細かく崩れていることもあり、見た目はあまり頑丈そうには見えない。
 しかし、その実かなりの強度を誇っていて、騎士団にいた頃にも活躍していたリディ自慢の魔法の一つだった。

 アイシスとニケは火球の当たった焦げた壁を触ってみるが、脆くなっている様子もなかった。アイシスが軽く壁を小突いてみると、表面はパラパラと崩れるものの、そのすぐ奥にはがっしりとした壁が埋まっているのが確認できた。

「さっきのニケ君の魔法を撃ったらどうなるのかしらね?」

 壁を触っていたアイシスがそんなことを言い出す。

「ちょっと待て! さっきのはダメだ。危ないからダメだ!」
「冗談よ。この壁だって私からみれば十分すごいわ」

 そう言ってアイシスは壁の観察に戻り、3人の勝負も終わりを告げた。


「さて、3人とも魔法は披露したけれど、やっぱり順位はつけるのかしら?」
「まぁ、せっかくだしな。とはいえもう決まっているようなものだが」

 魔法に関しては3人が全力で魔法を放って誰が一番すごかったかで、順位を決めることになっていた。そして議論の余地なく、その順番も決まる。

 一位 ニケ
 二位 リディ
 三位 アイシス

 三人とも納得の結果だった。

 草原での気分転換を終え、3人は少しリフレッシュした心持ちだった。
 精神面だけではなく気分転換の勝負で消費した体力、魔力も回復するため、草原でしばし休憩する。

 とはいえ、アイシスやニケは元気が余っているのか、二人で並んで魔法を撃つ練習などをしていた。リディはその様子を少し離れた場所で、若い者は元気だなと思いながら見ていた。ゆっくりとした時間が流れる穏やかな時間だった。
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