魔獣の友

猫山知紀

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第46話 馬車

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 ガタゴト、ガタゴトとニケとアイシスを乗せた馬車は道を走っていく。ガタガタという揺れは、疲れた体に初めは心地よさをもたらした。しかし、時折地面の石に車輪が引っかかり、ガタンと大きく揺れて目が覚めるので、眠りこけるには至らなかった。

 幌の中は布の隙間から差し込む光で仄かに明るかった。ボロ布の幌にはところどころ穴もあいている。穴から差し込む光は線となって木漏れ日のように荷車の床を照らしていた。

 ガタンという揺れに眠気を邪魔されることを数回経たが馬車が停まる気配がない。不審な気配を感じ、揺れがなくてもアイシスの脳から眠気の霧は晴れていった。

(もう、とっくにウチについてもいい時間なのに……)

 アイシスの感覚で正確ではないと思うが、4日前に徒歩で門まで行くのにかかった時間はとうに過ぎている。アキュレティ邸からイダンセの門までは一本道だし、遠回りをしたとも考えづらい。馬車は明らかにアイシスの家とは別の場所へと向かっていた。

 アイシスたちの正面に座っている兵士は片膝を立て、剣を抱えるようにして座っている。

 兵士の様子を見つつ近くにある幌の穴を広げて、外の様子を窺う。アイシスの行動に気づいているだろうが兵士がアイシスを止めることはなかった。

 外に見えたのはイダンセの街並みだ。
 だが、アキュレティ家は通り過ぎ、すでにイダンセの街外れに近づくところだった。

「どこに連れて行く気なのかしら?」
「さすがに気づきましたか」

 気づくのが遅すぎるとでも言いたげに、兵士が皮肉を込めて言う。

「私は家に帰りたいのだけれど」
「馬車で送るとは言いましたが、家に送るとは一言も言っていませんよ。このまましばらく馬車で旅の続きをお楽しみください」
「だったら、もう少し快適な馬車を用意してもらいたいものね」
「すみませんね、キドナ様が今回の件に金をかけたくないとおっしゃるもので」

 兵士はキドナという名前をはっきりと口にした。
 キドナとはアイシスの家であり、イダンセを含むこの地域の領主であるアキュレティ家が個人的に雇っている私兵団の兵長である。

 そのキドナがこの兵士に命令し、アイシスをどこかへ連れて行こうとしている。

 その言葉を聞いてアイシスが抱いたのは『まさか』ではなく、『やっぱり』という思いだった。

 キドナは元々心優しい実直な兵士だった。アイシスが小さかった頃よりアキュレティ家に仕え、若くして兵士長になった優秀な兵士だ。

 そんなキドナに変化が見られたのはここ半年ほどのことだった。
 いつも穏やかだった性格は徐々になりを潜め、乱暴な言動が目立つようになった。欲望に忠実になったと言ってもいい。
 部下を顎で使うようになり、給与を上げるようにアイシスの父に要求したり、アキュレティ家には無断で、民間の護衛を高い金を取って行っているという話も聞いている。
 とにかく金を欲するような言動が多くなった。

 昔アイシスはキドナによく遊んでもらっていたため、当初はそんな話は信じていなかった。いや、信じたくなかった。

 しかし、彼の部下や街の人々からの報告が徐々に上がるようになり、それらは真実として受け止めざるを得なかった。もとのキドナに戻って欲しいと一度直接話をしたが、キドナはのらりくらりとごまかすような言葉を並べるだけだった。

 そんなキドナの変化と時期を同じくして起こり始めたのが、村が消えていくという事件である。アイシスがこの事件に関わろうと思ったのも、キドナが関わっていることを否定したかったからだった。そして、アイシスの思い叶わず事件がキドナによるものだった場合、彼を止めるためでもあった。

「逃げようとするなよ。逃げられなくすることになる」

 そう言って、目の前に座っている兵士は剣をカチリと鳴らしてみせた。
 先程まであった敬語もなくなっていた。


 走り続けていた馬車はしばらくして停止した。しかし、ニケとアイシスが降ろされる様子はなく、外はガヤガヤとにぎやかな様子だ。

 御者が外にいる者と何やら言葉を交わした後で、馬車は再び進み始めた。このタイミングから馬車の揺れが荒くなった。つまり、イダンセの街を出て街道に出たということだ。
 街から外に出るときには荷物のチェックを受けることもあるが、アキュレティ家の兵士の装備を前に警備の者が疑うことはなく、荷物のチェックは行われなかった。

 馬車が進むにつれて揺れは段々と大きくなる。どんどん道の荒い場所へと進んでいるようだった。アイシスは不安を押し殺しながら、周囲の状況把握をしつつどうにかして逃げられないかと考えていた。イダンセでリディに殺される時の演習をしてもらったおかげか、不安な中でもアイシスは妙に冷静だった。

 ふと横を見ると、ニケが抱えた膝に頭をつけて俯いていた。動く様子がない。

 そんなニケを見ていると、突如『ぞわっ』とする何かが通り過ぎる感覚があった。驚いてアイシスは首を左右に振って周囲を確認するが、特になにもない。そして、感じたのはアイシスだけだったのか、ニケも目の前の兵士も何も反応は示さなかった。

 ニケはずっと膝に頭をつけたままだった。ニケは旅の間は休憩中でもうろちょろして、周囲を色々と見て回っていた。こうやってじっと動かないニケを見るのは初めてだったので、体調でも悪くなったのかとアイシスは心配になりニケに声をかけた。

「ニケ君、大丈夫?」
「ん、……なにが?」

 アイシスに声をかけられて、ニケは伏せていた顔をあげた。

「体調、悪くない?」
「うん別に」

 ニケはいつもどおりだった。旅の最中にアイシスが見ていたニケの雰囲気と変わらない。この状況がわかっていないのか、あるいは理解していて何とも思っていないのか。アイシスにはどちらとも判断はつかなかったが、そんなニケの様子に少しほっとしたアイシスがいた。

 馬車はそれからしばらく走り、とある場所についたところでアイシスとニケは馬車から降ろされた。

 アイシスとニケが連れてこられたのはイダンセの街近くの森にある小さな小屋だった。
 森林の管理に使用されるアキュレティ家が所有する小屋だ。
 季節ごとに森の木々を間引いたりする際に、ここを拠点として作業を行うためのものだ。
 そのため森の管理作業がないときには誰も寄り付かない場所でもあった。


 馬車を降りた二人の前には腰に剣を据えた兵士が立っている。馬車の中でずっと二人を見張っていた男だ。御者をしていた男は小屋の方へと行って扉をノックし、中にいるものに声をかけた。

「キドナ様連れて参りました」
「……あぁ、わかった」
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