祭りの火

天野荒也

文字の大きさ
1 / 1

まつりの火

しおりを挟む
 西日が雑踏のなか、行き交う人々を哀愁のセピアに染めながら、もうすぐ日が暮れようということを告げていた。
 青年は目覚めたばかりの朧げな眼で、行き交う人々の群れを西日のなかに確認すると、頬やこめかみや二の腕で感じていた腰掛けの冷たい石の感触に居心地の悪さを感じ、寝そべっていた上半身を起こし、慌ただしく姿勢を正す。
 恥に煽られてそそくさと辺りを見回し、同じように腰掛けに座り、スマホをいじって暇を潰している人を見付けると安堵する。
 青年はしばらく自分の身に何が起こったのか自問し、ここに来るまでの経緯を回想しようと思ったが、酷い夢でも振り払うかのように首を横に振ると、深く考えるのを退けた。
 渋谷駅、TSUTAYA、やスタバ、109やQフロントの街灯テレビ、そしてごったがえした人の群・・・・。
 暮れ掛りの斜陽がこれらの光景を紅く包み、人々はそのなかを影を長くひきずって歩いていく。
 青年は、これらの光景が恋しく感じられて仕方がなかった。
 隔ってしまった思い出や夢を恋しく思えることがあるのなら、それは斜陽のなかだ。そういう意味合いにおいて、青年は今まさに斜陽のなかにいる人間だった。
 ようやく青年は立ち上がり、ふらふらした足取りで人並みのなかに紛れると、その軽快な人波のなかでひとりたわいもない密かな波紋を起こしながら、足取りを共にするのだった。
 帰ろうか、ひとまず場所を変えよう。
 そう思い立ったが、逡巡したには変わりはなく、行く当てはなく、人波に身を委ねながら、紅く染まったスクランブル交差点を渡り、明治通りの方へと歩いていく。
 こうして人波に紛れてしまえば、誰とも見分けの付かないの青年。青年は大学生である。しかし、大学に入学しすぐにドロップアウトした。何故青年は大学をドロップアウトしなければならなかったのか。
 それは決して周囲の人間が、意地の悪い人間であったわけでもなく、意地汚い人間であったわけでもなく、むしろ、この青年からしてみれば、取り立てて大人びた人間の集まりの筈であった。しかし、青年が、ある抽象的な煩悶を抱えていたため、それら大人びた青年たちが不正を犯しているように思われてならなかったのだ。本来、人は生きていく過程で、社会の階層秩序に自らを組み入れる術を学ぶものである。
 目上の人間に礼儀を通し、目下の人間に指導者たろうとする姿。それは常識的な道徳観、美醜の分別をわきまえた人間であり、本来立派である。
しかし、この青年の眼に映ったのは、それら立派な人間である筈の「上位の人間に迎合し、下位の人間と差別化する人間」の姿であり、それらの人間の姿を、まるで悪霊の怨念の如く憎悪を抱くのだった。
 例えば、こんなことがあった。入学して間もない頃、これから過ごす新しい学び舎と見渡せば見慣れぬ同じ年の人間たちの群れのなか、偶然身近にいた五六人と仲良くなり、一緒に食堂で昼食を共にするということになった。身近にいたというのは、その言い回しが相応しく、身近にいた以外には結びつく必然のない人間の集まりであった。
 昼食を取りながら輪になった仲間の話を互い互いに聞くなかで、俺はこういう人間だという価値観の表明がその豊かな笑いのなかで比重を占めた。そうしていると、やがて通路の向こう側から、同じく身近である筈だった人間が現れた。先ほど食堂に昼食を取りに行こうという会話の輪のなかに、その青年は居たのだった。そして、その青年が一番端の座席に座る頃、もうすでに、仲間のなかに笑いはなく、全員が戸惑った様相を呈していた。
また、その端に座った人間がコップに水を汲みに席を離れると、仲間の一人が、躊躇いもなく、その青年を指指し笑うのだった。
 その青年がいかなる人間だったのかということは問題ではなく、そういったことがこれ見よがしにまかり通ったのだ。仲間数人の表情を窺うと、とりわけその事態が奇異に思っている人間はいない。
 それが、初回であり象徴的な出来事である。卑しい人間の性を見せつけられる気持ちとなり、さらには、それが日常的な慣習と言って良いほどまかり通ったことは、甚だ心を痛めた。
 その後、身近な人間の態度は、その人物たちだけに特有のものではなく、学科全体、キャンパス全体の態度だということが鮮明に網膜に焼き付けられることとなる。なぜならその青年と横に並んで歩いていると、象徴的な出来事と似たような事態に何度も遭遇したからだ。そうしたわけもあり、その象徴的な出来事が彼の頭のなかで人間の一側面となり、やがて憎むべき人間の一面へと転化されていくのだった。次第には、そういった人間たちとの不調和をもよおした自分自身までもが、疎外の窮地に追い込まれたことは言うまでもない。
 しかし、これは今斜陽のなかを歩いている青年から見た主観に依る回想であり、果たしそれがその事態の妥当な解釈なのかは疑わしい。
 しかし、青年が感性的にそう感じているというのは疑いようのない事実であり、なぜ自分がそう感じずにはいられなかったかということまでも朧げに気付いている状況である。はじめにそうであるから疎外されたのか、疎外されたからそうなったのか、先行後行の区別はもはや付けられぬ。
 しかし、話にはまだ続きがある。斜陽の青年は、それら高潔な青年たちにいたずらめいたことを仕掛けたのである。
 十月初旬の学園祭に、昔馴染みの悪友をキャンパスに連れて行き、それら高潔な青年たちを試したのだ。派手に刺青を入れた獣を横に携え、大勢の学生たちが賑わうキャンパスを闊歩したのだ。
 そうして学園祭が終わり休日の明くる日、学校に登校したところ、周囲の青年たちはそれまでの態度とは打って変わって迎合する素振りを見せた。
斜陽の青年が話しかけると、畏怖の念を笑って誤魔化すが如く、ひとりの青年が大仰に笑ったところ、その態度に激昂し、その青年の顔面を殴打したのだ。その事件ゆえに、斜陽の青年は余計疎外の一途を辿ることになり、しかも、本人自身も、それを強く望むこととなった。
 つまり、「上位の人間に迎合し、下位の人間と差別化する人間」に嫌気が指して自らデロップアウトしたのだ。
 しかし、これもまた青年の主観に依る解釈が大きく、本人自身は真にそう思っているのであるが、周囲の人間たちからして見れば、「あの野郎は疎外の状況を克服せんがために、黒い権力に迎合し、挙句の果ては善良な生徒を見せ締めに一人殴り付けた」として断罪されるべき人間となったのだ。青年も、鈍感ではなかったので、そう思われていることを悟っていたが、馬鹿馬鹿しいどうでも良いという風な趣で弁解しなかった。
 結局のところ、青年は授業の出席カードを提示するのみ参加し、授業を抜け、キャンパスを散歩したり、あるいはキャンパス内の図書館に行き、柄にもなく本を読む生活に浸しむことになった。
 (青年は、建築学科の生徒であるので、それと親和性のある人文科学的な書籍を読むのが自然と日課になった)
 そして、冬を越し仮進級という身分で新学期を迎えた二年次に至っては比較的授業に出席をしてはいるのだが、誰かと群れるいうことはない。
 学校に行ってもほとんど口をきかないという黙々としたキャンパスライフを送っていた。しかし、そんな青年にも声高に自分の言葉を発する機会に恵まれることがあった。それはインターネット上のことであり、SNSでの出来事だ。フェイスブックにおいて、疎遠な関係の同級生と「友達」という名目で繋がったのだ。学科はもとより学校、外部の知人、総勢百四十名程度の「友達」とは言えぬ「友達」。
 フェイスブックは言わば二元のなかの村社会だ。青年は百四十名程度の小さいな集落で暮らし、日々の生活を編集し、アップロードすることによって、村社会の村人のうちのひとりとなれるのだ。勿論口をつぐんで、ただ聞き手に回ってもよい。しかし、開始当初はですます調で口をきいていた謙虚さが、次第次第に傲慢な口ぶりへと変わっていき、ついには唯我独尊となった。終局に至っては、まるで天上から火を盗んで人々に分け与え、賑わいと災いをもたらした神話のなかの英雄にでもなったかの如く、図書館通いでかじった知識の言霊———戯けた狂言を繰り返すに至った。
そんな村の暗黙の法すらも守らぬ人間の行いを、村長が見逃すわけがない。 青年は女村長の怒りを買い、村を事実上追われることとなった。女村長の怒りは天高々に、この青年が尊く思っているものの画像を、自らのタイムライン上に貼り付けると、様々な人間に、その踏み絵を踏みにじらせた。そして、その事実をこの青年が目にするよう仕掛けるのだった。
  青年は悔しかった。青年の胸のうちに「戦わなければ」という気持ちを起こさせた。しかし、どうすることもできず、最終的に「ルサンチマン!」という嫌味たらしくムズカシイ言葉、しかし実のところ、自分自身が最も不利になる言葉を焚き付けるように唱えると、それを最後にフェイスブックを後にすることとなった。
 そういうわけで、こうして当て所なく雑踏を歩いている斜陽の姿は、その過去と根の深いところで繋がっているようにも思われる。
 それならば、そのまま山の頂に登り青年は仙人にでもなればよいのだろうか。そんなことはない。二元のなかでも一元おいても、全うに法を守ろうというのが聡明な人間の思弁であり、この青年も反省の念のあるうちは、自分の傲慢な体たらくを正そうと考えていたのだ。しかし、人はそれほど簡単には変われないということを、昨晩の出来事は物語っている。
 明治通りを行き、ラフォーレを通り過ぎた頃には、西日の紅さは影を潜め、辺りは暗くなっていた。上を見上げると、空はかろうじて紺を宿している。五月の鉛の雲が、頬を伝う涙のような流線を描いて浮かんでいる。
 青年は昨晩の夢の出来事を回想すると、夢のなかに一点思わず、眉間に皺を寄せざるをえないもの——-それはその時受け入れてしまったが振り返れば自分の姿を残酷に映し出したかのような——-悲劇なものを思い出し、心のなかで苦悶するのであった。
 昨晩例の悪友に誘われ、クラブに赴き遊興を楽しんだ。悪友は刺青を露出した状態での入場不可ということで羽織ったシャツを脱がないどころか捲りましなかった。しかし、青年は脱いだ。
 スモークが焚かれレーザーがフロアを光の直線で切り刻む。流行りのEDMがビートを打ち付ける。
 平日のイベントということで、その大箱には、まだ人が動き回れるほどのゆとりがあった。青年は悪友と共に入場し、テキーラを何発か打ち込んだ。
 喉の焼けるような思いをし、それを冷えたレモンをしゃぶり癒すのが、快感だった。しばらく経って、悪友が表に来いというので付いていった。
 ラブホテル裏側の廃墟の前に着くと、悪友が「ここは立ちんぼが商売に使っている場所だ」と言うと、錆びれた鉄門を乗り越えて塀のなかに入った。
 悪友はスマホのライトをかざして、家のなかには入らず、庭の闇に光をかざして行くと、やがて立ち止まり、ポケットからパイプを取り出した。
 パイプの蓋をかけると既にネタが用意されており、あとは火を付けるだけだった。
 背徳感。それからしばらくすると、悪友と青年は闇のなかから多幸感に満たされたニコニコした顔で出てくるのだった。
「俺らは悪くない、どんな人間も支配的な慣習にはある程度従わざるをえないだろうよ。商業主義の大人達が、悪行の数々をパッキングして子供達に売りつけているんだ。俺は中学高校時代、そのことで悩んだよ。真面目に勉強してればガリ勉扱い、それが悪ぶれたい年頃の少年に向けて提供される価値観だ。覚えたてのタバコや、盗んだバイク、心の一つも分かりあえぬ大人達を睨むこと。死人に口無しだ。そんな馬鹿な話があるか。俺らが今アレを吸ってるのも、そういう見えない力に由来するんだろうよ。だから俺らは悪くない。これがモードっていうやつだ」
 権威を茶化してみせる道化のような口ぶりで、少年期のモリトリアムを歌った歌手尾崎豊の歌詞を茶化し自分たちの行いを慣習のせいにしたのはドロップアウトの青年の方であった。聞いていた悪友は既に抑圧の蓋が外れていたに違いないその蓋が遂には多幸感の蒸気に吹き飛ばされて、愉快さの只中でへらへらと笑うのだった。
 そうして、手首に巻かれたバンドを見せてクラブに再入場すると、道化の青年は素人ダンスを披露し、次第には打ち付けるビートに乗せてストリップショーでも演じるが如く、したり顔で服を脱ぎ出すのだった。
 やがてパンツ一丁になる頃には、彼の周りにはステージ外ではじまった突然のショータイムを見物しようと衆人が集まり、高揚のなか愉快さを催促するのであった。
 そして青年と衆人の間に愉快さが横溢に満たされ、外野の女が悲鳴をあげる頃、いつ止めようかと頃合いを見計らっていたセキュリティーの黒人が彼の前に現れ、胸を小突いてパンツを履かせ、表につまみ出した。
 風営法によって禁じられた時間帯に営業をしているという事情から、クラブ側は警察に青年を突き出すことはない。
  そのかわり、黒人に首根っこを太い腕で絞られて、引きずられ、最後にはプロレス技のような大振りな投げ技で路上へ投げ飛ばされた。
「キルユーメン。オマエハクラブノテキダ」
 黒人は捨て台詞にそう言った。
 下手をしたら頭部を殴打し気を失いかねないその衝撃に、酩酊から目が覚めたパンツ一丁の青年は、悲劇を演じが如く憐れに路上を這いつくばるのだった。そしてそのときだ。青年が、後に自分の卑しい、浅ましい、見るも無残な姿を残酷に映し出したものと回想するもの——-まだあどけなさの残る顔立ちの少女、そしてその顔に湛えた涙目---憐れみの涙目。
 青年ははじめその少女を見た際、悦楽のようなものを感じていたのは払拭できい事実である。それが、悪夢から覚め今の時分から振り返ったところ、その憐れみの眼が脳裏に焼き付き、後頭部を金槌で殴られているかのような痛ましい心境にさせるのだった。 
 俯き加減の青年は顔を上げると、明治通りから二股に分かれた人通りの少ない路地の方へと歩みを深めていることに気付いた。青年は立ち止まり、暗くなった周囲に赤みの光を灯すブティックとその端に細道を見つけ、そこに身を隠し、タバコに火を付け、心の動揺を落ち着かせるのだった。
 恋愛やコンパやナンパあるいはアルバイトでも、学生であれば本来人生に与えられたゆとりある豊かな日々を満喫している筈だ。学生は遊びを通じて社会を学ぶのだと言わんばかりに。しかし、自分の生活は、それら日向の生活から一線を退いた背徳の生活ではないか。
 昨晩は、少年の非行は商業主義の大人がつくった金儲けのための慣習のせいだと、青年は冗談に寛げながら普段思っていることを語り、責任逃れをしたところだが、今度はその慣習の力から報復を受けているような心境に立たされることとなった。結局のところ、自分はいかなる人間にも成れない亡霊のような存在ではないかという疑問。しかし、社会の受け皿は決して小さくはできていなので、私は社会とは相触れない、今という時代の悲壮を密かに物語る詩的な風物だという存在を想像することはそれほど難儀でない。
 例えば、戦時中、皆一斉に戦争蜂起したその只中で、酷く平和を願った弱虫が、後に時代の悲壮を映す一つの美しい画の如く描かれて、人々の感動を呼ぶということは十分考えられると思う。それであるならば、私はいかなる慣習とも相触れない世捨てだ、言わば私は社会にとっての毒なのだという美質の庇護を受けられるかもしれない。世の中に取り立てて価値のあるものなんてない。空に虚無を望みながら、束の間の虚無を束の間の笑いで仄明るく灯していこうという人生を。 社会は巧妙であるから、そうした生産的とは思えぬ生き方をも、狂気に至らずのうちに、慣習の力によって回収してきただろうに。だから、そうした巧妙な社会がつくった小さな庇の下に静かに宿ること。しかし、どちらにせよ青年にとっては今置かれている立場が情けなく、頭を悩ませるものだった。
 そうして、せめて恋人をつくってみたらどうかと思い立つが、いや直ぐには無理だと思い直し、しばらくしてタバコを吸い終わることには、せめて風俗に行こうと決意するのだった。何故青年がそう考えなければならなかったのかと言えば、この青年は毎晩マスターベーションをする生活に甘んじていたからである。そして、その状況を今ここで仮にオナニー・ライフやシコシコ・スタイルという有無の分からぬ聞き慣れない言葉で括るにせよ、社会がそれを声高に宣伝したり、表立って提供したりした試しがないからである。おそらく、彼の行動を知る者があれば、背徳の上に背徳を、恥の上に恥を重ねるピノキオのような人物に思えるに違いが、彼の行動原理は、彼の歴史において、遥か昔に培われはしたが、しばしば打ち砕かれて失いつつあるものにはない。
 青年は来た道を折り返し、明治通りに出ると、竹下通りを抜け、原宿
駅に向かう。無為の行動であるかのような出で立ちで山手線に乗り、新宿は歌舞伎町に向かうのだった。
 


 闇夜の空に突き出した東宝シネマの縞模様のビルが奇異なほど異質で小綺麗であったので、遠近の法によって、それに吸い込まれていくネオンの看板群が、まるで穢れを洗い清めてもらおうと神社を詣でる人々の姿のように、淫靡な光を放ち行列を成していた。
 対岸に立つ青年は、信号が変わると神社が吐き出す人波をかわしながら、その光景のなかに入っていくのだった。
 それまで霞んでいた看板の一つ一つを見て歩くと、それほど、風俗店の看板は多くない。
 しかし、看板の一つに胸を掻き立てられる水着姿の美女の姿を見付けると思わず立ち止まった。
 ファッションヘルスと書いてあるその看板に躊躇していると、キャッチの男が話しかけてくるが、振り払うようにその場から逃げると、路上では手こずることを悟って、『風俗紹介所』と書いてある門を潜るのだった。
「お客様、今日はどういった遊びを」
「本番がしたいです」
「本番ですか。ありますよ。それでは、令嬢私立ヒカリ女子高等学校ですね」
 店員は店内の背の高い衝立式の壁にディスプレイされた看板を指し示すと、説明をはじめる。
 「この店は比較的最近できた、女子校をテーマにしたソープランドですが、女の子の年齢も比較的低く、おそらくはお客様と同じくらいだと思います。評判も良いので安心して紹介できるお店ですよ」
 背徳の青年は、看板を見た。明るい笑顔を浮かべ、派手な髪色のコスプレ仕立ての女子校服を着た遊女が五六人並んでいる。写真を見て胸が高鳴るのだった。看板の下の方には在籍する遊女のプロフィール写真が数枚ディスプレイされており、名前やスリーザイズや性格がといった事項が掲載されている。そして料金を見ると、一時間二万五千円、初回のみ二万三千円だという。
 背徳の青年は、プロフィール写真の遊女に目配せすると、その金額を惜しむだけの苦労もないことを実感し、店員にお願いしますと頼むのだった。
 店員が持っていた携帯電話でそのソープランドに連絡すると、ボーイの迎えを待つ事となった。
 今回は偶然金を持ち合わせていたから良いが、風俗通いなどしていたら金がもたない、行きずりの遊女の厄介になるよりも、恋人を見つけなければ。
 青年がそんなことを考えていると、ボーイが到着し、礼儀正しい口調で、店までの同行を願うのだった。
 風俗紹介所を出る際、後ろからくぐもった声を聞いて振り返ったが、店員は、送り手らしい笑顔を浮かべ、話しかける姿勢ではなかった。
 闇のなかでは死こそが光だ。
 青年には店員がそう言ったように聞こえたのだ。



 ボーイの手引きの先にスポットライトの橙の光に照らされた看板が見えてきた。おそらく大分前に建てられたと思われたコンクリートの外観のそのビルは、洋館を摸したようなアーチ状の入り口や窓が目立ち、古びた印象を受ける。入り口のアーチの上方には、例の名前の店の看板が、スポットライトによって照らされている。
 さぁお入り下さい、と言うボーイはウォールナット色の両開きの扉の片側を開け、青年を招く。
 中に入ると赤、青、黄色、橙、紫……。薄暗さのなかにチカチカと明滅しているLEDの光の色は様々で、ナイアガラの花火のように、ピンクに塗装された両サイドの壁を伝って、天井から床まで流線を描いている。そのきらびやかな装飾がはじめ俗悪にも思えたが、しかし、横溢なほど視覚を刺激するそれがこの場に相応しく思えると、そのきらびやかさに日常から隔絶した別世界を感じ恍惚とした。
  デコレーションを施された内装を見ていると、右から声が掛かった。
 「いらっしゃいませ」という辞令に「お客様は初回の方ですか」という声が連なり、すぐに受け答えするには突然だったその言葉に、突拍子もなく「はい」と答えると、気恥ずかしさが仄かに灯った。
 店員は、先ほど風俗紹介所で見たプロフィール写真一覧とはまた別のB4サイズのそれを差し出すと、このなかから一人選べという。
 ダークグレーのブレザーに白いYシャツ、プリーツスカート、ソックスの代わりにガーターストッキング。男の色欲を誘う門切り通り、白いYシャツは第三ボタンまではだけており、乳房の谷間がチラりと見える。遊女たちの顔を見ると、比較的均整の取れた顔立ちが並んではいるが、その分際立つということはない。しかし、淫靡な喜悦を感じさせ、どの女でも構わないという気持ちにさせる。しかし、そのなかでも一番左の金髪のロングヘアが胸元までカールした遊女の笑顔に目が止まった。プロフィールを参考にすると、年齢が二十二歳であった。スリーサイズが物語る媚態は、風俗店にありがちなセックスアピールのみを売りにしたものに思えぬ印象を受ける。
はじめはプロフィール一覧の女たちにどれも変わらぬ顔と感じたが、よく見るとその一番左の遊女の笑顔が、最も美人に思われた。奥二重の大きめな眼が猫目に見えるのは、目の下の睫毛が目立つからだろうか。兎も角、少し逡巡した後にはその「ルナ」と名立たれた遊女を指名することに決めたのだった。
 指名料の説明などを受けて、背徳の青年は奥に広がるLEDのナイアガラの背光に隈となった手前左側の通路を通るように案内され、待合室に預けられた。
 その待合室の六畳ほどの待合室のなかの中央に配置されたテーブルの上の灰皿に灰が落とされるのを確認すると、その元先に煙をたてて背広を着たふくよかな中年男性が座っている。青年は、自分以外に仲間がいることを見つけて安堵した。壁四方に沿う形で配置された安物のソファに、中年男性との干渉を免れるように姿勢を外側に向けて座るのだった。
 壁に目配せすると、「写真撮影、罰金50万円」「女の子と携帯番号を交換するのはご遠慮下さい」といった手書きの張り紙が貼られている。
 しばらくすると、爪切りが用意されているのに気付き、爪を切っていると、入り口のところに一人の遊女が現れた。
 黒いローファーから黒いガーターストッキングに包まれたの二つの脚が伸びてゆき、肌色が少し露わになったと思うと、ガーターのストラップを横に這わせながらミニスカートのなかに消えていく。
 ダークグレーのプリーツスカートの丈は短く、ショーツが見えるギリギリのラインで、その二つの細い腿を区切っている。先ほどの写真で見たのと同様に白いブラウスがはだけており谷間が見えた。
 しかし、その蠱惑的なコスチュームに似つかわしくなく、髪は黒髪で首から上だけみるとどこかの女子大生と言っても通じるほど、身体など売りそうにない普通の女に見えた。
 その遊女が「お待たせしました。アズサです」と言うと、背広の中年男性が、自分の策略に慢心し口端を頬高く引きつらせる愉快犯の如く、いやらしい笑みを浮かべた。
 「アズサちゃん。久しぶり。一週間ぶりだね。寂しかったよ。今日も頼むよ」という男の太い声に笑顔を浮かべ、その女は調子を上げてお礼の言葉を並べた。カバンを持つと言い、女からポーチを奪った男は、雄々しさを誇示せんとするためのガニ股と言わんばかりに、大袈裟なガニ股で、先に外に出て行いった。アズサと名乗った女は未だ入り口に背を向けたまま振り向かず静止している。横顔。瞳が眼孔のなかで一周したかと思うと憂いの表情を浮かべ、涙が強張って瞬きができないかの如く、潤った眼孔はしばらく見開かれたままだった。女が振り返る際に、躊躇いを見せて一度こちら側を向いた状態で止まると、眼があった。
 助けて。
 その意志を憂いの涙目に青年は感じ取ったのだった。しかし、声を掛けることもできずそのままやり過ごした。妙に勘ぐって、ここで助けようなんて気を起こしたら本当に狂人だ。しかし、アズサと名乗った女の最後の涙目が脳裏に刻まれ、自分が指名する女が来るまでの間、そのことを考え続けたのだった。
 なぜ涙を浮かべてまで体を売らなければならないのか。それなりの事情があるのだろう。いつもは楽しく笑って仕事をしているのかもしれない。第一自分自身も今のオヤジと変わらぬ性を楽しみに来ている客のひとりの筈だ。同じ立場にある客に涙目を見せるということは、あのオヤジに他の客とは違う特殊な事情があるのかもしれない。あのオヤジは「久しぶり。今日も頼む」と言っていた。そんなことを考えていると、「指名ありがとうございます。ルナです」という言葉と共に、自分が指名したルナが現れた。
 「チェンジだ」



 アズサと名乗った女と共に一番奥の個室に入ったのは一時間半後だった。
 先ほどルナという女にチェンジという言葉を唱えた後、受付にもう一度行き、アズサという女に代えてもらうことを謝りながら頼み、その後再び待合室でタバコをふかしながら待った。アズサの前に中年男性の客が入ってきたが、干渉せずに、暇つぶしように置いてあるエロ雑誌を読みながら、長らく待った。やがて、アズサが入り口に現れ、青年を連れて行くのだった。
 部屋のなかは思いの他広く、バスタブ以外にもビニル製のベットや床敷きのマットが置かれてある。
 アズサと何度か口を聞いたが、先ほどの光景には触れず、当たり障りのない会話を交えた。
 「まだ若いでしょ?この仕事はじめて長いの?」
 「風俗はまだはじめて二ヶ月ぐらい。大学に行きたいと思ってお金を貯めているの」
 「それは大変だね。でもいいんじゃない。風俗で働けるんだったら、すぐにお金貯まるよ。俺は今大学生だけど」
 「あらそうなの」
 「俺は奨学金を取りながら大学に通ってる。歳も俺とそれほど変わらないんじゃないか」
「私は二十歳」
「俺も四月で二十歳になった」
 あわよくば、共感を得られる言葉を女はかわして仕事を急ぐのだった。
「それじゃお兄さん、服脱いで。お風呂に入りましょう

 アズサは話題をそらすように青年に服を脱ぐようにすすめるのだった。アズサは、自分のカーディガンを脱ぎ、簡単にたたむと、部屋の端に備え付けられた台の上に置き、ブラウスのボタンに手をかけはじめた。無音が続く不安に掻き立てられ、青年は服を脱ぎながら話題を変えた。
「ソープははじめて来た。実を言うと俺は遊女が好きなんだ。世間体に捉われない性に奔放な女は好きだ」
「遊女ってなに?」
「遊女は娼婦のことだ。昔は性の仕事に従事する人間を遊女って言ったんだ。娼婦っていうと蔑んでいるように思えるから遊女と言ったんだ
「気を使って遊女ってこと。遊女ってはじめて聞いた。娼婦とも言われたことがないな……」
「俺の言葉の使い方が良くなかった。遊女っていう言葉を使ってみたかったんだよ」
 青年は図書館通いの読書のなかに描かれた「遊女」に幾らかの憧憬を抱き、すでに現代ではおおよそ使われてない言葉を放ったのだった。しかし、それが目前の遊女にすら通じなかったということに、恥ずかしさを感じ、頓狂なことを言ってしまったことに悔いを感じた。
 娼婦でも風俗嬢、ソープ嬢でも、その言葉は俗的なものであり、遊女のそれとは異なる。文明が未発達であった古代の世界において遊女は死によって隔てられた世界を司り遊ぶ女として一面神聖視された。しかし、洋の東西を問わず、キリスト教あるいは仏教のような高度に熟した教義の前に、ハレの女であったその女は色欲に誘う女として醜く貶められたのだという。色欲の堕落と共に貶められ、穢れを背負わされたのは男ではなく専ら女の方だ。その端緒が遊女であり娼婦だ。キリストも釈迦もいない、宗教的因習から完全に免れた現代においても性に従事する女は忌避されがちな対象だ。
 二人服を脱ぎ終わり、バスタブに浸かると二人はお互いの恥を弄んだ。
 息が荒くなり忘我となり、朱く染まった媚態が恍惚の表情を帯びはじめ、その恍惚の目前が真っ赤になるほどの昂ぶりが繋がった二人を襲うとき、二人は死んだ。

 金で買った色欲があっけなく終わると、色欲よりも眠気が勝り、二回目のセックスを断り、終了時間までベットに横になりたいと願い出て、ビニル性のベットに横たわるのだった。
 昨日クラブから外に投げ出されてから、路頭に迷い彷徨し、それからほとんど寝てないのだった。昨晩、手を叩いて大笑いする悪友が追って店から出てきた際、その悪友から服を奪い去ると、ひとり遠くへ闇のなかへと、息が切れて限界というところまで走り去ったのだった。
 過去を省みるのは考古学とは違う。過ぎ去ってしまった事柄はすべて夢と等質だ。在るのは今だけであり、過去も未来も今の意識の一部であり、それらはもはや実体がない。昨晩見た夢を朧げににしか思えていないのに、あたかも酷い夢を見たかのように夢を回想するのは何故だろう。
 無意識から夢を生成するのは二人だ。ひとりは寝てる間に無意識から夢を生成し、もうひとりは目覚めのうちに夢から日常の意識へと夢を繋ぐ。その二人を検閲官と名付けるならば、その二人の検閲官が意地の悪いことがある。過去は昨晩見た夢と同じだと、実体のない観念から成り立つものでしかないと認めることができるというならば、過去を振り帰るにあたっても検閲官がいるのだ。その検閲官が今は機嫌が良かった。
 昨晩垣間見た少女の憐れみの眼と、それに連なる黒ずんだ深い根がその根を断たれ、混沌に帰してやがては空虚な白へと染まり、次第にオルゴールのキラキラしたメロディーが自然に聞こえてくるような思いに治癒されると、そのメロディーがまた新たな過去を紡ぎ出し、青年は新たな夢を見るのだった。
 苦労の多い環境で育ちながら、その苦労を微塵も感じさせず、天真爛漫な思い出を描いた、まるで一切の不幸を感じることのできない病を患っているかのようなエッセイスト。そんなエッセイストを「幸せ者」と皮肉をいうことはなく、只々羨ましく思う。その感性を尊く思う。俺は元来道化ではなかった筈だ。


 青年が裸の上半身を起こしすと、ベット端に座っている同じく裸のアズサに計らうのだった。
 「さっき、待合室で俺のことを見ただろ。俺もあのオヤジと同じ客の筈だ。あれはなんのサインだったんだ?」
 青年はアズサを指名した発端---強く心を惹きつけられた涙目の事情を問いただすのだった。アズサは聞かれたくない事柄を問われ、思わず他の客に弱みを見せてしまった自分を後悔するのだった。 つい同年代の青年を見つけ、心のうちを吐露していしまったのだ。
 苦手な客は苦手だ。
 「それはさっきの指名したお客さんが嫌いだったから。乱暴。女を虐めるのが好きな男」
 「具体的になにをされた」
 「それはお兄さんには言えない。私にもプライバシーってものがあるから」
「それは悪かった。嫌だったら店に相談して、そのオヤジを出禁にしてもらうことはできなきのか」
 「それは無理よ。風俗店もお客さんが大事だから。普通にセックスするだけじゃ差別化できないって悩んでいるから、ある程度の違反は見て見ぬふりしているの」
「同じ客の自分が言うのはおかしいけど、あの客嫌いなんだろ」
 アズサはその問いに鬱積していた不満を吐露する機会を得て「嫌だ」と言うのだった。そこで青年は「俺が殺そうか」と言う。アズサはそのドラマティックな台詞に思わず笑う。
「私のためにって?真顔でなにを言い出すの」
「ルールを守らないのは俺も同じだ。あのオヤジが違反を繰り返すんだったら俺があのオヤジを殺すよ」
 その言葉を今度は冗談半分に言うと「俺はイナセだ」と本名を名乗るのだった。
「俺の友達になってくれないか」
「無理よ。お客さんとは番号を交換しちゃいけないことになってるの」
「関係ないよ。一回お客さん取ると一体いくら稼げる?俺はこのお店に基本料金プラス指名料で二万五千円払ったんだ。かなりピンハネされてると思う。それだったら、個人的に直接お金を払った方がお互いに得だろ」
「プライベートで私としたいっていうの?面倒臭い人だね」

「いや、違う。本当のことを言う。好きになった。好きだ」
「お兄さん、おかしいよ。もうすぐ時間だよ。私としたいんだったらもう一度お店に来て」
「俺は昨日ろくに寝てなくて気を失いそうだ。帰ることはできない」
「なにを言ってるの。帰らないと酷い目に合うのはお兄さんの方だよ」
 アズサは目を瞑り寝ているイナセの方を揺すって起こそうとするが、イナセは起きようとはしない。
 「私だって仕事があるんだから。言うこと聞いて」
 イナセは閉じてた目を開き、アズサの表情を見ると、本当に困ったという表情で哀願していることに気付き、ようやく帰る準備をしようと思い立った。
 未だ濡れている身体をバスタオルで拭き取り、バスタブ横のカゴに入った自分の衣服に手を通し着るのだった。
 アズサも先ほどのコスチュームに着替えて、イナセが部屋から出て行くのを待った。
 イナセが「ありがとう」と言いドアノブに手をかける。
その言葉は失念の悲しみにいくらか震えている。
アズサはイナセの背中を追いかけて行き呼び止めた。
 自分の連絡先を告げた。
 アズサの本名はナツキということをイナセは知った。


 
 ドストエフスキーの『カラマゾーフの兄弟』という有名な小説に描かれた奇妙な三角関係———病的な美しさを宿すグルーシェニを巡る道化人ヒョードルと無法者ドミートリイの関係が意味するところのもの。一見、道化人と無法者はなんの共通点も持ち合わせていないように思われる。道化人は卑屈で情けない。一方、無法者は自尊心が強く高潔だ。しかし、その似つかわしくない二者は一点、厳格な法に対して背を向けているということに関しては大差なく、それであるから実のところ、道化人と無法者の奇妙な組み合わせというものはしばしば見受けることができるものだ。そのふたりが同じく、出自のいかがわしい物持ちの悪い、病的な美しさを宿す女—死や性や犯罪等---禁忌の向こう側に誘う女に強く惹きつけられるという画は十分考えられる。闇のなかで無法者が高潔であるならば道化人は下劣だ。そこで自然に浮かび上がってく疑問は、一人の女性を巡って無法者と道化人が争った場合、道化人に勝ち目はあるかという疑問だ。
 イナセとその悪友は決してナツキを巡って争っているわけではなかった。
しかし、実のところ、イナセとその悪友は上辺は親しくしているのだったが、その上辺だけでは語れぬ根が深いところで腐った因縁があったのだ。
 ところで、イナセとナツキはその後どうなったのかと言えば、イナセが提案したように直接料金を支払ってセックスをするということはなかった。
 むしろ、貧乏学生とナイトワーカーの成り行きとして、ナツキがイナセに食事を奢ったりということがしばしば起こった。なぜならレストランを選ぶ際、イナセがその代金を巡って気兼ねせずにはいられず、仕方なしにナツキが代金を肩代わりするしかない事態が自然と起こったからだ。更には、イナセは自分の砂壁のボロアパートの一室よりも、ナツキのマンションの一室で夜を明かすことの方が多くなっていった。
 ナツキとイナセはふたり死を弄んた。
「逝くときってどんな感じがする?」
「そんなこと聞かれたのはじめて?普通だよ」
「普通って?」
「普通は普通ってことよ」
「幸せを感じる?」
「ええ、まあそんな感じかな。男はどうなの」
「普通だよ」
「なにそれ?」
「色に例えると赤だ」
「情熱の赤?」
「それとは違うな。息が荒くなるような血の渇き。それが、ようやく潤えて満たされる感じだ。それから、済ませたあとは少し後ろめたさを感じる
「それが男の愛なの?」
「男の場合は愛とxxxxは一致しないよ。男はxxxxのとき傷つけてしまいかねないから」
「私を愛してないの?」
「男は愛なんて言葉使わない。軽々しく愛してるなんて言う男は疑った方がいいよ」
「ええ。女の扱いに慣れているお客さんはみんな、好きだ、愛してるって言う。きっと女は愛がないと感じないって知ってるからよ」
「やり手だな。俺はそれほど機用じゃない。だけどナツキのことは好きだ」
「やっぱり好きだからxxxxするんでしょ?」
「ああそうだな。不思議だ。愛しながら傷つける、傷つけながら愛する、そんなことが起きるんだから。奇跡だ」
「大袈裟ね。それじゃ世界のいたるところで毎晩、奇跡が起きてることになるわよ
「そうさ。世界中でxxxxが勃発すればいい」
「それは面白いわね。思いついた。戦争って言葉をすべてxxxxに置き換えてニュースを見るとどうなるかしら」
「歴史の教科書もそうだ。日中xxxx、日露xxxx、朝鮮xxxx、ベトナムxxxx・・・・。欲求不満の日本がアメリカにxxxx強要とか」
「日本とアメリカは戦争したの?」
「戦争はしてない、xxxxをしたんだ。第二次世界xx中に」
 狭いシングルベットに寄り添い、ふたりは不道徳な諧謔に笑うのだった。


  
  もう長袖を仕舞おうかと暑い日が次第に増えてきた六月のある日、悪友と新宿西口のバーに行くということがあった。
 白熱灯が赤く灯るバーにはジャズが流れていた。カウンター席には若者のカップル客が座っており、バーテンが客の話を聞いている。
 二人はテーブル席に相対し座るとビールを頼んだ。
 「男同士で来るところでもなかったな」
 店内を一望してそう切り出したのはイナセの方だ。
 そのイナセの言葉に悪友が苦笑いする。その表情に多少の不愉快さを感じたが、気に止めずビールが到着するのを待った。ここに来るまでの会話の続きをはじめる。
 「イナセ。いいことを教えてやろうか。お前みたいのをヒモっていうんだよ」
 冗談という体裁を取ってはいるが、悪友は嫉妬心を忍ばせているようにも感じられた。
 「俺はヒモじゃない。好きで付き合っているんだ。俺は彼女のことが好きなんだ
「ソープ嬢がか。お前も変わってるな」
「ソープ嬢だからなんだよ。それを差別っていうじゃないか。てっきりお前だったら、なんの変哲もなく受け止めてくれるものだと思ったよ。真面目だな、タケシくん!」
 悪友タケシはその言葉を聞くと、一瞬頬が吊り上がったが、次の瞬間には悲観の相をわざとらしく湛えて見せた。それは精神的に成熟した態度を見せることによって優位を気取ろうという心理のように思われた。
 「お前、家族になんて説明するんだよ。お前の家族は俺より真面目だろ。家族に反対されても差別と罵れるか。まあお前の親だったら拍手で迎えるかもしれないけどな」

「なにを言っているんだ。話を飛躍させるなよ。なぜお前が家庭のことまで口を出せるんだ」
「逃げ口上だな。まあいい。分かった。お前一人がそれでいいんだったらそれでいい。話を変えよう」
「なんだよ、その言い方、何様なんだよ」
 はじめは冗談として聞いていた会話だった筈が、イナセはタケシの態度に激昂し問いただすのだった。
 タケシとは中学以来の長い付き合いなので、イナセはタケシがどういった人格の持ち主であるか知っていたが、その短所が如実に表出した。背こそ小さいが、柔道で鍛え抜かれた身体つき、その身体は雄々しく、普段からそのように振舞っている。しかし、裏の性格を言えば、その雄々しさを台無しにするが如く嫉妬深い。そして、その嫉妬心を隠そうともしないのだ。
 「負けず嫌い」という一見肯定的に思える言葉があるが、負けず嫌いには良性悪性があるだろう。しばしば「負けず嫌い」という名文が自分の嫉妬心を正当化せしめる都合のよい謂になってしまうことがある。しかし、それは悪性の「負けず嫌い」だ。もし真に負けず嫌いを名乗るならば、負けてはならぬその相手を真に認め敬うぐらい姿勢がなければならぬだろうに。
なぜ自尊心の高い筈の人間が、そう浅ましく嫉妬を露わにげきるのかはじめは不思議に思えたが、あるとき気付いた。タケシは「俺は負けず嫌いだ」という大義において、負けず嫌いと嫉妬深いのとを取り違えているのだ。
 長らくの間、権力者であった人間であるので、それを誰も指摘しなかったのだろう。それであるならば、この場を借りてそのことを告げてやろうと考えた。
 「さっきから嫌味ばかりじゃないか。自分が嫉妬深いと思わないか。嫉妬深いのと負けず嫌いなのは違うからな。俺はお前のそういうところが嫌いなんだよ」
 相手が激怒することを見越していたイナセは、その予想された勢いに負けじと、強い口調で言うのだった。一瞬面を食らったかのような狼狽の表情を見せた悪友は、それを振り切り、特に咎められたくもないイナセに咎めた屈辱に怒気を放って跳ね返す。
「誰がお前なんかに嫉妬しなきゃならないんだよ。俺はお前の身を案じてやってるんだろう」
「身を案じてるだって?嘘をつくな!人の幸せを純粋に祝ったらどうだ!」
 その言葉を放つと、イナセは周囲を見渡し、離れのテーブル席の客や先ほどのカウンター席のカップルが振り返りこちらを見ているのを確認し、そのしぐさを暗にタケシに見せるのだった。慎まなければというよりも、それは殴り合いになる、いや殴られることを回避するための、タケシに対するサインのようで、本人もそれを朧げに自覚しているので悔しかった。そのイナセの仕草を見て、タケシは「表に出ろよ」と挑発するのだった。イナセがその言葉に一瞬戸惑いを感じたのを確認したタケシは調子付いて追い討ちをかける。
 「俺は侍だぜ。あんまり怒らせるなよ」
 怒りを鎮めて「嫌だよ。バカなんじゃないか」とイナセは言う。
 タケシはイナセを鼻で笑うのだった。
 「お前はいつもそうだよな。まあいつもよりは威勢がよかったな。彼女ができたからか」
 ひと段落ついたと余裕の笑みを見せたタケシは、タバコを取り出しライターで火を付けようとしている。
「第一差別なんて言葉を軽々しく使うなよ」
 イナセは感情を表に出さないように無表情にタケシを眺めている。
 そこに丁度、店員が注文した二つのビールを持ってテーブルに来ると、そのジョッキをテーブルにまず一つ置く。二つ目のジョッキを置くときにはイナセが受け取りに手を差し出し、店員はその手にジョッキを渡したのだが、イナセは店員の動作の惰性を受け入れるように肩のところまでジョッキを引き寄せた、がそのジョッキをラケットでピンポン球でも跳ね返すように相対するタケシの顔面にぶち撒けるのだった。 テーブルをひっくり返したのはイナセの方が早く、その勢いでタケシの顔面に向けて拳を入れるのだった。後ろに狼狽し本来であれば吹き飛ばされていたタケシの背後には壁があり、その壁に酷く背中を打ち付けることにはなったが、体制を立て直すのに役立って、二発目三発目の拳を同じく顔面にくらいはしたが、それでもタケシは倒れなかった。やがて、肘鉄と共に迫ってくるイナセの身体を腕に捕まえると、首相撲のような体勢になり、おぼつかなくなってきたイナセの脚に小内刈りを仕掛けて見事に後ろに倒した。柔道を心得たタケシの圧倒的有利となり、イナセに勝ち目はないのだった。
 ようやく止めに入った店員は、馬乗りになりガードの隙間を見計らって顔面を殴り付けているタケシを後ろから羽交い締めにする。完全に勝ち悟ったタケシは、飛んできた店員の「やめろ」という訴えに応じて、イナセの身体から起き上がると、切れた唇の血を手で拭うのだった。
 タケシはまだ興奮が冷めやらぬうちではあったが、冷静に対応し、店員に頭を下げ、仲間内の喧嘩であるから警察にはどうか通報しないで下さいと、礼儀正しく謝罪をするのだった。
 仰向けとなり天井を見上げ、朧げにその会話を聞いていたイナセは身も蓋もなくなり涙ぐんだ。床から上半身を起こし、戦意喪失の虚ろな表情を湛え、その状態でしばらく放心状態だった。しかし策略があった。
 上半身を前かがみにすると手に届くところにあるステンシル製の椅子を伝って、老人が階段を上るときのような慎重な仕草で立ち上がる。この状態で、タケシは斜め左後ろにいる。ステンレス製の椅子は触った感触ではそれほど重くない、両手あれば優に投げることが可能だ。それを、直感したので、そのまま後ろのタケシに向かって投げた。タケシが倒れるのを確認すると、走ってその場から逃げるのだった。
 


 嫉妬深い無職のクズにはもう会わない。あいつはもう終わりだ。
 タケシは仕事もロクに続かず、高校卒業以来職を転々としている。服屋やラーメン屋、レストラン、コンビニ…、いろいろなところでアルバイトをしたが、それらの仕事はほとんどが無断退職、無断退職でなくとも正当な形でアルバイトを辞めたことはない。上司と殴り合いをし、追い出されたこともあった。
 タケシがなぜ仕事が続かないのかと言えば、イナセが学校をドロップアウトした理由とそれほど違わない。
 まかりなりにもタケシは不良の世界に身を置いてきたので慕う不良の先輩には礼儀を通すことを怠らなかったが、それは自分が敬えるごく限られた先輩に限られた。
 イナセの場合はなぜ格差がなければならぬのかという事情であったが、タケシの場合は何事にも媚びることができぬ性分から、上司という存在が気に食わなくて仕方がなかったのだ。
 先ほどイナセがタケシの嫉妬深さを指摘したところだが、嫉妬というのは当然のこと引け目に由来する。自分に命令を下す上司に対する引け目、それに耐えられぬのだ。
 タケシは去勢を張り、一時の間権力者となったわけだが、人生の起源においてはことさら引け目の存在だった。結局のところ、いろいろなものを身に纏ったが、その芯になるものは変わらなかった。
 悲劇的な過去をノスタルジックに描ける人間というのは、現状の生活に満足し、未来に明るい光を見ることができる人間だ。
 中学高校時代、タケシは自分の悲劇的な生い立ちを、成り上がった今の自分を美化するための起源のように語った。元来嫉妬深い人間であっても、そうした状況に在るならば自分の方が優位に立っているということを条件に、人の幸せを羨むことなく慢心の笑みで喜ぶことができた。しかし、その栄光の輝きも、高校を卒業し職を転々とするがどの職場に適応できず、チャランポランをほぼ二年近いことしているうちに輝きを失いつつあった。いろいろなものを身に纏って権力者となった筈だったが、次第にその装飾の色が褪せてきたことを実感するようになっていった。
 つまりは、今現在のタケシには、万に一つ想像もしたくないことではあるが、自分自身が起源における引け目の人間に戻ってしまうのではないかという危機感が、新たに芽生えはじめているのだ。
 タケシの夏。人生を四季に例えることはできるだろうか。
  太陽の日差しが目がくらむほど強い日々に、天に短剣を突き刺し人生を謳歌しようという季節があった。
 そういう季節は目がくらむほど強い太陽の光のせいで、世界が本来あるべき姿を逸してしまっていることがある。
 美事や美談や綺麗事と言う。本来、善は美しい。それであるならば逆説的に悪徳というものも本来的に美的であることを認めざるをえない。戦場ではより多くの敵を投げ倒し勇敢に戦った人間が英雄である。社会はそれら悪徳をドラマや映画や漫画など二元のなかに描いてみせる。
 例えば、人生の過渡期にある少年を対象にしたものに不良漫画というものがあるが、それは時代の変遷と共にある程度変容するにしても絶えぬものだろう。親や先生の言いつけを守り勉学に励む優等生よりも、遊び慣れた不良の方がよっぽど格好良い。それが夏の世界だ。タケシはその夏の季節において学校に頂点に立ったのだ。彼に物言う人間はいなかった。
 なぜタケシがそのような権力者になれたのかと言えば、ネガポジの如く周囲の価値観が反転していたからだ。
 授業をサボること、学力テストで最下位を取ること、先生に反抗すること、それらを堂々とあからさまに行うことによって、自分が落ちこぼれであることを周囲に誇示していった。
 それに加え、先輩と仲良くすること、その先輩を伝って学校から抜け出しストリートへ出ること、そして黒いコネをつくること。そうして、権力者になった。その蛮勇さにどれだけの努力があったのかは分からないが、学校内の人間はタケシを嫌うどころか、敬う人間の方が多かった。
 それは夏の価値観が他の季節のそれと反転するように狂っていたからだと言える、しかし、それだけではなかった。彼の春が酷く荒んだものであったことを周囲の人間は知っていたので、その荒んだ季節から成り上がった彼の崇高さにみんな一目置かざるをえなかったのだ。
 本来、春はほのぼのとして暖かいものである。まだ人生に未知なるものが溢れていて世界がキラキラしている。ほんのすこし離れた近所の藪のなかで遊ぶことさえも一種の冒険だ。一日が長く、夕暮れまで遊んだグラウンドに寂しさを感じ家に帰ると、母親が晩飯の支度をしている。春の思い出は人それぞれ様々だろうが、おおよその人間にはほのぼのと懐かしむことができるものだ。
 しかし、タケシの春は荒んでいた。授業をサボり、宿題もやってこない、学力テストでは最下位、先生の言うこともロクに聞かない、どうしようもない劣等生。それに加え、嫉妬深く拗ねたような表情が目に余る少年。今でこそ身体は鍛え抜かれているが、当時少年時代のタケシは、背も低く身体付きも華奢であり、それに比例するが如く気も弱かった。
 そういう少年に対するお利口な同級生の責め苦は容赦のないものだった。ひとつひとついじめの詳細を語ることは控えるが、タケシは幼ながらもノイローゼに罹ったような蒼白の表情や体たらくで日々生活することを余儀なくされたのだった。
 家は貧しく、築何年になるのか分からぬうさぎ小屋のような家に住んでいたこと、父親がおらず女手ひとりで息子を育てる母子家庭。それらが喉元に噛み付いて獲物をしとめてやろうという狼の牙に晒されることとなった。
 羊は狼の牙によって狩られる。それがタケシが後に自然に意識せずとも身に纏ってしまった世界に対する見方である。しかしこのタケシの抱く狼が姿中身共々、どう見ても至って普通の人間であったということは、後にいじめっ子とそれに従属する同級生が普通のどこにでもいる善良な青年になったことで明らかになった。
 いかなる悪人にも過去に倫理的責め苦に合わされ負った酷い傷跡があると仮定することはできるだろうか。そう考えてしまったら、悪人に情状酌量を認め擁護することにもなり兼ねないが、しかし、人は自分をして全くの悪人ではないと言い切ることができるだろうか。勉強が苦手で苦手で仕方ない子供が学校の勉強を怠けてしまっても幾らか仕方がない。家が貧しく、親が子供の教育や躾に時間を費やすだけの時間もない。その事態になんの罪があったのだろう。本来道徳は人を糾弾するためにあるわけではない。しかし、未だ人道主義のおぼつかない、後に至って普通の青年になる未熟な子供たちには、その不躾な怠け者が歯ぎしりするほど憎たらしかったのだ。
 道徳の眼で睨みつけられ、道徳の牙によって切り裂かれる。そうしてタケシの心は闇に蝕まれていった。タケシは闇に闇の住人に魅せられた。
 そして次第に暑さが増してきた夏の気運に、己が向かうべき先はすでに分かっていた。そして復讐に駆り立てられた。それがタケシにとっての血祭りの、そして栄光の夏だ。
 その折、夏の最中にいろいろな人間と付き合うなかで学んだ事がある。
それは過去に自分が歯を喰いしばるほど辛かったもの。道徳的な責め苦こそが人間にとって最も手強いということ。己を善とし敵を討つこと、その戦法。道徳の側から不道徳な人間を拷問にかけ苦しめること。俺はその犠牲者だ。世の中ではそんなことが当然のように行われているのだ。美事、美談、綺麗事による制裁が。世の中は美しい、なんて美しいんだ。
 タケシは悔恨混じりに皮肉を考え、刺青を衣服で隠すように、醜さの上に善の仮面を被り隠すのだった。俺はいまや羊の皮を被った狼だ。
 
 救急病院に搬送され治療を受け、朦朧としていた意識が徐々に回復し、一度は雄叫びをあげるまで興奮した胸の騒ぎを、医師が見兼ねて処方した精神安定剤のおかげで治った頃、ようやく自分を振り返るだけの冷静さを取り戻した。
 カーテンによって区画された薄暗い小さなスペースにベッドが設えられており、そのベッドにタケシは独り横たわっている。
 ガーゼが巻かれた頭を、アイスパッドを手で当てがって冷やしている。
 イナセの闇雲に投げた椅子は、頭部に当たり傷口をつくったが、幸いにも縫うほどのものではなかった。
 これから脳に外傷がないか、CTスキャンで脳のレントゲンを撮らなければならないという手筈であるが、レントゲン代がかさむことを考えて、医者の忠告を先ほど拒んだ。保険証がないのだ。
 収入があった頃、社会保険に加入していた時期はあるがそれも一時であり、日雇いの仕事を入れて喰い繋いでいる現在のタケシは社会保険に加入していない。国民健康保険に加入することを考えたこともあるが、それまでの未払いの保険料を支払わなければならないという状況にあり、断念した。
 「保険証無しだと費用は掛かるけど、健康には代えられないだろう。レントゲンは撮っといた方がいいよ。傷口は目立たなくても脳に外傷を負っているという可能性はあるから。あと保険に入ってないとこの先困るよ
「こっちがなんにも知らないからといってテキトーなこと言うんじゃねぇ!大丈夫に決まってんだろ!こんなこと前にも何度も経験してんだよ!バカヤロウ!」
 怒り冷めやらぬ頃、タケシは怒声を浴びせたのだったが、冷静さを取り戻してからもその意思に変わりはない。
 しかし、レントゲンを撮らないにしても、全額負担の治療代が掛かることには変わりはない。タケシはイナセから慰謝料を請求しようと考えた。
 バーに駆けつけた警察は目撃者の証言から、事件を顔見知り同士の喧嘩とし喧嘩両成敗という形で片付けるという。仮に警察に傷害罪として被害届を出した場合の示談金は慰謝料も含め、おそらく十万円程度だろう。
それであるならば、十万円の十倍の百万円の慰謝料を請求しようとタケシは考えた。さもなくば、殺さなければ気が済まない。
 貧乏学生であるイナセからそれだけの大金を搾り取るのは、本来容易でない筈だが、傍に風俗で働く恋人がいれば話は別だ。風俗に沈めるまでもねぇ。人のメンツ折りやがってタダで済むと思うなよ。タケシの提示する百万円という金額は彼のメンツ代だった。



 渋谷駅から道玄坂を登り約十五分。閑静な住宅街である南平台のとあるマンション。十四階建てのマンションの一階エントランスの自動ドアのロックを暗証番号を打ち込み解除する。慌ただしく階段を駆け上がり三階に着くと財布から合鍵を取り出し、鍵穴に入れ捻る。そこで深呼吸を何度かして乱れた息を正す。ドアを開け、廊下を行きリビングに辿り着くと、丁度ナツキが部屋の隅に置かれた椅子に座り、テーブルに向かっている。
テーブルの端に置かれたスマホから流行りのポップソングが流れていた。
「電話出れなくてごめんね。かけ返したけど、留守電に繋がっちゃった。なにがあったの?」

鏡やファンデーションを広げ、化粧をしているナツキは振り返るとそう聞いた。
「なにもないよ、来ていいか聞きたかっただけだ」
「ん、顔中アザだらけじゃない」
 平然を装うとしていたイナセは一門着あったことをすぐに暴かれると両手で顔に触れた。傷口をつくり腫れていることに気付いた。興奮していたせいで感じていなかった痛みが、今になりようやくこみ上げてくるのだった。
「いや、実を言うと例の前に話した知り合いと喧嘩しちゃったんだ。
「尊敬してるって言ってた友達のこと?」
そう聞くとスマホから流れていた音楽を止める。
「ああそうだ。だけど尊敬しているというのは取り消しだ。やっぱりどうしようのない奴だったよ」
「いじめられっ子から成り上がって学校の頭になった奴だって讃えてたじゃないの。とりあえず座れば」
 イナセは力なく膝を突き、目前のコタツ用の正方形のテーブルの前に座り胡座をかくと、テーブルに両肘を突き頭を抱えた。
「やっぱり横になった方がいいんじゃない?」
「いや、大丈夫だ。身体じゃない、心が痛むんだ」
その言葉を聞くとナツキは愉快になって笑みを浮かべた。
「セラピーに通わないと」
「冗談はやめてくれ。違うんだ」
そう言って頭をもたげたイナセは目を閉じた。
「親しかった友人に裏切られた気分なんだ。友人さえもが小癪なプライドのため、優位に立ってなきゃ気が済まないような人間だったんだよ。今まで表には出さなかったけど、内心俺を見下してたんだ」
「見下されて腹が立って喧嘩したんだ?」
「いや違う。嫉妬されたんだ。嫉妬されることがこれほど不愉快だとは思わなかった」
「なにが原因?」
イナセは閉じていた眼を開き今度は眉間に皺を寄せた。
「悪い。申し訳ないがそれは言えない」
 恋人ができたことで嫉妬され、ナツキのことを馬鹿にされたとは言い難かった。
「途中まで話しておいてなによ。原因が分からないんじゃ、私も答えようがないわね」
 躊躇したが遠回しにこう返した。
「うだつが上がってなかった俺が少し幸せになったからって、その幸せに嫉妬の眼を向けたんだ」
「それってもしかして私のこと?」
 核心をいいあてられたイナセは咄嗟に返答した。
「それもあるかもしれないな。意気揚々とした俺の姿が気に入らなかったんだろう。そう考えると余計腹が立ってきた。あんな奴は友達じゃない」
「私のことどこまで話したの?ソープで働いてるってこと言った?」
「言ったよ。ソープで働いてる彼女ができたって自慢してやったよ」
「それで嫉妬されたの?それならいいんじゃない。私はハッピーだけど」

 見下されても見上げられても、嫉妬されても我慢ならぬというイナセに比べて、ナツキは勝っていた。イナセはナツキの爛漫なその言葉を聞くと、ナツキの職業をやり玉に挙げて揶揄したタケシがそうそう憎たらしく思えている。しかし、それを露わにしこれ以上真相を話すのは、ナツキの落胆を招くと考え押さえ込んだ。
「ああそうだな。ひとりで嫉妬させてればいい。これ以上アイツのことを考えても無駄だ」
「そうね。時間が経てば仲直りできるわよ。私もこれから仕事に行くところだから。かまってあげられなくてごめんね」
 そう言うと、広げていた化粧道具を片付けはじめる。イナセはその間、煮えたぎる心中の怒りを表に出さんと口をつぐんでじっとしている。ナツキが支度をし終えて出て行く。廊下を途中まで行ったが折り返して帰ってくると、喧嘩は勝ったのかとナツキは尋ねた。イナセはその言葉を聞いていたたまれず、おどけて内心を隠すかのように笑い出した。そしてヘラヘラと笑いながら、出し抜いてやったとだけ答えた。そうすると、不思議なことに緊張の糸が切れ、胸を騒がせていた怒りが掻き消えたのだった。

 ナツキが出て行った後の部屋はシンと静まりかえっている。
 洗面所に行き、鏡に向かい顔を確認する。左目の上方に青タンができて腫れており、目が垂れ試合後のボクサーのような顔つきになっていた。馬乗りになられ殴られた際にできたものだ。顔を洗いながら考えた。俺が喧嘩をするのは珍しい。人にこざかしい真似をさせやがって。喧嘩に負けたことに関しては情けなさを感じているが、しかし、守るべきもののために喧嘩を仕掛けたことに関しては、間違っていなかったのだと問答する。イナセはつい頭に血が昇り激昂し、我を忘れて殴りかかったわけではなかった。意味があり殴り掛ったのだ。怖気付いて顔を引きつらせやり過ごす自分の姿を想像し、眉間に皺を寄せる。人間はそんな風であってはならぬのだと誰もが思うところだ。しかし、イナセがその使命を果たしてきたかと言うと疑わしい。むしろ、イナセはそれを裏切ってきた人間だった。だから、イナセは喧嘩をして良かったと思えているのだ。
 廊下を伝い奥のリビングに戻ると、灯りを消して、着替えもせずナツキのベットに潜りこんだ。ベットに入るとひんやりとした感触が伝わってくる。
 そのひんやりとした感触が体温によって次第に温められ、やがては感じなくなる頃、イナセは眠りに落ちた。

 かつて遠藤周作は『沈黙』において、卑しい浅ましい道化キチジロウを描いてみせたことを思い出す。
 怖気付けば己に戒めた筈のイエス・キリストや聖母マリアの踏み絵すらも踏み付けてしまう卑屈な道化。
 大変情けない人物として描かれている。
  しかしこれは実のところ、本来祭に仕える者を間違えて、場違いの戦場に送り込んでしまったような構図なのである。
 道化の持ち場というものがあるならば、本来それは己の大義を掛けたいさかい事にはない。
 仮に人間精神に「道化性」という一面を措定し、「道化的」なる言葉を造語するならば、人はある場面においては、それを欲し許容するだろう。
 祭りというものは、日常の秩序を一旦破壊し混沌に帰す。
 そして、新たな秩序を形成し世界を更新するという浄化の意味合いにおいて行われるのだ。
 祭りの際には、権威立てられていた法が看破される。
 抑圧していた法が看破されるから浄化なのであ。
 禁止を付す法が融解した善悪宙吊りの状態が祭りであり、またこれが道化的なるものの延長にあることを付け加えておきたい。
 法が融解した善悪宙吊りの場に立つ道化人。喩えれば、道化はメビウスの輪の捻れた部分に立つ。
 善と悪を司ると言えば、まずはじめに戦争と平和を思い浮かべるだろう。
しかし、道化のメビウスの輪の裏と表というものは、必ずしも戦争と平和ではないのである。それは特殊な例であり、本来道化のベビウスの輪は祭と平和で構成されている筈なのである。そう記しておきたい。
 その道化を戦場に引っ張り出してきて、己自らに大義を課し戦えと強いれば、それは不遇と言う他なく、祝いの席で因縁を付ける輩ほどに情けなく、断罪されるべき人間として映るのだ。
 
 しかし、イナセはそれに負けじと、守るべきもののために戦った。
 浅ましく負けてしまった。その挙句、ルール外の投擲によって出し抜き、逃げた。
 慣れない喧嘩をした道化は、終局、卑怯な手口によって目的を果たすこととなった。
 イナセは思慮分別がないわけではないので、それが卑怯な手口であると分かっていたが、後ろめたさを感じていない。
気高さを完璧にわきまえた人間などいるわけがない、仕方がないと思っているのだ。

 そしてイナセは寝てる間にこんな夢を見るのだった。

 暗い夜の底で途方もなく大きな蛇が上下に小さく揺れながら、ゆっくりと彼方の更なる闇の方へと進んでいく。その蛇の背に乗って航海をしているようであった。
 しかし、彼方の方から、こちらの袂の方へとその蛇を辿ると、はじめ長い蛇に見えたそれが粗雑になり、ばらばらとなり、自分の周囲まで視線を遡ると、先ほどまで蛇に見えていた光景が人間の行列であることに気付かされる。そうすると彼方を見て感じた大きな蛇の背に乗っている感覚も移ろいで、行列の中に紛れていることに気付く。周囲を見渡せば、至る所で篝火は煌煌と灯り、闇のなかでそれら長い長い人の行列を紅く染めている。 
そこでイナセは祭りに来ているのだとハッと気付く。行列は異様な熱気を孕みながら、ゆっくりと進んで行く。
 前方に行列が二股に分かれるのを見付けると、その間に、背の高い屋台が座っており、金を叩く音を周囲に響かせている。子供達が屋台に上がり、手に金の器を持ち、それをしきりに叩いているのだ。しゃぎりだ。子供達がしゃぎりを演奏しているのだ。イナセはその光景に歓喜されると、嬉しさのあまり子供のように飛び跳ねる。しかし行列の歩みは鈍く、子供達の屋台にはなかなか辿り着けない。
 やがて、よそ見をし露店が立ち並ぶ歩道の方を見ていると、露店が途切れ隈となっている部分に目が止まる。暗い路地を背後にひとりの男が自分の方を射抜くように直視しているのだ。
 行列の隙間からチラチラと見えるその男の鋭い目指しに、先ほどの歓喜は消え静かに力む。イナセは初めから定められていたことのように、その男のところに行かなければならぬということが分かっている。
 行列を外れ、その男と路地を歩いていく。その男は口元に髭を蓄え、眼鏡を掛けており、額には皺がうっすらと刻まれている。男は警察手帳を見せる。イナセは途端に三ヶ月前のことを思い出し、冷静に対処する。
「俺は潔白だ。署に行って尿検査をする用意がある」
 刑事は「そうではない」と返すと話を続ける。
「君にはひとり気に食わぬ人間がいるだろう」
 刑事のその言葉を聞くとイナセは尋ねる。
「タケシのことか」
 しかし、刑事は首を横に振る。
「もっと根本的な部分での話だ」
 その言葉を聞くとイナセはハッ気付かされる。
「君に悪を伏し、正義を振りかざしている。勧善懲悪で、悪が貧困やその他多くの悲しみのなかから生まれることにも配慮しない。勧善懲悪であるにも拘らず、黒を纏い、上辺だけのイメージで善悪両義的なヒーローを演じている」
 イナセはその人物を思い出し言う。
「ああ、悪人に対する深い悔恨が彼を狂信へと走らせてしまったのだろう」
 イナセは、刑事と面識があり、以前と同様に刑事が自分を頼りに話を持ちかけてきたのだということに気付いたのだ。
「君にすべてを包括するだけの愛はあるか」
「究極普遍を求める愛の広がりは、悪や戦争すらも包括する。世界はそれのみで美しい。俺はかつて戦争をxxxxに例えたことがある。xxxxには愛があると」
 イナセは悟りを経た僧の如く、静かにそして厳かに言う。
 悪は善を際立たせるためにあるのではない。子供の頃に見た世界の様相を俺は忘れない。海の波の音さえもが、まだ自然の音色に聞こえていた頃の世界を。善もなければ悪もなく、格差もない、子供も大人もなく、みんなが和合をなし、静かに笑っている。世界はそれのみでキラキラと輝いている。俺はその真景を忘れることができないし、忘れるわけにはいかないのだ。
「お前の深い悲しみは分かる。しかしだな、俺は刑事だ。法を守らない人間には、それなりの措置を取らなければならない

 イナセは両手首を擦り合わせ刑事の目前に持っていくと口を開く。
「俺は分別のないバカではない。俺がこれから一度でも悪事を働くことがあれば、そのときは躊躇うことなく牢屋に入れてくれ。しかしやらなければならぬことがあるのだ」
 イナセを試した刑事は、その言葉を聞くと頷く。
「お前が見た祭りの景色は、やがてはお前の糧になるだろう。敵の土俵で戦えば、もはやお前に勝ち目はない。よく考えるんだ」
「わざわざ相手の土俵まで下るものか。俺の身振り手振りで、闇のなかを灯す人々の賑わいの火は必ずや大火するのだ。世界の陰陽を司り、月と太陽が交われば、世界はおのおのを照らす篝火となるのだ」
イナセのその言葉を聞くと、刑事は背広の内ポケットからなにかを取り出し言う。
「彼の姿を見るのはこれが初めてではないことは知っている。しかし、君にこれを渡しておこう」
 刑事が内ポケットから取り出したのはトランプのカードだった。
 そのカードは血が滲んでおり、幾多の残酷な戦火を潜ってきたもののように思われた。
「君もコスプレをする必要があるかもしれないな。真面目な割に妙な演出を好む奴だ。黒を纏いし闇の騎士。しかし、闇というのはフェイクだ。闇は君が司る筈だ」
 そう言うと刑事は背を見せていたトランプをひっくり返して見せる。
「知っての通り、ゴッサム市在住のバットマンだ」
 イナセはその血の滲んだトランプを受け取ると、ジーパンのポケットから財布を取り出し、なかにしまう。後ろ姿を見せ、なにも言わず立ち去ろうとするイナセに刑事は叫ぶ。
「敵を愛すると誓ってくれ!」
 イナセは振り向きもせず、捨て台詞を吐くようにこう答えるのだった。
「敵も味方もない」
 祭りには戻らずにナツキのマンションへと帰る。途中使命感から、胸が歓喜に捕らわれ駆け足になると鳥になった。両腕を左右に大きく広げて大空を舞う鳶のように飛行する。そして、ナツキの家に帰ることもやめて、大空を飛ぶ。
 次第次第に周囲が仄明るくなっていき、人の姿がチラチラと見え始めるころ、イナセは白い服を纏った二人組の持つ大きなタモに捕らえられた。      
 イナセは困惑し我を失ってもがいたが、二人組からは逃れられない。やがて白い車に乗せられ、タンカーに拘束されると、もはやもがくこともできない。車の小さなサイドガラスの向こうを見ると、普段と何ら変わらぬ日常の一端が垣間見える。車は停止し、後部からタンカーごと担ぎ出されると、一瞬、朝焼けの白い空が見えた。
 施錠された分厚い扉を白衣を着た看護師が開けるころには、何故かタンカーから拘束を解かれ、二つの足で立っていた。
 一つ目の施錠が解かれ、なかに進むと同じく分厚い扉が構えている。看護師の一人が意味あり気に笑い二つ目の扉の施錠を解除すると、白い光と共に拍手が湧く。上下橙色のトレーナーを着た人々が、頓狂にへらへらと笑いながらみんな一斉に拍手をしているのだ。そして、そのなかの中央の中年男性が言う。
「おめでとう。ゴッサム市に行く前に僕らが詐術の特訓をしてあげる」
 イナセはその男と周囲に並ぶ頓狂な人々を見て困惑し弁明する。
「俺は違う。違う。誤解だ。分かってくれ。俺が望んでいるのは平和なんだ。信じてくれ。信じてくれ。信じてくれ・・・・」
 その哀訴は虚しく退けられ、両脇に立つ看護師のひとりが微笑みを浮かべながらイナセに言う。
「差別はよくないと言ったばかりだろうに。ここでの生活はすぐに馴染むよ」
 イナセは反駁し言う。
「閉じ込められるのが嫌なんだ。違う誤解だ。俺は狂ってなんかない。なんでみんな気付かないんだ。気付いてくれ。気付いてくれ・・・・
 自分が狂っていない何故ならばとその証明を見せようと、ジーパンのポケットから財布を取り出し、例のものを見せようとする。しかし、いくら探しても見つからないのだ。刑事から渡された血の滲んだトランプのカードが。
 人は寝てる間にどんな夢を見ているのか知る術を持たない。イナセはその夢の内容を全く覚えていなかった。

 寝ていたイナセが目を覚ますと、掛け毛布の上に光が落ちているのが見えた。カーテンの隙間から朝日が溢れている。壁に掛かった時計を見ると七時を指していた。休日開けの月曜であるので学校に行かなければならない。スマホのメモの欄にメモをした授業日程を閲覧しようと、ポケットからそれを取り出すが電源が切れていた。
 そして、昨日あったことを思い出した。何故電源を切ったかと言えば、喧嘩をしたタケシを避けるためだ。タケシは一体なにをしているのだろうかということが気になった。タケシに椅子を投げつけて去った後、その後を省みることもなく、ナツキに会いたい一心でここを訪ねたのだった。
 逃げ去るとき、扉を開けながらタケシを見探すと、すでにタケシは地べたに這いつくばっていた。死んだということはないだろう。ステンシル性の椅子は軽かったため、まさか気絶に至るとも思っていなかった。
 店員が介護するということは考えられないので、警察に通報され、そのまま病院に搬送されたという可能性が高い。
 そうなればタケシどころか警察さえもが自分を捕らえにくるかもしれない。
 イナセは不安に駆られたが冷静に考えることに努めた。暴行罪や傷害罪は親告罪ではなかったか。タケシが被害届を出さなければ警察に捕まることはないだろう。第一これは喧嘩だ。タケシの方も俺を殴ったではないか。そうなれば警察に逮捕される可能性は低い。
 それよりもタケシが今後どういった行動にでるかということが気になった。
 タケシの気高さを顧みれば、もう一門着することになるだろう。イナセは一瞬鬱陶しさえを感じはしたが、ここで怖気付く訳にはいかなかった。
 学校に行こうと考えたが再び時計を見て躊躇う。この時間に出れば確かに一限の授業に間に合うが、しかし、通勤ラッシュに巻き込まれ、窮屈を強いられるのだ。それに加え、タケシが学校で待ち伏せていることを思い描く。学園祭のときにイナセはタケシを学校に招いているので、タケシは学校の場所を知っている。連絡が取れなければ、学校に探しに来るだろう。
しかし、学校に行かない訳にはいかない。

 結局、イナセが学校に顔を出したのは、十一時過ぎだった。キャンパスは授業中ということもあり、人の出がなく閑散としている。ゲートを抜け段差のあるアプローチを登り一号館に辿り着くと、外壁に取り付けられている電子掲示板に目をやった。
 一時限目の『比較文化研究論』をすっぽかしてしまったことが分かった。
そして、二限目の『社会学』の授業が今現在進行していることに気が付く。どちらも必修科目でないことを確認すると安堵する。社会学の授業には途中入場することはせず、このまま午後の授業がはじめるまで暇を潰そうと考えた。
 奥に進み、いくつか立ち並ぶ校舎を横目に歩いていく。食堂に行き昼食を取るのだ。授業が終わればキャンパスはドッと人で溢れかえる。食堂に至っても昼食を取ろうという学生で混雑を極めるので、その前に昼食を済ませてしまおうと考えていた。
 二階にある食堂に階段を登って入ると、食券機でカレーの食券を購入する。食堂のおばさんに食券を差し出しカレーをもらう。カレーの乗ったトレンを両手に持ち、奥の窓際のテーブルに座る。テーブルには六月の柔らかい陽光が射している。窓の外を見やるとケヤキの葉が風に撫でられてサワサワと揺れている。昼食を取り終えて一息付く頃には、安静な日常の一幕に強い安らぎを感じていた。
 あと二年もすれば卒業し多忙な社会の歯車に絡め取られるのだ。おそらく人生においてこれほどの自由を感じる日々は他にないだろう。俺は大学に入学して良かったのだ。イナセは孤独の状況にあるにせよ、これら清らかな日常の一幕に身を置いて、そう思えることが多々あった。孤独と引き換えに手に入れた、何者にも縛られない自由な生活。その心地よさ。イナセは自分の生活を始終悔いているわけではなかったのだ。
 しかし、今はその安静な日々を脅かそうという人物がおり、それが一点、透き通った水に一滴の黒いインクを垂らされるが如く、不愉快にさせるのだ。
 学校に付いてから食堂に至るまで、チラチラと周囲を見渡してはみたが、タケシのいる気配はなかった。一括りに学校と言えども広いので、馴染みのない人間には探すのは容易でないだろう。もし万が一出くわしたら、タケシは俺になんと言うだろう。激昂し殴り掛ってくることは言うまでもない。
 この問題をなんとか解決しないことには元の平穏な生活には戻れないのだ。
 イナセはそう考えると、ポケットからスマホを取り出し電源を入れる。暗証番号を入れてロックを解除し、タケシから不在着信がないか確認する。モニターには不在時のメールの着信等が次々と表示されていき、そのなかにタケシからの不在着信があったことを確認する。
 タケシからの着信は四件あった。四件とも昨晩バーで喧嘩した時刻からおおよそ四時間経った午前零時頃のものだった。電話が繋がらないから、それ以上かけるのを諦めたのだろう。そう考えると、タケシはやはり突然学校に現れる可能性が高いということだ。
 スマホの画面をスクロールするとタケシの連絡先を表示する。
 イナセは、タケシが和解する気があればそれに応じてもよいと考えている。喧嘩をする際、自分が悪いと思って喧嘩をする人間はそうそういない。
しかし、喧嘩をした後、その行いを省みて人はしばしば反省の念を抱くものである。イナセに至ってもこれまで友人と喧嘩をした際は、ほとんどの場合、腑に落ちぬことが多々あったとしても、一点自分に過失を認めれば自ら折れて謝罪をしてきたのである。イナセはいさかいを避けようという無意の衝動に従ってきたのだ。  
 しかし、今回の件に関しては、相手がタケシであるということもあり、そうした念は湧いてこなかった。むしろ、タケシの人格を前にすると、そうしたいさぎのよいと思える態度さえもが無意味に思われる。
 イナセはスクリーンに表示された通話ボタンをタッチし、タケシに電話をかける。
 着信音がしばらくして途切れると無音になる。
「生きてるか?」
 イナセは挑発の意をひっそりと忍ばせた言葉で尋ねた。しばらく間を空けて調子のよい陽気な声が返ってくる。
『生きてるかってなんだよ。昨日は悪かったな。実はあの後よく考えたんだよ。少し言い過ぎたなって。お前の方は大丈夫か?』
 予想外の返答にイナセは一瞬戸惑ったが、問題の解決の糸口が見出せそうな予感に心が揺れた。
「ああ俺は全く問題ない」
 イナセは左目上にできた青タンを空いている右手で触りながら答えた。
『お前とは七年近くの付き合いだからな。こんなことでお前との仲を台無しにするわけにはいかないと思ってる』
 再び一門着しなくてよさそうな気運に安堵の念が湧いてくる。
「俺もタケシに謝らなければならない。はじめに殴ったのは俺の方だし、最後椅子を投げ付けてしまってごめん」
 イナセはその言葉を放つころには、懺悔心から涙ぐんでいた。少し間を空けてタケシの声が返ってくる。
『お前がそう言ってくれるんだったら俺の方はそれで十分だ。どうだ?仲直りに今日会わないか。直接会ってお前に謝りたい』
「いや、タケシが謝る必要はないよ。俺が謝りに行く。どの場所が都合がいい?」
『俺がお前のアパートまで行くよ。学校の近くだよな。最寄駅はどこだ?』
「西武新宿線の東大和駅か、西武国分寺線の鷹の台駅のどちらかだね。スマホで調べて楽な方で来てくれ。何時に待ち合わせる?」
『今学校にいるのか?お前の都合のよい時間帯でいいよ』
「学校にいるよ。それじゃ四限の授業が終わるのが四時半だから、六時ぐらいに待ち合わせでいいか」
『分かった。六時に鷹の台駅で待ってるよ』
 待ち合わせの交渉をすると、あとは「よろしく」という呼応をお互いにし合って、タケシの『勉強頑張れよ』と言いう言葉を最後に、電話を終えた。
 スマホをテーブルに置き、両肘を付く。イナセは、かつて中学高校時代に抱いていたタケシに対する尊敬の念というものが再び湧き出るような気持ちになっていた。イナセはいつしか、自分でも判然とせぬうちに格差というものに過敏になっていた。それはイナセ自身も今までどういう因果に依るのなのか判然とせぬものであった。身を置く環境が一変したこと、心の成長に伴って価値観が変化したこと、いかがわしい本を読み毒に当たったこと・・・・。
 さまざまな要因が考えられるが、イナセはタケシとの関係において原因を一つ発見したような気持ちになった。これを友情というのだろう。イナセは感動の余韻に浸った。がしかし、その余韻も束の間、長く続かなかった。
タケシはいつの間にこんな詐術をわきまえたのだろうという疑問が湧き、
狐につままれたような心境にさせる。思いやりの言葉が人の心を強く捉えるということを熟知した詐欺師の手口だ。悪ぶれた人間なのに実は善き人という策略に人はしばしば嵌ってしまうことがある。俺はその罠に嵌ろうとしているのだ。イナセは猜疑心を巡らしそう考えた。次第に策略のため道徳を利用したタケシの狡猾なやり口にひしひしと憎悪の念が湧いてくる。
猜疑心を働かせる俺の方が悪者みたいじゃないか!
道徳なんてロクに尊守する気もないくせに、口さきだけで道徳を吐くな!クソ野郎!
イナセは眉間に皺を寄せ目を瞑り、両手で握ったスプーンを怒りに任せて折り曲げた。
 道徳を利用し人を糾弾したり懐柔したりすること----それは加害者と被害者の関係をうやむやにし、真相を隠蔽し、まやかしてしまう最も卑怯な手口----悪魔の所業なのだ。
 思いやりの数々の言葉をかけられたにも拘らず、猜疑心をたぎらせ憎悪を抱いている人間を見る人があれば、その人間を心の荒んだ偏狭的な人間と判断することだろう。そういう風にうやむやにしそれどころか、あわよくば加害者と被害者の関係を逆転させてしまい兼ねないのが、この悪魔の所業なのだ。そうした思惟を働かせイナセは、心のなかで激怒しているのである。そして、イナセはそそのかされ学校にいることを自白してしまったことを悔しがっている。
 もうすでにイナセの頭の中ではタケシが策略を練っていることが確定しており、更には自分の心中で自分自身が全くの被害者となっているのである。
 イナセは、それであればこちらもそれなりの手立てを考えなければならないと思いたったが、すぐには思いつかず、それ以上に午後の授業に出席しなければならないという考えが頭をよぎった。午後の三限四限の授業は、学科専門の科目であり必修であったので、欠席をし過ぎると留年の恐れがあるのだ。出欠席の確認の仕方は厳しく、助手の手を介さなければならない。授業開始前に助手から出席カードを受け取り、名前、学籍番号、日付に加えて、裏面に授業の感想を書き、それを終了後に助手に返さなければ出席したことにはならない。その門番のような助手が目を光らせるなか、出席率三分の二以上を満たし、ようやく単位認定試験を受けることができるという仕組みである。
 イナセは、この授業を現在三回休んでおり、あと一度だけ休める筈だが、今後いつなんどき休まざるをえない状況に立たされるか分からないので出席したいという気持ちでいる。
 しばらく腕を組み逡巡した後、煮えたぎる憎悪からいままでの思念を覆す、根本的な疑問がグツグツと湧いき起こった。
あのバカのせいで何故俺が自分の都合を変えなければならないというのだ。そうだ!俺はあんな人間との揉め事など一切起こってないかの如く、いたって普通に授業を受ける権利があるのだ。
 そう思いたって、食べ終わった食器の乗ったトレイを急ぎ足で返却口に返し、イナセは受けるべき授業を受けるべく、十二号館の大教室に向かうのだった。

 十二号館三階の大教室には、授業開始の十三時を目処に、続々と建築学科の生徒が集まり出していた。四列、二十行ほどの間隔で均等に配置された四人用の長机は、ところどころ空席を残しながら生徒で埋まっている。授業開始時刻に間に合わせるつもりのない呑気な生徒多数人が、席を探して彷徨っている。
 これから講義をする教授は、黒板手前に吊るされた大型スクリーンと手元のパソコンの画面に交互に目をやり、授業で見せるスライドの最終確認をしている。
 教室前方の出入口前に立つ門番は出席カードを手に余らせて、授業開始間もなくであるにも拘らず、未だ席についていない生徒に苛立ちの表情を湛えながら、そろそろ一声あげようかとタイミングを見計らっている。
「席についてない生徒は早く席につきなさい!」
 遂に門番は怒鳴ったが、その言葉に生徒が動揺を示さないのは、それが見慣れた光景であったからだ。しかし、今回は門番の言葉に連なるようにひとりの学生の言葉が飛んだ。
「そうだ!お前ら早く席に着け!」
 助手の口調を真似張り上げられた声に促され、教室に会した生徒たちはその声の源に注視する。そうすると、最前列の中央の長机にあの不真面目な同級生イナセが座って振り返り、こちらを睨みつけているではないか。前の方の席は勉強熱心な生徒によって、ところ狭し席がほとんど埋まっているにも拘わらず、イナセの座っている長机だけは両隣がまるまる空いていた。
 授業を聴講するには最も相応しい最前列の長机を占有したイナセは、生真面目な表情を湛えているが、それが門番のいつもの峻厳な顔つきを真似たものであることが窺える。
 未だ彷徨っている学生は、何故お前に言われなければならないのかとイナセの調子に乗った行為にしかめっ面になりながら、しかし席に着かないわけにはいかないので、その言葉の通りにしなければならないというジレンマをかかえながら席に着くこととなった。
 門番は眉間に皺を寄せた険しい顔つきでイナセを睨みつけた。教室手前、窓際の教壇に椅子を据えて座っている教授も、イナセの行為に注視し鋭い眼光で一度イナセを射抜いたが、それ以上の干渉を避けて、授業の準備を進めている。
 この教授は建築業界の人間であれば知らぬ者はいないという著名建築家の傍で長年仕事をしていた人物である。設計事務所を退職した後は、長年設計事務所で大規模な公共建築を手掛けた経験則を活かし教員として大学機関に身を置き、建築論の論文も雑誌に発表している。
 風貌は皺のよった顔が老いを隠せないではいるが、しかし老いにしなだれぬという姿勢があり、ピンと張った背筋と鋭い眼光にそれを感じることができる。ビジネスマンとして歳を重ねてきたというよりも、建築家つまり芸術家としての矜持を持ち合わせ生きてきたような出で立ちで、身に纏っている衣服は高齢であるにも拘わらす、デザインの凝ったラグジュアリーブランドがほとんどだった。
 その教授に鋭い眼光で射抜かれたイナセは、この厳格な教授を茶化してやりたい衝動に駆られていた。
 ようやく静かになった教室をマイクスタンドの傾き具合を何度か調整した後、一黙おいて教授が声を発する。
 スピーカーから教授の声が大教室に行き渡る。
 『最近の学生は規律というものがないな。俺が若い頃、学生はもっと真面目でしっかりしていた。貧乏臭さが身なりにたたっていたが、その分授業を真面目に受けようという姿勢があった。これも時代の自然な流れかもしれないな。授業の時間を守らない君達を怒りたい気持ちを抑えて言うが、豊かさに甘えてられるのは、お父さんお母さんの世代が頑張ったからだ。学校を卒業したら、その社会を牽引するのは君達だぞ』
 教授は生徒たちの怠慢さへの憤りを、豊かなになった社会に原因を当て付けて解消すると落ち着いた様子で語り始める。
 『さて、先週は、自然哲学から派生した科学が高度になるに連れ、人間の生に対する意義を失ってしまった。そこで建築家は、一度その科学視点を括弧に入れて生活世界に立ち返えることの必要性の話をしたところだな。そして今日は・・・・』
 イナセはノートを机に出しシャープペンを握ってはいるのだが、例の問題に気が散って授業に集中できないでおり、さらには授業に集中することを妨げているその問題————タケシに対する怒りがそうした状況であるからして、ますます増すばかりでいる。
 イナセは、教授の座る教壇とは反対側の扉を見る。扉には小窓があり、教室の外が見える。敵は外から来襲するという想念が無為に働いてイナセの注意を小窓に引き寄せている。教授の言葉をいくつも聞き逃した後、教授の方に顔を戻す。
『空間というものが実用的な目的に添う形で形成されるという偏見を、初学の学生は抱いているだろう。しかし、空間というものが実用性という一点においてのみ形成されたことがないという事実を建築を学ぶ学生は知っておかねばなるまい。なるほど、モダニズムのデザイン理論に形態は機能に従うという言葉があり、合理性に還元できないものはおおよそ美的でない、よって切り捨てるべきものだという見方もできるかもしれない。しかし、合理性を徹底して追求した先にあるものが、無味乾燥としたものとなり、すこしも人の心を遊ばせるものではないという見方も他方成り立つ筈だ。モダニズムにおいては建築家は人間について問わなかった。だから空間は人間から切り離されて実用的に振舞えた。しかし、私たちはモダニズムを乗り越えた上で、先人たちが培った多くの遺産を切り捨てず、それらから学ばなければなるまい。空間の成り立ちというものは実用的目的なものに還元できるものではない。そうではなく、空間の成り立ちというものは、その土地に暮らす民族が長年培ってきた非合理なものに由来している。空間という言葉が抽象的で察しがつかないのであれば場所と言い変えてもよい。場所の出で立ちというものは、先人たちの心が垣間見れるものだ』
 これから社会を牽引しなければならぬという生徒達に、教授は大真面目に講義をしている。
 いつもながらであれば後方の席に座り、寝ていたりすることが多くロクに講義など聴いていないイナセは、この時ばかりは授業に身の入らない自分を悔いているという矛盾のなか、イナセがもう一度扉の小窓の外を眺めると、偶然にも男の人影が通るのを目にした。
 教室の外の廊下を人が通ることなどありきたりで、全く珍しいことではないので、気に止める必要など本来微塵もない筈だ、と思い、教室の灯りが消され、これから手前の大スクリーンにプロジェクターが画像を映し出そうという授業に意識を返そうと思った束の間、人影がもう一度見えたと思い注視すると、小窓が映す光景の奥に立ってこちらのなかを覗いている者を目撃することとなった。が、それが紛れもなくタケシ以外ではなく、当のタケシであることを垣間見たのだった。
 髪の毛が逆立ち目の前が血の色で染まるような怒気のなか、 教授は大スクリーンに写真を映し出していく。教授は順に画像をスライドさせながらそれらに解説を加えているが、遠くから聞こえてくる念仏の如く化した。
 しばらくして振り返り後ろを見ると、暗くなった大教室の遠く、最後列よりも後ろの方の扉が開き、二人の人影が入場してくる。
 なるほど、状況が飲み込めた。
 先に入ってきたのは同級生のマコトだ。一年次の学園祭にタケシを招いた際、タケシとマコトは面識がある。あの時、タケシとふたり並んで歩いているところ、普段の態度とは打って変わって姑息に会釈をして通り過ぎるマコトを呼び止め、二言三言話しかけたことがあったのだ。そして明る日、イナセが態度の変わりように激怒して手を上げてしまうことになった人物というのがこのマコトであるが、タケシはその人物を覚えており、キャンパスで見かけたマコトに尋ねて、俺が何処にいるか突き止めたのだろう。
 マコトの表情を窺うことはできないが、肩をすぼめ俯き加減で歩き方がたどたどしいこと、いつも掛けている眼鏡をしてないことなど慮ると、タケシはマコトを恫喝したのかもしれない。
 そして、タケシの方は、部外者であるにも拘らず、なんの躊躇いもない傲慢な態度————ポケットに手を突っ込み、胸を張り、己のバイブスで未知のものを看破してやろうと言わんばかりの意気がった姿勢で、教室のなかを見渡している。
 振り返り見た光景を後にして、プロジョクターの写すスクリーンの方に体勢を正す。
 『日本の空間に特徴的なのは、中心がないということだ。人は混沌のなかで暮らせないから、まず空間を中心と周縁に分節しなければならない。中心が秩序立てられた俗的な世界ならば、周縁はその世界から閉め出されたケガレの世界だ。いや、ケガレとハレの世界と言ったほうがよい。集落を築く上でその起源の段階では、俗となる世界の中心は、一本の木だったり一つの石であったりするのだが、これをミルチャ・イリアーデという神学者の言葉を借りるならば、聖体示現と言う。この聖体示現を中心に集落が形成される。そして歴史の変遷を経て文明が発達すると、やがてはそこに教会が立つようになる。場所で言えば、小高い丘の上に教会が立つことになる。教会とは古来、宗教的人間にとっては天と地を結ぶメディアであり、道徳要請機関として機能した。それが西欧の空間の在り方だ。しかし日本の場合はそうではない。日本においては中心がない、中心がない代わりにあるものが奥だ』 
 霧のなかに身を潜めていた鳥居、そしてその奥の神社の姿、霧がはだけ薄っすら浮かび上がるなか、神社は閑寂さを侘しく湛えひっそりと佇んでいる、そうして更なる遠方には生い茂った山肌がさらに深い霧に霞んで佇んでいる。
 スクリーンから視線を外し、もう一度振り返って教室後方に目を泳がせたが、タケシの姿は既になかった。生徒同様、空いている席に座ったように思われる。わざわざ教室のなかに潜り込んだのは、おそらくなに食わぬ顔で境界を侵犯することの愉快さと、それを誇示することによってプレッシャーを掛けてやろうという魂胆からだろう。
 教授の講義の声は続く。
『古来日本人は高い場所に、神性を認めなかったと思われる。むしろ、集落を山裾に添うように横並びに配置して、集落から山に入り込むように奥が築かれる形で空間が発展した。そして奥が神の座となった。その神の座に神社が築かれる。山を背後に神社がひっそりと奥まって建つ光景というのを写真や映画などで目にしたことがあるだろう。この日本の空間のあり方に対して明晰な学生は、照葉樹林の木々を伐採して山のなかに集落を築くのが困難であったから、あるいは、山裾に流れ込む渓流に沿った部分の方が水が得やすいからそうなったのだと考えるかもしれない。しかし、そう考えるのではなく、やはり私が先にも述べた通り、これらの空間のあり方は、民族固有の空間イメージつまり精神的風土に由来すると考えるべきだ。山岳信仰や山中他界の思想、古来日本人にとって人里離れた山のなかは禁足地であった。日本人は山の奥に畏怖すべき神性を見出したように思われる。何故か、その原因を探るのは容易でないかもしれない。しかし、私は自然に恵まれた豊穣な土地柄が、この空間イメージの形成の前提にあったということを述べたいところだ』
 そこでまで話し終えると、教授は広く生徒たちを望むように顎をあげると『生徒のなかで、鳥居をくぐったことのない人間はいるか?』と質問する。
 生徒のなかで挙手する者がいない。静まりかえったままである。そこで、見渡している教授の目線に杭を打つように手を挙げたイナセが質問する。
 「鳥居をくぐったことはあるけど・・・次いでに質問したいことがある。逆に奥から人間ではないものが侵入して来た場合、どう対処すればいい?

  敬語すら使わぬイナセの質問に一度眉間に皺を寄せたが、教授は生徒に質問に真面目に答えてやらねばと思い返答する。
 『それは速やかにご退去願うことだろう。いや・・・』
 教授は挙げていた顎を引き、俯き気味に思弁を巡らせている。
『奥に至るというのは恒常的なものではなく、生活のある局面にということだ。中心と周縁を隔てていた垣根が外れる局面、人間は平坦に繰り返す生活のストレスに耐えられないのでその局面が必要だ』
 そして教授はイナセの質問に適う知識をたぐり寄せると続ける。
『外れた垣根を元に戻すのも必要だ。祭祀においては、人間が混沌を象徴する魔物を演じ、その魔物が英雄を演じる人間に退治されるという儀式が行われる。それが祭祀の本来の意味だ。言わば新たな秩序形成のため魔物は退治される。もちろん象徴的にという意味でだ。これでいいかね?』
「ありがとうございます。先生、実のところを言うと今この教室に一人学校の生徒でない者が入り込んでいる」
 イナセがそういうと教室にさざ波のようなザワつきが起きると、教授より先に、窓際の教壇と反対側の先ほど覗いたドア横の壁際に立つ門番が機敏に反応し、教室を首を振って見渡す。
 教授は真面目に質問に返答したそれが、他の事由に利用されたことに不機嫌さを放ちながら言う。
『授業の内容についての質問ではないじゃないか。君は授業を脇道に逸らしたいのかね?』
「いえ、すいません。相応しい質問でありませんでした。授業を進めてください」
 教授は、束の間鋭い視線で門番の方を向き射抜いたが、顔を戻し、講義に務めるため咳払いをすると講義の続きをはじめる。
 『それでは、実際にこの空間イメージを模倣した建築を幾つか見てみよう・・・・』
 そうして再び教授の声がスピーカーを通じて流れ、スクリーンの画像が切り替えられるなか、しばらくしてイナセが教授の目に付きにくいようにゆっくりと振り返ると、ノートを取っている生徒たちの向こう側に、門番が峻厳な顔つきで、座っている人間になにやら堰を切ったように喋っている姿が見える。
 しばらくして、なんと言ったか聞き取れるぬ怒声が鳴ると、生徒たちがその声に驚き、後ろを振り返える。怒声のため教授の声が一度止まったが、授業を止めるわけにはいかぬ教授は、教室の一番後ろで起きている出来事に気を散らせながら、講義の声を連ねていく。イナセが座ったまま背伸びをするように上体を起こし、生徒たちの頭の向こう側を望む。唸ったのは座っているタケシの方だ。そして門番はタケシの襟の後ろ部分を掴んで立たせようとしている。そして、もう一度タケシの「触るんじゃねえ!」という怒声が放たれると、門番の方もついには口調が荒くなり、大教室のなかに声が高鳴るようになった。
「だからその口の聞き方はなんだと聞いているだ!」
「触るんじゃねえって言ってるんだよ!
「どこの人間だと聞いているんだ?うちの学生じゃないだろう!」
 教授は講義をするのが困難となり声を止めると、しらばく他の生徒たち同様に最後列で起きている出来事に注視する。突然起きた思わぬ出来事に教授は、教室の後ろを望みながら質問する。
「イナセ、君の友達かね?」
 友達と答えるのに戸惑ったイナセは、その質問に「いえ、違います」と答える。
 遂に門番がキレて本気で追い出す気を起こし、襟を掴んでいた片手にもう一つの手を加え、両手で無理やり起こしにかかる。タケシはその力に抗おうとしたため、上体を崩し床に転げ落ちることとなった。まさかこんな仕打ちを受けると思ってもみなかったタケシは、一瞬面食らった表情を見せたが引くに引けず、もう一度雄叫びを上げると立ち上がり門番に立ち向かっていった。
 門番とタケシの間で取っ組み合いがはじまったが、門番が前のめりに向かってくるタケシの腕を取り、逆一本背負いを仕掛けるとタケシは転倒し、痛みに片肘を抑えながら再度床にひれ伏すこととなった。
 そして「誰か手伝ってくれ!」という門番の声に応じて、男子生徒が複数人が立ち上がり、タケシを抑え込むと暴れるタケシの腕や髪の毛を掴み取り押さえる。
 「警備員を連れてきてくれ!」と門番が男子生徒の一人に言う。生徒三人に取り押さえられタケシが教室の外に連れ出されようとしている。あられもない姿で暴言を吐きながら連れ出されていくなか、タケシはイナセ!イナセ!とイナセの名前を連呼し、後で覚えてろ!と怒鳴りながら連行されていく。そして教室後部の両開きドアから連れ出されることとなり、怒鳴り声が小さくなっていき、生徒門番と共に行方が見えなくなった。普段生徒に怒声を浴びせている門番はここぞとばかりに頼もしかった。
 眼を丸くして教壇から事のあらましを見守っていた教授が、最前列のイナセに尋ねる。
「イナセ、これは一体どういうことだ?君が招いたんじゃないのか?」
イナセは思わず不敵な笑みを湛えていたしたり顔を、教授にバレぬように首を振り真顔に正す。
「迷惑をかけてすいません。授業が終わったら説明しに伺います」
「いや、出席扱いで済ませてやるから、今日はもう出てってくれ。君も守衛室に行き事情を説明しろ。それから、研究室に来なさい」
 イナセに指示を出すと先ほどと同じく咳払いをする。
 再び講義をしようとマイクに顔を寄せた教授の顔は一間開けるまえの深刻さはなく、何故か笑顔を浮かべていた。
『ビックリだな。突然一体これはなんだね。三十年来教師をしてきたが、こんなことははじめてだ。ゲリラ演劇でも観ているようだった』
 イナセは厳格な教授の鎧を透徹し、懐になにか不思議な爪痕を残してしまったような気がして、手垢のついた手で人の心をいたずらに触ってしまったような気分にソワソワしながらクリアケースを片手に教室を後にする。
 ガタンという引き戸の閉まる音を後にししばらくしたら、ソワソワした気分が次第に小走りにさせ、守衛室など行ったことがなく場所が分からないことを悟ると、カーブを描き校舎を曲がり、目前に見えてくる本館の階段を登り、ドアを開き、何も知らぬ学生相談課の女に「随分急いでるね」と言われながら、守衛室の場所を聞き、折り返して、再び小走りになり、六月の陽光に晒された、キャンパスの人気のない閑散のなかを独り駆けていこうということ、またその小走りの先に、あのときはよかったなあとぼんやり懐かしむだろう今の自分の姿を思い描いたその先は、気分が高揚し「人生は結局茶番でしかないのだ」という悟りのようなものを得ると、深刻さなど微塵も消えて笑い、新たに見えた校舎の廊下を抜け守衛室の門を叩かなければならぬところ、面倒臭いことを避けようという無為の衝動に動かされ、そのまま守衛室を通り越し、そのまま自由の彼方に掛けていくのだった。

「面白いわね。それからタケシは?」
「分からない。もしかしら俺のアパートの前でずっと張っているかもしれないな」
「そんなにタチ悪いの?わざわざ学校に来たり、家に張ったり・・・・」
「いや朱に交われば紅くなるとは言うけど、高校を卒業したぐらいから、ヤクザぶったりするようになって・・・・。でも今日の様を見れば、結局のところ口だけだってことがわかったよ」
「ならよかったじゃない。私のお客さんの方がずっとヤバイわね。」
「そうだ。その話。ナツキにSMプレイを強要してくるオヤジはまだ来るのか」
「来るわよ」
「そうか・・・・」

 ベットに横になるイナセとナツキ。ナツキに今日起きた茶番劇をおもしろおかしく話している最中、初めてナツキと出会ったとき、その間際にいたあの中年オヤジの話題が出たところでイナセは口籠り、感慨に耽けることになった。
 ナツキも詳細を話たくはないという心持で、しばらくの間沈黙が打った。
 そして、沈黙に今までの茶番劇を話す気さくさとは違った趣で、イナセはぼんやりと天井を見つめながら、話しはじめた。
「実を言うと、話さないつもりでいたんだけど、今日タケシの事件のあと、こんなことが続いたんだ」

 イナセが守衛室を素通りし、駐車場から学校の外に抜けようというときに、背後から呼び止める声がし、振り返った。振り返ると先ほど、タケシを守衛室に送るのを手伝った数名がおり、こちらの方に歩いてくる。気まずさにマズイことをしたと苦笑いで迎えるイナセに近づいたうちの一人が、イナセの顔面に平手を食らわせたのだ。
 「いい加減にしろよ」と言い放ち殴ったその同級生に、突然のことたじろいだイナセが「なぜ突然殴るんだ」と言い返す。
「お前は一体何がしたいんだ。学校を荒らしたいのか」
「誤解だ。俺自身がアイツに襲われそうになったんだ」
 弁解するイナセと同級生との口論がはじまる。
「何を言ってる。アイツを呼んだのは初めてじゃないだろうが!」
「ケンカしたんだ。それで追いかけてきて、アイツが勝手にやったことだ」
「初めてだったら俺はこんなに怒らねぇよ。話したいことがあるから来いよ!」
 数名に囲まれることになったイナセ。中央のリーダー格の人物はイナセの腕を掴み連れ出そうとする。イナセはその手を「やめろ」と言い振り払う。
 「自分達に非があることが分からないか」
 今回のタケシ来襲の件も自分自身が画策した悪行の一つになったことを自覚したイナセは、その機会に乗じて、同級生たちに噛み付くことにした。イナセの方も同級生たちに不満があったのだ。それは、例の抽象的煩悶に裏打ちされていた。何しろこれらの同級生たちは、学科、キャンパス内でも非常に目立つ人間たちであり、上の方で嫌みたらしくキラキラと輝いている権力者グループであったからだ。
 人気のある者と人気のない者との間で格差ができでしまうのは、仕方がないものと妥協せざるをえないことかもしれない。しかし、それにしてもこの言説は、強者にとって有利な見方である。
 イナセのような人物にとっては、これらの格差が、権威のある者と権威のない者との格差のようで、嫌味たらしく感じられたし、更には、「人は皆平等だ」という倫理観にかざした場合、確かに敵外視したくなる者たちであったからだ。
  実際に大学入学時、マコトが出会ったばかりのある人物をあからさまに見下した出来事が物語るように、特定の人物を内面的な魅力の有無ではなく、既存の慣習に乗っ取った形で見下すということがしばしば起きているのも事実だったからには、イナセの感性は、もっぱら偏狭的なもの、あるいは単なるひがみに拠るものだと頭ごなしに否定できるものでもない。
 権威のある人間に迎合し権威のない人間と差別化すること、そうした人間の営みの一面に怨念を抱く道化と、その営みを気に掛けたこともなく優に生きる、言わば天狗であるところの同級生が口論を交わすことになった。
 授業中の駐車場は、教職員も授業や事務作業で出払っているので、人気はない。駐車場の端には、フェンス越しの木々が六月の朗らかな陽光を遮り隈をつくっている。イナセがフェンスを背に同級生たちに囲まれている。
「俺の方が上だ、くだらない策略練ってまでそんな風にいきがりたいか」
 そう尋ねた方はイナセの方ではなく、同級生の方であり、先頭に立つリーダー格のカタヤマの方だった。
 カタヤマは最近の流行の波に乗り、ハイ・ブランドの衣服で着飾っているが、それからさらに差別化したいという衝動の表れの如く、眉の尻にピアスを開け、個性を演出している。顎に生え始めた髭を伸ばしているのも、一種自分を権威立てたいという意思の表れのように思われた。
「なにを言ってるんだ。俺がお前に対してそう思ってるよ。一人前に髭なんて生やしてるじゃねえよ」
 心を見透かしているどころか、根も葉もなく当て所違いの文句を言われたと思いイナセは反論する。
「髭を生やすことになんの問題がある?それだったら大麻吸ってるお前はどうなんだ」
 もともと饒舌な方でないイナセはそう言われて狼狽し口ごもってしまう。
「ひがみつらみの表情で周囲を見渡したと思ったら、唯我独尊になったり、一体お前はなにを考えているんだ?言ってみろよ」
「いつ俺が唯我独尊になった?」
「フェースブックの投稿は一体なんなんだ?明らかにいきがってるんだろう」
 カタヤマの後ろの一人がそこで「ネット弁慶ならぬネット・ヤクザだ!」というと集団で笑いが起きる。
 「どうだお前が裏でなにを言われているか分かっただろう。普段の身の振る舞いを考えて、改めるんだな」
「なぜお前にそんなこと言われなきゃならないんだ。俺には俺の言い分があるんだ」
「なら言ってみろよ」
 そこでイナセは再度口籠もりそうになるも、心情のひた隠しにするが如くこう返すのだった。
「お前等に俺のなにが分かるっていうんだよ」
「言っとくけど、周りの人間はわざわざ人の心の奥底まで考えたりはしないからな。そんな言葉を吐く時点で自分が傲慢だと思わないか。なぜ俺等はお前のことをそんなに考えなきゃならないんだ」
「それだったら本当のことを言うよ。俺はお前等みたいなお高くとまった人間が倫理的に我慢ならないんだ」
 もっと正確に胸のうちの煩悶を吐露したかったが、思惟が的確な言葉を探せず、月並みな言葉に止まった。
「倫理?俺等がいつお高くとまったんだよ?」
「とぼけるな。だったらタカギの扱いはなんなんだ」
 タカギというのは、例のマコトが入学当初、明からさまに指を指して笑った人物であり、その後も差別的な扱いを受けることになった同級生のことである。
 カタヤマたちもマコトが取った態度と変らず、タカギに対する態度は非常に冷たかった。
「タカギの話が何故出てくる?俺とお前の問題じゃないじゃないか」
 タカギの話が出ると、カタヤマは弱点を突かれたという心持ちで、それまでの堂々とした語り口が控えめになった。
「タカギは話すときの間合いが近くて嫌なんだよ」
「そんな言い訳あるか。見下してんるんだろう」
 カタヤマはその言葉を聞くなり、頬を釣りあげて怒りの表情を露わにする。
「俺は気が触れて殴るんじゃないからな」

 イナセはまるで悪いことをしてしまった生徒を思慮分別の末、道徳の掌で打とうとする教師のような態度で、カタヤマの頬を打つのだった。
「なにすんだよ!」
「反省しろ」
 その言葉を聞くと平手打ちを喰らったカタヤマの顔が激昂し、カタヤマの方も平手打ちを返す。
 そうなると、イナセも血が昇り、咄嗟に再び平手打ちを返すし、喰らったカタヤマは怒り、平手を拳に変え、イナセの頬に放つと、イナセも拳を握り殴り合いに発展する。
 しばらくすると、怒り冷めやらず、突進しようとするカタヤマを連れが取り抑える光景がある。イナセはカタヤマの前方で戦意喪失し、膝をつき、その膝に顔を埋めている。

「アンタまた負けたの?顔の傷跡が増えてると思ったら、タケシじゃなくて同級生にやられたんだ?」
 ナツキはベットの傍で寝そべるイナセの口の端の傷口を触りながら言う。
「やめろ。痛いから触るな」
「消毒ぐらいした方がいいんじゃない」
「放っておけば自然に治るよ」
「舌で舐めてれば治るか」
「それにしても、ここのところ色々あって嫌になる。なぜこんな風になるんだろうって」
「前はうまくいってたの?」
「ああ。前は音沙汰もなく、なにもなかったんだけど・・・・」
「性格が変わったのかもね」
「どうも我が強くなってしまったみたいだ。でも喧嘩売られてなにもできないよりかはいいだろ」
「まあ慣れないことはほどほどにしておいた方がいいかもね」
「ナツキに言われると、俺もそんな気がしてきたよ」
 そう言うとイナセはベットから起き上がった。ボクサーパンツにTシャツ姿だったイナセは、ベットの傍にそのまま脱ぎっ放しになっていたジーパンと春用のコートを着る。
「どこに行くの?」
「気晴らしに少しフラフラしてくるよ」
 イナセはそう言うと戸を開けて外に出た。
 六月のひんやりとした夜風に包まれる。口端の傷が風に撫でられひしひしと痛む。
 人混みにごった返す渋谷駅から程よく離れた南平台は、人気も少なく散歩するのに居心地が良かった。イナセは六本木通りに出ると、首都高の下を代官山方面に歩き出す。行き先はなく、フラフラと散歩したら来た道を折り返し帰るつもりだ。考え事をしながら外を散歩することがしばしばあった。とりわけひとりになりたいという心持ちの際に、そう意識しなくとも、自然に散歩がしたくなる。そちらの方が心に風が入るからだ。
 タケシとの決裂やカタヤマとのケンカなどで、心が萎えている。つい数日前までは、なんの変哲もなく、日常生活を送っていた筈、タケシのケンカを発端に、自分がなにやら小さな事件に巻き込まれるような気持ちがしている。しかし、こうして街並みを望みながら夜風のなかにドロップすると、これまであったことや、今まさにこうして夜に包まれた自分自身の姿が、まるでドラマのように感じられ、心地がよかった。街並みの灯火が途切れ、てんでになり、やがて影をひっそりと湛えるようになると、イナセは立ち止まり、近くにコンクリートの腰壁を見つけると腰をかけ、思い巡らせるのだった。
 ここにイナセの心中を物語るのに適した言説というものがある。
 社会心理学者であったエーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』という著作のなかで、精神分析理論を社会に適応し、ナチス・ドイツのファシズム政権の支持者に顕著であった性格を「権威主義的性格」とし断罪している。
 フロムによれば、人間は自由の重荷に耐えられない。人間は自由になればなるほど、それに伴う孤独感、無力感に苛まれるという。人間はそれらを解消するために二者択一を迫られる。

 一つは、愛や生産的な仕事の「自発性」の中で外界と結ばれ、人間の独自性と個性とに基づいた「積極的な自由」の完全な実現に進む道である。

  もう一つの道は、自由や自我の統一を犠牲にする「絆」によって結ばれ、自由の重荷から逃れて、新しい「依存」と「従属」を求める道(『隷属への道』)である。

エーリッヒ・フロム 『自由からの逃走』

 人間は誰もが積極的な自由の実現の道に進むことができるとは限らない。
人間には依存と従属を辿る道というものも開かれている。
 エーリッヒ・フロムは続いて次のように書く。

 「サド・マゾヒスト的」という言葉は、倒錯と神経症という観念と結びついているから、ことに神経症的ではなくて正常な人間をさすばあいには、私はサド・マゾヒズム的性格という言葉を使うかわりに、「権威主義的性格」と呼ぶことにしたい。
 
 権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと。

力は、その力が守ろうとする価値のゆえにではなく、それが力であるという理由によって、かれを夢中にする。かれの「愛」が力によって自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は自動的にかれの軽蔑をよびおこす。

エーリッヒ・フロム 『自由からの逃走』


 力のある者に対する服従、力のない者に対する攻撃、そうした性格様式を権威主義的性格とし、サディズム、マゾヒズムという性向の類縁として語る。
 権威のある人間に迎合し、権威のない人間と差別化せんとする人間の姿---イナセが忌み嫌った人間の一側面というものを、語らせるならばこの書物が相応しい。
 そして、彼が学校生活、とりわけ入学時に体験した光景というものが、これらの言説---第二次世界対戦時に大量虐殺を惹き起こした当の人間の卑しい性質---をイナセにその都度甦らせるものであったというのが事実である。
 よき書物に出会うのはよき友人と出会うのと同じだ、とある賢人は言う。別の賢人は、読書をしていると毒にあたることがあると言う。この書物がよき本であったか、あるいは毒のように心を蝕んだかは別として、イナセの人生においてこのフロムの言説ほど作用した書物は他になかった。他の不正は優に許せても、こうした差別主義的な人間の一面が許せないのはなぜだったのだろうか。イナセ自身なぜなのか判然と分からなかったが、実際にそうなのである。それは、劣等感の端的な現れだというのでもなく、イナセが群のなかで和合を成すことができなかったからだ、という理由付けに簡単にどどめるべきでもなく、それでは正義感からだったのかというとそうでもなく、ただただ許せなかったのだ。これは俺が背負った宿命に違いない。そんな思いが胸のなかに沸き上がると、顔を上げ、二の腕のジャケットで涙を拭い、立ち上がる。来た道を折り返し歩いて行こうというイナセの眼には強い意志が宿っていた。
 しばらくした後、ナツキの部屋に戻ったイナセは、スマホ片手にベットに横になっているナツキに言った。
「例のオヤジ、前に殺すといっていたけど約束を果たしていなかった」
 突然そう言われたナツキは、キョトンとした顔つきで聞き返す。
「は?」
「いや、初めてナツキに出会ったときにいたあのオヤジ、まだ来るんだろう。俺はそのとき殺すと言った筈だ。まだ約束を果たせていなかった」
「殺してどうするの?」
「本当に嫌なんだろ?」
「嫌に決まってるじゃない」
「なら俺が殺す」
「嫌なお客さんはいくらでもいるわよ。仕方がないでしょ。今仕事やめたら、こんないいマンションにも住めないんだから」
「いや、これはナツキのためというよりも、自分のためなんだ」
「どこまで本気で言ってるか知らないけど、私は殺人罪の片棒なんて担ぎたくないわよ」
「いや、殺すって言うのは比喩的な意味だよ。直接会ってもう来るなって説教してやるよ」
 イナセの言葉を聞きナツキが思わず笑う。
「とにかく俺に考えがある。その男が店に来たら連絡をくれ」



 翌日、普段通り、ナツキが店に出勤する。控え室で客が来るのを待っている。同僚たちが他に三人待機しているが、会話は無く、それぞれがパイプ椅子に座り、壁添いに突き付けるように設置された机に、肘を付き、スマホを弄っている。
 同僚を尻目にナツキはポーチのチャックを開け、なかからいつもの錠剤を一錠取り出し、口に含む。水は飲まず、そのまま唾と一緒に錠剤を飲み込む。仕事前に気休めに精神安定剤を飲むのが、習慣になっている。
 昨夜のイナセとの会話が思い出される。実のところ、ナツキはまさかイナセが本当にオヤジを退治してくれるとは思っていなかった。しかし、イナセの頓狂とも思えるが、しかし当人にとっては真剣な計画に、便乗しようと考えたのだった。理由は単におもしろそうだからという域を出なかった。イナセがあのオヤジと会い、どのようなやりとりをするつもりかは聞いたが、それが日常に機転をもたらせてくれる予感を幾らかでも感じることに愉悦がしたのだ。
 ナツキが周囲の同僚と同様にスマホを手に取り、インスタグラムを見ていると、ボーイが控え室に入ってくる。ナツキに目掛けて「指名が入った」と声をかける。ナツキが例のオヤジかどうかボーイに尋ねると「違う」と言う声が返ってくる。
 ナツキが準備をし、いつものようにため息を付き、客の待合室に入ると、同い年ぐらいの青年が座っていた。
 「こんばんは。アズサです」と挨拶をし、客と二人プレイルームに入る。「服を脱いで下さい」と客に声を掛ける。しかし、客は服を脱ごうとしなかった。客は、服を着たままベットに腰掛け、ナツキの方を睨み付けている。
 ナツキは客の異変に気付き、いささかの畏怖の念を感じ、聞いてみる。
「知り合い?どこかで会った?」
その言葉を聞くと、客は「いや、違う」と答えると、服を脱ぎはじめる。服を脱ぐと、腕の付け根から手首にかけて、刺青が入っている。
 「お兄さん刺青入れてるんだ。かっこいいね」
 ナツキが気の聞いた言葉を掛ける。
 そしてナツキも服を脱ぐと、バスタブに客を招き入れる。途中、客がナツキの左手首を掴んで質問する。
「この傷は?」
 ナツキの左手首には無数の切り傷があり、それがリストカットのあとであることは、一目瞭然だった。
「これ?これはリストカットの後だけど。もうこの歳でやることじゃないなって、最近はしてないよ」
 ナツキは戸惑いを見せながら答える。
「今まで生きてきて楽しかったことは?」
「楽しかったこと?すぐには思い出せないな」
「何故リストカットなんてする?」
「何故って?別に理由なんてない。むしゃくしゃするときにしたくなるだけ」
「聞いてた話と大分違うな」
「聞いてた話しって?」
 ナツキは聞き返すが青年は答えない。
「人間生きてれば傷ができる。見えない傷でも見える傷でも」
「そうかもね。私が手首を切ったのもきっと、見えない傷に気づいて欲しかったからかもしれないわね」
「俺は心に闇を抱えた人間が好きなんだ」
「闇?」
「明るいのが健全でよいって社会通年があるだろうに。だから俺はそれに真っ向から反対したい気持ちなんだよ。世の中はそんな一面的な美意識で語れるほど綺麗にはできてないから」
「そう、お兄さんは自分の主義を語るのが好きみたいね。でもここはそういうことを話ところじゃないから。早く下も脱いで」
「わかったよ。脱ぐよ」
 そう返すと武はズボンと下着を脱ぐ。そして質問する。
「ところで、イナセって奴を知ってるか」




 イナセはその頃、歌舞伎町近くのカフェで、ナツキからの連絡を待っていた。ナツキの連絡が入り次第、店に行き、出てくるオヤジを尾行し襲撃しようという計画であった。ナツキとの性交渉を終えてからの襲撃となるため、ナツキはオヤジに犯されることになるが、これが最後となる手筈だった。
 襲撃というとのは、ナイフで刺し殺そうといった大それたことを考えているわけではなく、まずはじめに声を掛け、ナツキの交際相手であることを告げ、もうナツキに関わらないでほしいと交渉し、それが無駄に終わるならば、今日のところは、退散し、また違う手立てを考えようと考えていた。もし万が一にも暴力を振るわれたら、殴り返さず、警察に行くつもりでいた。
 いつ何時連絡が入るか分からないので、灰皿ともうすでに飲み干してしまったミルクティの空のコップと共にスマホを机の上に置き、スマホに連絡が入るのをじっと待っている。
 カフェのなかは、人で混み合っている。窓に向かい合う形の席に座ったイナセが後ろを振り返ると様々な人間模様が見える。机にパソコンを置き、真面目に向かっているスーツ姿の男や、なにやら楽しげに会話をする女性二人組み、テキストを机に広げ、勉学に励む青年など・・・・。
 そこに隣に座ったサラリーマン二人組みの会話が飛び込んでくる。
「最近はオレオレ詐欺とか、ヤクザがしのぎで詐欺をやるようになったじゃないか。そういう時代なんだよ。だけどな俺に言わせれば、ヤクザが詐欺師になったらダメなんだよ」
 ほとんど雑音にしか聞こえてこなかった店内のざわつきのなかでその声だけが鮮明に聞こえてきたのが不思議に思えてならなかった。
 
 結局のところ、連絡のないまま、灰皿の上の吸い殻だけが増えた。こちらからナツキに連絡をしてみようかと思っているところ、ナツキからメッセージが送られてきた。
『今日は来ないみたい。帰ってて』
そのメッセージに意を決していた気持ちが揺らぎ落胆したが、徐々に安堵の気持ちに変わり、『わかった』と返した。そしてカフェを出るころには、もうこんな馬鹿げたことを考えるのはやめようと考えていた。そうして、コーヒーカップと灰皿を乗せたトレイを返却口に返すと、カフェを後にする。

 駅に向かって歩いているうちに、常日頃から敵外視しているサドマゾヒズム-権威主義に対する嫌忌の情と、恋人をSMプレイを強要してくるオヤジから救おうというヒロイズムが何故こうも重ね合わされたのか不思議に思えた。
 おそらくは、それら権威主義に対する叛旗の印として、自分の生活に象徴的にそんな出来事がほしかったのかもしれない。
 そうでもなければ、こんなことは考えなかっただろうが、単にひとり変態オヤジに説教をして一体なにになるのだろうか。もし仮に成功したとしても、徒労に終わり、自分の心中になんの変化もなかってのではないかという疑念が沸き起こる。
 イナセはどうにかして、自分自身の心中にある権威主義に対する煩悶に打ち勝ちたかったのである。今日の計画はその苦し紛れの苦策だったと言えるかもしれない。
 人は抽象的なものと戦うとき、またそれに打ち勝とうというとき、なんらかのその象徴を手に入れたくなるものなのだろう。それが今回のオヤジ襲撃の計画だった。そうだろう。
 しかし、そんな風にイナセか思弁を働かせているうちにも、イナセのまるで予期していない出来事が起こっていたのだ。



「別れよう」
「出てってほしい」
イナセがナツキからそうい言われたのは、それから数日立った間もない頃である。突然のことそう切り出されたイナセは、心を取り乱し、問いただす。
「何故だ。理由を聞かせてほしい」
そう問いただすと「自分の気持ちが分からなくてなった」「お互いの為にならない」といった門切り型の別れ事由を口にするだけだった。それでは満足できないと、イナセは「本当の理由を教えてほしい」とせがむと、ナツキは欺いたまま別れることに苦心したようで、「他に好きな人ができた」と答えた。その本音に面を喰らったイナセは、悔しそうに歯を喰いしばって問いただす。
「浮気していたのか」
ナツキはすかさず、首を横に振ると「違う」と言い続ける。
「浮気するって形で裏切りたくないから、別れ話をしたの。イナセのことは一生忘れない。楽しかった。だからお願い、分かってほしい」
そう言われたイナセは、いくら俺でもダダを捏ねるわけにはいかぬという心情から、「分かった」と答えるのだった。
「荷物をまとめて出て行くよ」
そう言うと、イナセは潔く荷物をまとめて、ナツキの部屋を後にするのだった。
 ああ、これで俺の恋も終わりかという気持ちがしんみりと心にわたり、空虚な気持ちにさせる。こんな俺がまっとうに恋人と付き合えたこと自体が奇跡と言えるかもしれないと自分を卑下しながら感慨にふけながら、駅に向かい、電車で帰る。
 シンと静まり帰った砂壁にボロアパートに着く頃には、眼から涙を流していた。涙を手で拭いながら、畳中央に敷いてある布団に寝込み考える。

 ナツキと付き合っていた間、色々なことが起きた。ナツキと過ごした甘美な時間はもとより、自分の日常を取り巻くその他諸々の事件は、嫌ということはなく、自分の進歩を物語る布石のようなものに思えてならなかった。
タケシとの対決や同級生カタヤマたちとのいざこざなど、それが完膚無きまでに負けたとしても意味のあるもののように思えていた。
 俺は権威と戦ったのだという自負があり、それが負けたにせよ、自らの大義をこと表す行為であり、それを実践できたかのように思えている。これからもこの大義を貫いていかねばという気にさせる。そうしてクソみたいな権威を看破するにはどうしたらよいかなどと考えていると、眠りに入っていた。



 それからというもの、イナセはナツキに出会う前のなんら波の立たない静かな生活に戻って行った。教室と図書館と家を行き来し、誰それと口を聞くということもない黙々としたキャンパスライフ。時折、孤独を感じ寂しくなるが、これが孤独と引き換えに買った自由の代償だと思い、やり過ごす日々。
 以前喧嘩をしたカタヤマたちとの関係は、それほど太刀の悪い人間たちではなかったので、もう一悶着せずに済んだ。すれ違っても挨拶なぞしない楽な関係を続けていた。
 タケシに関しても、あの一見以來音沙汰はなく、孤独に耐えかねて、電話をしてみようかと気を起こしたことが何度かあるが、あと一歩のところでせずに済んでいた。
 それでは、ナツキには連絡は取らないのかと言えば、何度かスマホでメッセージを送ってみたりしたことはあるが、返信がない状況だった。未練がましくしつこく付き纏うことはできず、もう過去の話なのだと割り切って、忘れようとしていた。
 しかし、ある日ふとしたきっかけで、ナツキと過ごした日々のことを思い出し、せめてナツキと巡った場所に行き、過去を懐かしもうという気持ちを起こした。

 鷹の台駅から電車を乗り継ぎ、渋谷駅に降り立ち、首都高の下の道を登る。しばらくして左の小道に入り、また代官山方面に登るっていく。
 この辺りは、ナツキとよく来た道だ。レストランがあり、そこで食事をする際によく通った道だ。
 やがて、紅い灯火を灯すそのレストランの前を過ぎるとき、ウィンドウ越しに賑わう客の姿が映し出された。
 かつて、自分がナツキといた筈にその光景を通り過ぎながら、見ていると、ナツキの姿があることを発見した。
 そして、ナツキと向かい合わせになり、一緒に食事をしているのが、他でもなくタケシであった。
 イナセは、その事実を突きつけられると、しばらくその場で呆然と立ち尽くした末、身も蓋もなくその場を去るしかなかった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった

海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····? 友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))

英雄一家は国を去る【一話完結】

青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。 - - - - - - - - - - - - - ただいま後日談の加筆を計画中です。 2025/06/22

悪役令嬢(濡れ衣)は怒ったお兄ちゃんが一番怖い

下菊みこと
恋愛
お兄ちゃん大暴走。 小説家になろう様でも投稿しています。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

妹ちゃんは激おこです

よもぎ
ファンタジー
頭からっぽにして読める、「可愛い男爵令嬢ちゃんに惚れ込んで婚約者を蔑ろにした兄が、妹に下剋上されて追い出されるお話」です。妹視点のトークでお話が進みます。ある意味全編ざまぁ仕様。

処理中です...