ゼロ、と呼ばれた少年の物語

うさみち

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後編

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 ――25日目。
 俺はだんだん、賢くなっている。
 暗い部屋の中、ゴーセツはたくさんのことを教えてくれる。食べ物は、パンと水、スープだけではないらしい。噛めば口いっぱいに広がる「肉」というものは、我を忘れてむしゃぶりつくくらい、それはそれは、おいしいそうだ。俺はグウ、とお腹が鳴った。何故だか少し、恥ずかしい。

 ――30日目。
 「ゼロ、イチ、ニ、早くしろ」
 女はフブキに鎖をつけて、ブルンブルンと「肉」を揺らして外を歩く。「これでお前は逃げられないだろ」、とゴーセツにニタリと笑って言う女。初めて俺は、苛立ちを覚える。

 ――31日目。
 俺たちは、檻の中に入っている。
 相変わらず泣き続けるフブキと、女を睨み続けるゴーセツに、女も雇われの男も苛立ちが止まらない。俺だけでも上手くやらないと、と思った俺は、檻の中でひたすらに愛想を振りまいている。――上手くいったはずなのに。たくさん「金」は降ったのに。女はたくさん、2人を殴る。「顔は商品だからな」と言いながら殴る女の二の腕は、ブルンブルンと揺れていた。俺の中には、女に対する激しい感情がある。

 ――32日目。
 暗闇の中。
 俺たちは作戦を立てている。この小さな暗闇の世界から、逃げ出すための、作戦を。
「ジェロ、フブキと君は僕が守るよ」
「じゃあ、ゴーセツのことは、俺が守る」
 今日はなんだか静かなフブキの身体がとても冷たい気がする。そういえば、今日はドアの小窓が開かない。

 ――120日目。
 俺たちは、檻の中に入っている。
 俺だけでなく、ゴーセツもフブキもニコニコ愛想を振りまいて、笑え、と言われなくても楽しそうに笑ってみせる。『いい子』になれば、女は油断するはずだ。フブキの鎖を外させて、俺たちが揃って逃げ出すために。
「もう少しだ、もう少し」
 ゴーセツはフブキに繰り返し話す。フブキもコクンと頷いている。

 ――222日目。
「ゼロ、イチ、ニ、早く来い」
 まだ鎖は外れない。
 フブキはもう、限界なんだ。今日も身体が冷たいんだ。最近フブキは笑いもしない。
「ゴーセツ、俺が何とか、2人を逃がす」
「ジェロ、きっともう少しだ。大人しくしていれば、きっと」
 ニタリと笑う女を見るたび、俺はどうにかなりそうだ。フブキは今も、冷たいというのに。

 ――223日目。
 ブチン、と切れた音がする。
 檻に入る直前で、フブキの鎖がブチンと切られる。ゴーセツと、俺は顔を見合わせ密かに頷く。雇われの男がゴロゴロ檻を引いていく。いつもどおりに笑って見せる。いつもどおりに「金」も降る。チャンスはいつ訪れるかわからない。
「二、出ろ」
 いつもどおりのはずなのに、フブキだけ呼ばれてなにかがおかしい。しかもまだ周りには、こんなに観客がいるというのに。檻の外には帽子を深く被った人間が立っている。
「売るんだよ。『いい子』にしてれば『いいこと』があるとでも思ったのか」
 女はニヤリと、俺たちに笑う。



 ――ブチン、と切れた音がする。



「お前は、なんなんだ、一体、何様のつもりなんだ」
「なんだ、ゼロ。いやに反抗的じゃあないか」

 俺は、檻が開いたタイミングでゴーセツと一緒に外に出た。そして、凍えるようなフブキの手をひき身体を支える。
 でも、女は動じなかった。俺たちはわからなかったけど、女にはわかっていたんだ。

 ――走って逃げる、計画だった。
 フブキの鎖が切られて、檻の外へ逃げ出す機会があった日に。それがまさに、今だというのに。

 走り方が、わからない。立ち上がっただけで、目眩もする。気づけば俺の手と足は、また骨と皮のようになっていた。

「大人を出し抜こうなんて、甘いんだよ。モンスターみたいな見た目の分際で。おい、やっちまいな。今日は別の『見せ物』をしよう」

 雇われの男が、俺に手をかけようとしたその時、俺の手を握りしめている――フブキの小さな手が、凍てつくように、冷たくなった――。


「ギャアアアアアアア!」


「ジェロにいちゃんを苦しめようとするヤツなんか、凍ってしまえばいい」

 フブキの身体から飛び出た冷たいナニカは、雇われの男を一瞬にして凍らせた。


「……覚醒した」


 ゴーセツは、フブキを見てつぶやいた。
 そして俺は、気がついた。
 ゴーセツが言う「もう少し」とは、フブキの力が目覚めるまでの、話をしていたんだと。


「ギャアアアアアアア! こっち来るな、モンスターめ!」

 女が何を言っているのか、俺は全くわからなかった。ブルンブルンと「肉」を揺らし、みすぼらしく逃げるその後ろ姿のほうが、よっぽど浅ましい、化け物のようじゃないか。そして、その「肉」を見てどんな味がするのかずっと前から考えていた俺は、もっともっと、化け物だ。


 ――ビュウウウウ!
 ――――ビュウウウウ!
 ――――――ビュウウウウ!


 どこからともなく、冷たい風が吹いてくる。
 それだけでなく、あたり一面が――一瞬にして冷たい雪で覆われた。

 逃げまどう観客は、突如現れた雪の壁に困惑し、逃げ場を無くして、もつれ合いながら雪の壁を登ろうとしている。

 ……なんて、浅ましいんだ。

 俺は、笑いが込み上げる。
 閉じ込められた俺たちを見せ物にして、笑っていた人間たちのほうが、よっぽど化け物みたいじゃあないか。


「やっと見つけた。可愛い坊やたち」

 ――すると、空から、1人の女が降りてきた。
 悠然と空を飛ぶその姿から、女神様だと、俺は思った。

「お母ちゃん!」
「フブキが覚醒してくれたおかげで見つけられたよ。ゴーセツも、よくフブキを守ってくれたね」
「はい」

 お母ちゃん、と呼ばれた女神様に駆け寄って抱きつくフブキ。ゴーセツも遅れて女神様に寄り添った。
 ゴーセツは、俺のほうを指差した。
 女神様は俺を見てニコリと少し、微笑んだ。

「あぁ、つらかっただろう」

 と言って、女神様は愛おしそうに2人を抱きしめた。女神様は、フブキとゴーセツを頭のてっぺんから足の先までゆっくり見た後、抑えきれない感情を、凍てつく吹雪に変えて、恨めしい声を上げた。

「お前たち、許さない……」

 俺と同じ、女神様の赤い瞳も、長くゆらりと舞い上がる髪も、燃え上がるようだった。


 ――赤。

 暗闇と、灰色みたいな俺の世界に、鮮烈に映える、女神様の、赤。
 唐突に、「赤」の色が戻ってきた。


 ――そして、雪で覆われたこの世界も、一瞬にして、赤に染まった。たくさんの、悲鳴、とともに。



 ――しんしん、しんしん。
 雪が降る。
 あたり一面、真っ赤だった雪の世界は、降り積もる雪によって、また、灰色の世界になった。


「ジェロにいちゃん、助けてくれてありがとう」
「ジェロ、今まで俺たちが生きてこれたのはお前のおかげだ」

「いや、俺は何もしてない。……救われたのは、俺のほうだ」

 女神様は優しく俺に微笑んだ。

「ジェロとやら、聞けば坊やたちが大層世話になったらしいな。お礼にわらわができることなら、なんでもしよう。ジェロ、そなたの願いはなんじゃ」

 ……俺、俺は……、俺の願いは……

「俺は、モンスターになりたい。人間は、汚く、浅ましい化け物だ。俺の目は赤いらしいから、俺もモンスターになれるだろうか」

 俺の答えに、女神様は口元を手で押さえてクスリと笑った。その姿を見て、モンスターになりたい、と俺は思う。


「わらわの坊やたちは、人間に憧れて人里に降りて行ったというのに。生きるということは、なかなか思いどおりにいかないものよの」


 女神様は両手を広げ、雪で埋められた赤い世界の赤いナニカ――灰の世界に映える、輝く赤い霧のようなものを両の手のひらに集めて、俺の顔に向かって、ふうっと息でふきとばしてきた。

 顔ではなく、俺の両目に向けられた赤い霧。視界を真っ赤に染めながら、目を通じて、俺の身体に入ってくる。

 ――熱い
 ――――冷たい
 ――――――痛い
 ――痛い

 雪の絨毯を転がり回り、身をよじって苦しんだ。 

 ――次第に意識が遠のいていく――。


 ……ジェロ、人間たちの生命を吸ったお前は、人間たちの数の分だけ、寿命が延びた。これからそなたは、どう生きる……?


 ――目を開けると、女神様もゴーセツも、そしてフブキも。忽然といなくなっていた。

 俺はそうして、1人になった。


 ――0日目。
 俺は再び、生まれ変わった。

 ――サクッ、サクッ!
 雪が降り積もるこの灰色の世界を、ゆっくりゆっくり、踏み固めるように、歩いていく。

 俺の名前は、ジェロ。
 モンスターを目指して、長い時を、生きていく。
 
 
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