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第1章 まだ見ぬ世界へ想いを馳せる君へ

1-5 頑なに狙うモノ

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 森が怒っている。

 ミミリは率直にそう思った。
 普段から、近寄り難い対岸に対してどことなく荘厳さや畏怖の念を抱いていた。森から感じる、なんとも言い表し難い何か。

 その森が静寂を破られ怒っている。

 木々は枝を揺らし葉が擦れる音を響き渡らせている。
 まるで意志があるかのように。

 森の怒りをミミリは全身で感じ取り、肌が粟立ち足は震え、その場で立っているだけで精一杯になった。

「うさみ、状況を!」
「探索魔法により感知! やっぱり普通じゃない。パープルだけじゃなくてレッドもいる! モンスター2体確認!」

 うさみは毛を逆立て、小さな体を張ってミミリを守るように、前方で仁王立ちした。
 そして眼前のアルヒに同意を求める。

「アルヒ、パープルでもモンスターは臨戦体制なのに、レッドってことは……」

 アルヒは静かに剣を構え、冷静に状況を分析する。

「ええ。ピギーウルフだとしたら、すでに狼へ変化しているでしょう。エンカウントしたら見境なく襲ってきます。レッドは更に危険な状態。何らかが原因でさらに凶暴化しているか、ピギーウルフではないモンスターか。…若しくは」
「「希少種」」

「――‼︎」

 ミミリは言葉すら出なかった。

 森の怒れる音と、自分の心臓の音が大きく聞こえ、震える手が氷のように冷たくなった。
 呼吸の仕方がわからない。

「聖女の慈愛‼︎」

 透明でじんわりと暖かい保護膜がミミリたちの身体を優しく包み込む。
 うさみは保護魔法をかけ、おまけにチラリとこちらを見て、軽くウインクして見せた。これは、あらゆる攻撃を軽減してくれる魔法だ。

「安心なさい。スーパー魔法使いうさみさんがついてるわよん」

 続けてアルヒは冷静に、言い聞かせるように背中で語る。

「ミミリ、ゆっくり息を吸って、吐くのです。心配はいりません。何があっても、私が貴方を守りますから。貴方はただ、自分の身を最優先に。それだけを考えるのです」

 ミミリは大きく息を吸い、そして大きく息を吐いた。

 吸っては吐くを繰り返す。
 意識して呼吸をすると、自然と思考はクリアになってくる。

「……はい!」
 ……せめて、二人の足手纏いになってはダメだ。絶対に。


 地を駆ける複数の音が次第に近づき、モンスターが低く喉を鳴らすかのような唸り声とも荒い息づかいともとれるような狂気と共に、木々の合間から黒いマントを纏った者が足をもつれさせながら飛び出した。

「え……?」

 どうして、とうさみの頭の中を疑問が飛び交う。
 うさみの探索魔法はかなり的確だ。半径1キロ程度ならば個体数も、その状況や危険度も手に取るように感知することができる。
 であるにもかかわらず、なぜ感知されなかったのか。

 しかもあれは。

「人間……なぜ……どうやって審判の関所を」

 物事を冷静に対処する処理能力を備えたアルヒの判断を、瞬時に巡ったいくつかの考えが鈍らせた。

 名を馳せるほどの実力者か、特定の条件下でないと通過できないはずのダンジョンをクリアしてこの森までやってきた者か。
 前者だとするならば撃退せずになぜモンスターに追われている?
 後者であるならば……。


 黒いマントを纏った者は、後方を振り返る反動でバランスを崩し、たたらを踏んで大きく転んだ。
 その拍子に深く被ったマントのフードは脱げて金色の短髪が顕になる。
 そして覚悟を決めたかのように剣を抜き、迫り来る追っ手たちに構えた。

「来い‼︎」

 声からして少年だろう。
 川に背を向けているため、こちらには気がついていない様子だ。
 ミミリたちの角度からは剣の切先しか見えないが、遠目からにも震えていることだけはわかった。
 切先に反射した光が、キラキラと小刻みに揺れている。

「ヴヴヴアヴ……!」

 森から、毛が錆びているかのような赤黒い色、鋭い牙をもち、黒いマントを纏った少年を一飲みできそうなほどの体躯の狼が現れた。
 赤く光る鋭い眼光で、少年のみを一点に見据え、ジリジリと間合いを図っている。
 前脚の陰には、ピンク色の毛をした狼がもう一匹。赤黒い狼と比べると、まるで赤子のようだ。

「赤黒い毛のピギーウルフ? そんなのいるの⁉︎ なんて大きさ……。ううん、そんなことより、あの子を助けなきゃ!」

 助けたい一心が恐怖を凌駕し、ミミリの体の震えがピタリと止まる。

 その瞬間、アルヒが疾風のように橋を駆けてゆく。
 アルヒが走り抜ける勢いで、川の水がほとばしる。

「うさみ、サポートを! ミミリを頼みます!」
「もちろんよ! 剣聖の逆鱗!」

 うさみが更にサポート魔法を付与すると、アルヒの周りを炎が紅く揺らめく。
 俊敏さ、脚力、腕力が増す代わりにモンスターの敵対心(ヘイト)を集める諸刃の剣。

 加算された素早さをもって、瞬時に黒いマントを纏った少年とモンスターたちの間に割って入った。

「少年、加勢します! 徐々にあなたから引き剥がしますから、その隙に向こう岸へ。背を向けず目を逸らさず対峙しながら後退を」
「……感謝します」

 少年は赤黒い狼の赤い瞳をジッと見たまま、謝意と共に小さく頷く。

 ジリ……

 少年が後退を始めるや否や、アルヒは小さいピギーウルフ、否、比較対象が大きすぎるゆえ小さく見えるだけの普通のピギーウルフ目掛けて研ぎ澄ました剣を一振りした。

「蒼電一閃(そうでんいっせん)‼︎」

 バリバリ!という雷鳴と共に蒼白い光が刃となってピギーウルフを両断した。
 ピギーウルフの血飛沫が舞う前に、紫色の光となってゴオンという轟音と共に真上の空へ向かって昇華した。
 地響きでミミリたちの体内が揺れる。
 ピギーウルフが存在した地面のみ黒い焦げ跡が残り、光が立ち昇った先の雲はポッカリと割れ、隙間から陽の光が降り注ぐ。
 衝撃で弾け飛んだあたり一面のしずく草の水飛沫が陽の光を受けて煌めき、アルヒの一振りを際立たせた。
 アルヒのイヤリングもキラリと光る。

「すごい……」
「ヒュー! やるわね~アルヒたん」

 これほどの攻撃をしてもなお、赤黒い狼の狙いは少年から変わらない。
「一応、前脚も狙ったのですが、傷もつかないとは。それに派手なパフォーマンスをしても、敵対心(ヘイト)が私に向かない。このモンスター、何か様子がおかしい。何故頑なに少年を狙う……?」

「女神様……」

 後退するはずの少年はペタリと座り込み、自然とアルヒに目を奪われた。

 その瞬間を赤黒い狼は見逃さなかった。

 獲物が視線を逸らした時、それは絶好の狩りの機会。
 ヴヴヴ……という唸り声を響かせ前脚に力を込め、地を蹴り上げた瞬間――、

「しがらみの楔(くさび)!」

 ――うさみは拘束魔法を唱えた。
 木々の外皮を内から突き破った緑色の蔦が幾重にも絡まり合って、赤黒い狼の四肢や体幹を拘束した。

「ウガァウウアウウウァ‼︎グオオオオオオオオ‼︎」

 もがけばもがくほどに蔦が絡まる。
 赤黒い狼の唸り声がミミリたちの身体にビリビリと響き、皮膚に鈍い痛みを感じる。

 一瞬のうちに繰り広げられる攻防に、ミミリも少年も唖然とした。

「ウッ、コイツ、めちゃくちゃ力が強いわ。ちょっと、そこの少年! 早くこっち側来なさいよ! じゃないとアルヒが全力出せないじゃない!」
「俺、腰がぬけて…」

 少年はペタリと座り込んだまま、身動きが取れなくなっていた。ただ、一丁前に、剣を構える姿勢だけは崩さなかった。

「まったく困ったボクね」

 ーーーー‼︎

 うさみの耳が大きくパタつく。

「……⁉︎ ――コイツ‼︎」
「ええ、さっきの唸り声は、モンスターを招集するための遠吠えだったようですね」
「探索魔法により感知! パープル、だけど数が多いわ。こっちに向かってる」


 うさみは赤黒い狼を拘束するため魔力を集中させている。
 アルヒは赤黒い狼を牽制している。
 少年は動くことができない。

 ……ならば!

 ミミリはマジックバッグからバケツを取り出して、うさみを追い越し川へ走っていった。

「ちょっと、ミミリ! 待ちなさい!」

 ……私が、みんなを助ける!
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