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第2章 審判の関所

2-24 道徳の時間の真意とは

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「おはよう~」
「おはよう、ミミリ」

 ……むぎゅうううぅぅ~!

 ミミリとうさみの朝の抱擁。
 ミミリは小さなうさみを抱きしめながら、うさみの無事を確かめるかのように頬擦りをする。

「ふふっ。ふわっふわぁ~」
「やだ、ミミりん、くすぐったいわ」

「おはよ~! 入っていいか?」

 薄ピンクの薄いカーテンに透ける人影。カーテンの隙間から、指先が覗く。

「「どうぞ~!」」

 ――シャッ!
 金の短髪に端正な顔立ち。さわやかな印象を与える少年。ゆっくり休んだことで疲れが取れたのか、ゼラはすっきりとした顔をしている。

 ミミリは、うさみも、そしてゼラも。生きていてくれてよかったと心から安堵し、胸を撫で下ろす。

「おはよう、ミミリ、うさみ」
「おはよ~ん、コシヌカシ?」

 ミミリは改めて2人の顔をじっくり眺める。
 うさみもゼラも、外傷もないし、苦しそうでもない。ミミリは、ほうっと安堵のため息をつく。何度も確かめたくなるほどに、4時間目の道徳の時間で課されたミミリへの審判は、ミミリの心にかなりの負荷があった。

「……おはよう。2人とも、本当に無事で良かった」
「「ミミリ……」」


 ――シャッ!
「みなさん、入りますね」

 カーテンを勢いよく開けて入ってきたくまゴロー先生はミミリたちの顔を見て安心する。
 眠りにつく前は心身共に疲弊していたように見えたミミリたち。睡眠のおかげで疲れ切った身体を少しは回復できたようだと確信する。特に心配であったミミリも、昨日よりは顔色が良くなっていた。

「さぁ、場所を変えましょう。食事を済ませてから、昨日の振り返りを行います」



 ――場面は教室。
 ミミリたちは教室の中央に横並びで置いてあった机の上に予め用意されていた『給食』なる朝ごはんに舌鼓を打つ。
 クリーム色のトレーの上に、パックに入った牛乳と野菜スープ。そしてミミリの心を鷲掴みにする、揚げたパンの上にたっぷりと粉糖がかけられたもの。くまゴロー先生にこれは『揚げパン』と呼ぶのだと教えてもらった。

「おいしぃ~!」

 揚げたてアツアツなパンは噛めば甘味とともにジュワッと口の中に幸せが広がる。ミミリが心配だったうさみもゼラも、幸せそうに揚げパンを頬張るミミリを見て一安心した。

「ミミリ、俺のパンも食べていいんだぞ?」
「私のパンもあげようかしら」
「エッ! いいの? ……じゃなかった。私は大丈夫だから2人ともちゃんと食べてねっ!」
「「クスクス」」

 ミミリが揚げパンを食べたことで、益々元気になってくれたのでくまゴロー先生も安心する。

「ミミリさん、おかわりはありますからご安心を。食べながらでよろしいので、耳だけこちらへ傾けてください。昨日の講評を行いますね」
「ハイッ! おかわりお願いします!」
「……エッ⁉︎ もう食べたのか? ……ほんとだ、ない! 俺より食べるの早いなんて」

 ゼラが驚くほどにミミリが食べるのが早かったので喉に揚げパンを詰まらせないかいささか心配ではあったが、ミミリの右手がそれはそれは元気にピンと伸びているのを見て、全員が顔をふわっと綻ばせた。




「では昨日の説明から。道徳の時間の審判を行った空間は、『決意の空間』、そう呼びます」

 ミミリたちは食べながら、くまゴロー先生の話に耳を傾ける。

「ミミリさんのみならず、うさみさん、ゼラくんともに、みなさんの『意識』が空間へと飛ばされていました」
「でも先生、俺には感覚がありました。触覚と聴覚、そして視覚も」
「そうね、私もそうだったわ。ミミリも、そうよね?」
「……うん」
「はい。ご指摘のとおり意識を主軸に転移され、感覚を伴って疑似体験できる空間となっております。実際のところ、みなさんの身体は保健室のベッドで横になっていただいておりました」
「じゃあ、生命の危険はなかったってことですね」

 ゼラの質問に、先生は瞳を閉じる。そして大きく息を吸って、控えめで丸い目をゼラに向けた。

「改めてみなさんに申し上げねばなりません。審判であったとはいえ、かなりの負荷があったはず。必要な審判であったため謝罪はできませんが、謝意を。……よくぞ、クリアしてくれました。……そして……」

 くまゴロー先生は質問したゼラではなく、ミミリを見て言う。ミミリも、食べる手を止め先生に視線を返す。

「ゼラくんの質問ですが、答えは『いいえ』です。精神と身体はリンクするもの。審判の合否はパーティーの連帯責任。ミミリさんがクリアしなければ、みなさんの生命は……」
「じゃあ、ミミリが私かゼラ、どちらか1人だけ助けた場合は? そもそも、雷竜のブレスレットがあったから私たち2人、助かったと思うんだけど」
「『決意の空間』では、想いを決意に、決意を力に変換することができます。決意を固めたミミリさんは素晴らしかった。ブレスレットなしでもきっとクリアに至ったはずです。1人だけでも助けられれば、全員が助かりパーティーが合格となる設定ですから」
「……それじゃあ」
「えぇ、過去の挑戦者においても、一方だけ助けてクリアに至ったパーティーはおりました。ただ、その後の仲は散々たるもの。一方だけ助けるというのは確執が残りますから。……自分だけでも助けて欲しいとパーティーを顧みず自己保身に走る方もいましたね」
「……なるほどね。道徳の時間、とはよく言ったものね」
と、うさみは含みを込めてボソリと呟いた。

 ミミリたちの反応を見て、くまゴロー先生は申し訳なさそうに眉尻を下げる。本当に心から、申し訳なさそうに。

「ですから、謝意を伝えたいのです。ミミリさん、よく諦めずお2人とも救ってくださいました。この審判は、主催者側としても心苦しいもの。貴方たちパーティーが仲違いしなくて、本当によかった」

 くまゴロー先生は罪悪感を抱えながらも微笑んだ。ミミリはやむを得ず審判を行った先生の重圧を表情から察する。そして、1つの疑問が浮かぶ。

「この道徳の時間は、スズツリー=ソウタさんによるものですか? 先生は、自ら進んで実施したわけじゃなさそうだったから……」

 くまゴロー先生は、予想外のミミリの質問に不意をつかれ、気持ちを落ち着かせるために大きな咳払いを1つした。

「えぇ。3人以上で編成されているパーティーが挑戦者として現れた時、必ず実施するよう仰せつかっています。人間の心の奥底の本心、……闇を、炙り出すために。このダンジョンを越えるに値する倫理観を持ち合わせているかを問うためでもあります」
「私、スズツリー=ソウタはアルヒ想いで思慮深いのは知っていたけれど、ここまで徹底しているとは思わなかったわ」
「ほんとだな。ちょっと意外だったかも」

 意外に思ううさみたちとは、少し別の考察に至ったミミリ。スズツリー=ソウタの心境を慮れば口に出すことは少し躊躇うが、それでも確信を得たくて考えを述べる。

「……傷ついていたような気がする。この審判を考えたソウタさん。もしかして、人と接するのが少し、怖くなっちゃってたのかな。なんとなく、そんな気がする」

「――!」

 ミミリの鋭い質問に、くまゴロー先生は驚きを隠せない。たじろいだ拍子にずり落ちた黒縁眼鏡をくいっと指先で持ち上げる。

「ミミリさん、貴方は人の心の機微に敏感でいらっしゃる。ご明察です。そもそもこのダンジョン、『審判の関所』は人間の倫理観を問うために作られたようなもの。道徳の時間が、審判のメインのようなものです」
「……で、なにがあったのかしら……。聞いていいものがわからないけれど」
「貴方たちはすでにご存知だと推察されますので申し上げます。気心知れた仲、ご友人だと思っていた人間に錬成アイテムや著書を盗まれてしまった後、少し人間不信のようになられてしまったのです」
「……その件は知ってるわ。アルヒも深く、傷ついていたもの。でもまさか審判の関所にその事件が反映されていたとは思わなかったけれど。裏切られるって、さぞ辛いでしょうね」

 ミミリたちは、裏切られてしまったアルヒたちに想いを寄せて、瞳を閉じた。
 そんなミミリたちに、くまゴロー先生から更なる一言。

「私は審判を下す立場としては相応しくない発言をしますが、どうしてもお伝えしたい。貴方たちパーティーを心から応援しているのでお願いをしたいのです。常に最悪な状況を想定して行動して欲しいと」
「……最悪な状況ですか?」
「はい。ミミリさんに昨日課された審判のような状況。これからの冒険において、再び同じような選択を迫られることがあるかもしれません。2人のうち一方を選ばなければならないような。そのような状況に陥る可能性があることを、それぞれが心に留めておいて欲しいのです。それと、気心しれた仲でも時に裏切られてしまうかもしれないということも」
「「「……はい……」」」


 ミミリたちは『道徳の時間』でたくさんのことを学ぶことができた。
 その中でも特に心に響いたこと。
 それは、1人ではなく、2人とも助けるためには、力がいるということ。

 強い想いを決意に変えて、そして決意を力に変えるべく、これから各自努力を重ねることになる。



 ――プッ!

 張り詰めた空気の中、ガラッと雰囲気を変える、ゼラの笑い声。ミミリは、ゼラが自分を笑ったことに気がつき、一瞬で顔を赤らめた。

「……えっ! なになに? ゼラくん、何で笑ってるの?」
「だって、ミミリの口周り、めちゃくちゃ砂糖がついてるぞ? 髭みたいに!」
「……キャー! ……。」

 ゼラは空気を変えたくて敢えてミミリをからかった。ミミリに申し訳なく思いながらも、しかし、可愛らしいミミリをからかいたい気持ちを止められなかった自分もいる。

「……? ミミリ……?」

 照れてキャアキャア騒ぐだろうと思ったミミリの予想外の反応。ミミリは口周りを拭きながら、ゼラの顔をじっとみている。何か言いたげなミミリの表情。代わりに口を開いたのはうさみだった。

「……アンタ……、ミミリをからかいたくなる気持ちはわかるけど、自分の口周り見てから言いなさい?」
「――! まさか!」
「アンタのほうが、真っ白よ? 口周り」

「……ふおおおおおお! 恥ずかしいいぃ!」

 ゼラは慌てて口を拭く。ミイラ取りがミイラになるとは。ゼラの修行虚しく、荒ぶりたがる羞恥心に耐性はついていなかったようだ。


 ――教室内に、響き渡る笑い声。
 くまゴロー先生は目を細めて、変わらぬミミうさパーティーの人間関係を心から喜んだ。
 和やかな風景をいつまでも見ていたいという気持ちに駆られるくまゴロー先生。
 しかし、告げなければならなかった。

「給食が終わったら、いよいよ『最後の審判』、卒業試験です。みなさん、心の準備はよろしいですか?」
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