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第3章 人と人とが行き交う街 アザレア

3-16 革命の追い風は天にも昇る

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「大丈夫ですか? バルディさん」
「ん……? あぁ、大丈夫。ありがとう、ミミリちゃん。何故だか節々が痛い気がするけど、問題ないよ。ゼラが支えてくれているからな」

 ミミリは額に手を当てながら歩くバルディが心配になり、肩を貸します、と申し出たところ、ゼラがそのポジションに颯爽とついてくれたので、うさみを抱きながら横並び一列で森の中を歩いている。

 アルヒと住んでいた地の川向こうの森と違って、この森は樹間にもゆとりがあり、見通しもいい。うさみが常に探索魔法をかけてくれていることもあり、さほど警戒心を強めなくても問題ないといった状況だ。

「見事にアレを失ってるわよね、ゼラ」
「ほんとだな。少し申し訳なさすらあるよ」
「報いよ、報い」
「俺も気をつけるよ」

 ミミリとバルディに勘付かれないよう、伏せ字にして話すうさみとゼラ。うさみが予想したとおり、バルディは突然の落雷に森に入ってから今に至るまでのアレ――記憶を失ってしまったらしく、何故身体の節々が痛いのかも理解していないようだった。

「何だか雷みたいな大きな音もしたんだよね」
「……雷ッ⁉︎ ううう、なんだか突然寒気が」

 ミミリの呟きに、バルディは全身を震わせ、思わず両腕で自身の身体を抱きしめた。

「いやぁね、こんな晴れた日に落雷なんてあるわけないでしょ? ね、ゼラ?」
「そそそそそうそう! やだなぁバルディ! そんなことできるのは、雷さ……」
「……ゼラ……」
「――ハッ!」

「え、それってまさか……」

 2人の種明かしとも思える会話に、少し思い当たる節があったミミリの思考を絶妙なタイミングで逸らしたのは、被害者のバルディだった。

「なんとか無事に着いたぞ、目的地。……なんだか無事って言い難いほど身体のあちこちが痛むけど」

 バルディの言葉に責任の一端を感じたうさみは、思わず視線を晴れ切った空へと移した。

 ……共犯よ? わかってるわよね、雷竜。

 うさみの心中に応えるかのように、青い空に一筋の雷光が不機嫌そうに光って見えた。

◆ ◆ ◆

「わあああ……!」

 バルディが指差した先にあったのは、今回の採集依頼の目的地、「湧き出る酒泉」。

 森の中、小高い丘にあるのは白に近い灰色をした岩肌。岩肌には所々青々とした若葉が芽吹き、全長5メートルほどの楕円形の窪みに乳白色をした液体が揺蕩たゆたっている。液体は少し青みを帯びて見え、窪みの深さを窺い見ることもできない。時間をかけて、液体の底からボコッ、ボコッという音とともに空気が上がってきて、円いドーム状の泡を作っては時間とともに弾けて消える。

 むわっとした熱気とともに、強いアルコールの匂いが丘の上、線の細い木々と茂り重なる葉で覆われたこの地に漂っているため、ミミリは思わず鼻と口を押さえて咳き込んだ。

「ゲホッ、ゲホッ! なんだか濃度の高いお酒っていう感じがするよ」
「ほんとだな。これが酒の名水か。なんだか匂いだけで酔いそうな気もするから、急いで汲んで帰るか」

 濡れることを嫌ううさみと、遠距離攻撃に強い弓使いのバルディに周囲への警戒を任せ、採集作業に集中することにしたミミリとゼラ。

 【マジックバッグ】から取り出したバケツをゼラに渡し、ゼラが汲み、ミミリに渡すという2人だけのバケツリレー。
 バケツいっぱいに汲まれた酒の名水は重たいが、MPを対価に【マジックバッグ】へ収納をするとなればミミリにとっては重みすら感じないほど。野営の際の小屋を何なく出し入れするミミリにとっては朝飯前だ。

「ゼラくん、採集依頼は酒瓶2本分の酒の名水だよね? 汲んでも汲んでも沸いて出てくるし、いっぱい汲んでもらってもいい? 錬成アイテム、いくつも作れそうな気がするの! ……ヒック」
「俺はもちろんいいけど、ミミリ、しゃっくりが出てるぞ? 大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ!」


「……ヒック、ヒック……」



 ミミリとゼラを背景に、護衛にあたるうさみとバルディ。
 バルディは、謎の痛みから強張っていた身体がようやく緩んできたところで、さらに身体をほぐそうと大きく伸びをする。
 もちろん、伸びながらでも話しながらでも警戒は怠らない。

「なぁ、うさみちゃん。聞いてもいいか?」
「なぁに、バルディ」
「あの【マジックバッグ】は魔法のバッグってことで理解した。大きさに関係なく、どんどんと収納できるみたいだけど、バッグの中で腐ったりしないのか?」
「ご心配には及ばないわ。収納時点で劣化も止まる優れモノよ?」
「つまりは、汲みたての酒の名水を持って帰れる、と……」
「そういうこと」

 バルディは胸元に握り拳を持ってきて、あからさまに震えだした。


「やばい、やばいぞ……」


「何がやばいの、バルディ。……やっぱり身体が痺れて痛い?」
「へ……? 痺れ? この全身の痛みは痺れからくるモノなのか?」
「……ッ! なんでもないわ」

 うさみがあからさまに話を逸らしたのも気になるところではあるが、今のバルディはそれどころではない。


「革命だ……! アザレアに革命が起きるぞ……!」


「へ……? 革命?」

 大仰な話に、うさみは思わずキョトンとしてしまう。バルディは、抑えきれないたぎる闘志を烈火の如く燃やしながら両手を広げる。

「革命だよ! 言わずと知れた酒好きの聖地、アザレアに革命の追い風が吹き荒れるぞ!」
「うん、少し落ち着いてちょうだい?」

 うさみの声掛け虚しく、バルディの闘志は燃え上がってゆく。

「酒の名水はさ、汲んだ瞬間から経時劣化してしまうのが悩みなんだ。瓶に入れて慎重に運んだとしても少しばかり劣化してしまうってやつだ」
「でも、酒の名水で作ったアザレアのお酒は美味しいんでしょう? 酒好きの聖地って呼ばれるほどに」
「そう! だからこそなんだよ!」

 バルディは広げた両手を勢いよく閉じ、胸の前で力強くガッツポーズした。両膝を少し屈めたガッツポーズは、心の底から喜ぶバルディの心中を表している。

「少し劣化していても、酒好きを唸らせるほどに美味しいんだ! 汲みたてで新鮮な酒の名水で酒を造ったら……これは大変なことになるぞ……!」
「なるほどね、幸せで天にも昇りそうな気持ちになれるかもね?」
「そうなんだよ! 酒の名水を加工して酒造してしまえば経年経過とともに酒の旨味を蓄えていくといわれているんだ。問題は、赤子のように無防備な酒の名水を街へ持ち帰ることにあったんだよ。方策について今までに幾度となく議論されてきたが答えを得られなかったんだ」
「……すごいじゃない! これで上手くいったら、街おこしの大役を果たせたっていうことで私たちの名声もうなぎ登りね?」
「期待していいと思う」
「……!」

 D級の採集依頼が秘める可能性に、夢が膨らむうさみとバルディ。もし、この効果を狙って未成年のミミリたちに敢えてこの依頼を紹介したとするならば、デイジーは相当な切れ者だ。

「ねえ、すごいわよ! ミミリ!

 ……。

 ……きゃああああ! ミミリ~ッ!」



 うさみは喜びをミミリに伝えようと振り返って、思わず悲鳴を上げた。

 顔を真っ赤にしたミミリが、夢心地のように幸せそうな表情で――ゼラに抱きついているのだ。

「ミミリから離れなさいッ! この、『伝説の暴漢』~!」
「いやいやいやいや、見たとおり抱きつかれているのは俺のほうだからな? もちろん、幸せで天にも昇りそうな気持ちではあるけれど」

 ゼラはたしかに、両手を上げて無罪を主張したまま、ただただ抱きつかれていた。
 だが、そんな真っ当な言い分も、過保護な保護者その1には通用するはずもない。

「ゼラ……、ミミリを押しのけることもせず幸せに入り浸るアンタに私は心を鬼にして制裁を……」

 魔法でゼラをお仕置きすべく、うさみの短い灰の手が空へ向かって上げられた。

「……ちょ、ちょっと待ってくれ、うさみ!」

 今まさにお仕置きされようとしているゼラを見て、バルディは激しい痛みがフラッシュバックし、岩肌にうずくまって悶え苦しんだ。

「……ぐああああ! 重たい!」

「へ……? 私バルディに何もしてないけど」
「うさみ、俺たちはバルディさんにトラウマを作ってしまったのかもしれないぞ」
「それは……まずいわね……」


 微妙な雰囲気を、いい意味で崩してくれたのは、顔を赤らめ、天にも昇りそうなほどに幸せそうなミミリの一言だった。


「ふふふ。うさみ、だーいすきっ! ……ひっく」


「……あ、俺を認識して抱きついていたわけじゃないってことか」
「あー、ごめんね、ゼラ。いろいろ、ごめんね。罪作りなうさぎで」
「いいけど、泣いていいかな……」


 湧き出る酒泉、ちょっとドタバタのミミリたち。


「ううう……重……た……い……」

「ひっく、ヒック……。うさみ、ほっぺとほっぺ、仲良し~!」

「ミミミミミミミミミリサン、ほっ、ほおずり……」

「ミミリから直ちに離れなさいっ! このっ! スケコマシの暴漢ー!」

「いやっ! スケコマシで暴漢ってめちゃくちゃヤバイ奴だろッ!」


 ミミうさ探検と護衛バルディの初めての採集作業は、まだ、始まったばかり。




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