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第4章 ゼラの過去

4-7 ゼラの過去〜女神フロレンス〜

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「はぁっ……、はぁっ……、苦し……い。苦しいよ、シスター、ゼラお兄ちゃん」

 サラは2段ベッドの下段に横たわり、涙を流すことすらできずに息も絶え絶えだ。

「大丈夫ですよ。落ち着いてください、サラ。きっとよくなりますからね。とりあえずひと眠りしましょう」

 シスターはいつもと変わらぬ微笑みで、汗ばんだサラの額をタオルで優しく撫でて落ち着かせてやる。

「サラお姉ちゃん」 「早く元気になってね」
「ありが……とう……ジン、シン……。はあっ、はあっ……」

「………………………………」

 僕だけは、何も言えず、ただただサラが苦しむ姿を目に焼き付けた。
 ……サラが風邪を引いてしまったのは、僕のせいでもある。身体が丈夫な、僕が川に入るべきだったんだ。……サラにかける言葉が見つからない。

 そんな僕に心配そうな視線を送るシスター。
 僕はバツが悪く、思わずすっと目を逸らしたくなってしまったが、シスターのに釘付けになってしまった。

 シスターは、サラが横たわるベッドの前にひざまずき、手を組み、天を仰いで祈りを捧げた……!

「女神フロレンス様、我らが子、サラに安寧あんねいと休息を与えたまえ……!」

 ――パアアアアァァァ!

 シスターの周りに、淡い金色が纏われてゆく。
 次第に光はシスターの組まれた両手に収束し、シスターはその光の球をそうっとサラの胸元へ押し当てた。

 ――シュウウゥゥゥ……!

 球はサラの胸元から、身体へ吸収されていくようだった。途端に、荒々しかったサラの呼吸が、すぅすぅと穏やかなものになっていく。

「「シスター、すごーい」」
「…………………………」

 双子たちの反応とは異なり、僕は驚きのあまり言葉を失った。これが女神に仕える身。神の御技みわざか……!
 正直僕は、から神自体を信じてはいないから、この教会の真偽も、祈祷きとう場も、ひいてはシスターの役割さえも、全てが半信半疑だった。

 だけどそれは、僕の思い違いだった。
 少なくとも、シスターの力は本物だ。
 だから、祈祷きとう場で寄付をしてくれる人たちがいるのか。
 僕は妙に納得した。

「さぁさ、みんながいつまでも心配そうにしていたら、サラが安心して眠れませんよ。一度みんな退室しましょうねぇ」
「「はぁ~い」」

 ジンとシンは眠りについたサラに一瞥いちべつをくれ、部屋を出て行った。僕も後を着いて行こう、と足を進めようとしたところで、聞こえてしまった。

「……………………まさか……」

 シスターが、そう、呟いたのが。
 表情も、妙に気にかかる。
 気がかりがある、気がついてしまったかもしれない――そんな表情だ。

「シスター?」
「さぁ、ゼラも行きましょう」

 シスターは、僕の疑問符にはえて答えず、いつもどおりの笑みを浮かべ、僕の背中を優しく押して促した。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 翌日には、シスターの表情の意味を知ることになる。

 初めはシン。
 次はジン。
 そして……まだ赤ちゃんのユウリまで。

 みんな、サラと同じような症状が出始めた。
 みんなをサラと同じ部屋へ寝かせ、僕とシスターは場所を変えて核心に触れる。

「シスター、これって……」

 シスターは瞳を閉じて、両手を組んだ。

「おそらく、流行り病でしょう……」
「やっぱり……。でも、どうして僕だけ……」

 同じ子どもなのにかからないのか。
 その理由の推測を、シスターが答えてくれた。

「おそらく、他の子より体力があるからでしょう。ゼラがここへ来てくれたのは、最近のことですからね。あの子たちは、私が至らぬばかりに、栄養失調だったので……一気にかかってしまったのだと思われます……ごめんなさい」
「そんな……シスターが謝ることじゃないです!」

 シスターは、涙をこぼしながら、僕に告げた。

「ゼラ、本当にごめんなさい。お願いがあるのです。ゼラたちが魚を採ってきてくれた川の川下に、町があります。そこで、薬を買ってきてもらえないでしょうか」
「もちろん……! 僕、行くよ、シスター!」

 シスターの涙は、頬を伝ってきしむ床にぽたりぽたりとこぼれ落ちてゆく。

「本当なら、私が行くべきなのに。ごめんなさい。私は、あの子たちを診ていなければ」
「うん、そうして、シスター。僕、行ってきます……!」
「まだ左腕の傷も癒えていないのに、ごめんなさいね、ゼラ。私にもっと女神フロレンス様のお力が宿っていたら回復できたのですけれど」

 シスターは、この世の終わりみたいな顔をして泣いている。本当に本当に、僕をたった一人で行かせることに抵抗があるんだ。
 優しいシスター。
 僕は、やるよ。
 だってこれは僕の罪滅ぼしでもあり――新しい家族を守ると決めた、僕の大事な役割なんだから。

 ◆ ◆ ◆ ◇

「ええっ⁉︎ どうして? お願いです! 薬をください」

 僕はシスターから預かってきたお金が入った袋をガチャリと薬屋のカウンターに置いて、薬屋のおじさんに半ば抗議の如く言う。

「悪いがなぁ、坊主。今流行り病でなぁ、ただでさえ薬が足りない。需要に供給が追いついていない……いや、こんな言い方してもわからねえよな。薬が全然ないんだよ。貴重だから、価値が高い。わかるか? このお金だけだと、買えないってことだ」
「そ、そんな……」

 ここまでびっくりするほど順調だったのが仇になったんだろうか。
 シスターにお金を預かり、
 ほんの少しの食糧と飲み水を袋に詰めて、
 父さんの形見の短剣を腰に据え、
 川を辿って迷わずに町まで辿り着き、
 薬屋だって、すぐに見つけることができた。

 たしかに思い返してみれば、昼間だというのに町を歩く子どもがあまりいなかった。この町でも、流行り病が流行っているんだろうか。
 小さな町かもしれないが、僕が知る街とは違って店も少ないし露店もない。これが流行り病のせいなんだろうか。
 ここへ来たばかりの僕は、これが平常なのか異常なのか、判別はつかないけれど。

 ――カランカラン。

「へい、いらっしゃいませ」
「こんにちは…………………」

 どうやらお客さんが入ってきたようだ。
 何やら薬屋さんのおじさんと話し込んでいる。 
 この町の情勢について?
 そんなことは僕には関係がない。

 薬が……
 薬がないと……
 薬がないと……みんなが……!

「川上の街のことは知っていますか?」

 ――……!

 都合よく、お客さんのその言葉だけが僕の耳に入ってくる。
『川上の街』……僕が……父さんたちと……住んでいた街だ……。

「あぁ、噂によりますとねぇ。どうやら全滅らしいですわ。なんでも蛇頭のメデューサっていうモンスターが壊滅させたとかなんとか。今は『廃墟の街』と化しているらしいですよ」
「そう……ですか。教えてくれてありがとうございます」

 ――廃墟の……街………………。

 僕の心に、ズシン、と響くその言葉。
 アイツは、蛇頭のメデューサっていうのか。
 僕は脳裏に、焦げ付くほど、ひりつくほど焼き付ける。

 絶対、絶対仇をとってやる……!

 ――ポタリ。

 僕は気づかないうちに、拳を力強く握りしめていたらしい。手のひらに食い込んだ爪が、容赦なく僕の手のひらをえぐって出血していた。

「……………じゃない?」

 お客さんが声をかけてくれたような気もした。
 僕の意識は蛇頭のメデューサと、今はみんなのための薬に集中しているので、あまり頭に入ってこない。声が遠くで聞こえる気がする……。

 薬……薬……薬……!

 あの商品棚に並んでいる薬がそうだろうか。
 このお金で足りないと言うのであれば、いっそのこと……みんなを失うくらいなら……!

 悪いことってわかってる。
 やらないことが正義って知っている。

 でも僕にとっての正義は、
 家族を守る――それが正義だ!

 ――薬屋のおじさん、ごめんなさい……!

「――――――!」

 僕が商品棚に伸ばした手を、ずっと黙り込んでいたもう1人のお客さんが掴んで止めた。

 絵本で見たような、騎士のような格好をした、カッコいい男性だった。
 男性は、僕の意志を見透かしてか、ただ首を横に振る。

 僕は、顔がカアッと熱くなった。
 悪いこと、恥ずかしいことってわかっている。
 でも……でも……!

「ごめんなさい、どうしても薬が欲しいんです。じゃないと僕の、妹と弟たちが……!」

 僕は、懺悔と罪悪感も相まって、ぐしゃぐしゃに泣いてしまった。目一杯泣いて、顔はぐちゃぐちゃだし、目も顔も赤らんで真っ赤だろう。

 でも、そんなことよりも……!
 みんなにとって、僕が唯一の希望なんだ……!

「貴方……」

 先程から薬屋のおじさんと話し込んでいた女性が再び僕に話しかけた。

 ウェーブがかったピンク色の髪。
 透き通るような白い肌。
 筋の通った鼻。
 晴れた空色の大きな瞳。
 女神様かと、僕は思った。

「貴方も、流行り病発症し始めてるじゃない」
「……え?」

 僕は泣いているせいかと思っていた。
 蛇頭に対する怒りのせいかとも。
 言われてみれば、身体も熱いし、なんだかふらつくような気もする。

「僕は……どうしたら」

 僕が無事に教会に帰らないと、家族が!
 僕の家族が……!

「大丈夫よ!」

 女神様は右手を上に大きく掲げた。

「……癒しの春風!」

「えっ?」

 僕の身体を、柔らかい風が、干したての布団のように優しく包んだ。――その、瞬間……!

「……苦しく……ない!」

 息苦しさだけじゃない。
 先程自分で自傷してしまった手のひらも。
 昨日テールワットにやられた左腕も。

「……痛くない……!」

「それは良かったわ。ねぇ、良かったらこの町の流行り病も、貴方の家族も、私が治すわよ?」
「「貴方は、一体……」」

 僕と、薬屋のおじさんの声が被る。

「通りすがりの、魔法使いです。あと、こっちは護衛騎士ね」

 そう、ウインクして微笑んだ明るい女性。
 女性の右耳に光るエメラルドグリーンのイヤリングが、揺らいでキラリと眩く光る。

 僕は思った。

 ――この人は、女神フロレンス様だって。


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