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5. らしくない?
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それにしても、と脇道へ逸れかけた思考を元に戻し、将吾は思う。出来事そのものはデリケートなことではあるし、致し方ないとはいえ、あんな、突き飛ばすようなのはどうなのか。今回は目下の若手社員だったからまだ大事にならずに済んだだけで、相手によっては無用のトラブルになりかねない。
それを言うと、その場にいた社員たちは皆、苦笑いを浮かべた。
「まあ、それは東堂さんだから……」
東堂が謝るのを将吾は見たことがないし、話にも聞いたことがない。それは頑なに己の非を認めないからではなく、端からミスを犯さないからだった。その優秀さは報道部のみならず社全体に浸透しているらしく、こういう時でも「東堂だから」で片がついてしまう。
——だからって、そんな振る舞いが許されていいことにはならないだろう。
その場はやがて解散になり、将吾はどうもすっきりしなかったが、仕方なく休憩室を後にする。
違和感の正体についてぼんやりと考えながら会議室の横を通りすぎようとした時、将吾の耳に言い争うような声が聞こえてきた。どうやら、会議室の中からのようだ。
言い争い自体は、さして驚くようなことではない。事件担当の連中は常に神経も張り詰めているし、睡眠時間を削って仕事をしている。何気ない意見の衝突が一気に激論に発展することもしばしばだ。将吾が立ち止まったのは、聞こえてきたのが東堂の声だったからだった。
盗み聞きなんて、誰かが通りかかったらバツが悪いことこの上ない。だが、幸か不幸か、見渡す限り廊下には誰の姿もなかった。将吾は一瞬迷ったあと、そっとドアに近寄り、聞き耳を立てる。
「君の言いたいことは分かるよ。だけどね……」
東堂が言い争っている相手は、高山のようだった。声のトーンからは、東堂をいさめようとしているのが伺える。だが激昂しているらしい東堂とは対照的に、どこまでも穏やかな口調を崩さない高山の声はボソボソとしか聞き取れず、細かい会話内容まではドア越しでは分からない。
「ですが! 彼らに無理やり接触しなくても、情報は取れると言っているじゃないですか!」
再び東堂の叫ぶ声が聞こえた。日頃の様子からは想像もつかない、感情的なものの言い方に将吾は驚いた。
どうやら、東堂は取材対象を巡って、高山の指示に反対しているようだった。将吾はあたりを見渡し、まだ誰も近づいてきそうな気配がないのを幸いに、引き続き室内の会話に神経を集中する。
「君が彼らの心情を慮って、接触を避けようとしているのは分かっている。そうした人としての部分がいい仕事につながることもあるのは確かだよ」
「それなら……!」
更に言い募ろうとした東堂が、言いかけて黙った。高山が制したのだろう。姿は見えなくとも、いつものように手を上げて「まあまあ」というジェスチャーをしている様子が将吾の目に浮かぶ。
人がいつ来るか分からない状況でこれ以上立ち聞きを続けるのも心臓に悪く、将吾はフロアへ戻ることにした。
——心情を慮って、ねえ。
将吾にとって、東堂の発言はとても意外だった。将吾の中の東堂は、必要と判断すれば人の個人的な感情などやすやすと無視できる男だ。間違っても取材を受ける立場の気持ちを尊重するようなタイプには思えなかった。将吾だけではない、今の話を報道部の誰に聞かせたって、東堂が言ったとは信じてもらえないだろう。
東堂らしくもない、と思いかけて、はたと将吾は気づく。自分は、日頃の行動や発言から勝手に東堂のことを分かったように思っているだけで、実際あの男がどんなことを考えて生きているかなんて、実はこれっぽっちも分かっていないんじゃないだろうか。その証拠に、今日一日で見聞きしただけでも、自分の持っていた東堂のイメージとはだいぶ違う側面を見た気がする。
見た通りの、冷徹で計算高いだけの男ではないのかもしれない。これから一緒に行動することになれば、嫌でも東堂という男の内面をより深く知ることになるのだろう。
そう思うと、将吾はなぜか妙な緊張感を覚えた。
それを言うと、その場にいた社員たちは皆、苦笑いを浮かべた。
「まあ、それは東堂さんだから……」
東堂が謝るのを将吾は見たことがないし、話にも聞いたことがない。それは頑なに己の非を認めないからではなく、端からミスを犯さないからだった。その優秀さは報道部のみならず社全体に浸透しているらしく、こういう時でも「東堂だから」で片がついてしまう。
——だからって、そんな振る舞いが許されていいことにはならないだろう。
その場はやがて解散になり、将吾はどうもすっきりしなかったが、仕方なく休憩室を後にする。
違和感の正体についてぼんやりと考えながら会議室の横を通りすぎようとした時、将吾の耳に言い争うような声が聞こえてきた。どうやら、会議室の中からのようだ。
言い争い自体は、さして驚くようなことではない。事件担当の連中は常に神経も張り詰めているし、睡眠時間を削って仕事をしている。何気ない意見の衝突が一気に激論に発展することもしばしばだ。将吾が立ち止まったのは、聞こえてきたのが東堂の声だったからだった。
盗み聞きなんて、誰かが通りかかったらバツが悪いことこの上ない。だが、幸か不幸か、見渡す限り廊下には誰の姿もなかった。将吾は一瞬迷ったあと、そっとドアに近寄り、聞き耳を立てる。
「君の言いたいことは分かるよ。だけどね……」
東堂が言い争っている相手は、高山のようだった。声のトーンからは、東堂をいさめようとしているのが伺える。だが激昂しているらしい東堂とは対照的に、どこまでも穏やかな口調を崩さない高山の声はボソボソとしか聞き取れず、細かい会話内容まではドア越しでは分からない。
「ですが! 彼らに無理やり接触しなくても、情報は取れると言っているじゃないですか!」
再び東堂の叫ぶ声が聞こえた。日頃の様子からは想像もつかない、感情的なものの言い方に将吾は驚いた。
どうやら、東堂は取材対象を巡って、高山の指示に反対しているようだった。将吾はあたりを見渡し、まだ誰も近づいてきそうな気配がないのを幸いに、引き続き室内の会話に神経を集中する。
「君が彼らの心情を慮って、接触を避けようとしているのは分かっている。そうした人としての部分がいい仕事につながることもあるのは確かだよ」
「それなら……!」
更に言い募ろうとした東堂が、言いかけて黙った。高山が制したのだろう。姿は見えなくとも、いつものように手を上げて「まあまあ」というジェスチャーをしている様子が将吾の目に浮かぶ。
人がいつ来るか分からない状況でこれ以上立ち聞きを続けるのも心臓に悪く、将吾はフロアへ戻ることにした。
——心情を慮って、ねえ。
将吾にとって、東堂の発言はとても意外だった。将吾の中の東堂は、必要と判断すれば人の個人的な感情などやすやすと無視できる男だ。間違っても取材を受ける立場の気持ちを尊重するようなタイプには思えなかった。将吾だけではない、今の話を報道部の誰に聞かせたって、東堂が言ったとは信じてもらえないだろう。
東堂らしくもない、と思いかけて、はたと将吾は気づく。自分は、日頃の行動や発言から勝手に東堂のことを分かったように思っているだけで、実際あの男がどんなことを考えて生きているかなんて、実はこれっぽっちも分かっていないんじゃないだろうか。その証拠に、今日一日で見聞きしただけでも、自分の持っていた東堂のイメージとはだいぶ違う側面を見た気がする。
見た通りの、冷徹で計算高いだけの男ではないのかもしれない。これから一緒に行動することになれば、嫌でも東堂という男の内面をより深く知ることになるのだろう。
そう思うと、将吾はなぜか妙な緊張感を覚えた。
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