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29. お前が書け
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「……まだ、記者にもこういうのが残っているもんだな」
ギシ、とソファを鳴らして理事長が体を起こし、上品な茶碗に用意されていた茶を一口すする。東堂も将吾も黙ったまま、続きを待った。
「今の若い連中は皆、優等生で要領がいい。どこからも文句の出ない、そつのない記事を書ければそれでよく、他人のこと、まして社会のことは心の底ではどうでもいい。もちろん聞かれれば、耳障りのいい模範解答をすぐに返す。よくできた機械みたいな奴らばかりになったと思っていたよ」
理事長の言葉に、将吾は同期の顔を思い浮かべていた。自分を追い抜いていった彼らは皆、要領よく抜け目なく仕事をし、いちいちぶつかって疑問を呈する自分を憐れんだ。保身に長けたもの、上司へのゴマスリが得意なもの、そうした者たちがいち早くチャンスを手にし、上へ登っていく。綺麗事だけで世の中は回っていかないと分かっていても、そこに将吾はどうしても馴染めなかった。
「少しばかり、ジジイの昔話に付き合ってもらおうか」
理事長はそう言うと、固唾を飲んで自分を見つめる東堂と将吾に微かに笑って見せ、もう一度茶を口に含む。それから深くソファに座り直して、話し始めた。
◇
「夜遅くまで、ありがとうございました」
声量を抑えて、東堂と将吾は深く頭を下げた。
深夜零時半。告げられていた十五分をはるかに超過して、理事長への取材が終わった。記事にするなとは言われなかったから、必死にメモを取り続けた手が痺れるように痛い。
「……今日話したことは、君たちに、託す」
その言葉に、将吾が思わず頭を上げる。理事長はその視線には何も答えず、少し疲れた足取りで応接室を出ていった。
理事長と入れ替わるように、若い男性が部屋に入ってくる。男性は大きく開いたドアを押さえ、無言で東堂と将吾に退室を促した。こんな時間まで対応する職員がいることにも驚くが、それだけの体力のある組織であることがここにも垣間見える。将吾と東堂は荷物をまとめて立ち上がると職員にも頭を下げ、促されるままに通用口から外へ出た。
梅雨を予感させる、温い風が頬を撫でていく。ずいぶん長い時間が経った気がするが、まだ日付が変わったばかりだ。それほどに、理事長から語られた話は濃く、考えさせられる内容だった。
人気のないオフィス街に、二人分の足音がコツコツと反響する。時間的に終電はもうないはずだから、大通りまで出てタクシーで帰社、明日の朝刊の最終版に滑り込ませるか……と歩きながら将吾は脳内で試算した。
——東堂なら早いから、最終には絶対間に合うな。俺もメモだけは整理したいし、今日は本社に泊まりか……。
そう思っていた将吾の横から、唐突に声がした。
「今回の記事は、お前が書け」
ギシ、とソファを鳴らして理事長が体を起こし、上品な茶碗に用意されていた茶を一口すする。東堂も将吾も黙ったまま、続きを待った。
「今の若い連中は皆、優等生で要領がいい。どこからも文句の出ない、そつのない記事を書ければそれでよく、他人のこと、まして社会のことは心の底ではどうでもいい。もちろん聞かれれば、耳障りのいい模範解答をすぐに返す。よくできた機械みたいな奴らばかりになったと思っていたよ」
理事長の言葉に、将吾は同期の顔を思い浮かべていた。自分を追い抜いていった彼らは皆、要領よく抜け目なく仕事をし、いちいちぶつかって疑問を呈する自分を憐れんだ。保身に長けたもの、上司へのゴマスリが得意なもの、そうした者たちがいち早くチャンスを手にし、上へ登っていく。綺麗事だけで世の中は回っていかないと分かっていても、そこに将吾はどうしても馴染めなかった。
「少しばかり、ジジイの昔話に付き合ってもらおうか」
理事長はそう言うと、固唾を飲んで自分を見つめる東堂と将吾に微かに笑って見せ、もう一度茶を口に含む。それから深くソファに座り直して、話し始めた。
◇
「夜遅くまで、ありがとうございました」
声量を抑えて、東堂と将吾は深く頭を下げた。
深夜零時半。告げられていた十五分をはるかに超過して、理事長への取材が終わった。記事にするなとは言われなかったから、必死にメモを取り続けた手が痺れるように痛い。
「……今日話したことは、君たちに、託す」
その言葉に、将吾が思わず頭を上げる。理事長はその視線には何も答えず、少し疲れた足取りで応接室を出ていった。
理事長と入れ替わるように、若い男性が部屋に入ってくる。男性は大きく開いたドアを押さえ、無言で東堂と将吾に退室を促した。こんな時間まで対応する職員がいることにも驚くが、それだけの体力のある組織であることがここにも垣間見える。将吾と東堂は荷物をまとめて立ち上がると職員にも頭を下げ、促されるままに通用口から外へ出た。
梅雨を予感させる、温い風が頬を撫でていく。ずいぶん長い時間が経った気がするが、まだ日付が変わったばかりだ。それほどに、理事長から語られた話は濃く、考えさせられる内容だった。
人気のないオフィス街に、二人分の足音がコツコツと反響する。時間的に終電はもうないはずだから、大通りまで出てタクシーで帰社、明日の朝刊の最終版に滑り込ませるか……と歩きながら将吾は脳内で試算した。
——東堂なら早いから、最終には絶対間に合うな。俺もメモだけは整理したいし、今日は本社に泊まりか……。
そう思っていた将吾の横から、唐突に声がした。
「今回の記事は、お前が書け」
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