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第3章 邂逅
7話 これじゃない
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少しだけ距離の近い冬、動物たちの恋の逢瀬に今までになく心が高鳴る春が過ぎ、また夏が来た。
この年も、今度は何も言わずとも、鉄郎と蘇芳は川向こうで花火を見た。途中の出店で、蘇芳は鉄郎に粋な織りの帯を買い、鉄郎は蘇芳に綺麗な染めの飾り紐を買った。
「似合ってる」
肩より少し長く伸び、一つに結った蘇芳の髪に、鉄郎が飾り紐を編み込んでくれた。
——こういうの、いいな。
初めて誰かと贈り物を交わし合った。これを見るたび、今日のことを思い出すのだろう。こうして、共に時を重ねていく。それはとても幸せなことに思えた。
目が合ったまま、二人の距離が近づく。
もう以前のような恐れはない。素直に、蘇芳は心の底の方から、鉄郎に触れたいと思った。
誰に教わったわけでもなく、ただそうしたいと思った。
あと少しで、唇が触れる。そっと目を伏せ、息がかかるほど顔を近づけた、そのときだった。
ふわり、とどこからか清々しい香りを嗅いだ気がした。それは一瞬のことで、記憶の片隅に引っ掛かるようなその感覚を蘇芳が追いかけようとした途端に消えてしまう。しかし、次の瞬間、異変は起こった。
——ドクン……!
「……どうした? 蘇芳」
目を見開いたまま固まってしまった蘇芳に、気遣わしげに鉄郎が声をかける。
感じたことのない、身体の変調。カッと腹の底のあたりが熱を持ち、頭に靄がかかったようだ。全身が汗ばんで、口が乾いている。何より、まずいと蘇芳が思ったのは、下半身の反応だった。
「……っ……」
蘇芳とて、年頃の男子だ。一応精通は済んでいるし、積極的にではないが、自慰くらいはする。だから、この感覚が何なのか、何となくは分かった。
——勃って、る……
蘇芳は泣きそうになった。やましく思う必要はないと、頭では分かる。
しかし、これは年頃の男子の生理現象で片付けるにはあまりに強烈で、ほとんど未知の衝動と言ってよかった。
呼吸は浅く、神経は焼き切れそうで、さらには自慰では感じたことのない、ぐずり、とした疼きをへその下の奥、としか言いようのない場所に感じる。
自分に何が起こっているのかわからない。目の前にいるのは鉄郎なのに、自分がこうなっているのは鉄郎と全く関係がないとなぜか明確に分かる違和感がある。
全てが霞むような熱の中、このままここにいてはいけないということだけが、異様にくっきりと意識された。
これじゃない。ここじゃない。
——え……?
自分の頭の中に浮かぶ言葉に混乱する。自分で思ったことのはずなのに、自分のものでないような。
その間にもゾクゾクと背筋が戦慄いて、事態が刻一刻と危険になっていっているのを感じる。
このままでは、自分はこの衝動に飲まれて望まないことをしでかすに違いないという、本能的な恐怖。
目の前が赤くちらつき始め、蘇芳はいよいよ限界が近いことを悟った。
「っ、ごめん……!」
鉄郎を押し退け、立ちあがろうとして、蘇芳はがくりと膝をついてしまった。
——、足に、力が入らない……
どくどくと血液が体の中心に集まっていくのがわかる。
うずくまってはあはあと荒い息をつく蘇芳に、血相を変えた鉄郎が声をかけた。
「蘇芳、大丈夫か! 具合が悪いなら、帰ろう。俺が運ぶから、つかまれるか」
鉄郎は答えを待たずに、蘇芳の膝の下に腕を入れてぐいっと持ち上げた。蘇芳が間借りして暮らしている、文吉の家へと向かっていると分かったとき、かろうじて残った最後の理性で、蘇芳は鉄郎に呼びかけた。
「おねが……文吉さんには、何もいわな、いで」
自分の体に起こっていることを知られてはならない、と感じていた。鉄郎も本当は巻き込みたくはなかった。
頭では一刻も早く、一人にならなければと思うのに、まるで自分の中にもう一人の自分がいて、その自分はひどく何かに飢えているような、誰かに満たしてもらわねば気が狂いそうな感覚を覚えている。
——誰かって、誰……?
それが、意識をなくす前の蘇芳の最後の記憶だった。
この年も、今度は何も言わずとも、鉄郎と蘇芳は川向こうで花火を見た。途中の出店で、蘇芳は鉄郎に粋な織りの帯を買い、鉄郎は蘇芳に綺麗な染めの飾り紐を買った。
「似合ってる」
肩より少し長く伸び、一つに結った蘇芳の髪に、鉄郎が飾り紐を編み込んでくれた。
——こういうの、いいな。
初めて誰かと贈り物を交わし合った。これを見るたび、今日のことを思い出すのだろう。こうして、共に時を重ねていく。それはとても幸せなことに思えた。
目が合ったまま、二人の距離が近づく。
もう以前のような恐れはない。素直に、蘇芳は心の底の方から、鉄郎に触れたいと思った。
誰に教わったわけでもなく、ただそうしたいと思った。
あと少しで、唇が触れる。そっと目を伏せ、息がかかるほど顔を近づけた、そのときだった。
ふわり、とどこからか清々しい香りを嗅いだ気がした。それは一瞬のことで、記憶の片隅に引っ掛かるようなその感覚を蘇芳が追いかけようとした途端に消えてしまう。しかし、次の瞬間、異変は起こった。
——ドクン……!
「……どうした? 蘇芳」
目を見開いたまま固まってしまった蘇芳に、気遣わしげに鉄郎が声をかける。
感じたことのない、身体の変調。カッと腹の底のあたりが熱を持ち、頭に靄がかかったようだ。全身が汗ばんで、口が乾いている。何より、まずいと蘇芳が思ったのは、下半身の反応だった。
「……っ……」
蘇芳とて、年頃の男子だ。一応精通は済んでいるし、積極的にではないが、自慰くらいはする。だから、この感覚が何なのか、何となくは分かった。
——勃って、る……
蘇芳は泣きそうになった。やましく思う必要はないと、頭では分かる。
しかし、これは年頃の男子の生理現象で片付けるにはあまりに強烈で、ほとんど未知の衝動と言ってよかった。
呼吸は浅く、神経は焼き切れそうで、さらには自慰では感じたことのない、ぐずり、とした疼きをへその下の奥、としか言いようのない場所に感じる。
自分に何が起こっているのかわからない。目の前にいるのは鉄郎なのに、自分がこうなっているのは鉄郎と全く関係がないとなぜか明確に分かる違和感がある。
全てが霞むような熱の中、このままここにいてはいけないということだけが、異様にくっきりと意識された。
これじゃない。ここじゃない。
——え……?
自分の頭の中に浮かぶ言葉に混乱する。自分で思ったことのはずなのに、自分のものでないような。
その間にもゾクゾクと背筋が戦慄いて、事態が刻一刻と危険になっていっているのを感じる。
このままでは、自分はこの衝動に飲まれて望まないことをしでかすに違いないという、本能的な恐怖。
目の前が赤くちらつき始め、蘇芳はいよいよ限界が近いことを悟った。
「っ、ごめん……!」
鉄郎を押し退け、立ちあがろうとして、蘇芳はがくりと膝をついてしまった。
——、足に、力が入らない……
どくどくと血液が体の中心に集まっていくのがわかる。
うずくまってはあはあと荒い息をつく蘇芳に、血相を変えた鉄郎が声をかけた。
「蘇芳、大丈夫か! 具合が悪いなら、帰ろう。俺が運ぶから、つかまれるか」
鉄郎は答えを待たずに、蘇芳の膝の下に腕を入れてぐいっと持ち上げた。蘇芳が間借りして暮らしている、文吉の家へと向かっていると分かったとき、かろうじて残った最後の理性で、蘇芳は鉄郎に呼びかけた。
「おねが……文吉さんには、何もいわな、いで」
自分の体に起こっていることを知られてはならない、と感じていた。鉄郎も本当は巻き込みたくはなかった。
頭では一刻も早く、一人にならなければと思うのに、まるで自分の中にもう一人の自分がいて、その自分はひどく何かに飢えているような、誰かに満たしてもらわねば気が狂いそうな感覚を覚えている。
——誰かって、誰……?
それが、意識をなくす前の蘇芳の最後の記憶だった。
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