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ある春の、昼下がり。
その日のレイラは体調が良くて、王都の露店へと買い物に来ていた。
(休日出勤で頑張るバートのために、美味しいもの、たくさん作ってあげよう)
マックスもうまくやっているとの近況報告を受けて、レイラはご機嫌だった。バートが好きな林檎を手に取り、どれが美味しそうかと見定めする。
「ねえ、見て! お父さんの好きな林檎があんなにたくさん売っているよ!」
ざわざわと賑わう人混み。背後から、幼い男の子の、はしゃぐ声が耳に届いてきた。林檎。もしかして、この露店に来ようとしているのかと、レイラは何の気なしに、振り返った。
そこには。こちらを指差す幼い男の子と手を繋ぐ、バートがいた。
「…………?」
バートは男の子を見ていて、こちらには気付いていない。レイラはといえば、状況がまるで理解できず、不思議そうに首を捻っていた。
(……迷子の子、かしら。それともバートのそっくりさん?)
「お母さん。あの林檎で、なにか作ってよ」
男の子と反対側で手を繋いでいる女の人が、そうねえ、と幸せそうに微笑む。三人並ぶその姿は、誰がどう見ても、完璧な家族だった。
「ローナは料理が上手だから。楽しみだなあ」
「もう、バートったら。プレッシャーかけないで」
バート。
ローナという名の女性は、確かにそう呼んだ。例えば視線の先にいる男の人がそっくりさんでも、名前まで同じ確率は、どれほどあるのだろうか。
頭が真っ白になり、立ち尽くすレイラ。その存在にようやく気付いたバートは、レイラから十歩ほど離れた場所で足を止めた。
「お父さん? どうしたの?」
男の子が、首を傾げてバートを見上げる。真っ直ぐに、間違いなく。バートをお父さんと呼んでいた。
ローナも、レイラの存在を認知したらしい。こちらに、じっと視線を向けてきた。その瞳には、確かな憎しみが宿っていた。
びくっ。
見知らぬ女性の憎悪に肩が震え、レイラは自然と、助けを求めるようにバートに視線を移した。
「…………」
バートは、先ほどまで浮かべていた笑みを消し、無表情になっていた。しばらく見詰め合っていたが、やがてバートが、これ見よがしに大きなため息をついた。
「……ふた月、か。まあ、同じ王都に住んでいるんだから、もった方だよな」
呟かれた意味がわからず、思考が停止したままのレイラの指が、僅かにぴくりと動いた。
「買い物は中止して、おうちに帰ろう」
バートが、男の子に言った。男の子は「ええ~」と、不満げに頬を膨らませた。
「やだよ。だってお父さんと一緒に買い物に来れるの、滅多にないんだもん」
「これからは、もっと来れるようになるよ。だから今日は我慢して。この女の人と、大事なお話をしなくちゃならなくなったから」
「この女の人のせい?」
指差す男の子に、バートは、そうだねと苦笑してから、レイラに向き直った。
「買い物に来られるぐらい、体調がよくなったんだね」
かけられた言葉に、やはり目の前にいる男はバートなのだと、ぼんやりした頭でレイラは思った。
「すべて話すよ。ここじゃなんだから、ぼくらのうちに来て」
ぼくらのうち。
そう言って、バートが足を向けたのは、レイラたちが暮らす家とは、逆方向だった。三人が背を向け、歩き始める。けれどレイラは、足を地面に縫い付けられたように、動かすことができなかった。
気付いたバートが、振り返る。
「ついて来なければ、きみはなにも知ることなく、ぼくと離縁することになるよ。ぼくは、それでもかまわないけど」
冷たく言い捨て、バートはまた、前を向いて歩き出した。
(…………誰?)
訳がわからない以前に、まるでバートが別人になってしまったかのようで、レイラはますますパニックになった。
「……ま、待って」
ざわつく周囲の音にかき消されるような、掠れた、小さな声で、レイラはバートに縋った。バートは聞こえているのか、いないのか。一向に足を止める気配がない。
レイラは震える足をなんとか動かし、バートを見失わないように、その背を必死に追いかけた。
体力のないレイラは、バートについていくのがやっとで。そんなレイラのことは、バートも理解しているはずなのに。速度も緩めなければ、こちらを心配する様子もない。
息を荒くしながら、レイラの目尻に、涙が浮かんでいた。
なんで。なんで。なんで。
そればかりが、脳裏を駆けめぐる。
やがて、築何十年は経ってそうなアパートに辿り着いたバートは一度振り返り「ここだよ」と言ってから、咳き込むレイラにかまうことなく、二階の部屋へと向かった。
「ここが、ぼくたち三人のうちだ」
扉を開き、バートが告げる。台所と食堂、居間を兼ねた部屋と、寝室が一つの間取り。レイラが住む家の、四分の一ほどの広さしかない。
「そこに座って」
バートが、居間にある椅子を指差した。フラフラしてしていたレイラは、迷う余裕などなく、そこに腰を落とした。辛そうに息を整えるレイラにかまうことなく、バートは男の子に、寝室に行くように命じていた。
「どうして? この人なんなの? どうしておうちにいれたの?」
答えたのは、男の子の母親であるローナだった。
「この人のせいで、お父さんはあたしたちと一緒に暮らせなかったの。でも、それももう終わり。お母さんたち、頑張るからね」
ローナは、息子をぎゅっと抱き締めると、寝室まで息子の背中を押していき、扉を閉めた。
バートとローナは視線を交差させ、こくりと頷き合うと、レイラの前に、二人並んで座った。
顔色の悪いレイラを、ローナがじっと見詰める。かと思えば「本当に、か弱いわね」と、呆れたように吐露した。
その日のレイラは体調が良くて、王都の露店へと買い物に来ていた。
(休日出勤で頑張るバートのために、美味しいもの、たくさん作ってあげよう)
マックスもうまくやっているとの近況報告を受けて、レイラはご機嫌だった。バートが好きな林檎を手に取り、どれが美味しそうかと見定めする。
「ねえ、見て! お父さんの好きな林檎があんなにたくさん売っているよ!」
ざわざわと賑わう人混み。背後から、幼い男の子の、はしゃぐ声が耳に届いてきた。林檎。もしかして、この露店に来ようとしているのかと、レイラは何の気なしに、振り返った。
そこには。こちらを指差す幼い男の子と手を繋ぐ、バートがいた。
「…………?」
バートは男の子を見ていて、こちらには気付いていない。レイラはといえば、状況がまるで理解できず、不思議そうに首を捻っていた。
(……迷子の子、かしら。それともバートのそっくりさん?)
「お母さん。あの林檎で、なにか作ってよ」
男の子と反対側で手を繋いでいる女の人が、そうねえ、と幸せそうに微笑む。三人並ぶその姿は、誰がどう見ても、完璧な家族だった。
「ローナは料理が上手だから。楽しみだなあ」
「もう、バートったら。プレッシャーかけないで」
バート。
ローナという名の女性は、確かにそう呼んだ。例えば視線の先にいる男の人がそっくりさんでも、名前まで同じ確率は、どれほどあるのだろうか。
頭が真っ白になり、立ち尽くすレイラ。その存在にようやく気付いたバートは、レイラから十歩ほど離れた場所で足を止めた。
「お父さん? どうしたの?」
男の子が、首を傾げてバートを見上げる。真っ直ぐに、間違いなく。バートをお父さんと呼んでいた。
ローナも、レイラの存在を認知したらしい。こちらに、じっと視線を向けてきた。その瞳には、確かな憎しみが宿っていた。
びくっ。
見知らぬ女性の憎悪に肩が震え、レイラは自然と、助けを求めるようにバートに視線を移した。
「…………」
バートは、先ほどまで浮かべていた笑みを消し、無表情になっていた。しばらく見詰め合っていたが、やがてバートが、これ見よがしに大きなため息をついた。
「……ふた月、か。まあ、同じ王都に住んでいるんだから、もった方だよな」
呟かれた意味がわからず、思考が停止したままのレイラの指が、僅かにぴくりと動いた。
「買い物は中止して、おうちに帰ろう」
バートが、男の子に言った。男の子は「ええ~」と、不満げに頬を膨らませた。
「やだよ。だってお父さんと一緒に買い物に来れるの、滅多にないんだもん」
「これからは、もっと来れるようになるよ。だから今日は我慢して。この女の人と、大事なお話をしなくちゃならなくなったから」
「この女の人のせい?」
指差す男の子に、バートは、そうだねと苦笑してから、レイラに向き直った。
「買い物に来られるぐらい、体調がよくなったんだね」
かけられた言葉に、やはり目の前にいる男はバートなのだと、ぼんやりした頭でレイラは思った。
「すべて話すよ。ここじゃなんだから、ぼくらのうちに来て」
ぼくらのうち。
そう言って、バートが足を向けたのは、レイラたちが暮らす家とは、逆方向だった。三人が背を向け、歩き始める。けれどレイラは、足を地面に縫い付けられたように、動かすことができなかった。
気付いたバートが、振り返る。
「ついて来なければ、きみはなにも知ることなく、ぼくと離縁することになるよ。ぼくは、それでもかまわないけど」
冷たく言い捨て、バートはまた、前を向いて歩き出した。
(…………誰?)
訳がわからない以前に、まるでバートが別人になってしまったかのようで、レイラはますますパニックになった。
「……ま、待って」
ざわつく周囲の音にかき消されるような、掠れた、小さな声で、レイラはバートに縋った。バートは聞こえているのか、いないのか。一向に足を止める気配がない。
レイラは震える足をなんとか動かし、バートを見失わないように、その背を必死に追いかけた。
体力のないレイラは、バートについていくのがやっとで。そんなレイラのことは、バートも理解しているはずなのに。速度も緩めなければ、こちらを心配する様子もない。
息を荒くしながら、レイラの目尻に、涙が浮かんでいた。
なんで。なんで。なんで。
そればかりが、脳裏を駆けめぐる。
やがて、築何十年は経ってそうなアパートに辿り着いたバートは一度振り返り「ここだよ」と言ってから、咳き込むレイラにかまうことなく、二階の部屋へと向かった。
「ここが、ぼくたち三人のうちだ」
扉を開き、バートが告げる。台所と食堂、居間を兼ねた部屋と、寝室が一つの間取り。レイラが住む家の、四分の一ほどの広さしかない。
「そこに座って」
バートが、居間にある椅子を指差した。フラフラしてしていたレイラは、迷う余裕などなく、そこに腰を落とした。辛そうに息を整えるレイラにかまうことなく、バートは男の子に、寝室に行くように命じていた。
「どうして? この人なんなの? どうしておうちにいれたの?」
答えたのは、男の子の母親であるローナだった。
「この人のせいで、お父さんはあたしたちと一緒に暮らせなかったの。でも、それももう終わり。お母さんたち、頑張るからね」
ローナは、息子をぎゅっと抱き締めると、寝室まで息子の背中を押していき、扉を閉めた。
バートとローナは視線を交差させ、こくりと頷き合うと、レイラの前に、二人並んで座った。
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