上 下
4 / 33

4

しおりを挟む
 リリアンがまとめた荷物をオーブリーが持ち、さきほどまでナタリアと過ごしていた屋敷に向かう。

「あの、オーブリー。お金のことなんだけど……いつ、用意できるかしら」

 そわそわと、言いにくそうに訊ねるリリアンに、オーブリーが笑う。

「大丈夫。明日中には、用意できるよ」

 ぱっと。リリアンの表情が、花が咲いたように明るくなった。

「ほ、ほんと? そんなに早く?」

「うん。ぼくの個人資産ぜんぶで、なんとかなりそうだから」

「! すごいわ、オーブリー。でも、ごめんね。あたし、頑張って働いて、絶対全部返すから!」

「ぼくたちは近いうちに夫婦になるんだから。返すとか、返さないとかないよ」

「……あなたって、本当に優しいのね。前の夫とは大違い……」

 リリアンがそっとオーブリーの腕に自身の手を添えた。ドキリとするオーブリーの顔を見上げ、ふふ、と頬を緩める。

「お屋敷は、もうすぐ?」

「う、うん。ほら、見えてきたよ」

 指差す方向に、二階建ての屋敷があった。リリアンが、ほお、と息をつく。

「……あたし、今日からここに住めるんだ」

「そうだよ。ナタリアが使っていた部屋はそのままだから、寝台も使えるし」

「あら。一緒に寝ないの?」

 熱っぽい眼差しに、オーブリーの頬が赤くなる。

「……まだ、心の準備が」

「そうなの? ざーんねん」

 リリアンが駆け出し、屋敷に向かう。その背を、オーブリーは嬉しそうに追いかけた。



 玄関の鍵を開け、リリアンに、どうぞ、とオーブリーが腰を折る。リリアンはご機嫌で屋敷に入ったが、ふと、なにやらキョロキョロとしたかと思えば「使用人はいないの?」と、首を傾げた。

「いないよ? ぼくの家は、貴族ってわけじゃないし」

「そうなんだ。お金持ちだから、てっきり何人もいるのかと思っちゃった」

 なんだかがっかりしているリリアンに、オーブリーが慌てる。

「お金がないとかじゃなくて。父さんの……というより、代々、余計な出費は控えて、できることは自分たちでやる、みたいな家訓が家にはあって」

「そっか。堅実なお家で育ったあなただから、個人資産がたくさんあったんだもんね」

「そうだね。ぼくの家は、節約第一だし」

「へえ。前の奥さん、貴族令嬢だったんでしょ? さぞかし文句たらたらだったんじゃない?」

「? それは特になかったかなあ。まあ、貴族と平民の暮らしは違うから、最初はいろいろ戸惑っていたみたいだけど」

「やっぱり。オーブリーも、大変だったでしょう。貴族令嬢なんて、気位高そうだものね」

 気位が高い、と感じたことはなかったが、やけに断定的な口調のリリアンに逆らって嫌われるのは嫌だったので、うん、と頷いてみせた。

「お父さんから言われて仕方なくって……商人の息子も辛いね。好きでもない人と結婚しなくちゃいけないなんて」

「まあ、ね。でも……こんな言い方はあれだけど、その父さんが亡くなっているからこそ、ナタリアと離縁できたんだ。生きてたら、絶対に許してくれなかったと思う」

「お母さんは?」

「母さんは、旅行中なんだ。明日の夕刻ぐらいに、帰宅する予定だよ」

「……お母さんには、反対されないの?」

 大丈夫。オーブリーが腰に手を当て、自信満々に言い切る。

「母さんはね。ナタリアのこと、嫌っていたから。なんだか見下されて、馬鹿にされている気がして腹が立つって、父さんが亡くなってからよく愚痴るようになって」

「ナタリアさんって、酷い人だったのね。いくら貴族令嬢だからって、お義母さんに対してそんな態度とるなんて」

「いや? 少なくともぼくが見ている限りでは、ただの母さんの被害妄想だったと思うよ。父さんがいなくなってからとたんに愚痴りはじめたのは、万が一にも父さんの耳に入るのが怖かったからだと思うけど」

「馬鹿ね。あなたのいないところで、お義母さんに嫌味を言ってたのよ、きっと」

「そうかなあ……」

「人の裏を見るのが下手なのね。でもいまは、あなたがビアンコ商会の会長なのよね?」

 大丈夫なの、という目線を向けられ、オーブリーは少し、ムッとした。

「ぼくが会長になってから、商会の売り上げは伸びたんだ。貴族相手の取り引きも格段に増えたし。だから、たとえば母さんがきみとの結婚を反対したとしても、なんにも怖くないんだ。だってこの商会は、ぼくが仕切っているんだから。追い出されるとしたら、母さんの方だよ」

 そうなの。リリアンは、ほっとしたように息をついた。

「とても納得がいったわ。あなたって、やっぱりすごい人なのね。安心したら、なんだかお腹が空いてきちゃった」

「ああ、もうこんな時間か。そうだね、ぼくも興奮して忘れてたけど、お腹が空いてたみたい」

 当たり前のように、食堂に向かうオーブリー。扉を開け、テーブルの上になにも用意されていないことに違和感を覚えた。

(あ、そっか。いつも、ナタリアがご飯を作っていてくれたから)

 食料庫を確認すると、きちんと今日の分の食材は用意されていた。

「なにを作ってくれるの?」

 一緒に着いてきていたリリアンが、目をキラキラさせている。えと。オーブリーが戸惑う。

「……ぼく、あんまり料理したことなくて」

 料理は女の仕事。というビアンコ家の方針から、調理場に立ったことがない旨を説明すると、リリアンは若干呆れていた。

「あの。ここにあるもの好きに使っていいから、なにか作ってくれないかな」

 オーブリーの提案に、リリアンが口ごもる。

「……あたし、料理苦手」

「そ、そっか。うん。ナタリアも料理なんてしたことなかったけど、すぐに覚えて上手くなったから、大丈夫だよ。今日は、外食にしようか」

「ほんと?! あたし、前から行ってみたいお店があったの!」

「じゃあ、そこに行こう」

 ルンルンと出掛けたその店は、貴族すら訪れることで有名な、高級レストランだった。青い顔で、ごめん無理、と呟くオーブリーに、リリアンはあからさまに肩を落とした。

「……わがまま言って、ごめんね。なんかあたし、浮かれちゃってて」

「う、浮かれてるのはぼくも同じだよ。でも、やっぱり……贅沢する余裕はないかな」

「そうだよね。あたしのために、オーブリーの貯金、なくなるんだもん……他の貯金は、あるんだよね?」

「え?」

「お父さんの遺産とか、お母さんの貯金とか。たくさんあるんでしょ?」

「た、たくさんはないよ」

「よかった。じゃあ、少しはあるのね」

「う、うん」

 個人資産とは言ったが、実のところ、それには父親の遺産も含まれている。だからもう、貯金はほとんどないに等しい。

(……母さんも、父さんの遺産を使って買い物とか旅行とかしまくってるし……)

 ふと、不安が過ったオーブリーに、リリアンが明るく話しかける。

「あたし、安くて美味しい居酒屋知ってるの。そこに行きましょ?」

「……うん!」

 やはり、長年街で暮らしていただけあって、リリアンは顔も広いし、その手の情報に詳しい。それはきっと、新商品のアイデアにも繋がるだろう。

(ナタリアは貴族令嬢だったから、やっぱりどうしても、庶民目線じゃなかったんだよな。その代わり、貴族のこと、たくさん学ばせてもらったけど)

 そうか。もう、気軽に貴族のことについて聞ける相手はいないのか。今さらながらに気付いたオーブリーだったが、早く早くと初恋の相手に可愛く促され、鼻の下を伸ばしながら、待ってよ、とオーブリーは足取りを軽くした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫に「好きな人が出来たので離縁してくれ」と言われました。

cyaru
恋愛
1年の交際期間を経て、結婚してもうすぐ5年目。 貧乏暇なしと共働きのタチアナとランスロット。 ランスロットの母親が怪我をしてしまい、タチアナはランスロットの姉妹と共に義母の介護も手伝い、金銭的な支援もしながら公爵家で侍女の仕事と、市場で簡単にできる内職も引き受け倹しく生活をしていた。 姑である義母の辛辣な言葉や小姑の義姉、義妹と全て丸投げの介助にたまの休日に体を休める事も出来ない日々。 そんなある日。仕事は休みだったが朝からランスロットの実家に行き、義母の介助を終えて家に帰るとランスロットが仕事から帰宅をしていた。 急いで食事の支度をするタチアナにランスロットが告げた。 「離縁をして欲しい」 突然の事に驚くタチアナだったが、ランスロットは構わず「好きな人が出来た。もう君なんか愛せない」と熱く語る。 目の前で「彼女」への胸の内を切々と語るランスロットを見て「なんでこの人と結婚したんだろう」とタチアナの熱はランスロットに反比例して冷え込んでいく。 「判りました。離縁しましょう」タチアナはもうランスロットの心の中に自分はいないのだと離縁を受け入れたのだが・・・・。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。アナタのリアルな世界の常識と混同されないよう【くれぐれも!】お願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想を交えているノンフィクションを感じるフィクションで、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません。

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

【完結済】恋の魔法が解けた時 ~ 理不尽な婚約破棄の後には、王太子殿下との幸せな結婚が待っていました ~

鳴宮野々花
恋愛
 侯爵令嬢のクラリッサは、幼少の頃からの婚約者であるダリウスのことが大好きだった。優秀で勤勉なクラリッサはダリウスの苦手な分野をさり気なくフォローし、助けてきた。  しかし当のダリウスはクラリッサの細やかな心遣いや愛を顧みることもなく、フィールズ公爵家の長女アレイナに心を移してしまい、無情にもクラリッサを捨てる。  傷心のクラリッサは長い時間をかけてゆっくりと元の自分を取り戻し、ようやくダリウスへの恋の魔法が解けた。その時彼女のそばにいたのは、クラリッサと同じく婚約者を失ったエリオット王太子だった。  一方様々な困難を乗り越え、多くの人を傷付けてまでも真実の愛を手に入れたと思っていたアレイナ。やがてその浮かれきった恋の魔法から目覚めた時、そばにいたのは公爵令息の肩書きだけを持った無能な男ただ一人だった───── ※※作者独自の架空の世界のお話ですので、その点ご理解の上お読みいただけると嬉しいです。 ※※こちらの作品はカクヨム、小説家になろうにも投稿しています。

「もう遅い!」・・・と言う気はありませんが、皆様、何がいけなかったのかちゃんと理解してますか?でないとまた同じ結果になってしまいますよ?

***あかしえ
恋愛
持って生まれた異能のせいで聖女と呼ばれ、王太子殿下の婚約者となっていましたが、 真の聖女は妹だったとか、その妹を虐めていたとか、 不特定多数の男性といかがわしい関係だったとか・・・事実無根な叱責を受け、 婚約破棄の末に国外追放されたのも昔のことです。 今はもう、私は愛しのマイダーリンを見つけて幸せになっていますから! 今更ではありますが・・・きちんと自らの罪を受け入れて、 あの時どうするべきだったのか、これからどうするべきなのかを分かっているのであれば、 皆さんをお助けするのは吝かではありませんよ?

『親友』との時間を優先する婚約者に別れを告げたら

黒木メイ
恋愛
筆頭聖女の私にはルカという婚約者がいる。教会に入る際、ルカとは聖女の契りを交わした。会えない間、互いの不貞を疑う必要がないようにと。 最初は順調だった。燃えるような恋ではなかったけれど、少しずつ心の距離を縮めていけたように思う。 けれど、ルカは高等部に上がり、変わってしまった。その背景には二人の男女がいた。マルコとジュリア。ルカにとって初めてできた『親友』だ。身分も性別も超えた仲。『親友』が教えてくれる全てのものがルカには新鮮に映った。広がる世界。まるで生まれ変わった気分だった。けれど、同時に終わりがあることも理解していた。だからこそ、ルカは学生の間だけでも『親友』との時間を優先したいとステファニアに願い出た。馬鹿正直に。 そんなルカの願いに対して私はダメだとは言えなかった。ルカの気持ちもわかるような気がしたし、自分が心の狭い人間だとは思いたくなかったから。一ヶ月に一度あった逢瀬は数ヶ月に一度に減り、半年に一度になり、とうとう一年に一度まで減った。ようやく会えたとしてもルカの話題は『親友』のことばかり。さすがに堪えた。ルカにとって自分がどういう存在なのか痛いくらいにわかったから。 極めつけはルカと親友カップルの歪な三角関係についての噂。信じたくはないが、間違っているとも思えなかった。もう、半ば受け入れていた。ルカの心はもう自分にはないと。 それでも婚約解消に至らなかったのは、聖女の契りが継続していたから。 辛うじて繋がっていた絆。その絆は聖女の任期終了まで後数ヶ月というところで切れた。婚約はルカの有責で破棄。もう関わることはないだろう。そう思っていたのに、何故かルカは今更になって執着してくる。いったいどういうつもりなの? 戸惑いつつも情を捨てきれないステファニア。プライドは捨てて追い縋ろうとするルカ。さて、二人の未来はどうなる? ※曖昧設定。 ※別サイトにも掲載。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

【完結】お飾りではなかった王妃の実力

鏑木 うりこ
恋愛
 王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。 「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」  しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。    完結致しました(2022/06/28完結表記) GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。 ★お礼★  たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます! 中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

今日で都合の良い嫁は辞めます!後は家族で仲良くしてください!

ユウ
恋愛
三年前、夫の願いにより義両親との同居を求められた私はは悩みながらも同意した。 苦労すると周りから止められながらも受け入れたけれど、待っていたのは我慢を強いられる日々だった。 それでもなんとななれ始めたのだが、 目下の悩みは子供がなかなか授からない事だった。 そんなある日、義姉が里帰りをするようになり、生活は一変した。 義姉は子供を私に預け、育児を丸投げをするようになった。 仕事と家事と育児すべてをこなすのが困難になった夫に助けを求めるも。 「子供一人ぐらい楽勝だろ」 夫はリサに残酷な事を言葉を投げ。 「家族なんだから助けてあげないと」 「家族なんだから助けあうべきだ」 夫のみならず、義両親までもリサの味方をすることなく行動はエスカレートする。 「仕事を少し休んでくれる?娘が旅行にいきたいそうだから」 「あの子は大変なんだ」 「母親ならできて当然よ」 シンパシー家は私が黙っていることをいいことに育児をすべて丸投げさせ、義姉を大事にするあまり家族の団欒から外され、我慢できなくなり夫と口論となる。 その末に。 「母性がなさすぎるよ!家族なんだから協力すべきだろ」 この言葉でもう無理だと思った私は決断をした。

処理中です...