あるBARの1枚のクッキー

悪夢のプレリュード

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あるBARの1枚のクッキー

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ここは、とあるBAR。
少しばかり静かで、穏やかな雰囲気を楽しむ人に向いている店。
けれど、マスターの接客態度も含め、スナックのような雰囲気も感じる。
酒が置かれているのはもちろんのこと、ソフトドリンクも提供している。
上司に無理矢理付き合わされた会社員の事も考えて、という店なりの配慮。
そういった心配りもあってか、裏通りにある穴場とされている。

ある小雨がちらついた夜の事。
木で出来た入り口のドアが音を立てて開く。

マスター:いらっしゃい。
要:こんばんは、マスター。

女性のマスターが優しい声で迎えた。
入って来た男性客は、自然な感じでカウンター席へと座る。

マスター:…こちらでいい?
要:うん、よろしく。

その手に持っている酒のボトルを、今来た客の方へと向ける。
笑顔を見せる客に対して「承った(うけたまわった)」と言わんばかりに、小さく御辞儀をする。
これがこの店の自然なやり取りとなっている。

つばめ:いらっしゃいませ。
要:こんばんは。そうそう、昨日つばめが言ってたクッキー、多めに買ったからあげるよ。
つばめ:おぉ☆ありがとうございまぁす♪
要:なんだかんだでこの店に来るようになって4カ月だからね。お祝いじゃないけど、プレゼントってことで。
マスター:普通は店側がお客様に贈るんだけどね。
要:いつも美味しいお酒飲ませてもらってるし、いいんじゃないかな。
つばめ:良き(よき)であります♪
マスター:奥にしまってきなさいな。
つばめ:はい♪

つばめと呼ばれた女性は、可愛くラッピングされたクッキーを両手で持ち、スタッフルームへと入っていった。
バーテンダーであるつばめは、要が来るようになる前からここで働いていた。
当時は、どの客に応対する時であっても、機嫌が悪いかのような素っ気無い態度だった。
それこそ、話しかけても返ってくるのはいつも同じ返事。

つばめ:グラスを磨いていますので。

話し掛けられると分かっていて予め用意しているのではと思う程、いつも手にはグラスと白いふきん、そして綿手(めんて)。
最近は本当に色々な表情を見せている。

マスター:ありがとね。
要:ん?何の事?
マスター:クッキーの事よ。
要:欲しそうにしてたし、実際食べてみて美味かったから。
マスター:あら、じゃあ私も貰えるのかな~?
要:おや、じゃあ貰ってくれるのかな~?
マスター:え?
要:はい、プレゼント♪
マスター:あらま、本当にくれるのねぇ。ありがと♪
要:マスターはお菓子好きだからね、プレゼントしようと思ったんだよ。
マスター:あらあら。

間も無くしてつばめが戻ってきた。
先程とは違い、普段通りの表情でカウンターへと入る。

要:変わったよねぇ。
つばめ:何の事ですか?
要:誰とは言わないけど…。
つばめ:それくらい言って下さい、このイケボが。
要:けなされてるような言い方に聞こえるよ?
つばめ:気のせいです♪

笑みを浮かべ、褒(ほ)めた事を誤魔化そうとするその手には、アイスピックが握られている。
端(はた)から見たら物騒な光景でしかない。

要:ここの女性バーテンダーさんが、魅力あふれる素敵な人になったなぁ…っと、そういう話しだから通報はやめてくれるかな?
つばめ:そのようなセクハラ発言は許容範囲外ですので、これがよろしいかと♪
要:はい、言い方を変えます。この店の店員さんが魅力的な女性になってくれて、常連客Aとして嬉しく思っています!これでいいかな?」
つばめ:…かろうじて誉め言葉になったとしておきます。
要:さっきのでも充分誉め言葉だよね?俺はそのつもりで言いましたが?
つばめ:私の…気分です♪
要:さすがだよ、おねーさん。
つばめ:痛み入ります…とでも?
要:ありがとうございますでも恐れ入りますでも、お好きにどうぞ。ただ…。
つばめ:ただ…?
要:普段通りのつばめが一番良いんじゃないかな?何も言わずともね。
つばめ:言葉は必要ない、と。
要:ここは居酒屋じゃなくてBAR、静かでありたい客の飲み場と思えば、答えは自然と出てくるんじゃないかな?おねーさん♪
つばめ:…はい、怪しい人が後ろからついてきてて…。
要:君の中の僕はどういう奴なんだ?
つばめ:肩の揉み具合が絶妙でして、マッサージ店で働いているのではないかと…。
要:ただの会社員だけどー?
つばめ:あっ…唇を奪われそうです…。
要:唇だけじゃなくて、ハートも奪ってあげようか★
つばめ:心臓!?
マスター:…ん、12点。
つばめ:oh......
要:辛辣…。

こういうやりとりも今では珍しくない仲になった。
幸いにして、通報するようなことはまだ一度もない。

要:ねぇ、マスター。
マスター:はいよぉ?
要:氷を1つもらいたいんだけど。
マスター:氷?
要:四角い方の氷。
マスター:…どうぞ。
要:キレイなもんだねぇ。

キューブ型の氷を指でつまんで覗き込む。
特殊な製法なのか、それとも特別な水なのか…濁(にご)る事無く透き通っている。

つばめ:怪しい宗教に入ったんですか?
要:違うよ。ほら、この氷って透き通ってるだろ?
つばめ:そうですね。
要:普通の冷蔵庫で作った水道水の氷って、白く濁ってて不透明なんだよ。
つばめ:それは知ってますけど。
要:あ~…飲み会とか二日酔いの朝に胃薬飲む時にさ、水道水で飲むんだよ。
つばめ:それは…。
要:ん?何か変な事言ったかな?
つばめ:天然水を飲んでいるものと。
要:はっはっはーー……そんな高いモノ、優しい優しい妹様が許してくれるわけナイジャナイカー。

遥か遠く、この世かどうかも分からない場所を見るかのような、焦点の合っていない目で窓の外を見ている。
一人暮らしをすると言って実家を出てきた妹が押しかけて来たため、要は経済的にキツイ生活を送っている。
ポロッと落ちた雫がワイシャツに染み込んでいく。

つばめ:な、泣いちゃだめですよ。(あせ)
要:泣いてないよ、これは神が与えたもうた目汁(めじる)、悲しみなんてないよ。
マスター:マニアック過ぎて分かる人いないでしょ。
つばめ:話しを聞きますから、泣かないで。
要:目汁(めじる)だよ。

数分が経過し、一人だった頃を懐かしんだ要もひとまず落ち着いた。

つばめ:それにしても、わざわざあんなキツイ匂いのするもので薬を飲む必要もないと思いますが。
要:言いたい事は分かるよ。場所次第ではすっっごくキツイ匂いだったりもするらしいからね。
つばめ:日本国内でも?
要:そう。だから風邪ひいた時くらいは何か良い飲み物で薬を飲んだっていいじゃないかと願うわけだよ。
つばめ:結局は水道水なのに?
要:妹様はお強いのです…。逆らえば、笑顔で関節技きめてくるんだよ。
マスター:アニメのネタ好きねぇ?
要:ストレスの発散方法がアニメしかなくてね。
マスター:あー…それ分かる。
つばめ:わかるんだ…。
要:ペットボトルの水を買うよりは、コップ一杯の水道代の方が安く済むでしょ?
つばめ:白湯(さゆ)で飲め!(キリッ)
要:ガス代がね…かかるんよ。
つばめ:電気ケトルでは?
要:買う金が無い。電気代がかかる。買っても…妹に奪われる。
つばめ:oh...
要:もう少し未来に希望を見出(みいだ)せる返答を下さい。
マスター:それは無理。
要:そんな夢も希望もお金も僧帽筋も無いようなこと言わないでよ。
つばめ:筋トレはお好きにどうぞ。
要:一緒にやってくれるなら心強いなぁ♪
つばめ:やだ!
要:まぁそう言わずに☆
つばめ:脚太くなるから!
要:それは偏見だよ。それに、僧帽筋は背中の筋肉だから脚は関係ないよ。
マスター:若いうちからやっておかないと、筋肉はつきにくくなる一方よ。
要:そうだよ、つばめ。
つばめ:なぜそんなにも筋肉に思い入れが…。
マスター:…お客様いないし、スタッフルームでポテチ食べてから寝てくるわ。
要:俺、一応これでも客だよ?
マスター:そう。じゃあおやすみなさい。
要:胃もたれ気を付けてね、マスター。
マスター:気が向いたらね~。

要の忠告も届かず、翌朝胃もたれで苦しむマスターだった。

年を取るとともに筋肉はつきにくくなるぞ、若いうちに筋肉をつけて太りにくい体にするんだ。


初冬。
スーパーで焼き芋を買って来てもらえず、スタッフルームのこたつでマスターがいじけていたある日の事。

マスター:つばめ。
つばめ:はい。

カウンター内で新メニューを考えていたマスターは、ふとつばめを見る。
食器を回収しているつばめは見事な手際でテーブルを拭く。
呼ばれたのを理解すると、すぐさまカウンターへと戻っていく。

マスター:出来る?
つばめ:はい。
マスター:よろしい。

小さく頭を下げ、口を閉ざすつばめ。
その表情に苦(く)の感情は見て取れない。
青の強いグラスが要の目の前へと差し出される。

マスター:桐野井様、御提案がございます。
要:おや、珍しく敬語でらっしゃる。
マスター:お気になさらずに。
要:聞かせて頂きましょう♪
マスター:ありがとうございます。
要:して、提案とはどんな内容かな?
マスター:はい。もしよろしければ、つばめのカクテルをおひとつ、いかがでしょうか?
要:そういえばつばめもバーテンダーだったね。あまりカウンターに立っている姿を見た事無かったから忘れてたよ。
つばめ:練習は常日頃からしております。
マスター:つばめ。
つばめ:…失言でした。
要:ん?どうかしましたか?
マスター:いえ…。御感想を頂けるのでしたらお安くさせて頂きます。
要:大丈夫、通常の値段でいいよ。
マスター:それは…無理というお話に御座います。
要:どういうことかな?

表情こそ変わっていないが、首を小さく傾(かし)げマスターに問う。

マスター:つばめのオリジナルカクテルゆえ、メニューには…ございません。
要:まだ商品になっていないから、値段も確定していないということか。
マスター:はい。私もどのようなものか存じておりません。それでよろしければ…。
要:そうか…今まで飲んだ事無かったし、ひとつ頂きます。
マスター:つばめ。
つばめ:かしこまりました。

いい返事を貰えると思っていたのか、予め準備されていた道具でつばめのオリジナルカクテルが作られていく。
それは激しい動きではなく、滑らかでしっかりとした動作だった。

つばめ:どうぞ。
要:濁ったピンク色…だね。頂きます。

少し口に含み、のどを通っていく。
要の視線はグラスからつばめの方へと向ける。

要:しつこさはないけど味はしっかりしてる。ミルクとピンクグレープフルーツの組合せかと思ったけど、これは別物みたいだね。普通に苺かな?
つばめ:はい。未熟でもなく熟れ過ぎてもいない苺の外側の部分だけを使っており、甘味や香りが強くなっています。
要:イチゴオレにお酒を組み合わせている感じだろうか?
つばめ:感覚としてはそういった材料ですが、しつこくならないように僅かにジンジャーエールを加え、数種類のお酒と組み合わせました。
要:とっても美味しいよ♪ただ…。
マスター:何か問題がありましたか?
要:メニューに載せるのなら、香りの強弱はちゃんと載せておいた方がいい。これはちょっと香りが強い傾向にあるからね。
つばめ:申し訳ありません。
要:謝る事は無いよ、美味しかったのは本当だからね。御忠告と思ってくれればいいかな。
マスター:ありがとうございました。
要:苺好きな御客さんには向いてると思うよ。

また一口、苺の香りが要を楽しませる。
普段飲んでいるロックのウィスキーとは異なる酒を楽しむことが出来た要だった。


要:ん?つばめ?
つばめ:…。

うつらうつらと今にも眠ってしまいそうなつばめ。
その手にはワイングラス。
ふきんで拭く姿は普段からよく見るものだが、睡魔に襲われながらという姿は滅多にない。

要:つばめ。
つばめ:…失礼。少しばかり勉強していたもので。
要:少しでそんなにも眠くなるものかい?
つばめ:そういうこともあります。
要:少しっていう部分は譲れないんだね。
つばめ:さて…どうでしょうね。
要:マスター、こんな感じになってるけどどうする?
つばめ:要!
マスター:あら、御客様を呼び捨て?それはいけないんじゃない?
つばめ:…はい。
マスター:今は私一人で大丈夫そうだし、奥で休んできなさいな。
要:だって。おやすみ♪
つばめ:…マスター。
マスター:腐ってもバーテンダーよ、心配いらないから。
つばめ:腐ってるんですか?
マスター:ええ、4割ほどね。
要:あとの6割はお菓子とお酒かな?
マスター:ちゃんとご飯食べてますぅ―。
要:じゃあ防腐剤のお薬出しておきます。
つばめ:4割が無くなりますね。
マスター:私、ピンチね。
要:そういう訳だから、寝てきなよ。
つばめ:どういう訳でしょう?
要:まぁあれだよ、寝るのも仕事の…。
つばめ:説明になってない。
要:えー?説明って必要ー?
つばめ:必要です。
要:文句言うとおやつ買ってあげないよ?
つばめ:…はい、休んできます。

おやつという言葉を聞いてしょんぼりするつばめ。
どこかへ寄る事もなくスタッフルームへと向かい、そのまま入っていった。

要:大丈夫かな?
マスター:少し眠れば大丈夫よ。
要:ならいいんだけど。
マスター:いいんじゃよー♪
要:あぁ、マスターも連帯責任でおやつ無しだからね★
マスター:そんな、ひどいよー。

グラスを揺らし、氷をカラカラと鳴らす。
その表情は穏やかなものだった。


珍しくマスターが真剣な表情を見せるある日の事。

マスター:つばめ、話しがあるの。
つばめ:話し、ですか?
マスター:ええ、大事な話よ。…だからね?
つばめ:はい。
マスター:集中してるのはよく分かってるの。
つばめ:はい…集中…してます…。
マスター:…集中の方向がジェンガなのはどうかと思うのよ。
つばめ:ですよね。
マスター:えぇ。

ガラガラと崩れていくのを見て、ガックリとうなだれるつばめ。

つばめ:それで、大事な話とは?
マスター:その前に、今手に持ってるドミノは押し入れにしまってきなさい。
つばめ:えー…残念です。
マスター:言われるまでもないでしょ?
つばめ:ええ、分かってましたけど。
マスター:じゃあトランプも一緒に持っていくように。
つばめ:はぁぃ…。
マスター:まったく…。

戻ってきたつばめは普段通り、話し相手であるマスターの方をまっすぐに見る。

つばめ:それで、どのような御用でしょう?
マスター:ちゃんと聞きなさいね。
つばめ:はい。
マスター:この店での仕事はあと1日…分かった?
つばめ:わかりました、マスターがおっしゃるなら。

返事をする事も無く、マスターは店へと戻っていった。
僅かながら、重そうな足取りで。

要:マスター、どういうことだ?
マスター:どう、とは?
要:はぐらかすつもりか?
マスター:いいえ。質問の内容無しでは返答のしようもないと、そういうこと。
要:おっと…失礼。
マスター:構わないわ。
要:コホン…改めて聞くけども。
マスター:なにかしら?
要:つばめをクビにすると聞いたんだけど、何か大きなミスでもあったのか?
マスター:何を言ってるの?つばめがミスをするはず無いでしょ。
要:じゃあ何でクビにするんだ?
マスター:「仕事は今日まで」、そう言っただけ。
要:同じじゃないか!
マスター:違う。
要:違う?どう違うんだ?
マスター:そうねぇ…明日にでもいらっしゃいな。
要:逃げるつもりか?
マスター:あら、人聞きの悪い。
要:今の状態を考えれば、逃げる様にしか思えないよ。
マスター:捉え方はお好きなように。
要:マスター!
マスター:説明はされるわ、それで妥協して下さいな★

要の座るカウンター席前にいつものウィスキーのグラスが置かれ、マスターは奥へと消えていく。
グラスの中のウィスキーは減る事は無く、氷が解けていくばかりだった。
その日の閉店後の事。

マスター:私は今日限りでこの店から消える。でも、この店をたたんだりしないわ。
つばめ:はい?
マスター:つばめ、新しいマスターとして頑張って。
つばめ:私がですか?
マスター:そう、企業なら随分な出世ね。
つばめ:2つ聞いてもいいですか?
マスター:なぁに?
つばめ:企業だとどのくらいの役職なんですか?
マスター:そぉねぇ…副社長?
つばめ:社長はいずこに?
マスター:オーナーかしら。
つばめ:…この店、オーナーいたんですね。
マスター:あなた、この店を何だと思ってるの?
つばめ:マスターが彼氏をゲットするために御客様に色仕掛けで色々するお店かと。
マスター:既に婚約者いるんだけど…。
つばめ:え?横文字ネームですか?
マスター:普通の日本人よ。横文字ネーム言うな!
つばめ:残念です。
マスター:何で私の婚約者が外国人だと思ったの?
つばめ:第六感というやつです。
マスター:そのシックスセンスとやらで作ったカレー、激マズだった記憶があるんだけど。
つばめ:そのつもりで作りましたから。
マスター:作る前に「美味しいのを御期待下さい」って言ってたじゃない。
つばめ:面白味が無いと途中で気付いたので。
マスター:私の味覚を壊す気か!
つばめ:職業がバーテンダーなので、健康保険が適応されるかと。
マスター:あのねぇ…真面目な話をしようとしてるのに、何でネタ話になるのかしら?
つばめ:そこにマスターがいるからです。
マスター:私の苗字に山は入ってないし、話しが終わらないでしょ?
つばめ:…まぁ、そうですね。
マスター:ふぅ…いいわ。それで、2つ目は?
つばめ:私が断ったら…どうなるんですか?
マスター:あら、私に逆らうの?
つばめ:返事になっていません。
マスター:これは失礼。
つばめ:答えて下さい、マスター。
マスター:あいにくと、私の知る範疇じゃないわ。上に聞いてみたら?
つばめ:本当は知っているんでしょう?
マスター:どうかしらね★
つばめ:…お客様への説明も必要になります。そのためにも、私はひとまずカウンターに立つことにします。
マスター:よろしく。
つばめ:マスター。
マスター:なにかしら?
つばめ:拾って下さり、ありがとうございました。
マスター:やぁねぇ、ただの気まぐれよ。
つばめ:そこは否定できませんね。
マスター:分かってるじゃない。

荷物の入ったバッグを重そうに持ち上げて、裏口へと向かっていく。

マスター:じゃあね、つばめちゃん♪
つばめ:御武運を。
マスター:私はどこぞの武将かw

手を振りながら、その女性は店から出ていった。

つばめ:といった感じなので。
要:唐突過ぎるという状況だと思わないのか、この人は。
つばめ:思いましたとも。
要:じゃあなんで引き止めなかったんさ?
つばめ:…ここにはいなくても、あの方がこの店のマスターだからですよ。
要:それにしたってさ…。
つばめ:貴方にとってこの店は何なのですか?
要:つばめというマスターのいるBAR、僕が毎日の様に酒を飲んでる場所だよ。

つばめがこの店のマスターになってからというもの、言葉通り前のマスターの姿を見る事は無くなった。
あの妖艶で口数の少ないマスターの作ってくれる酒が好きで、毎日の様に通っていた。
今でこそつばめの酒を楽しみに通っているが、要が飲んでいたものはもうここにはない。


クリスマスが過ぎて、多くの店でセール品が売られるようになった年末間近のこと。
この日も要はBARへと来ていた。

要:今日も酒が飲める幸せ♪
つばめ:今日も妹さんに怒られるであろう常連客。
要:それは大丈夫だよ、伝えてあるから。
つばめ:そうでしたか。
要:妹がブラコンで困ってるんだよ
つばめ:あら、そうなんですか?
要:残念な事にね。

嬉しそうにグラスを見つめる要。
ただ、そこにはわずかながら緊張の表情もみられた。

要:そういえば、つばめと知り合ってからまだ半年経ってないのか…。
つばめ:そうですね、夏が来る前に初めて会いましたから。もっとも…。
要:どうした?
つばめ:いえ、お気になさらずに。
要:そっか。…そういえばさ。
つばめ:なんでしょう?
要:あ~、うん…。

常連客の視線が自分に向いている事に気付くつばめ。
要はと言うと、何かを言おうとするものの、口を閉ざしてしまう。

つばめ:それでは、これを時計としましょう。

小さな器にキューブ型の氷を1つ乗せ、要の前に置く。
溶ける前に言いなさい、そういう意味だったのだが、要はその氷を食べてしまった。

つばめ:時計と言った筈ですが。
要:いや…必要無いよ、ちゃんと言う。
つばめ:…そうですか。
要:つばめ。
つばめ:はい、つばめですが?

紙製の箱を開けて、特注のケーキをつばめに向ける。
そう、つばめの誕生日だ。

要:誕生日、おめでとう。
つばめ:あ…ありがとうございます。

箱へと手を伸ばしたものの、それは再び要の方へと引き戻されてしまう。

つばめ:どうしました?
要:ケーキはあとで。先にこれを…。

要は小さな箱を左手で持ち、つばめの目の前に差し出す。
カウンターに立つつばめは現状が把握出来ておらず、若干パニックに陥っている。
すぐ近くに立っている相手をみつめながら、要は右手で箱を開けた。
その中にあるものを見て、つばめはようやくその意味を理解することが出来た。

要:つばめ、俺とつきあってほしい。
つばめ:あぅ…。
要:あれ、信じて貰えてない?
つばめ:…嘘じゃないのは…わかっています。
要:もちろんだ。
つばめ:私は…独身です。
要:前に聞いた。
つばめ:私は…女性です。
要:そりゃそうだ。
つばめ:私は!…私は…。

言い淀むことなく、要はつばめへと気持ちを伝えた。

要:君はつばめ、俺の好きな人だ。
つばめ:そんな事を…言われても…。
要:言われても?
つばめ:今は…返事は出来ません。
要:…ん、そっか。
つばめ:でもっ★
要:え?
つばめ:これは預かっておきます。いつか…返事をするその時まで。
要:分かった、大切にしてよ?
つばめ:はい。

無意識に返す笑顔は、要にとってとても嬉しいものだった。
その日からというもの、要は店に顔を出さなくなった。

ある雪の降る冬の日。
段々と雪が強くなり積もっていく中、木製のドアが音を立てて開く。
顔を見せたのは要だった。

要:久しぶり♪
つばめ:…ええ、要さん。
要:ほら、クッキー焼いてきたよ。
つばめ:あら、1カ月以上顔を出さなかったのに、それで私が喜ぶと思ってるんですか?
要:ああ、君は喜ぶよ。それが分かるくらいには見ていたからね。
つばめ:物好きですね♪
要:嬉しそうに何言ってるの?w
つばめ:バレてるんですね。
要:勿論。
つばめ:あの…ね?
要:ん?
つばめ:クッキーよりも別の物が欲しいです。
要:珍しいね?つばめがモノを欲しがるなんて。何が欲しい?
つばめ:…分かってるくせに。
要:えいっ!
つばめ:んんーー!ん~♪
要:クッキーおいしい?
つばめ:…おいしい☆

お酒こそ飲んでいないものの、ふたりは幸せそうに笑いあっていた…カウンター越しに。
奥から聞こえてくる一声があるまでは。

マスター:めーちゃーん、ジンジャーエールとマイヤーズとってー。
要:マスター!?
マスター:あら、久しぶり。元マスターよ。
要:あ、うん、そうだね。それより、自分で取りに来なよ。
つばめ:店員じゃない人をカウンターに入れる訳にはいかないから。
要:まぁそうだね。もう一枚食べる?
つばめ:…口の中かわいてパサパサしてる…。

わかるっ、わかるよー★
わかるけども、そろそろ終わろうか。

マスター:エールとマイヤーズとってーー。
つばめ:よし、ラムネを飲みましょう。
要:え?それをチョイスするの?
つばめ:好きなんですよ♪
マスター:愛の告白はいいから、ふたつをとってー。
つばめ:キリンレモンと菊正宗でしたっけ?
要:全然違うからw
マスター:とってよー!

よし、ナレーション権限で終わりにしよう!
帰って芋焼酎でも飲もう!
おしまいっ!

つばめ:要さん。
要:なに、つばめ?
つばめ:大好きなんて言わないぞ☆
【END】
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