1 / 9
01 二つの惑星
しおりを挟む
空が燃えていた。比喩ではない。炎が空に見えた。誰もがそれを見て終焉を想像した。空から熱を感じ、我々は終わるのだと。
◇◆◇◆◇
気づけばそこは見知らぬ土地だった。蛍のような光が夜空を照らしている。知らない空。俺の知る空は蛍ではなく星だった。星を見て、小さい俺は父に望遠鏡をねだり、夜になる度にそこから覗いて見たものだ。それも大人になってすっかり忘れていた。星座はまだ記憶に残っているが、この空には星座どころか星一つ見えなかった。
流れ星と思い込んだ人工衛星すらない空から目線をゆっくり落とすと、視界は空から離れ地上へ降り、遠くに街の明かりが見える。それはオレンジ色だった。
違う。街が燃えている色だ。火事というレベルではない。まるで、空襲を受けたかのような大惨事だった。
俺はじっとそれを遠くから様子を見ていた。
何が何だか俺にはよく分からない。確か、俺は家にいて大学の入試勉強に励んでいた筈だ。
そこへ馬の鳴き声が聞こえてきた。それは背後の方で、俺は恐る恐る振り返ってみた。
そこには馬に跨がる軍服のような格好をした男三人がいた。馬は黒く、男達の方は年齢は自分より年上で、ライフルと、拳銃を装備していた。
うち、唯一黒い髭を生やした男が睨みつけながら怒鳴りつけた。
「*****!!」
相手は銃を持っていたが何を言っているのか分からなかった。英語でもなければ聞いたことのある単語もない。
「****」
「あー、日本語でお願いします……」
「***?」
相手は俺の喋る言葉に驚いた。それからその間、他の軍服の男達二人は周囲を見渡した。その先にあるのは暗闇の草原。ここはその少し丘の上だった。
髭の男はおそらくは部下であろう二人へ顎で指示を出した。二人は素直に従い、馬から降りると「****」と言いながら近づき、いきなり俺の両手を後ろに回させて、後ろで紐のようなものできつく縛られた。その後、服の上から身体検査を受け、一通り終えると髭の男に何も持っていないことを報告した。
そりゃ何もないだろう。俺はさっきまで勉強をしていたのだから。というか、これ、いつまで茶番を続けるのか?
これは夢だと思い込んだ俺。だが、夢だと気づいても現実の私は目を覚まさない。どうなっているのか? それは少し考えれば可能性は一つしかない。
これは夢ではない可能性。つまりは現実。
そして、原因は分からないが突然この世界に来てしまい、俺は気づけば男達に連行されていた。
◇◆◇◆◇
こうして連行された先は高く冷たい灰色の壁と有刺鉄線の中の収容施設だった。そこの制服姿の職員にあれこれと検査をされた。まず、着ている全ての服を脱がされ、肛門まで見られた後に灰色の囚人のような格好へと着替えさせられ、血液を注射器のようなもので吸われると、看守? に連れられ鉄格子の檻の中へとぶち込まれた。どの歴史も世界も人を収容する檻は分からないようだ。小さな窓からは冷たい風が入り込み、呼吸する度に白い息が出た。
檻には老若男女様々で、ここでは男も女も同じらしい。気になるのは全員が短髪であるということだった。俺は元々短髪だったが、女も全員短髪なのはこの施設の規則か?
顔を見る限り、鼻の高さや瞳の色、金髪も見ると、俺みたいな日本人ばかりではないようだ。実際、看守? がいなくなると一人の金髪の青年は英語で話しかけてきた。俺はジャパニーズ、スピークと言うと、相手はオッケーと言ってくれた。
「日本語喋れるんですね」
「ええ。日本に留学したことがありますから」
「留学? えっと、失礼ですが年齢を訊いても宜しいですか?」
「22です」
「日本語お上手ですね。私はまだ高校生で来年大学を受験する予定です」
「おお、そうでしたか」
それから暫く沈黙があってから、俺は一番の疑問を彼に質問してみた。
「ここへ来る前の記憶、覚えていますか?」
「僕はロサンゼルスで友達と一緒にいました。その友達の家のトイレを借りて、気づいたら知らない土地に座り込んでいました。あなたは?」
「自分は直前まで受験勉強をしていました」
「いきなり?」
「はい」
すると、青年は顎を擦りながら首を傾げた。
「皆にも同じことを訊いたんですけど、皆それぞれいた場所や何をしていたかはバラバラなのに、突然ここにいたと答えているんです」
「全員ですか?」
「全員。これは偶然だとは思えないんですが、原因が分かりません」
原因不明。確かなことは、トラックに跳ねられ転生したとかではないのだろう。その後聞いた話しでも、直前に亡くなるようなきっかけもない。だが、明らかにこれは俺達の知る地球ではなく、異世界と言えよう。ただ、この世界にも人間はいるのだ。それだけでもまだ意思疎通の可能性はある。言葉の壁を乗り越えれば。
「彼らの言葉分かりますか?」
金髪の青年は首を横に振った。
「いいえ、分かりません。聞いたことのない言葉ですから、彼らの文法がどうなっているのかも不明です。ただ、名称なら少しは理解出来るかもしれません。その単語から想像できる言葉が思いつけばですが」
「名称……」
「例えば、お互いに名前を呼び合っていれば、それは多分彼らの名前だと推察出来ます。挨拶なら、決まった言葉をお互いにかけるでしょうから、少ないヒントから相手の言葉を探っていくしかないと思います」
「凄いですね。俺だったらそこまでは考えられなかった」
「いえ……素人ですよ、所詮」
青年の日本語は流暢だと思った。彼なら、英語圏から来た人との通訳もお願い出来るかもしれない。
すると、看守? のような職員が俺達に食事を配膳してきた。食事は檻の中で食べるらしい。コンクリートがむき出しの地べたで俺達はあぐらをかいたまま猫背で食事を始めた。
一つの皿に黒いボールのようなものに赤いソースがかかっている。スプーンやフォーク、箸がない為、俺はそれを指で摘むと感触はゴムのような弾力があった。まさか、ゴムを俺達は食わされるのかと思って周りを見たら、他の皆は何故かかかっていた赤いソースを皿に擦りつけてソースをとって、念入りに服の裾で拭くと、ようやくそれを口にして食べだした。
どうやら食べれるらしい。俺はそのまま恐る恐る口に入れた。その瞬間、喉の奥から空っぽな胃袋から胃液が喉のあたりまで登って吐き出してしまう程に急いで口に入れたブツを吐き出した。下を必死に服の裾で何度も擦る。早くこのゲロの味のするソースを取ろうとした。何故、皆がこのソースを取っていたのかが分かった。
もう、それがトラウマになって食べる気がしなくなった。
そうだ、この世界は俺の知る世界じゃなかった。食べ物だってそうだ。すっかり見た目が同じ人間に見えたから、食べ物も似たようなものだと思い込んでいた。
「まるで拷問だ」
俺がそう呟いたのを聞いた金髪の青年はクスッと笑った。
笑い事ではないんだが。
◇◆◇◆◇
気づいたら俺は寝ていた。目を開けると、金髪の青年があぐらをかきながらこっちを見ていた。
「目が覚めたの?」
俺は体を起こし目を擦りながら「気づいたら寝てた」と、知らない環境でも警戒心なく寝ていた自分に驚いたことを彼に言った。
「寝れるうちに寝ておいた方がいいかも。この後どうなるか分からないからね」
「俺はこれが夢であって欲しかったと思ったよ」
「分かるよ。これは悪夢だ。でも、夢なんかじゃなくて現実なんだ」
「随分、受け入れてない?」
金髪の青年は苦笑した。
「君より一ヶ月前からいるからね」
「そんなに?」
青年は頷いた。
「最初は君と同じく夢であって欲しいと現実逃避をしたよ。でも、現実だと分かると何でこうなったんだって……でも、その感情をぶつける場所なんてない。それから僕は神に祈ったよ。でも、ご覧の通り僕の声は神には届かなかった。僕は無力さ」
すると、彼の話しを聞いていた髪を赤く染めてある貧乳の女の子が中国語でなんか彼に対して喋りだした。青年は英語で中国語は分からないから英語で頼むとお願いすると、少女はカタコトの英語を喋った。だが、その会話は俺には分からなかった。彼女は何て言ったんだろうと。だから俺は青年に訊いた。
「彼女は何て言ってるの?」
「僕が神の話しを耳にして、神なんていないって言ったんだよ」
俺もどちらかというと無神論者だった。初詣や墓参りはしても、それは習慣化された文化って感じで宗教を意識してやっているわけでも、神を信じてやっているわけでもない。
すると、看守? がやってきて俺達に向かって何か怒鳴った。
「***!!」
静まると看守? は踵を返しまた戻っていった。
金髪の青年は「あれは多分看守が何て言ったのか分かるよ」と今度は小声で俺に言った。
「多分、静かにしろ! だよ、あれ」
◇◆◇◆◇
それから数日。金髪の青年とはだいぶ仲良くなった。名前はサム。それから同じ檻にいるのはドイツから来た大学生のアンネ、中国人の女の子で俺と同い年のユエだ。もう一人、スイスのダニエルがいたらしいのだが、彼は発熱し俺と入れ代わりで檻を出てどこかへと連れ出されてしまって、それ以降彼が戻ってくることはなかった。
この数日間で分かったことは、ここの食事が毎回毎回最悪だってことだ。さっきだって緑色のスライムみたいなのが出され、皆はそれしか食べるものがないので、摘まんでそれを啜って食べていたが、どうも食べる気がしなかった。
サムはそれを見て心配そうに「食べなきゃ弱るだけだ。食べなきゃ」と言って説得させられたが、俺が思い直す暇もなくユエが勝手に俺の分を啜って食べてしまった。
「食べないなら私いただくヨ」
随分と流暢な日本語だと思った。同い年で英語も喋れるとは彼女も言葉が堪能だと思った。
「ユエ、何故食べてしまうんだ。彼に何か食べさせないと」
「何故、心配しなきゃならない? 私、コイツどうでもいいネ」
「ダメだ」
「私、あんたに指図受けない」
「サム、いいんだ。それに、また言い争うと看守が来る」
俺がそう言うと、二人は静かになった。だが、気になるのはここに来て数日、俺達は何もされず、ただずっとこの中にいる。連中の目的はいったい何か? それが気になっていた。
その頃、監視室の奥にある扉から出た看守? は長い通路を歩き、施設長室の部屋へと入っていった。そこは壁も床も真っ白で、真ん中に立体映像が流れ、中肉中背の背広姿の施設長が現れた。
以下の会話はこの世界の言葉を訳した内容である。
「連中の言葉は理解出来そうか?」
「どうやら連中には違う言語が複数あり、その複数で会話をしているようです。特徴的な発音の違いを考えてみても、それは絶対ですが、全員が全員複数の言語を理解できているわけではないようです」
「私は連中の言葉を解読しろと君に命令した筈だが、結局のところどうなんだ?」
「一つの言語に絞って解読を進めています。それについては時間の問題です。実際、大人達を何人か使って試していますが、それなりに意思疎通は出来るようにはなりました」
「ようやくか。時間はかかったが、まぁその結果を聞けただけ良しとしよう」
「ありがとうございます」
「それでは早速尋問を始めたまえ」
「既に大人達には何人か始めております」
「いいか、連中がスパイで我々の機密を盗みに現れたとしたら、これは戦争になるだろう。連中の狙いがこの世界の資源なのか、それとも支配なのか、そしてどうやって侵入を成功したのか、我々はまだ何も連中のことを知らない。こうしている間も閣下はお怒りだ」
「お言葉ですが、私には連中にそのような任務を任されているとは到底思えません。捕らえた全員は戦闘訓練を受けてはいませんでしたし、あっさりと捕まっています。正直に言えば、連中がスパイだとしたらマヌケ過ぎます。油断する為だとしても、情報をむしろ漏らすリスクをおかしてまで何人も捕まるでしょうか?」
「では、君は意図的ではなく事故のようにこの世界に突然現れたというわけか? こう一年の内に何度もか?」
「しかし、大人達の尋問後に出た証言と状況を鑑みても辻褄が合います」
「例えそうだとしても閣下は納得されない。そもそも、何が原因だ?」
「この世界にも神隠しのように人が突然消える事件が年に数件起きています。消息不明は遺体すら発見されないまま迷宮入りしています。この世界ともう一つの世界で人が事故のように行き来しているのではないでしょうか」
「実は君の説は他の学者からも似たような話しを聞いたよ。まさか、そいつらと君が一致するとはね。しかし、それは立証が不可能だろ」
「それは悪魔の証明というものです」
少し間があいた。
「子どもは痛みに素直だ。彼らからも証言を取るんだ。いいか、痛みを伴わせ証言を取るんだぞ」
「子どもを拷問にかけるのですか?」
「君には酷だったか?」
「いえ、そんなことはありません」
「宜しい。次の報告までには結果を出すように。でなければ、君も私も閣下の逆鱗に触れることになる」
そこで通信が終わった。期限つきを言い渡されたが、それは施設長が閣下からもらえる猶予の限界がその日であるということだろう。
確かに閣下がピリピリするのも時間がかかったのは確かだ。それもその筈、此方にはない言葉なのだから。とはいえ、ようやく連中の言語の一つ「えいご」と呼んでいるものならなんとか解読に成功した。
そして、それを流暢に喋るガキはサムと皆から呼ばれたあの青年だ。
◇◆◇◆◇
俺の人生はこれからどうなってしまうのか? 戻れる方法を見つけたとしても、受験までに間に合うのだろうか? いや、そんな心配をする余裕なんて俺にはなかった。
退屈で暇な時間、俺はサムからは英語を教えてもらいながら、今後の話しをした。
「この世界に来たのが僕達のような子どもばかりで大人達がいないのはずっと疑問だった。まぁ、大学生は子どもじゃないって言ったらこの説は無くなるんだけど、僕達よりずっと上の大人達は別の場所に収容されてるんじゃないかって思うんだ」
「可能性はあるわネ」
何故かユエも勝手に会話に入ってきたが、サムも俺も構わなかった。
「連中は僕達の素性を知りたい筈だ。でも、お互い言葉の壁がある。この収容期間で連中は僕達の言葉を解読しようとしているんじゃないかと思うんだ」
「サムが連中の言葉を解読しようとしたようにってことだね」
「ああ、そうだよ」
「そしたら問題が発生するわネ」
「あぁ、連中は僕達をいよいよ尋問すると思う。場合によっては拷問もあり得る」
「拷問!?」
「連中が子どもだからって容赦してくれるとは限らないし、この世界の僕達って国籍がないから僕達の身を保障してくれるものもないってことだ」
「国籍ないのは人権ないのと同じネ。誰も救ってはくれない」
それは宇宙人に人権が与えられないのと似たものかもしれない。
「この後、殺されるかもしれないってこと?」
二人は黙った。否定出来ないということだろう。言葉にしてくれなくてもそれだけで分かった。
「だったとしたら」
俺がそう言いかけたところで、看守? が現れた。まだ、配膳の時間ではない為、別の理由だ。
看守? は鍵を開けるとサムを指差し外に出るようジェスチャーした。サムは俺とユエを一瞥してから、看守? に従った。
サムが連れ出されたどり着いた場所は浴室床シートに壁は白いタイル張りで、天井から拷問具が鎖とフックで吊るされてあった。サムは上の服だけ脱がされ、上半身裸になると、割れた腹筋があらわになった。更に両手を拘束され、それを上に伸ばした状態で天井に吊るされてある鎖と繋げた。看守? が壁にあるスイッチを押すと、鎖が引っ張られ、サムがつま先立ちになったところでスイッチを止めた。
拷問が始まる。サムはビクビク震わせながら看守の方を見る。看守は鞭を選んだようで、サムの白い背中を見た。大学生の背中はすっかり成人男性と同じく大きかった。
そこでようやく看守? は喋りだした。それもなんと英語だった。
「怯えているな?」
「英語!?」
「最初に覚えたのはそれだけだ。あの中で流暢にお前が喋っていた言葉だ。俺の言葉が分かるな?」
サムは頷いた。
「よし。多少のイントネーションのミスは気にしないでくれ。さて、私は鞭を持っている。鞭だ。分かるか?」
サムは頷いた。
「よし。これからする私の質問にお前は答える。お前は俺の機嫌を損ねないことに専念する。それがお前のミッションだ。分かる?」
サムは頷いた。
「もし、俺が気に入らないと思ったらその度に背中に鞭を振るう。素直に従えば、お前の背中は無傷のまま皆のところに戻れる。いいな?」
サムは頷いた。
「よし。それじゃ一つ目の質問だ。お前達はどこから来た」
「地球。僕はアメリカという国だ」
「ちきゅう……大人達もそう言っていたな。住んでいるところは違うようだが。よしよし、上手く会話が出来て良かったよ。まだ、知らない単語があるんだ。その場合は聞き直すから別の言葉で返すんだ。分かったな?」
サムは頷いた。
「次の質問だ。お前達はどうやってここへ現れた?」
「分からない。突然だ」
「突然……か」
これも先に尋問した大人達と同じ答えだ。
「さっき、私が英語を喋れたことに驚いていたな。お前よりもずっと前にも何人かお前の国から来た者がいてね。最初に我々が発見したのもそのアメリカだった。我々は聞いたこともない言葉を喋るその英語を調べ、ようやく会話が出来る程になった。お前は他の言葉も喋っていたな。そうなんだろ?」
サムは頷いた。
「なら、その言葉を我々に教えてもらおうか。勿論、協力してくれるな?」
サムはまた頷いた。
「それで、さっきの質問の答えだが、もう一度同じ質問をする。今度は具体的に答えろ。お前はどうやってここへ来た?」
「僕は友達の家にいた。その友達のトイレを借りてトイレをしている最中に違うところにいたんだ。本当だ! 信じてくれ。信じられないのは分かる。だが、本当なんだ。だから、お願いだから鞭は打たないでくれ」
「どうやって信じろと」
「神に誓って」
「神とは何だ?」
「え? か、神は僕が信じているキリストの宗教で」
「キリストとは何だ? 宗教とは何だ?」
「そ、それは……し、信仰です」
「その神がお前をここへ送ったのか?」
「いえ、違います。そうではなくて」
看守? は思いっきりサムの背中に鞭を振るった。激しい痛みが稲妻のように走る。サムは人生で感じたことのない激痛のあまり悲鳴をあげた。目には涙がたまり、呼吸は荒い。
「嘘をつくな!」
看守? が怒鳴ると、サムはピクピクさせた。
「許して下さい。許して下さい」
「大人にも神の話しを持ち出した者がいたな。だが、それは実在しないものだ。それをお前達は信じている。私にはお前達の信仰とやらが理解出来ない。お前達の言う神は万能に聞こえるが、しかし、神はお前達を救うわけでもない。私から言わせてもらえば、お前達は病んでいる」
「僕は、本当に分かりません。帰れるなら帰りたい。こんなところにいたくない」
バチン!
「本当のことを話せば、これも直ぐに終わるんだぞ」
バチン!
だが、サムに答えられるわけもなく、鞭打ちは無残にも続いた。
サムが皆のところに戻って来た時には酷い顔をしていて、背中には痛々しく鞭で打たれた傷が深く残っていた。皮膚を裂き、出血があり、動く度に激痛が走る感じだった。彼はうつ伏せに倒れると、そこから動こうとはしなかった。
皆はその様子を見て怯えた。次は自分かもしれないと。
だが、それから数日が経過しても看守? から連れ出される子は出なかった。
◇◆◇◆◇
収容施設の外ではプラカードを持った集団が、異世界人にも保護を求めていた。看守? はその光景を三階の窓から眺めていた。施設内では異世界人からの情報を聞き出す為に拷問をするし、それ以外にも過去に適切な医療処置を行わなかったという原因での死亡例が複数件存在していた。そういったこともあってか、連中は異世界人を同じ人として扱うことを政府、そして我々に求めていた。
果たして異世界人は人なのか?
見た目はほぼ人であり、知能もある。能力に我々と差があるかはまだハッキリとしないが、その具体的な研究は現在も遅れていた。理由は単純で、能力差がなく異世界人と人とほぼ同じであると科学的に証明された時に、異世界をやはり人として扱うべきだとの主張が強くなるのは想像つくからだ。だが、軍の上層部や閣下はむしろ連中を無条件に自由を与えることに抵抗があった。
異世界という世界規模だから話しがややこしく感じてしまうだけで実際、国境を越えた人々の移動は比較的自由だ。国境に壁をつくる国なんてものはないし、出入国管理なんてものもない。人は自由であるべきで、そこに制限を設けようという考えはない。この星に住む人々にとって、住まわせてもらっているという考えを最初から持っている。そこに所有は認められない。あるのは、社会の秩序に必要な最低限の法と、それを取り締まる組織であって、ほとんどの人々は政府による支配(独裁者による支配のこと)を受けない。人の上に人は立たず。更にそれは人だけに限らない。
かつては、人間至上主義的思考はこの世界にとってみれば太古の、そう、まだ人間が裸で外を出歩いていた頃だが、星に生息する生き物、自然は、人間の所有物ではない。故に、生き物を人が召し上がる時は「いただきます」なのだ。
それは所有というより共有と言える。物も知識も、この星にあるものは共有財産という考え方。
だが、異世界人はそういった思考よりも、所有権が存在し、戦争もあり、互い国境同士睨み合いが続いているらしい。更には宗教というものが存在し、そこでも社会に色々な問題をもたらしている。なんて恐ろしい世界だ。だが、不思議なことにそんな世界にも平和は存在する。
個人的にはもっとその世界について詳しく知りたいが、政府は異世界の恐ろしい世界が異世界人を自由にさせたことでこの世界が危険に陥るのではと恐れている。
閣下や政府にとって異世界人は明確な敵なのだ。
だが、私は連中を閣下程敵意は沸かなかった。世界の人々も脅威に感じていないだろう。
◇◆◇◆◇
人権があるのとないのとでは大きく違う。参政権や財産権、相続権、あらゆる権利の保障がされない。それは失ってみないと分からないとこの世界に来て強く実感した。
異世界に来てから約一年後、俺達の取り巻く環境に変化がおとずれた。それは、条件付きでの行動の自由がなんと認められるようになったのだ。その条件は監視を受けるということ。その他にもいくつかあって、その数枚ある書類に目を通し、それにサインすることだ。そうすることで、仮国籍が異世界人に与えられるというのだ。それは国籍と違い定期更新が必要なもの。
ただ、ここで大きな問題がある。それは、俺達はこの世界の文字を読むことが出来ないということだ。誰かに通訳を頼もうにも、弁護士がついてくれるわけではない。内容の分からないものにサインをすることに戸惑っていると、まず一番先にユエが書類にサインをし早くに出所した。彼女にとって自由がそれだけ大事だったのだろう。
数日して、今度はアンネがサインし出所した。
残すは俺とサムになった。サムは最後までサインを拒否した。俺は迷っていた。連中は俺の日本語を教えればここを出られるという誘い文句に迷い、最終的には承諾してしまった。
結局、俺が出る頃までサムはサインすることはなかった。
与えられた住居は三階建の鉄筋コンクリート賃貸物件、二階の階段近くのワンルームの部屋だった。
家具は最低限あり、電気は電気虫という電気を発生させる虫を使っている。見た目は黄色いてんとう虫のようで、各住宅に備えつけられてあるタンクに入れることで、電気を部屋中に渡らせる。タンクの近くには貼り紙で注意事項が書かれてあった。読めないが、部屋を与えられた時に説明を受けた。その説明では、電気虫を酷使すると過労死してしまうので、長時間の電気の使用は控えること。定期的に電気虫のストレスを与えないようタンクから外へ出しておくことを説明された。また、電気虫も生き物の為に餌は必要らしいが、それはだいたいいつもタンクから外に出すタイミングで与えるのだとか。タンクの中は虫達の糞がこびりつく為、定期的な清掃が必要だ。それもまたストレスを与えない為に重要なことだ。電気は沢山電気虫がいればいる程に沢山発生する。電気一匹あたりの発生する電気も説明されたが、単位が此方の世界のものの為、実際どれ程かは分からなかった。
水は一階の共有している井戸を使用する。電気虫の発電した電力を消費して家の中の蛇口から水を出すことは可能だが、その水は飲めないことはないが腹を壊す為、飲水としては基本的に井戸を利用している。井戸にも使用料が発生し、使用量に関わらず基本料金を自治体におさめる必要がある。ただし、使いすぎは注意される。
ガスは通ってはおらず、入浴は公共の入浴施設を利用することになっている。住民のほとんどは日本にいた時のように当たり前に毎日ではなく、数日に一回のペースだ。それは、だいたい7日に2回~3回になる。
「あなたを担当することになったマルテンターサラン観察管です」
そう言った女性は白い長髪に黄金色の瞳をしていた。白い貫頭衣のノースリーブで、サンダルを履いている。伝統的なのか? 観察管は皆似たような格好をしていた。だが、そんなことよりも一番は豊満な胸だ。視線の方向を悟られないよう目をそらすのがやっとだ。
そういう俺はというと、囚人みたいな格好から腰布に上半身裸といった姿だった。ここに来るまでの道中も同じ格好の人はいたし、これもここでは普通なんだろうが、首飾りとかピアスとか入れ墨とか現地の人はもっと他にあった。
ただ、収容施設と違いここは日中の気温は高く、この格好の姿でも寒さは感じなかった。
「日本語、もう覚えたんですか?」
「ある程度は」
それはエリートで。
「それで、あなたに仮国籍について改めて説明をしておきます。仮国籍は当然のことながら我が国独自の処置であり、それは国内限定になります。その為、外国への行き来の自由はあなたにはありません」
そもそも言葉の壁が立ちはだかってる以上遠くへなんて行けないだろう。俺はとにかくこの人を通じてこの世界についてもっと知る必要がある。
「更新はルートゥルブ(この世界でいう一年のこと)です」
ただし、それは俺達のいう365日というわけではない。そういった言葉だけじゃない違いもあって、俺は覚えられる気が全くしなかった。
「それで、今後の生活ですけど、暫くの間は国からの支給を受けれますが、それがいつまで続くかは分かりません。とりあえずはルートゥルブは支給が貰えます。その間にあなたにはこの世界の言葉を学び、職業訓練を受けてもらいます」
「たった1年じゃ無理ですよ」
「1年ではなくルートゥルブです。2年以上の場合は2ルートゥルブですけど、1の場合は共通して1は入れません。今からでも少しずつ此方の言葉に慣れて下さい」
ただでさえ英語が苦手な俺が一つも単語を耳にしたこともない言葉なんて出来る筈がないだろ。
「無理ではなくやらなければなりません。でなければあなたは何も出来ないままです。助けすら呼べない今のあなたがこのままで長生き出来るとは思えません」
そう言いながら読める筈もない地図と、それから現金の入った包を渡してきた。
「とりあえずこちらはガエ(一ヶ月)分です。必要なものはこれで購入して下さい」
「食料はどこで買えばいいんですか?」
「私はあなたのヘルパーではありません。少しは練習の為に早速外に出て街に慣れるところから始めたらどうですか? 私はあなたが問題さえ起こさなければそれでいいんですから」
そう言うと、女はさっさと行ってしまった。
女は一年……ルートゥルブはとりあえずと言ったが、俺は本当に元の世界には戻れないのだろうか? 突然来たのなら、突然戻ることもあるんじゃないかという希望は今も捨てきれないでいた。
「とりあえず言われた通りにしてみるか」
玄関を出て一階を降り敷地内を出ると、通路沿いに色んな民家が建っていた。壁の色は赤や黄色や緑色など目立つ色ばかりで、住宅街の道にはレールが何故か敷いてある。それは暫くすると、小さな黄色の路面電車が走ってきた。速度は遅いが、屋根の上には透明の球形の中に電気虫が何匹が電気を発生させており、それによって電車は動いていた。
俺はとりあえずその路面電車を追いかけるように向かった先の方角へと歩くことにした。
それは読みが当たり、住宅街を出て商店街にたどり着いた。
大通りの左右には長屋のお店がずらっと並んでおり、大通りの中心には露店が大通りを縦に真っ二つに割っていた。客の値引き交渉や店の客引きで賑わっている。その客引きの中で何故か見知った顔を発見した。
俺は驚き前のめりになった。
「ユエ!?」
名前を呼ばれたユエは此方に気づく。赤い巻衣姿に肉の絵と値段が描かれたプラカードを持っていた。
ユエは俺を見て目を見開き驚く。そんなに意外だったのか?
「あんた、あのアメリカ人と一緒にずっと書類にサインせずにあそこにいるもんだと思ってた」
「確かに書類にサインするのに迷ったよ。でも、連中は書類について訊いても答える気ないし、ただサインだけ求めるだけだから。仕方なく、相手の言うことに素直に従って自由になるか、最後まで抵抗するかって考えた時、自分は最後まで抵抗出来ないって思ったんだ」
「うん。あんた賢いネ。この世界で私達は余所者。今もこうして違う言葉で会話をすれば直ぐにでも目立つ」
ユエの言う通り実際に会話を耳にした通りすがりの人たちは俺達に奇異な目を向けている。
「ユエは何してるの?」
「見て分かるでしょ? 仕事」
「もう働いてるの? 言葉は?」
「覚えるの得意ネ」
「天才?」
「まだ少し言葉間違える。それで相手は直ぐに私が異世界人だって気づく。その瞬間相手は遠ざかるネ。だからこれ」
そう言ってプラカードを持ち上げた。
「それでも、もう働き始めてるなんて凄い」
「日本人はむしろ呑気ネ。生きる為にやってるだけヨ」
「生きる為、か……」
「で、どうするね?」
「どうするって?」
「買うの? 買わないの?」
「えーと……それ、美味しいの?」
「無味」
「やっぱり」
この世界の食べ物は何故か不味いか無味のどちらかで、それは収容所にいる時だけかと思っていたけど…… 。
「この世界には塩とかせめてないの?」
「ある」
「え、あるの?」
「ある。でも、この世界の人達は塩は苦手みたい。だから、どこの店を探しても塩はそもそも売りに出されていない」
「塩があればだいぶ変わると思うんだけどな……」
すると、どっから出したのか、ユエは白い粉が入った透明の袋を俺に見せた。まるでいけないブツみたいじゃないか。
「これは?」
恐る恐る訊いてみた。
「塩。売ってやってもいい。どうする?」
「いいのか?」
ユエは指で5を出した。
「50?」
「5000」
「た、高いぞ」
それは支給されるガエの半分の値段だった。
「お前じゃ絶対に塩が出回るルートを見つけられない。嫌ならもうお前には売らない」
それを見越しての値段か。こいつはその値段で絶対に買わざるおえないと分かっていて言ってるんだ。
「4000」
「値切るならこれはあんたに売らない」
「分かった分かった! せめて初回くらいは安く売ってくれないか」
「ダメ」
「クソッ……買うよ」
「まいどあり」
俺は塩を受け取った。まるで、誤解されかねない取引をしたみたいじゃないか。
「しかし、この国では食料の品揃えを見る限り、水もだけど、それなりに出回ってるんだな。ちょっと安心したよ」
「食料不足は争いの火種になる。でも、この世界に争いがないってことは、とりあえず食料危機は起きてないってことなんじゃない?」
「なら良かったよ」
この世界にも良いことはある。それが知れただけマシと考えるとしよう。
「そういえば、他の皆はどうしてるか知ってるか?」
ユエは首を横に振った。
「知らないし興味ないネ」
「そうかよ」
「また、塩が必要になったら言うね。用意しとくヨ」
ユエは商売上手だと思った。俺より遥かにこの世界に適合している。
それから一ヶ月後。
マルテンターサラン観察管からの紹介で俺にこの国の言葉を指導する人から言葉を教わりながら少しずつ単語を覚えながら文法の勉強をした。
その間にこの世界で新たな発見もあった。
それは見たことがない虫やその他の生き物が生息しているということ。その一部は人間の生活に関わっている。例えば電気虫とかがそうだ。他に家畜用の生き物。ラッパのような耳に奥歯があってオスとメスとで尻尾の長さが違い、オスは尻尾が長く4本足で、普段は泥遊びが好きな生き物。肉食用でユエが持っていたプラカードの肉はその生き物の肉だ。無味。ユエから買った塩で味付けしてなんとか食べれるが、部位によっては硬いし牛や豚とは比べ物にならない。だが、彼らは何一つ文句無しにそれを食べるのだ。とはいえ肉はたまに食べる程度でよく食べるのは苦い木の実か糖度のない果実? か、更によく分からない食べ物だ。
しかし、ここの人達にとって食事は生きる為に栄養を頂く行為なんだろう。当たり前のように好きなものに囲まれた生活をしてきた俺にとって、そんな考えはきっとなかっただろう。肉が食べたい、野菜は嫌い。そんな何でも揃った環境で俺は贅沢をしていたんだ。無駄に食べ、俺達は食品ロスをし、無駄に命を奪っていた。対してこの国のロスは少ないと思う。だから、食料危機もあまり起こらないのかもしれない。あとは世界の人口や世界の地理状況とか色々分かってくればもっとハッキリするだろう。
だが、分からないのはそれだけではない。この世界の科学がどこまで進歩しているのかだ。建物を見る限りは建築技術はそれなりにあるようだが、街を出歩くと建物に統一性がない。石造りや木造建築など多様な建築様式が一つの街の景色に混在していたからだ。
電気は虫に頼っているが、電気を使う乗り物や家電は存在する。それだけでも文明としては発展しているだろうが、中には扱いの分からない機械もあって、地球にはない技術がこの世界にあるのかもしれない。その為にはこの世界のことをもっと知る必要がある。
そして、俺にはその世界について教えてくれる先生がいた。それがタヤン先生だ。
俺にこの国の言葉を教える先生で、俺と同じ格好を普段していて、老人なのに俺より筋肉質でかつては軍人だったのではないかと疑う程の風格がある。スキンヘッドに筋肉質の体には入れ墨が入っていてマジで顔は笑ってなくて一見怖そうだが優しい先生だ。最初の時はマルテンターサラン観察管が教えてくれるんじゃないのかと思って現れたのが筋肉質の老人だったから衝撃的で不安だったが、今ではとても感謝している。
先生は2日か3日に一回のペースで俺の家に訪問してきてはそこで一対一の授業が始まる。
「前回出した宿題(単語を覚えてくること)はやってきたのか?」
「はい」
すると、先生は片方の眉を上げた。眉には白髪が混じっていた。
「何か気になることでも?」
先生のそういう鋭さは此方の考えが丸見えなんじゃないかと怖く感じる程にその直感はよく的中するのだ。そして、今回もまさにそれだった。
それはまるで麻雀で例えるなら先生は俺が振り込むのを知っていて、俺は毎回放銃していて俺はその度にビクッとして、俺の考えること、クセが先生は短期間で熟知して、俺は先生に隠し事が出来なくて、先生には俺の手の内が見えている。俺は何も出来ず、その雀卓では先生が完全に支配していて、俺は先生の手の中が全く予想出来ない。
「はい。でも、授業の最後に質問します」
先生は「分かった」と頷いた。
俺の質問は他の皆がどうしているのかと、まだ知らないこの国についてだ。
それに対し授業の最後で先生が答えた内容は俺にショックを与えるものだった。
「君と収容施設で一緒にいたサムだが、数日前に施設内で亡くなったそうだ」
「え!? ど、どうしてですか?」
「それは私にも知らされてないことだ」
「サムは最後までサインを拒んだってことですか?」
「それが理由で殺されたわけじゃあるまい」
どうしてそう言いきれるんだと思ったが、その気持ちは言葉にはせず飲み込んだ。かわりに俺の胃袋はストレスを抱えた。慣れないこの生活とかこの世界に来てからのストレスをずっと溜め込んでいるので、どっかでそれを吐き出さないと体調を崩しそうだ。
「それで、他の皆は知りませんか?」
「ユエという子はもう働きだしているが、それ以外は君と同じでこの国の言葉を勉強している。もし、気になるなら異世界人のコミュニティに参加したらどうだ? 君達以外にも異世界人はいる。同じ仲間同士で情報交換するのも君には必要だろう」
その後、コミュニティの会場の場所を教えてもらった。
後日、教えてもらったコミュニティ会場へと向かった。会場は毎日開いているようだが、毎日何人集まるかは分からないらしい。
その会場はカラフルな煉瓦造りの建物で、中に入ると天井はドーム型になっていて、大部屋には円をつくるように椅子が配置されており、それ以外は家具類はほとんどなかった。壁には掲示板があり、英語で名前と日付が書かれてある。俺がそれを見ていると、一人の男性が近づいてきた。俺より背が高くてまるで外国のバスケット選手のような体格で髭は綺麗に剃られており、金髪の短髪の彼は俺に英語で「初めて?」と訊いてきた。
俺は頷いた。
「英語は出来る?」
自信がないので首を横に振る。そして、俺は日本から来たことをなんとか英語で伝えた。
彼は困った顔をした。日本は伝わった筈だから、これは彼が日本語を得意としていないのが理由だろう。すると、そこにグッドタイミングで助け舟が現れた。ユエである。
「あぁ、いいネ。私、日本語喋れるから私が通訳するヨ。その掲示板はこの日来れる時に伝言板として使ってる。あんたもコミュニティに参加しに来たの?」
俺は頷いた。
「なら、今いる人達だけでも紹介するネ」
そう言って何人かいた人達に向けてユエが俺のかわりに英語で俺を紹介してくれた。そして、次にユエは皆の紹介を日本語で伝えてくれた。
「さっきの背が高い彼はオーストラリア生まれのオリバー。一年前までは大学生で私達と同じく突然この世界に来てしまった」
次にユエが紹介したのはユエと同じ服の黒髪の女性だった。
「彼女はベトナムのジュエン。彼女は結婚直前でこっちに来てしまったの。可愛そうネ。彼女は日本に技能実習生として日本語を勉強していたから彼女も日本語を喋れるわよ」
「宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
次は貫頭衣姿のパーマの黒人男性だ。
「それから彼がアメリカ生まれのノーマン。運送業で働いてたところ突然この世界に来てしまった。これで最後ネ」
すると、オリバーは「もう今日はこれ以上集まらないだろうし、そろそろ始める?」と皆に訊いて、全員それに賛同した。
そして、好きなように椅子に全員が座ると、オリバーは「それじゃ今日は僕が司会だから始めるね。今日は新顔もいるからこの会の目的から説明をするね」と言ってオリバーは会の目的が異世界人とこの世界で呼ばれる地球人同士が集まり、孤立せず、いざという時に助け合えるよう日々連絡を取り合い、情報交換するのが会の設立の目的だと説明した。勿論、ユエの通訳を受けて。
そして、話題はサムの死に移った。まずはサムに向け黙祷をすると、オリバーは観察管から間接的に地球人が一人亡くなったことを知ったと説明。皆同じで、顔を知らなくても数少ない地球人が死んだことに深くオリバー達は悲しんだ。特にノーマンは同じアメリカ人と知って俺にサムについてあれこれと質問をされた。俺は全てに素直に答えた。
「サムは俺達と違い同意書のサインを拒んだのか」
俺は気になって皆に同意書に書かれていた内容を知っているか訊いてみたが、皆もうその内容を覚えていなくて、何が書かれてあるのか分からずサインしたと全員がそう答えた。
「確かに同意書の中身については俺達も気になってはいるし、度々議題にあがるけど、ここに参加していない人達も中身は知らなかったよ」とオリバーは俺に教えてくれた。
俺は更に皆にサムが何故死んだのか訊いてみた。
すると、ノーマンはこう答えた。
「拷問を受けたとか、酷い扱いを受けたとか、リンチに合ったのかとか色々残酷なことを想像するけど、外にいる俺達が中で何が起こったのかを知る方法はない。この世界は俺達を人として見ていないんだ。俺は彼らに拷問を受けたし、俺の背中には鞭で打たれた傷が残っている」
だが、ベトナム人の彼女はそれに反論した。
「そうかしら? 私は少なくともそうは思ってないわ。実際、私達には自由が与えられている。仕事も少しずつ覚えてやり始めているけど、皆基本優しいわ」
「どうだか」
「私が技能実習生として日本に行った時に比べればここの人達は優しいわ」
とても気まずい雰囲気になった。暫く沈黙が続き、それに耐えきれなくなったオリバーは咳払いをした。
「とにかく、今日は彼がコミュニティに加わった日だ。この後だけど歓迎会でもやらないか?」
「あぁ、そうだな」ノーマンは直ぐに賛同し、皆も続いて賛同した。
ちょっと、ぎこちなかったけど。それでも構わなかった。歓迎してくれたのは本当に嬉しかったから。
◇◆◇◆◇
この世界に来てから半年が経過した。
当然のことながら今まで親にやってもらっていたことはこの世界に来てから全部一人でやらなきゃいけない。自炊、掃除、洗濯、全てだ。特に洗濯や料理は水を使う。毎朝、一日分の水を一階の共有井戸から水を組み上げ持ってこなきゃならない。これは結構な重労働だ。細い腕をしていたら当然水いっぱいに入ったバケツを持つのもひと苦労だ。だが、毎日続けることで徐々に俺の腕は太くなり、筋肉がつき始めてきた。
それだけじゃない。どんなに飯が不味くても腹は減る。特にここに来てからというもの食欲だけは元気だった。
ユエから買った塩をうまく使い、少しでも食べるものを美味しくしようと試行錯誤の連続の毎日。今では料理研究家だ。
勉強の方はというと、元々地球にいた時から苦手で、特に暗記することが多く、どんどん皆と差がついてくのに焦りはあったが、少しずつ言葉を理解出来る程度にはなった。それも先生のおかげだろう。
最近は自ら体を鍛える為に筋トレとランニングも始めた。俺は他の皆と違って頭の出来はよくないから、今後仕事をするようになったとしたら肉体労働がメインだろうと考え、鍛えることにしたのだ。
こうして俺の体は地球にいた頃と違って体が徐々に男らしくなっていった。
あれからもコミュニティには出来るだけ通っている。
今日も、いつものようにコミュニティ会場に来ると、先に着いていたユエがいた。
「まだユエだけ?」
「そうよ。それより……」
ユエはそう言って俺に急接近すると、人差し指で俺の胸をなぞった。
「ちょっ!? な、何?」
「いつの間にかたくましくなって」
ゾクッとした俺はユエの色気のある表情で体の奥から熱が沸騰しそうだ。
「そ、そういえば最近見なかったけど」
「隣町まで行っていたの。コミュニティはここだけじゃないのよ」
「そ、そうなんだ。でも、なんで?」
「情報収集ヨ。情報は武器にも守りにもなるネ。この世界についてももっと知りたいし」
「世界について?」
「他に世界があったとして、これほど私達と同じ人がいるなんて少しおかしくない? それは私達と同じ進化をしたってことでしょ? 一方でこの世界の生き物は私達の見たことがない生き物で溢れている。他にも色々とね」
その時、扉の開く音がした。入ってきたのはオリバーだった。
「二人で何を話してたの?」
「別に」とユエは答えた。
「そう?」
そう言いながらオリバーは椅子の背に凭れた。
「そういえば、ユエは久しぶりじゃないか?」
「隣町に行ってたから」
「どうだった?」
「向こうのコミュニティで妙な噂を耳にしたヨ」
「妙な噂?」
「西の方のどこだかの(ユエ達はそこまで行ったことがない)町が大火災でほぼ全壊したって」
「全壊? 乾燥とか?」
「さぁ? でも、その時、空は燃えていたそうよ」
「そんなことがこの世界にはあるのか?」
「いいえ。皆信じてない。だから噂」
オリバーは顎を擦りながら「それについてもっと調べる必要がありそうか?」と訊いた。
「分からない」
ユエはそう答えた。
◇◆◇◆◇
その頃、森を駆け抜ける一つの群れがあった。それは大型の狼のような動物の背に跨り、人間は乗り物のように器用に乗りこなしながら全速力で東の街へと急いでいた。狼の毛は灰色で、鋭い眼光は遠くの先まで見えていた。それに跨がる人間は剣と銃を持つ国の兵士だ。彼らは口元を布で覆い、目元の周りには黒いペイントがされてある。彼らは異臭を放ち、とても清潔感があるようには見えなかった。
彼らは殺気を放っていた。まるで、殺しは手慣れているかのように、一般人でも見分けがつくぐらい人が放つようなオーラをしていなかった。それは殺しのプロには向いていない。当然、標的に気づかれてしまうからだ。殺しのプロは一般人に溶け込む。連中はそうではなかった。深い深い闇の底へと泥を啜りながら沈んでいるのだ。そして、連中はそんな自分達に怯える一般人を見ては楽しむ、そんなゲスな連中でもあった。
いったい何があって彼らをそうまで変えさせてしまったのか? それはいずれ分かることだ。
少なくともこの世界は国境に壁がなく人の移動と文化が活発に出入りする国々では、その影響を受けてか例えばその国の建築に統一性が見られない。一方で言葉はほぼ公用語であり、小さな民族での言葉が話せる者はめっきり少なくなった。小さな民族と大きな部族が統合し、それを繰り返していくうちに消えた文化もあれば、残った文化もあるということだ。そうして今の多文化、多様性を生み出した。
そんな社会には不釣り合いな連中はどこかへと森の闇へ消えていった。
◇◆◇◆◇
この世界に来てからほぼ一年の月日が流れた。
この世界での俺達の呼び名は異世界人だが、実のところここの人達は〈知的宇宙人〉か〈知的異世界人〉かで議論があり、未だ決着がついていない。何故なら、仮説Aは宇宙は元々一つであり、到底俺達とこの世界の人類が接触出来る距離になく、彼らはその惑星からやって来たという可能性を否定しきれていないからだ。方法としては仮説Bの異世界説も同様に説明出来ていない。だから、どちらも断定に至る根拠はないと言えたからだ。だが、それはあくまでもカテゴリーに過ぎない。実際暮らしてみると、ここにいる人達は俺達のことを「異世界人」とは呼ばない。名前で呼ぶ。それは、ここの人達はカテゴリーを嫌っているからだ。例え、多少の異世界人との違いがあったからといって何か問題を感じる程ではないからだ。
そもそも、カテゴリーに何の意味がある?
この国の住民を見れば、髪の色、服装、瞳の色、肌の色、様々で多様だ。そして、それを気にするものはいない。言葉の壁も最初は相手に動揺を与えたが、ジェスチャーで通じればなんとかなった。それでも、言葉は喋れることにこしたことはないが…… 。
ただ、そうなると収容施設での俺達に対する職員の態度が気になる。連中は俺達を嫌っているようだった。むしろ、危険分子として見ているかのように。
俺達はこの世界にとって害虫なのか?
もう一つ気になることはこの世界の技術の発展が地球と似ていた点だ。人間という身体的構造が同じ生き物がそれぞれの世界で生きた場合、どこまでが同じでどこからが違う未来、可能性を辿るのか? そういった大規模な実験が神によって行われているんじゃないかと疑ってしまうレベルだ。そして、もしそうだとしたら、神が俺達にそれを見せたということなのか? そこに何の意味があるのか?
もしくは別の可能性。地球と此方の世界が似ていて、人間だけが同じである理由は、人間が地球と此方の世界を俺達と同じく何らかの原因で行き来し、互いの技術を伝達し合っているとか?
でなければ、俺の観察管が日本語を素早く習得出来るとは思えない。となれば、俺より前から日本人の何人かはこの世界に来ている。
それはいつからなのかは不明だ。
ただ、この世界と地球が世界という壁を乗り越えて伝達し合っているんだとしたら、とても興味深い。当然、地球人がこの世界に子孫を残していてもおかしくはないんじゃないのか?
「それはあり得ないネ」とユエは言った。
「もし、私達とこの世界の人達が同じだとしたらここの食事はもう少しマシになっている筈ヨ。この国が多文化でなかったらだけど、人や物の移動が少なくともある以上、この世界全体がそういった食べ物ばかりと考えるべきネ。それは味覚が私達と全く違うのか、それともそもそも連中に味覚がないのか? 一つの違いが見つかれば、それは果たして一つだけなのか? 人は見た目では判断出来ないように、同じと断定すべきではないネ」
ユエの指摘はもっともだった。
「それに」とユエは更に続けた。
「あなたの主張はあくまでも地球と此方の世界の世界二元論的解釈による前提だけど、本当のところは分からないネ。世界は実のところ多数で、人間を男女二元論で話しを進めてはいけないように、世界もそうなのかもしれない。二元論的思考はむしろ視野を狭める思考法ネ。善悪二元論がまさにそう。解釈はたった二つで片付けられないように、人も、世界も同様でなければおかしいネ。日本はその点、まだまだ男女二元論的ネ。結果、マイノリティを蚊帳の外にしているネ。日本はどちらかというとマイノリティを無視する傾向があるヨ。性別記入欄が未だあるのが信じられないネ。とは言え、この問題は日本だけじゃないのも事実ネ。他の国でも宗教的問題があるし、宗教はいつまでも古き考えに固執してるネ。時代に適応しきれていない。宗教も時代に合わせてバージョンアップする必要があるけど中々難しい」
「うん、ユエの言いたいことは分かっよ。でも、君はそう言って自分の国のことについては話さないよね?」
「逆にあなたから見て私の国はどう見えてるの? だいたい想像はつくけど」
「どうだろう……」
「ハッキリしない男ネ」
「一つ訊いていいかな」
「ん?」
「ユエは日本語が上手いのに変な語尾がつくよね」
「あぁ……それは日本語勉強する時に日本のアニメを見た時に変な癖がついちゃって……かなり個性的なキャラだったヨ」
「お察しします」
それは日本が外国をそういう偏見からそういったキャラ像をつくってしまったからだろう。
「私ね、焼け落ちた街へ今度行ってみようと思うの」
「例の噂の?」
ユエは頷いた。
「これはまだ仮説だけど、どうしても人だけが世界を跨いで移動しているとは思えないの。実際、そう断定出来る根拠はない。そして、多分だけどそのヒントがあの空の炎だと思うの」
「それって危険じゃないの?」
「だったらついてってくれる?」
「え?」
「冗談よ。必要ないネ。ただ、行って見てくるだけだから」
「でも、必要なら俺行くよ」
「いい。あなたは自分のことにまず専念するヨ。今の仕事だけじゃなくて、他の仕事もいい加減見つけるヨ。でないと」そう言ってユエは人差し指の先を俺に向けた。
「あんたいずれ無職ね」
「そ、そうかな?」
「あんたより詳しく、例えば先生や学者がこの世界に現れたら、あなたいらないネ。それに、心配されるようなことはしないから安心するネ」
ユエはそう言ったので、俺はそれを信じた。ユエは俺よりしっかりしているし、実際俺がついていったところで役に立てるとは思えないし、むしろ足を引っ張るだけかもしれないと思った。だから、俺は何もしなかった。止めもしなかった。
そして、彼女が行ったきり再び戻ってくることはなかった。
◇◆◇◆◇
気づけばそこは見知らぬ土地だった。蛍のような光が夜空を照らしている。知らない空。俺の知る空は蛍ではなく星だった。星を見て、小さい俺は父に望遠鏡をねだり、夜になる度にそこから覗いて見たものだ。それも大人になってすっかり忘れていた。星座はまだ記憶に残っているが、この空には星座どころか星一つ見えなかった。
流れ星と思い込んだ人工衛星すらない空から目線をゆっくり落とすと、視界は空から離れ地上へ降り、遠くに街の明かりが見える。それはオレンジ色だった。
違う。街が燃えている色だ。火事というレベルではない。まるで、空襲を受けたかのような大惨事だった。
俺はじっとそれを遠くから様子を見ていた。
何が何だか俺にはよく分からない。確か、俺は家にいて大学の入試勉強に励んでいた筈だ。
そこへ馬の鳴き声が聞こえてきた。それは背後の方で、俺は恐る恐る振り返ってみた。
そこには馬に跨がる軍服のような格好をした男三人がいた。馬は黒く、男達の方は年齢は自分より年上で、ライフルと、拳銃を装備していた。
うち、唯一黒い髭を生やした男が睨みつけながら怒鳴りつけた。
「*****!!」
相手は銃を持っていたが何を言っているのか分からなかった。英語でもなければ聞いたことのある単語もない。
「****」
「あー、日本語でお願いします……」
「***?」
相手は俺の喋る言葉に驚いた。それからその間、他の軍服の男達二人は周囲を見渡した。その先にあるのは暗闇の草原。ここはその少し丘の上だった。
髭の男はおそらくは部下であろう二人へ顎で指示を出した。二人は素直に従い、馬から降りると「****」と言いながら近づき、いきなり俺の両手を後ろに回させて、後ろで紐のようなものできつく縛られた。その後、服の上から身体検査を受け、一通り終えると髭の男に何も持っていないことを報告した。
そりゃ何もないだろう。俺はさっきまで勉強をしていたのだから。というか、これ、いつまで茶番を続けるのか?
これは夢だと思い込んだ俺。だが、夢だと気づいても現実の私は目を覚まさない。どうなっているのか? それは少し考えれば可能性は一つしかない。
これは夢ではない可能性。つまりは現実。
そして、原因は分からないが突然この世界に来てしまい、俺は気づけば男達に連行されていた。
◇◆◇◆◇
こうして連行された先は高く冷たい灰色の壁と有刺鉄線の中の収容施設だった。そこの制服姿の職員にあれこれと検査をされた。まず、着ている全ての服を脱がされ、肛門まで見られた後に灰色の囚人のような格好へと着替えさせられ、血液を注射器のようなもので吸われると、看守? に連れられ鉄格子の檻の中へとぶち込まれた。どの歴史も世界も人を収容する檻は分からないようだ。小さな窓からは冷たい風が入り込み、呼吸する度に白い息が出た。
檻には老若男女様々で、ここでは男も女も同じらしい。気になるのは全員が短髪であるということだった。俺は元々短髪だったが、女も全員短髪なのはこの施設の規則か?
顔を見る限り、鼻の高さや瞳の色、金髪も見ると、俺みたいな日本人ばかりではないようだ。実際、看守? がいなくなると一人の金髪の青年は英語で話しかけてきた。俺はジャパニーズ、スピークと言うと、相手はオッケーと言ってくれた。
「日本語喋れるんですね」
「ええ。日本に留学したことがありますから」
「留学? えっと、失礼ですが年齢を訊いても宜しいですか?」
「22です」
「日本語お上手ですね。私はまだ高校生で来年大学を受験する予定です」
「おお、そうでしたか」
それから暫く沈黙があってから、俺は一番の疑問を彼に質問してみた。
「ここへ来る前の記憶、覚えていますか?」
「僕はロサンゼルスで友達と一緒にいました。その友達の家のトイレを借りて、気づいたら知らない土地に座り込んでいました。あなたは?」
「自分は直前まで受験勉強をしていました」
「いきなり?」
「はい」
すると、青年は顎を擦りながら首を傾げた。
「皆にも同じことを訊いたんですけど、皆それぞれいた場所や何をしていたかはバラバラなのに、突然ここにいたと答えているんです」
「全員ですか?」
「全員。これは偶然だとは思えないんですが、原因が分かりません」
原因不明。確かなことは、トラックに跳ねられ転生したとかではないのだろう。その後聞いた話しでも、直前に亡くなるようなきっかけもない。だが、明らかにこれは俺達の知る地球ではなく、異世界と言えよう。ただ、この世界にも人間はいるのだ。それだけでもまだ意思疎通の可能性はある。言葉の壁を乗り越えれば。
「彼らの言葉分かりますか?」
金髪の青年は首を横に振った。
「いいえ、分かりません。聞いたことのない言葉ですから、彼らの文法がどうなっているのかも不明です。ただ、名称なら少しは理解出来るかもしれません。その単語から想像できる言葉が思いつけばですが」
「名称……」
「例えば、お互いに名前を呼び合っていれば、それは多分彼らの名前だと推察出来ます。挨拶なら、決まった言葉をお互いにかけるでしょうから、少ないヒントから相手の言葉を探っていくしかないと思います」
「凄いですね。俺だったらそこまでは考えられなかった」
「いえ……素人ですよ、所詮」
青年の日本語は流暢だと思った。彼なら、英語圏から来た人との通訳もお願い出来るかもしれない。
すると、看守? のような職員が俺達に食事を配膳してきた。食事は檻の中で食べるらしい。コンクリートがむき出しの地べたで俺達はあぐらをかいたまま猫背で食事を始めた。
一つの皿に黒いボールのようなものに赤いソースがかかっている。スプーンやフォーク、箸がない為、俺はそれを指で摘むと感触はゴムのような弾力があった。まさか、ゴムを俺達は食わされるのかと思って周りを見たら、他の皆は何故かかかっていた赤いソースを皿に擦りつけてソースをとって、念入りに服の裾で拭くと、ようやくそれを口にして食べだした。
どうやら食べれるらしい。俺はそのまま恐る恐る口に入れた。その瞬間、喉の奥から空っぽな胃袋から胃液が喉のあたりまで登って吐き出してしまう程に急いで口に入れたブツを吐き出した。下を必死に服の裾で何度も擦る。早くこのゲロの味のするソースを取ろうとした。何故、皆がこのソースを取っていたのかが分かった。
もう、それがトラウマになって食べる気がしなくなった。
そうだ、この世界は俺の知る世界じゃなかった。食べ物だってそうだ。すっかり見た目が同じ人間に見えたから、食べ物も似たようなものだと思い込んでいた。
「まるで拷問だ」
俺がそう呟いたのを聞いた金髪の青年はクスッと笑った。
笑い事ではないんだが。
◇◆◇◆◇
気づいたら俺は寝ていた。目を開けると、金髪の青年があぐらをかきながらこっちを見ていた。
「目が覚めたの?」
俺は体を起こし目を擦りながら「気づいたら寝てた」と、知らない環境でも警戒心なく寝ていた自分に驚いたことを彼に言った。
「寝れるうちに寝ておいた方がいいかも。この後どうなるか分からないからね」
「俺はこれが夢であって欲しかったと思ったよ」
「分かるよ。これは悪夢だ。でも、夢なんかじゃなくて現実なんだ」
「随分、受け入れてない?」
金髪の青年は苦笑した。
「君より一ヶ月前からいるからね」
「そんなに?」
青年は頷いた。
「最初は君と同じく夢であって欲しいと現実逃避をしたよ。でも、現実だと分かると何でこうなったんだって……でも、その感情をぶつける場所なんてない。それから僕は神に祈ったよ。でも、ご覧の通り僕の声は神には届かなかった。僕は無力さ」
すると、彼の話しを聞いていた髪を赤く染めてある貧乳の女の子が中国語でなんか彼に対して喋りだした。青年は英語で中国語は分からないから英語で頼むとお願いすると、少女はカタコトの英語を喋った。だが、その会話は俺には分からなかった。彼女は何て言ったんだろうと。だから俺は青年に訊いた。
「彼女は何て言ってるの?」
「僕が神の話しを耳にして、神なんていないって言ったんだよ」
俺もどちらかというと無神論者だった。初詣や墓参りはしても、それは習慣化された文化って感じで宗教を意識してやっているわけでも、神を信じてやっているわけでもない。
すると、看守? がやってきて俺達に向かって何か怒鳴った。
「***!!」
静まると看守? は踵を返しまた戻っていった。
金髪の青年は「あれは多分看守が何て言ったのか分かるよ」と今度は小声で俺に言った。
「多分、静かにしろ! だよ、あれ」
◇◆◇◆◇
それから数日。金髪の青年とはだいぶ仲良くなった。名前はサム。それから同じ檻にいるのはドイツから来た大学生のアンネ、中国人の女の子で俺と同い年のユエだ。もう一人、スイスのダニエルがいたらしいのだが、彼は発熱し俺と入れ代わりで檻を出てどこかへと連れ出されてしまって、それ以降彼が戻ってくることはなかった。
この数日間で分かったことは、ここの食事が毎回毎回最悪だってことだ。さっきだって緑色のスライムみたいなのが出され、皆はそれしか食べるものがないので、摘まんでそれを啜って食べていたが、どうも食べる気がしなかった。
サムはそれを見て心配そうに「食べなきゃ弱るだけだ。食べなきゃ」と言って説得させられたが、俺が思い直す暇もなくユエが勝手に俺の分を啜って食べてしまった。
「食べないなら私いただくヨ」
随分と流暢な日本語だと思った。同い年で英語も喋れるとは彼女も言葉が堪能だと思った。
「ユエ、何故食べてしまうんだ。彼に何か食べさせないと」
「何故、心配しなきゃならない? 私、コイツどうでもいいネ」
「ダメだ」
「私、あんたに指図受けない」
「サム、いいんだ。それに、また言い争うと看守が来る」
俺がそう言うと、二人は静かになった。だが、気になるのはここに来て数日、俺達は何もされず、ただずっとこの中にいる。連中の目的はいったい何か? それが気になっていた。
その頃、監視室の奥にある扉から出た看守? は長い通路を歩き、施設長室の部屋へと入っていった。そこは壁も床も真っ白で、真ん中に立体映像が流れ、中肉中背の背広姿の施設長が現れた。
以下の会話はこの世界の言葉を訳した内容である。
「連中の言葉は理解出来そうか?」
「どうやら連中には違う言語が複数あり、その複数で会話をしているようです。特徴的な発音の違いを考えてみても、それは絶対ですが、全員が全員複数の言語を理解できているわけではないようです」
「私は連中の言葉を解読しろと君に命令した筈だが、結局のところどうなんだ?」
「一つの言語に絞って解読を進めています。それについては時間の問題です。実際、大人達を何人か使って試していますが、それなりに意思疎通は出来るようにはなりました」
「ようやくか。時間はかかったが、まぁその結果を聞けただけ良しとしよう」
「ありがとうございます」
「それでは早速尋問を始めたまえ」
「既に大人達には何人か始めております」
「いいか、連中がスパイで我々の機密を盗みに現れたとしたら、これは戦争になるだろう。連中の狙いがこの世界の資源なのか、それとも支配なのか、そしてどうやって侵入を成功したのか、我々はまだ何も連中のことを知らない。こうしている間も閣下はお怒りだ」
「お言葉ですが、私には連中にそのような任務を任されているとは到底思えません。捕らえた全員は戦闘訓練を受けてはいませんでしたし、あっさりと捕まっています。正直に言えば、連中がスパイだとしたらマヌケ過ぎます。油断する為だとしても、情報をむしろ漏らすリスクをおかしてまで何人も捕まるでしょうか?」
「では、君は意図的ではなく事故のようにこの世界に突然現れたというわけか? こう一年の内に何度もか?」
「しかし、大人達の尋問後に出た証言と状況を鑑みても辻褄が合います」
「例えそうだとしても閣下は納得されない。そもそも、何が原因だ?」
「この世界にも神隠しのように人が突然消える事件が年に数件起きています。消息不明は遺体すら発見されないまま迷宮入りしています。この世界ともう一つの世界で人が事故のように行き来しているのではないでしょうか」
「実は君の説は他の学者からも似たような話しを聞いたよ。まさか、そいつらと君が一致するとはね。しかし、それは立証が不可能だろ」
「それは悪魔の証明というものです」
少し間があいた。
「子どもは痛みに素直だ。彼らからも証言を取るんだ。いいか、痛みを伴わせ証言を取るんだぞ」
「子どもを拷問にかけるのですか?」
「君には酷だったか?」
「いえ、そんなことはありません」
「宜しい。次の報告までには結果を出すように。でなければ、君も私も閣下の逆鱗に触れることになる」
そこで通信が終わった。期限つきを言い渡されたが、それは施設長が閣下からもらえる猶予の限界がその日であるということだろう。
確かに閣下がピリピリするのも時間がかかったのは確かだ。それもその筈、此方にはない言葉なのだから。とはいえ、ようやく連中の言語の一つ「えいご」と呼んでいるものならなんとか解読に成功した。
そして、それを流暢に喋るガキはサムと皆から呼ばれたあの青年だ。
◇◆◇◆◇
俺の人生はこれからどうなってしまうのか? 戻れる方法を見つけたとしても、受験までに間に合うのだろうか? いや、そんな心配をする余裕なんて俺にはなかった。
退屈で暇な時間、俺はサムからは英語を教えてもらいながら、今後の話しをした。
「この世界に来たのが僕達のような子どもばかりで大人達がいないのはずっと疑問だった。まぁ、大学生は子どもじゃないって言ったらこの説は無くなるんだけど、僕達よりずっと上の大人達は別の場所に収容されてるんじゃないかって思うんだ」
「可能性はあるわネ」
何故かユエも勝手に会話に入ってきたが、サムも俺も構わなかった。
「連中は僕達の素性を知りたい筈だ。でも、お互い言葉の壁がある。この収容期間で連中は僕達の言葉を解読しようとしているんじゃないかと思うんだ」
「サムが連中の言葉を解読しようとしたようにってことだね」
「ああ、そうだよ」
「そしたら問題が発生するわネ」
「あぁ、連中は僕達をいよいよ尋問すると思う。場合によっては拷問もあり得る」
「拷問!?」
「連中が子どもだからって容赦してくれるとは限らないし、この世界の僕達って国籍がないから僕達の身を保障してくれるものもないってことだ」
「国籍ないのは人権ないのと同じネ。誰も救ってはくれない」
それは宇宙人に人権が与えられないのと似たものかもしれない。
「この後、殺されるかもしれないってこと?」
二人は黙った。否定出来ないということだろう。言葉にしてくれなくてもそれだけで分かった。
「だったとしたら」
俺がそう言いかけたところで、看守? が現れた。まだ、配膳の時間ではない為、別の理由だ。
看守? は鍵を開けるとサムを指差し外に出るようジェスチャーした。サムは俺とユエを一瞥してから、看守? に従った。
サムが連れ出されたどり着いた場所は浴室床シートに壁は白いタイル張りで、天井から拷問具が鎖とフックで吊るされてあった。サムは上の服だけ脱がされ、上半身裸になると、割れた腹筋があらわになった。更に両手を拘束され、それを上に伸ばした状態で天井に吊るされてある鎖と繋げた。看守? が壁にあるスイッチを押すと、鎖が引っ張られ、サムがつま先立ちになったところでスイッチを止めた。
拷問が始まる。サムはビクビク震わせながら看守の方を見る。看守は鞭を選んだようで、サムの白い背中を見た。大学生の背中はすっかり成人男性と同じく大きかった。
そこでようやく看守? は喋りだした。それもなんと英語だった。
「怯えているな?」
「英語!?」
「最初に覚えたのはそれだけだ。あの中で流暢にお前が喋っていた言葉だ。俺の言葉が分かるな?」
サムは頷いた。
「よし。多少のイントネーションのミスは気にしないでくれ。さて、私は鞭を持っている。鞭だ。分かるか?」
サムは頷いた。
「よし。これからする私の質問にお前は答える。お前は俺の機嫌を損ねないことに専念する。それがお前のミッションだ。分かる?」
サムは頷いた。
「もし、俺が気に入らないと思ったらその度に背中に鞭を振るう。素直に従えば、お前の背中は無傷のまま皆のところに戻れる。いいな?」
サムは頷いた。
「よし。それじゃ一つ目の質問だ。お前達はどこから来た」
「地球。僕はアメリカという国だ」
「ちきゅう……大人達もそう言っていたな。住んでいるところは違うようだが。よしよし、上手く会話が出来て良かったよ。まだ、知らない単語があるんだ。その場合は聞き直すから別の言葉で返すんだ。分かったな?」
サムは頷いた。
「次の質問だ。お前達はどうやってここへ現れた?」
「分からない。突然だ」
「突然……か」
これも先に尋問した大人達と同じ答えだ。
「さっき、私が英語を喋れたことに驚いていたな。お前よりもずっと前にも何人かお前の国から来た者がいてね。最初に我々が発見したのもそのアメリカだった。我々は聞いたこともない言葉を喋るその英語を調べ、ようやく会話が出来る程になった。お前は他の言葉も喋っていたな。そうなんだろ?」
サムは頷いた。
「なら、その言葉を我々に教えてもらおうか。勿論、協力してくれるな?」
サムはまた頷いた。
「それで、さっきの質問の答えだが、もう一度同じ質問をする。今度は具体的に答えろ。お前はどうやってここへ来た?」
「僕は友達の家にいた。その友達のトイレを借りてトイレをしている最中に違うところにいたんだ。本当だ! 信じてくれ。信じられないのは分かる。だが、本当なんだ。だから、お願いだから鞭は打たないでくれ」
「どうやって信じろと」
「神に誓って」
「神とは何だ?」
「え? か、神は僕が信じているキリストの宗教で」
「キリストとは何だ? 宗教とは何だ?」
「そ、それは……し、信仰です」
「その神がお前をここへ送ったのか?」
「いえ、違います。そうではなくて」
看守? は思いっきりサムの背中に鞭を振るった。激しい痛みが稲妻のように走る。サムは人生で感じたことのない激痛のあまり悲鳴をあげた。目には涙がたまり、呼吸は荒い。
「嘘をつくな!」
看守? が怒鳴ると、サムはピクピクさせた。
「許して下さい。許して下さい」
「大人にも神の話しを持ち出した者がいたな。だが、それは実在しないものだ。それをお前達は信じている。私にはお前達の信仰とやらが理解出来ない。お前達の言う神は万能に聞こえるが、しかし、神はお前達を救うわけでもない。私から言わせてもらえば、お前達は病んでいる」
「僕は、本当に分かりません。帰れるなら帰りたい。こんなところにいたくない」
バチン!
「本当のことを話せば、これも直ぐに終わるんだぞ」
バチン!
だが、サムに答えられるわけもなく、鞭打ちは無残にも続いた。
サムが皆のところに戻って来た時には酷い顔をしていて、背中には痛々しく鞭で打たれた傷が深く残っていた。皮膚を裂き、出血があり、動く度に激痛が走る感じだった。彼はうつ伏せに倒れると、そこから動こうとはしなかった。
皆はその様子を見て怯えた。次は自分かもしれないと。
だが、それから数日が経過しても看守? から連れ出される子は出なかった。
◇◆◇◆◇
収容施設の外ではプラカードを持った集団が、異世界人にも保護を求めていた。看守? はその光景を三階の窓から眺めていた。施設内では異世界人からの情報を聞き出す為に拷問をするし、それ以外にも過去に適切な医療処置を行わなかったという原因での死亡例が複数件存在していた。そういったこともあってか、連中は異世界人を同じ人として扱うことを政府、そして我々に求めていた。
果たして異世界人は人なのか?
見た目はほぼ人であり、知能もある。能力に我々と差があるかはまだハッキリとしないが、その具体的な研究は現在も遅れていた。理由は単純で、能力差がなく異世界人と人とほぼ同じであると科学的に証明された時に、異世界をやはり人として扱うべきだとの主張が強くなるのは想像つくからだ。だが、軍の上層部や閣下はむしろ連中を無条件に自由を与えることに抵抗があった。
異世界という世界規模だから話しがややこしく感じてしまうだけで実際、国境を越えた人々の移動は比較的自由だ。国境に壁をつくる国なんてものはないし、出入国管理なんてものもない。人は自由であるべきで、そこに制限を設けようという考えはない。この星に住む人々にとって、住まわせてもらっているという考えを最初から持っている。そこに所有は認められない。あるのは、社会の秩序に必要な最低限の法と、それを取り締まる組織であって、ほとんどの人々は政府による支配(独裁者による支配のこと)を受けない。人の上に人は立たず。更にそれは人だけに限らない。
かつては、人間至上主義的思考はこの世界にとってみれば太古の、そう、まだ人間が裸で外を出歩いていた頃だが、星に生息する生き物、自然は、人間の所有物ではない。故に、生き物を人が召し上がる時は「いただきます」なのだ。
それは所有というより共有と言える。物も知識も、この星にあるものは共有財産という考え方。
だが、異世界人はそういった思考よりも、所有権が存在し、戦争もあり、互い国境同士睨み合いが続いているらしい。更には宗教というものが存在し、そこでも社会に色々な問題をもたらしている。なんて恐ろしい世界だ。だが、不思議なことにそんな世界にも平和は存在する。
個人的にはもっとその世界について詳しく知りたいが、政府は異世界の恐ろしい世界が異世界人を自由にさせたことでこの世界が危険に陥るのではと恐れている。
閣下や政府にとって異世界人は明確な敵なのだ。
だが、私は連中を閣下程敵意は沸かなかった。世界の人々も脅威に感じていないだろう。
◇◆◇◆◇
人権があるのとないのとでは大きく違う。参政権や財産権、相続権、あらゆる権利の保障がされない。それは失ってみないと分からないとこの世界に来て強く実感した。
異世界に来てから約一年後、俺達の取り巻く環境に変化がおとずれた。それは、条件付きでの行動の自由がなんと認められるようになったのだ。その条件は監視を受けるということ。その他にもいくつかあって、その数枚ある書類に目を通し、それにサインすることだ。そうすることで、仮国籍が異世界人に与えられるというのだ。それは国籍と違い定期更新が必要なもの。
ただ、ここで大きな問題がある。それは、俺達はこの世界の文字を読むことが出来ないということだ。誰かに通訳を頼もうにも、弁護士がついてくれるわけではない。内容の分からないものにサインをすることに戸惑っていると、まず一番先にユエが書類にサインをし早くに出所した。彼女にとって自由がそれだけ大事だったのだろう。
数日して、今度はアンネがサインし出所した。
残すは俺とサムになった。サムは最後までサインを拒否した。俺は迷っていた。連中は俺の日本語を教えればここを出られるという誘い文句に迷い、最終的には承諾してしまった。
結局、俺が出る頃までサムはサインすることはなかった。
与えられた住居は三階建の鉄筋コンクリート賃貸物件、二階の階段近くのワンルームの部屋だった。
家具は最低限あり、電気は電気虫という電気を発生させる虫を使っている。見た目は黄色いてんとう虫のようで、各住宅に備えつけられてあるタンクに入れることで、電気を部屋中に渡らせる。タンクの近くには貼り紙で注意事項が書かれてあった。読めないが、部屋を与えられた時に説明を受けた。その説明では、電気虫を酷使すると過労死してしまうので、長時間の電気の使用は控えること。定期的に電気虫のストレスを与えないようタンクから外へ出しておくことを説明された。また、電気虫も生き物の為に餌は必要らしいが、それはだいたいいつもタンクから外に出すタイミングで与えるのだとか。タンクの中は虫達の糞がこびりつく為、定期的な清掃が必要だ。それもまたストレスを与えない為に重要なことだ。電気は沢山電気虫がいればいる程に沢山発生する。電気一匹あたりの発生する電気も説明されたが、単位が此方の世界のものの為、実際どれ程かは分からなかった。
水は一階の共有している井戸を使用する。電気虫の発電した電力を消費して家の中の蛇口から水を出すことは可能だが、その水は飲めないことはないが腹を壊す為、飲水としては基本的に井戸を利用している。井戸にも使用料が発生し、使用量に関わらず基本料金を自治体におさめる必要がある。ただし、使いすぎは注意される。
ガスは通ってはおらず、入浴は公共の入浴施設を利用することになっている。住民のほとんどは日本にいた時のように当たり前に毎日ではなく、数日に一回のペースだ。それは、だいたい7日に2回~3回になる。
「あなたを担当することになったマルテンターサラン観察管です」
そう言った女性は白い長髪に黄金色の瞳をしていた。白い貫頭衣のノースリーブで、サンダルを履いている。伝統的なのか? 観察管は皆似たような格好をしていた。だが、そんなことよりも一番は豊満な胸だ。視線の方向を悟られないよう目をそらすのがやっとだ。
そういう俺はというと、囚人みたいな格好から腰布に上半身裸といった姿だった。ここに来るまでの道中も同じ格好の人はいたし、これもここでは普通なんだろうが、首飾りとかピアスとか入れ墨とか現地の人はもっと他にあった。
ただ、収容施設と違いここは日中の気温は高く、この格好の姿でも寒さは感じなかった。
「日本語、もう覚えたんですか?」
「ある程度は」
それはエリートで。
「それで、あなたに仮国籍について改めて説明をしておきます。仮国籍は当然のことながら我が国独自の処置であり、それは国内限定になります。その為、外国への行き来の自由はあなたにはありません」
そもそも言葉の壁が立ちはだかってる以上遠くへなんて行けないだろう。俺はとにかくこの人を通じてこの世界についてもっと知る必要がある。
「更新はルートゥルブ(この世界でいう一年のこと)です」
ただし、それは俺達のいう365日というわけではない。そういった言葉だけじゃない違いもあって、俺は覚えられる気が全くしなかった。
「それで、今後の生活ですけど、暫くの間は国からの支給を受けれますが、それがいつまで続くかは分かりません。とりあえずはルートゥルブは支給が貰えます。その間にあなたにはこの世界の言葉を学び、職業訓練を受けてもらいます」
「たった1年じゃ無理ですよ」
「1年ではなくルートゥルブです。2年以上の場合は2ルートゥルブですけど、1の場合は共通して1は入れません。今からでも少しずつ此方の言葉に慣れて下さい」
ただでさえ英語が苦手な俺が一つも単語を耳にしたこともない言葉なんて出来る筈がないだろ。
「無理ではなくやらなければなりません。でなければあなたは何も出来ないままです。助けすら呼べない今のあなたがこのままで長生き出来るとは思えません」
そう言いながら読める筈もない地図と、それから現金の入った包を渡してきた。
「とりあえずこちらはガエ(一ヶ月)分です。必要なものはこれで購入して下さい」
「食料はどこで買えばいいんですか?」
「私はあなたのヘルパーではありません。少しは練習の為に早速外に出て街に慣れるところから始めたらどうですか? 私はあなたが問題さえ起こさなければそれでいいんですから」
そう言うと、女はさっさと行ってしまった。
女は一年……ルートゥルブはとりあえずと言ったが、俺は本当に元の世界には戻れないのだろうか? 突然来たのなら、突然戻ることもあるんじゃないかという希望は今も捨てきれないでいた。
「とりあえず言われた通りにしてみるか」
玄関を出て一階を降り敷地内を出ると、通路沿いに色んな民家が建っていた。壁の色は赤や黄色や緑色など目立つ色ばかりで、住宅街の道にはレールが何故か敷いてある。それは暫くすると、小さな黄色の路面電車が走ってきた。速度は遅いが、屋根の上には透明の球形の中に電気虫が何匹が電気を発生させており、それによって電車は動いていた。
俺はとりあえずその路面電車を追いかけるように向かった先の方角へと歩くことにした。
それは読みが当たり、住宅街を出て商店街にたどり着いた。
大通りの左右には長屋のお店がずらっと並んでおり、大通りの中心には露店が大通りを縦に真っ二つに割っていた。客の値引き交渉や店の客引きで賑わっている。その客引きの中で何故か見知った顔を発見した。
俺は驚き前のめりになった。
「ユエ!?」
名前を呼ばれたユエは此方に気づく。赤い巻衣姿に肉の絵と値段が描かれたプラカードを持っていた。
ユエは俺を見て目を見開き驚く。そんなに意外だったのか?
「あんた、あのアメリカ人と一緒にずっと書類にサインせずにあそこにいるもんだと思ってた」
「確かに書類にサインするのに迷ったよ。でも、連中は書類について訊いても答える気ないし、ただサインだけ求めるだけだから。仕方なく、相手の言うことに素直に従って自由になるか、最後まで抵抗するかって考えた時、自分は最後まで抵抗出来ないって思ったんだ」
「うん。あんた賢いネ。この世界で私達は余所者。今もこうして違う言葉で会話をすれば直ぐにでも目立つ」
ユエの言う通り実際に会話を耳にした通りすがりの人たちは俺達に奇異な目を向けている。
「ユエは何してるの?」
「見て分かるでしょ? 仕事」
「もう働いてるの? 言葉は?」
「覚えるの得意ネ」
「天才?」
「まだ少し言葉間違える。それで相手は直ぐに私が異世界人だって気づく。その瞬間相手は遠ざかるネ。だからこれ」
そう言ってプラカードを持ち上げた。
「それでも、もう働き始めてるなんて凄い」
「日本人はむしろ呑気ネ。生きる為にやってるだけヨ」
「生きる為、か……」
「で、どうするね?」
「どうするって?」
「買うの? 買わないの?」
「えーと……それ、美味しいの?」
「無味」
「やっぱり」
この世界の食べ物は何故か不味いか無味のどちらかで、それは収容所にいる時だけかと思っていたけど…… 。
「この世界には塩とかせめてないの?」
「ある」
「え、あるの?」
「ある。でも、この世界の人達は塩は苦手みたい。だから、どこの店を探しても塩はそもそも売りに出されていない」
「塩があればだいぶ変わると思うんだけどな……」
すると、どっから出したのか、ユエは白い粉が入った透明の袋を俺に見せた。まるでいけないブツみたいじゃないか。
「これは?」
恐る恐る訊いてみた。
「塩。売ってやってもいい。どうする?」
「いいのか?」
ユエは指で5を出した。
「50?」
「5000」
「た、高いぞ」
それは支給されるガエの半分の値段だった。
「お前じゃ絶対に塩が出回るルートを見つけられない。嫌ならもうお前には売らない」
それを見越しての値段か。こいつはその値段で絶対に買わざるおえないと分かっていて言ってるんだ。
「4000」
「値切るならこれはあんたに売らない」
「分かった分かった! せめて初回くらいは安く売ってくれないか」
「ダメ」
「クソッ……買うよ」
「まいどあり」
俺は塩を受け取った。まるで、誤解されかねない取引をしたみたいじゃないか。
「しかし、この国では食料の品揃えを見る限り、水もだけど、それなりに出回ってるんだな。ちょっと安心したよ」
「食料不足は争いの火種になる。でも、この世界に争いがないってことは、とりあえず食料危機は起きてないってことなんじゃない?」
「なら良かったよ」
この世界にも良いことはある。それが知れただけマシと考えるとしよう。
「そういえば、他の皆はどうしてるか知ってるか?」
ユエは首を横に振った。
「知らないし興味ないネ」
「そうかよ」
「また、塩が必要になったら言うね。用意しとくヨ」
ユエは商売上手だと思った。俺より遥かにこの世界に適合している。
それから一ヶ月後。
マルテンターサラン観察管からの紹介で俺にこの国の言葉を指導する人から言葉を教わりながら少しずつ単語を覚えながら文法の勉強をした。
その間にこの世界で新たな発見もあった。
それは見たことがない虫やその他の生き物が生息しているということ。その一部は人間の生活に関わっている。例えば電気虫とかがそうだ。他に家畜用の生き物。ラッパのような耳に奥歯があってオスとメスとで尻尾の長さが違い、オスは尻尾が長く4本足で、普段は泥遊びが好きな生き物。肉食用でユエが持っていたプラカードの肉はその生き物の肉だ。無味。ユエから買った塩で味付けしてなんとか食べれるが、部位によっては硬いし牛や豚とは比べ物にならない。だが、彼らは何一つ文句無しにそれを食べるのだ。とはいえ肉はたまに食べる程度でよく食べるのは苦い木の実か糖度のない果実? か、更によく分からない食べ物だ。
しかし、ここの人達にとって食事は生きる為に栄養を頂く行為なんだろう。当たり前のように好きなものに囲まれた生活をしてきた俺にとって、そんな考えはきっとなかっただろう。肉が食べたい、野菜は嫌い。そんな何でも揃った環境で俺は贅沢をしていたんだ。無駄に食べ、俺達は食品ロスをし、無駄に命を奪っていた。対してこの国のロスは少ないと思う。だから、食料危機もあまり起こらないのかもしれない。あとは世界の人口や世界の地理状況とか色々分かってくればもっとハッキリするだろう。
だが、分からないのはそれだけではない。この世界の科学がどこまで進歩しているのかだ。建物を見る限りは建築技術はそれなりにあるようだが、街を出歩くと建物に統一性がない。石造りや木造建築など多様な建築様式が一つの街の景色に混在していたからだ。
電気は虫に頼っているが、電気を使う乗り物や家電は存在する。それだけでも文明としては発展しているだろうが、中には扱いの分からない機械もあって、地球にはない技術がこの世界にあるのかもしれない。その為にはこの世界のことをもっと知る必要がある。
そして、俺にはその世界について教えてくれる先生がいた。それがタヤン先生だ。
俺にこの国の言葉を教える先生で、俺と同じ格好を普段していて、老人なのに俺より筋肉質でかつては軍人だったのではないかと疑う程の風格がある。スキンヘッドに筋肉質の体には入れ墨が入っていてマジで顔は笑ってなくて一見怖そうだが優しい先生だ。最初の時はマルテンターサラン観察管が教えてくれるんじゃないのかと思って現れたのが筋肉質の老人だったから衝撃的で不安だったが、今ではとても感謝している。
先生は2日か3日に一回のペースで俺の家に訪問してきてはそこで一対一の授業が始まる。
「前回出した宿題(単語を覚えてくること)はやってきたのか?」
「はい」
すると、先生は片方の眉を上げた。眉には白髪が混じっていた。
「何か気になることでも?」
先生のそういう鋭さは此方の考えが丸見えなんじゃないかと怖く感じる程にその直感はよく的中するのだ。そして、今回もまさにそれだった。
それはまるで麻雀で例えるなら先生は俺が振り込むのを知っていて、俺は毎回放銃していて俺はその度にビクッとして、俺の考えること、クセが先生は短期間で熟知して、俺は先生に隠し事が出来なくて、先生には俺の手の内が見えている。俺は何も出来ず、その雀卓では先生が完全に支配していて、俺は先生の手の中が全く予想出来ない。
「はい。でも、授業の最後に質問します」
先生は「分かった」と頷いた。
俺の質問は他の皆がどうしているのかと、まだ知らないこの国についてだ。
それに対し授業の最後で先生が答えた内容は俺にショックを与えるものだった。
「君と収容施設で一緒にいたサムだが、数日前に施設内で亡くなったそうだ」
「え!? ど、どうしてですか?」
「それは私にも知らされてないことだ」
「サムは最後までサインを拒んだってことですか?」
「それが理由で殺されたわけじゃあるまい」
どうしてそう言いきれるんだと思ったが、その気持ちは言葉にはせず飲み込んだ。かわりに俺の胃袋はストレスを抱えた。慣れないこの生活とかこの世界に来てからのストレスをずっと溜め込んでいるので、どっかでそれを吐き出さないと体調を崩しそうだ。
「それで、他の皆は知りませんか?」
「ユエという子はもう働きだしているが、それ以外は君と同じでこの国の言葉を勉強している。もし、気になるなら異世界人のコミュニティに参加したらどうだ? 君達以外にも異世界人はいる。同じ仲間同士で情報交換するのも君には必要だろう」
その後、コミュニティの会場の場所を教えてもらった。
後日、教えてもらったコミュニティ会場へと向かった。会場は毎日開いているようだが、毎日何人集まるかは分からないらしい。
その会場はカラフルな煉瓦造りの建物で、中に入ると天井はドーム型になっていて、大部屋には円をつくるように椅子が配置されており、それ以外は家具類はほとんどなかった。壁には掲示板があり、英語で名前と日付が書かれてある。俺がそれを見ていると、一人の男性が近づいてきた。俺より背が高くてまるで外国のバスケット選手のような体格で髭は綺麗に剃られており、金髪の短髪の彼は俺に英語で「初めて?」と訊いてきた。
俺は頷いた。
「英語は出来る?」
自信がないので首を横に振る。そして、俺は日本から来たことをなんとか英語で伝えた。
彼は困った顔をした。日本は伝わった筈だから、これは彼が日本語を得意としていないのが理由だろう。すると、そこにグッドタイミングで助け舟が現れた。ユエである。
「あぁ、いいネ。私、日本語喋れるから私が通訳するヨ。その掲示板はこの日来れる時に伝言板として使ってる。あんたもコミュニティに参加しに来たの?」
俺は頷いた。
「なら、今いる人達だけでも紹介するネ」
そう言って何人かいた人達に向けてユエが俺のかわりに英語で俺を紹介してくれた。そして、次にユエは皆の紹介を日本語で伝えてくれた。
「さっきの背が高い彼はオーストラリア生まれのオリバー。一年前までは大学生で私達と同じく突然この世界に来てしまった」
次にユエが紹介したのはユエと同じ服の黒髪の女性だった。
「彼女はベトナムのジュエン。彼女は結婚直前でこっちに来てしまったの。可愛そうネ。彼女は日本に技能実習生として日本語を勉強していたから彼女も日本語を喋れるわよ」
「宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
次は貫頭衣姿のパーマの黒人男性だ。
「それから彼がアメリカ生まれのノーマン。運送業で働いてたところ突然この世界に来てしまった。これで最後ネ」
すると、オリバーは「もう今日はこれ以上集まらないだろうし、そろそろ始める?」と皆に訊いて、全員それに賛同した。
そして、好きなように椅子に全員が座ると、オリバーは「それじゃ今日は僕が司会だから始めるね。今日は新顔もいるからこの会の目的から説明をするね」と言ってオリバーは会の目的が異世界人とこの世界で呼ばれる地球人同士が集まり、孤立せず、いざという時に助け合えるよう日々連絡を取り合い、情報交換するのが会の設立の目的だと説明した。勿論、ユエの通訳を受けて。
そして、話題はサムの死に移った。まずはサムに向け黙祷をすると、オリバーは観察管から間接的に地球人が一人亡くなったことを知ったと説明。皆同じで、顔を知らなくても数少ない地球人が死んだことに深くオリバー達は悲しんだ。特にノーマンは同じアメリカ人と知って俺にサムについてあれこれと質問をされた。俺は全てに素直に答えた。
「サムは俺達と違い同意書のサインを拒んだのか」
俺は気になって皆に同意書に書かれていた内容を知っているか訊いてみたが、皆もうその内容を覚えていなくて、何が書かれてあるのか分からずサインしたと全員がそう答えた。
「確かに同意書の中身については俺達も気になってはいるし、度々議題にあがるけど、ここに参加していない人達も中身は知らなかったよ」とオリバーは俺に教えてくれた。
俺は更に皆にサムが何故死んだのか訊いてみた。
すると、ノーマンはこう答えた。
「拷問を受けたとか、酷い扱いを受けたとか、リンチに合ったのかとか色々残酷なことを想像するけど、外にいる俺達が中で何が起こったのかを知る方法はない。この世界は俺達を人として見ていないんだ。俺は彼らに拷問を受けたし、俺の背中には鞭で打たれた傷が残っている」
だが、ベトナム人の彼女はそれに反論した。
「そうかしら? 私は少なくともそうは思ってないわ。実際、私達には自由が与えられている。仕事も少しずつ覚えてやり始めているけど、皆基本優しいわ」
「どうだか」
「私が技能実習生として日本に行った時に比べればここの人達は優しいわ」
とても気まずい雰囲気になった。暫く沈黙が続き、それに耐えきれなくなったオリバーは咳払いをした。
「とにかく、今日は彼がコミュニティに加わった日だ。この後だけど歓迎会でもやらないか?」
「あぁ、そうだな」ノーマンは直ぐに賛同し、皆も続いて賛同した。
ちょっと、ぎこちなかったけど。それでも構わなかった。歓迎してくれたのは本当に嬉しかったから。
◇◆◇◆◇
この世界に来てから半年が経過した。
当然のことながら今まで親にやってもらっていたことはこの世界に来てから全部一人でやらなきゃいけない。自炊、掃除、洗濯、全てだ。特に洗濯や料理は水を使う。毎朝、一日分の水を一階の共有井戸から水を組み上げ持ってこなきゃならない。これは結構な重労働だ。細い腕をしていたら当然水いっぱいに入ったバケツを持つのもひと苦労だ。だが、毎日続けることで徐々に俺の腕は太くなり、筋肉がつき始めてきた。
それだけじゃない。どんなに飯が不味くても腹は減る。特にここに来てからというもの食欲だけは元気だった。
ユエから買った塩をうまく使い、少しでも食べるものを美味しくしようと試行錯誤の連続の毎日。今では料理研究家だ。
勉強の方はというと、元々地球にいた時から苦手で、特に暗記することが多く、どんどん皆と差がついてくのに焦りはあったが、少しずつ言葉を理解出来る程度にはなった。それも先生のおかげだろう。
最近は自ら体を鍛える為に筋トレとランニングも始めた。俺は他の皆と違って頭の出来はよくないから、今後仕事をするようになったとしたら肉体労働がメインだろうと考え、鍛えることにしたのだ。
こうして俺の体は地球にいた頃と違って体が徐々に男らしくなっていった。
あれからもコミュニティには出来るだけ通っている。
今日も、いつものようにコミュニティ会場に来ると、先に着いていたユエがいた。
「まだユエだけ?」
「そうよ。それより……」
ユエはそう言って俺に急接近すると、人差し指で俺の胸をなぞった。
「ちょっ!? な、何?」
「いつの間にかたくましくなって」
ゾクッとした俺はユエの色気のある表情で体の奥から熱が沸騰しそうだ。
「そ、そういえば最近見なかったけど」
「隣町まで行っていたの。コミュニティはここだけじゃないのよ」
「そ、そうなんだ。でも、なんで?」
「情報収集ヨ。情報は武器にも守りにもなるネ。この世界についてももっと知りたいし」
「世界について?」
「他に世界があったとして、これほど私達と同じ人がいるなんて少しおかしくない? それは私達と同じ進化をしたってことでしょ? 一方でこの世界の生き物は私達の見たことがない生き物で溢れている。他にも色々とね」
その時、扉の開く音がした。入ってきたのはオリバーだった。
「二人で何を話してたの?」
「別に」とユエは答えた。
「そう?」
そう言いながらオリバーは椅子の背に凭れた。
「そういえば、ユエは久しぶりじゃないか?」
「隣町に行ってたから」
「どうだった?」
「向こうのコミュニティで妙な噂を耳にしたヨ」
「妙な噂?」
「西の方のどこだかの(ユエ達はそこまで行ったことがない)町が大火災でほぼ全壊したって」
「全壊? 乾燥とか?」
「さぁ? でも、その時、空は燃えていたそうよ」
「そんなことがこの世界にはあるのか?」
「いいえ。皆信じてない。だから噂」
オリバーは顎を擦りながら「それについてもっと調べる必要がありそうか?」と訊いた。
「分からない」
ユエはそう答えた。
◇◆◇◆◇
その頃、森を駆け抜ける一つの群れがあった。それは大型の狼のような動物の背に跨り、人間は乗り物のように器用に乗りこなしながら全速力で東の街へと急いでいた。狼の毛は灰色で、鋭い眼光は遠くの先まで見えていた。それに跨がる人間は剣と銃を持つ国の兵士だ。彼らは口元を布で覆い、目元の周りには黒いペイントがされてある。彼らは異臭を放ち、とても清潔感があるようには見えなかった。
彼らは殺気を放っていた。まるで、殺しは手慣れているかのように、一般人でも見分けがつくぐらい人が放つようなオーラをしていなかった。それは殺しのプロには向いていない。当然、標的に気づかれてしまうからだ。殺しのプロは一般人に溶け込む。連中はそうではなかった。深い深い闇の底へと泥を啜りながら沈んでいるのだ。そして、連中はそんな自分達に怯える一般人を見ては楽しむ、そんなゲスな連中でもあった。
いったい何があって彼らをそうまで変えさせてしまったのか? それはいずれ分かることだ。
少なくともこの世界は国境に壁がなく人の移動と文化が活発に出入りする国々では、その影響を受けてか例えばその国の建築に統一性が見られない。一方で言葉はほぼ公用語であり、小さな民族での言葉が話せる者はめっきり少なくなった。小さな民族と大きな部族が統合し、それを繰り返していくうちに消えた文化もあれば、残った文化もあるということだ。そうして今の多文化、多様性を生み出した。
そんな社会には不釣り合いな連中はどこかへと森の闇へ消えていった。
◇◆◇◆◇
この世界に来てからほぼ一年の月日が流れた。
この世界での俺達の呼び名は異世界人だが、実のところここの人達は〈知的宇宙人〉か〈知的異世界人〉かで議論があり、未だ決着がついていない。何故なら、仮説Aは宇宙は元々一つであり、到底俺達とこの世界の人類が接触出来る距離になく、彼らはその惑星からやって来たという可能性を否定しきれていないからだ。方法としては仮説Bの異世界説も同様に説明出来ていない。だから、どちらも断定に至る根拠はないと言えたからだ。だが、それはあくまでもカテゴリーに過ぎない。実際暮らしてみると、ここにいる人達は俺達のことを「異世界人」とは呼ばない。名前で呼ぶ。それは、ここの人達はカテゴリーを嫌っているからだ。例え、多少の異世界人との違いがあったからといって何か問題を感じる程ではないからだ。
そもそも、カテゴリーに何の意味がある?
この国の住民を見れば、髪の色、服装、瞳の色、肌の色、様々で多様だ。そして、それを気にするものはいない。言葉の壁も最初は相手に動揺を与えたが、ジェスチャーで通じればなんとかなった。それでも、言葉は喋れることにこしたことはないが…… 。
ただ、そうなると収容施設での俺達に対する職員の態度が気になる。連中は俺達を嫌っているようだった。むしろ、危険分子として見ているかのように。
俺達はこの世界にとって害虫なのか?
もう一つ気になることはこの世界の技術の発展が地球と似ていた点だ。人間という身体的構造が同じ生き物がそれぞれの世界で生きた場合、どこまでが同じでどこからが違う未来、可能性を辿るのか? そういった大規模な実験が神によって行われているんじゃないかと疑ってしまうレベルだ。そして、もしそうだとしたら、神が俺達にそれを見せたということなのか? そこに何の意味があるのか?
もしくは別の可能性。地球と此方の世界が似ていて、人間だけが同じである理由は、人間が地球と此方の世界を俺達と同じく何らかの原因で行き来し、互いの技術を伝達し合っているとか?
でなければ、俺の観察管が日本語を素早く習得出来るとは思えない。となれば、俺より前から日本人の何人かはこの世界に来ている。
それはいつからなのかは不明だ。
ただ、この世界と地球が世界という壁を乗り越えて伝達し合っているんだとしたら、とても興味深い。当然、地球人がこの世界に子孫を残していてもおかしくはないんじゃないのか?
「それはあり得ないネ」とユエは言った。
「もし、私達とこの世界の人達が同じだとしたらここの食事はもう少しマシになっている筈ヨ。この国が多文化でなかったらだけど、人や物の移動が少なくともある以上、この世界全体がそういった食べ物ばかりと考えるべきネ。それは味覚が私達と全く違うのか、それともそもそも連中に味覚がないのか? 一つの違いが見つかれば、それは果たして一つだけなのか? 人は見た目では判断出来ないように、同じと断定すべきではないネ」
ユエの指摘はもっともだった。
「それに」とユエは更に続けた。
「あなたの主張はあくまでも地球と此方の世界の世界二元論的解釈による前提だけど、本当のところは分からないネ。世界は実のところ多数で、人間を男女二元論で話しを進めてはいけないように、世界もそうなのかもしれない。二元論的思考はむしろ視野を狭める思考法ネ。善悪二元論がまさにそう。解釈はたった二つで片付けられないように、人も、世界も同様でなければおかしいネ。日本はその点、まだまだ男女二元論的ネ。結果、マイノリティを蚊帳の外にしているネ。日本はどちらかというとマイノリティを無視する傾向があるヨ。性別記入欄が未だあるのが信じられないネ。とは言え、この問題は日本だけじゃないのも事実ネ。他の国でも宗教的問題があるし、宗教はいつまでも古き考えに固執してるネ。時代に適応しきれていない。宗教も時代に合わせてバージョンアップする必要があるけど中々難しい」
「うん、ユエの言いたいことは分かっよ。でも、君はそう言って自分の国のことについては話さないよね?」
「逆にあなたから見て私の国はどう見えてるの? だいたい想像はつくけど」
「どうだろう……」
「ハッキリしない男ネ」
「一つ訊いていいかな」
「ん?」
「ユエは日本語が上手いのに変な語尾がつくよね」
「あぁ……それは日本語勉強する時に日本のアニメを見た時に変な癖がついちゃって……かなり個性的なキャラだったヨ」
「お察しします」
それは日本が外国をそういう偏見からそういったキャラ像をつくってしまったからだろう。
「私ね、焼け落ちた街へ今度行ってみようと思うの」
「例の噂の?」
ユエは頷いた。
「これはまだ仮説だけど、どうしても人だけが世界を跨いで移動しているとは思えないの。実際、そう断定出来る根拠はない。そして、多分だけどそのヒントがあの空の炎だと思うの」
「それって危険じゃないの?」
「だったらついてってくれる?」
「え?」
「冗談よ。必要ないネ。ただ、行って見てくるだけだから」
「でも、必要なら俺行くよ」
「いい。あなたは自分のことにまず専念するヨ。今の仕事だけじゃなくて、他の仕事もいい加減見つけるヨ。でないと」そう言ってユエは人差し指の先を俺に向けた。
「あんたいずれ無職ね」
「そ、そうかな?」
「あんたより詳しく、例えば先生や学者がこの世界に現れたら、あなたいらないネ。それに、心配されるようなことはしないから安心するネ」
ユエはそう言ったので、俺はそれを信じた。ユエは俺よりしっかりしているし、実際俺がついていったところで役に立てるとは思えないし、むしろ足を引っ張るだけかもしれないと思った。だから、俺は何もしなかった。止めもしなかった。
そして、彼女が行ったきり再び戻ってくることはなかった。
0
あなたにおすすめの小説
掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく
タマ マコト
ファンタジー
王立工房の魔導測量師見習いリーナは、誰にも測れない“失われた魔力波長”を感じ取れるせいで奇人扱いされ、派閥争いのスケープゴートにされて掃除婦として城のゴミ置き場に追いやられる。
最底辺の仕事に落ちた彼女は、ゴミ山の中から自分にだけ見える微かな光を見つけ、それを磨き上げた結果、朽ちた金属片が古代兵器アークレールとして完全復活し、世界の均衡を揺るがす存在としての第一歩を踏み出す。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ
青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。
今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。
婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。
その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。
実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる