あやかしという病

アズ

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02 病院のあやかし

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 『飢饉』というあやかしに触れた人間は食欲が無くなり、徐々に経口からの摂取が困難になる。酷い貧血に襲われ、自力での立位も出来なくなり、点滴の処置が行われてもそれだけでは長生きすることは不可能。家族は胃ろうを希望し、直接栄養を流し込むことにするも嘔吐を繰り返し、肉体はほぼ皮と骨だけにげっそりと痩せ細る。
 『暴食』というあやかしに触れた人間はたちまち無限の食欲にかられ、大量の摂取により肉体はブクブクと太りだし、その体の持ち主の命を危険にさらす。それでも止まらない食欲に徐々に死神が近づく。
 『見えない手』というあやかしに掴まった人間は激しい依存を持つようになり、煙草、酒、携帯から手を離せなくなる。自分の手から二本の腕が生え、上から人間の手をおさえつけている。更に首後ろからも両腕が生え、人間の脳みそをがっしりと掴んでいる。その『見えない手』は4本あり、それは人間の視覚では捉えることは出来ない。その手を振り払うことも出来ない。
 あやかしのほとんどは見ることが出来ず、人間に災いを引き起こしている。
 その災いを祓う人がいた。祓い師と呼ばれ、それは昔から存在した。
 俺はそこまで内容を読んでから原稿から目を離した。
 古川がまとめた資料の山を見渡す。相変わらず散らかった部屋を見ると、ペーパーレス化は進んでいないように見える。今時はデータだ。勿論、この部屋にパソコンがないわけじゃない。ライターをやっていれば、パソコンぐらいは持っているもんだが、画面にはパスワードを求める画面によって足止めをくらっていた。見れるのは、この紙の山で、データの中は覗かせてくれない。その持ち主である古川は亡くなっていて、その先へ進む道は完全に閉ざされていた。誰か、凄腕のハッカーでも呼ばない限り無理だろう。俺にそんなツテはない。そんな都合よくハッカーとは知り合えない。それに、パスワードが分かったとして、中身を見た後にこれをどうすればいいのか分からない。具体的に決めていなかった。だからこそ、考える時間が与えられているとパスワード画面を見ながらそう思うことにした。
 昔の俺ならここにある資料は全て信用しなかっただろう。嘲笑っている自分の姿が想像できる。色んな現象をオカルトで想像で付けた設定なんてものは小説の中だけであり、現実には存在しない。それをあたかも存在するかのように語り、不安を煽り、多額に要求するカルト教団に加担するようで、俺はこういったものは嫌いだった。あやかしだろうと悪魔だろうと悪霊だろうと、全てインチキだ。それが俺が正常であるという考えで、皆、その踏み絵を踏んでまともであると証明してきた。だから、こんな馬鹿げた話を今更になって信じるなんてそんな簡単なことではなかった。何故なら、今までの常識が覆されるなんてことは起きるもんではないし、そうでないと何も信じられなくなる気がしてならないからだ。
 科学の進歩はカルトから人を現実へと引き戻した。だが、科学で解明出来ていない現象やそもそもその知識がない人の間にはカルトは生き続ける。相手の懐に入り込み、家庭を滅茶苦茶にされた話なら沢山知っている。
 全てはゴミにしか見えない資料の山は、あやかしを知った途端、それは情報の山へと化ける。
 見方が変われば意味は変貌する。
 あやかしも、科学視点では原因が解明出来ない病気や災害だ。
 エイリアンは存在するか? それには馬鹿正直に議論し、可能性はゼロではないと専門家が答えになってない答えを出す。そんなことは専門家でなくても出せる答えだと言うのに。
 そもそも専門家とは? そんな肩書きは俺は重要視していないが、自分の記事に根拠をつける際に肩書きを利用しないわけでもない。専門家の意見を入れてもらい、記事が出来上がる。専門家はそれで金を得る。だが、一方でいい加減な専門家もゼロではない。
 もし、常識が覆されたら信じていた常識は嘘になる。
 常識は信仰に近い。当たり前だという決めつけはまさに危うい存在で、俺達の思考の上をふわふわと浮游している。
 可能性という広大な海でどう島を発見するかは困難な航海が今後も続くことを意味する。



 俺は資料の山が複数ある部屋から出て、外の空気を吸いに向かった。
 外は森に囲まれており、排気ガスとは無縁の場所だ。最近の子どもは排気ガスが漂う空気を疑うことなく自然と吸っている。そのくせ、煙草の副流煙には敏感だ。一方で科学の進歩で人間の生活レベルが上がったのも事実だ。メリットもあればデメリットもある。表裏一体の存在の中で俺達は常に選択を繰り返し社会を動かしている。
 俺は古川が隠れ家として用意してあった小屋に鍵をかけ、手前にとめてあったバイクに跨りエンジンをかけ、走らせた。
 バイクのエンジン音が自然の音を破壊していく。
 川の音、鳥の鳴き声、風に揺れカサカサと鳴らす葉の音、自然にしか表せない音楽。そこに機械の音を鳴らすのは、クラシック音楽に携帯の着信音を鳴らすようなものだ。俺はその自然を台無しにしながら大通りを目指した。



 行き先は精神科病院。古川の集めた資料の中に興味深い人物の取材があった。その人物はその病院に入院している。周りからはまともでないというレッテルを貼られ、家族すら面会に来ない孤独な男で、入院前は錯乱状態だったようだ。病院では薬を与えられてからはそれも無くなったようだが、その薬は鈍らせ無気力にさせるようで、まともには聞き出せなかったようだが、その男はあやかしを見たと言う。認知症の薬の脳の活性化とは真逆の効果を与えられ、更に悪化しているようにしか見えないと古川は病院に対して文句を綴っていたが、日本の精神医療については俺はそこまで詳しくない。きっと、家族が困って最後に頼ったのが病院だったんだろうとしか俺には分からない。



 病院は綺麗だった。古い建物って感じではなかった。受付に行き面会を求めた。古川がやったのと同じく親戚を名乗った。受付は対して疑いもせず、むしろ珍しそうに受付は完了した。
 案内され個室の病室に入ると、そこに福田という患者がまさに聞いていた情報通りベッド上でギャッジが上がった状態で口をポカンと開けてそこにいた。
「福田さん、親戚の方が来られましたよ」
「久しぶりです、福田さん。私のこと覚えてますか?」
「それでは何かありましたらそこにあるコールでお呼び下さい」
 そう言って看護師は行ってしまった。
 俺は椅子に座り、福田を見た。痩せ細った体を見るに本当に病人みたいだ。まだ定年にもならない年齢でもうベッド上での生活が日常になっているとは。
「あんた、誰だ。親戚じゃないだろ」
 急に福田は俺を見てそう言った。
「まさか、演技だったんですか? しかし、薬は?」
「飲んだフリをしている。それよりお前は誰だ? 何故、親戚のフリをした」
「実は古川さんの知り合いなんですが、古川はご存知ですか?」
「古川?」
「あなたに面会し取材したライターです」
「ああ、古川か。で、あんたもか?」
「ええ。実は古川は亡くなられました。警察は事件と事故の両方を視野に捜査していますが、捜査は難航しているようです」
「知らなかった。古川は死んだのか」
「私は他殺だと思っています」
「つまり、君は古川の死の真相を追っているんだな」
「ええ、そうです」
「だが、それと私と何の関係がある? 古川がここへ最後に来たのはもう随分前になる」
「実は私もあやかしを見たんです」
 男はハッとした。
「そうか。それと何か関係があるんだな。それで私の所へ訪ねに来た」
「そうです。あなたが見たというあやかしを私にも教えてはくれませんか?」
「私はその話をしない。悪いが帰ってくれ」
「どうしてですか?」
「私はそのあやかしに人生を狂わされた。君は私の今の状態を見て幸せそうに見えるか?」
「いえ……しかし、あなたはまともに見える。あやかしを黙っていれば、あなたは演じて治ったフリも出来たでしょう」
「ここは端から私を治すつもりなんてない。単なる社会にとっての不都合、厄介ものを預かる場所だ。ここはそれで儲かっている。誰も私の退院を歓迎したりしない。何度かここを逃げ出そうとしたが、それは不可能だった。最初こそ、ここでの治療ならあやかしを見ずに生活できると思った。皆が見えないものを私だけ見えても不都合なだけだ。なら、いっそ皆と同じように見えないままがいい。そう思っていたよ。しかし、薬を飲んでも体に力が入らなくなってむしろ自分で出来ることが減った。自力で食べることもトイレに行くことも出来なくなった。分かるか? 今ではオムツをしてそこで排便をするんだ。どんな気持ちかお前に分かるか? それに、薬を飲んでもあやかしは見えたままだった。結局、薬は私を皆と同じようにはしてくれなかった」
「待ってくれ、あやかしが見えたままだって?」
「今も見えてるさ」
「え?」
 直後、背筋が凍った。背後を振り返ると、看護師がいつの間にか立っていた。
 俺は福田を見た。福田はいつの間にかコールを押していた。
「あなたも見えるなら治療を受けた方がいい。看護師さん、この人は私の親戚ではありません!」
「まさか、薬を飲んでないというのは嘘だったのか!?」
 よだれを垂らし、大量の唾を吐き出す。
 俺は医者と看護師に取り押さえられ、首筋に注射器が刺さり、薬を入れられ、俺はぐっすりと眠りに入ってしまった。



 気がつけば俺はベッドの上で寝ていた。服も来た時の格好ではなく患者用の服に着替えさせられていた。掛け布団を外しベッドから足を出し、素足のまま冷たい床についた。立ち上がろうとしたら、足に力が入らずバランスを崩し俺はその場で床に倒れ込んだ。激痛が全身に走る。すると、看護師が慌てた様子で現れ、俺をベッドに戻した。
「ダメですよ、勝手に動いちゃ」
「俺は病人じゃない。勝手に治療は出来ない筈だ」
 しかし、看護師は笑顔を見せながら俺の手足を拘束していく。身体拘束を受けるのは人生で初めてだ。
「ふざけるな! これを今すぐ外せ!」
 自由を奪われた俺は抵抗しようとするも、力が入らなかった。
「俺に何をした?」
「あなたはあやかしが見える。まともじゃないから治療を受けないと。安心して。必ず治るから」
 それを聞いてようやく分かった。
「お前達、あやかしか?」
 看護師は否定しなかった。かわりに、薬を注射され俺は再び眠りについた。



 再び目が覚めたが、倦怠感は残ったままだ。ベッドの横に看護師が点滴の準備をしている。腕にルートが入っている。
「何で点滴なんかしてる」
「あら、起きました? ずっと眠っていたんですよ」
「ずっと? 俺はどれぐらい寝ていた?」
 しかし、質問を言い終わる前に点滴は滴下が始まった。
「どうです? まだ、眠いですか?」
「あ、ああ……」
 ふと、尿意を感じた。
「トイレに行きたいんだが」
 今の俺は手足に拘束具がついている。
「ダメですよ。薬がまだ体内に残っている間はまともに立つことも難しいんですから」
「なら、車椅子を用意してくれ。あとは一人で行く」
「わがまま言わないで下さい。今、オムツをしていますから、トイレに行かなくても大丈夫なんですよ」
 そう言って看護師は病室から去って行ってしまった。
 ああ、そうだ……あれは看護師の姿をしたあやかしだった。クソ、油断した。しかも、オムツだって?
 確かに、パンツと違い通気性が悪い。これがオムツか。
 オムツにしてやるもんかと我慢したが、余計頭から尿意が離れられなくなり、次第に限界に達した。
 オムツの中へと放たれた尿は温かく、股間がこんもりとホカホカしたのを感じた。長い尿が終わり時間がたつにつれ、パットの中は冷え始め気持ち悪い感触が陰部から臀部に渡って感じた。俺はショックを受けた。ふと、自分のおばを思い出した。老人ホームに入所しオムツ対応され、そこでは時間でパット交換に入るようになっていた。家で骨折してから歩けなくなったおばはいつも、オムツの中が気持ち悪そうにしていた。スタッフに交換をお願いしても、そのスタッフは常に忙しそうにしている。遂には、中々自分から言わなくなり、その間ずっと自分の尿に不快に感じながら生活していた。本人は不便だったろう。本当なら自分でトイレに行きたい筈だ。しかし、出来ないおばは誰かの助け無しでは自分の汚物でさえ処理出来ない。心の狭い思いをしただろう。いくらパットの吸収性がよくても、パットの中の感触がずっと残るのだ。冷えた自分の尿が当たっているのが。
 俺を病人扱いしたここのあやかし達にはとにかく怒りしか感じない。しかし、その怒りも今はパワーに変えられない。ここでは、あやかし達のやりたい放題で、俺は無力にただ横たわるだけだ。自分のオムツでさえ、誰かに交換してもらわなければならない。ここにいたら、本当に精神が破壊されかねない。なんとかして脱出を試みなければ。
 そこでヒントが一つだけある。福田が言った言葉だ。治ったふりをしても連中はそれを望んでいないと。つまり、連中の目的は俺達をここからとにかく出さないことだ。なら、俺がすべきは演技ではない。どうやって外部へ助けを求められるか。俺の私物はこの病室にはない。携帯の場所が分かれば、助けは求められる。この体では遠くへ行くのは困難だ。なら、これが最善策になるだろう。あとは病院には大抵公衆電話があるものだが、あやかしが対策をとっていないとは思えない。
 暫くして、白衣を着た医者もどきのあやかしが巡回に来た。
「気分はどうですか?」
「あやかし、お前の名は何だ?」
「おや、私を見てあやかしに見えますか? ますますおかしい。もっと薬の量を増やしましょうか」
「ふざけるな!」
「ええ、分かっています。福田さんがバレないようにあなたに我々のことを教えようとしていたのは。なので、福田さんには最後の治療を施しました」
「何をした!?」
「永遠に眠りについてもらいました。あなたには選択肢を与えます。ここで大人しく我々の治療を受けてもらうか、福田さんのようになるか」
「治療だと! 俺は病気なんかじゃねぇ!」
「いいえ、それは間違いです。それはあなたが一番理解している筈です。福田さんも途中までは治療が上手くいっていたんです。しかし、あなたが現れたせいでそれも台無しになってしまった。福田さんはあなたの為に余計なことをした。そして、あなたは福田さんが完治するチャンスを奪った。病院の外を出ると、世間は我々あやかしの存在を認めてはいません。前のあなたや福田さんがそうであったように。しかし、きっかけで誰でもあやかしが見れる時があります。その人には見えて、他の人には見えない現象。しかし、世間はそんな現象が現実として起こることを想定していませんから、頭がおかしくなったか、嘘つきにしか思われません。そんな人生は社会において生きにくい人生でしょ? 我々は救済をしているのです。つまり、救い。また、見えないようにしたらいい。しかし、それには副反応がつきものです」
「俺を廃人にするつもりか?」
「強引ではありますが、現在の治療法になります」
「福田はそうと分かったわけだ」
「我々の治療を拒否し薬を飲まなかった」
「俺は治療して欲しいなんて一言も言ったつもりはないぞ」
「治療がいらないと?」
「ああ。俺は確かに見方が激変したし、これを共有出来る仲間はさっき見つけたのに、お前達が奪っちまった。だが、俺は知ってしまった以上、それを無かったことにはしたくない。この記憶を持ったまま生きたいんだ」
「世間は冷たいですよ? あなたの生き方は茨の道だ。楽になる必要があるのに、それを拒否するなんてあなたはおかしい」
「俺は他人に自分のことをおかしいだなんて言われようとも、俺は俺だ」
「大抵は精神が強くなければそう簡単にはいきません」
「あやかしが知ったようなことを言うな」
「あなたが古川の名前を出した時、我々は密かにその人物について調べました。確かに、あなたの知り合いは何者かに殺害されたようですが、それにはあやかしは無関係ですか? 違いますよね? 彼は何も知らなければ今もこうして生きていた命だったでしょう。世の中には知らなくてもいいことは実在するんです。それでも抗うというなら、むしろあなたは治療を受け続けるべきだ。我々の治療を受け続けても廃人にならない精神力があることを我々に示せたのなら、あなたを解放しましょう」
「何? 俺をここから出さないのが目的じゃなかったのか?」
「ここは病院です。刑務所ではありませんから監禁目的ではありません」
「本当は病院でもないんだろ」
「なら、お望みの場所に変えましょうか?」
「いや……やってやる! 俺の精神力ナメんなよ」
「いいでしょう」



 それからは地獄だった。飯は不味いし、変な薬を沢山飲まされるし、嘔吐や腹痛、下痢、頭痛、目眩、ありとあらゆる症状が襲っては治って襲っては治っての繰り返し。更によく分からない心理テストを毎日やらされる。それでも俺はギリギリのところで精神はなんとか踏みとどまった。
 そして、どれぐらいが経過したか分からないが、ある時になって医者もどきのあやかしが病室に現れた。
「おめでとう。あなたの精神力は十分証明されました。退院です」
「ほ、本当か」
 看護師もどきのあやかしが俺の服を返しにやって来た。
「もう二度とこちらには来ないように」
 それは警告だった。
 俺は頷いた。



 俺は着替え終わると病室を出て受付の前を通った。
「退院おめでとうございます」
 受付の人はそう言った。どうせこの人もあやかしだ。
 自動ドアが開き、俺は久しぶりの自由へ一歩踏み入れた。
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