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アベル・ジルスティート

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 ◇


 アルサンディア王国は、長く隣国のオーランド王国との小競り合いを続けている。
 オーランド王国は別名、砂漠の国。
 地下資源が豊富にあるが、作物を育てることが困難である。金はあるが、食料がない。
 そんな国だ。
 オーランド王国はそれ故に、肥沃な土地を持つアルサンディア王国の土地を欲しがっている。
 元々オーランドは小部族の集まりのような国だった。
 それを平定した男が国王となり、それ以降王家が続いているような国である。
 つまりは闘争心が強く、軍事力に優れている。

 アルサンディアの旗色は悪かった。
 国王は魔女を探し出し、その力を借りてオーランド王国の猛攻を凌いだのが二十年以上前にさかのぼる。
 魔女は人に力を貸したりしない。
 人前に出てくることもない。歴史に魔女が姿を現したのは、ほんの数回きりだ。
 そして国王に力をかしたというのは、『黒の魔女』がはじめてである。

 それからしばらくは、オーランドは大人しくしていた。
 けれど最近になり、また侵攻は苛烈さを増している。

 そして――俺のジルスティート商会は、儲かっていた。つい最近までは。

「アベル・ジルスティート! 万能薬を隠し持っているという罪で貴様を捕らえよとの王からの命令だ!」
「はぁぁ!? ふざけんな! ねぇもんはねぇんだよ! 俺は商人だ、買うっていうなら商品を売りてぇが、ないものは売れねぇだろうが!」

 突然我が家にやってきた王家からの兵士を、俺は怒鳴りつける。
 俺が万能薬を隠し持っているなんて、そんなわけがないだろう。
 オーランドからの侵攻が苛烈になり、魔女の力も借りることのできない今――兵士たちの頼みの綱は、『万能薬』と言う、我がジルスティート商会の商品である。
 
 この薬、ある日突然俺の元にやってきた魔道具師の少女キャスがつくったものだ。
 キャスは「誰にでも作れるごく簡単な、当たり障りのない商品を売って欲しいんです」と言って、俺の元に魔道具を持ち込んできた。

 このキャスという少女、驚くほどに世間知らずだった。
 確かに魔道具は、ほんの少しだが流通している。
 この国には魔道具師と呼ばれる者が指で数えられる程度に存在していて、彼らは生きるために商品を売るのである。

 魔導具師は、魔女の弟子たちと呼ばれている。
 魔女から、不思議な道具を作る力を与えられた者たちのことだ。
 彼らは使いの者を通じて、商品を俺の元へ持ち込みに来る。

 けれどそれは、炎の消えないカンテラとか、水を浄化する石とか。その程度のものだ。
 どんな傷でもたちどころに治せる傷薬なんて、見たこともない。
 それに魔道具師自らそう名乗って姿を現すなんて、キャスがはじめてだった。

 実際自分の手を自分で切って、簡単に一瞬で傷を治すキャスを見て、アベルは『商売になるな』と、確信した。
 キャスには、その商品には値打ちがあるとは伝えなかった。
 何か事情がある少女なのだろう。
 キャスがあたりさわりがないと思っている傷薬が、とても貴重だと知られたら、商品を売らないと言い出しかねない。

 案の定、万能薬は飛ぶように売れた。
 ジルスティート商会の万能薬の噂はすぐに王国中に広まり、様々な者たちがそれを買いあさった。
 主に戦場で、万能薬は役に立った。
 どんな傷でもすぐに治す。ちぎれた指も、足も元通りになるのだから、それはそうだろう。
 
 その万能薬のおかげで王国は兵を失わずにすみ、負傷者を抱えることもなくなった。
 オーランドの侵攻から国を守ることができたのは、キャスのおかげであるともいえる。

 それが――唐突に、なくなってしまったのだ。
 なくなったというか、キャスの姿が消えてしまった。
 今までは「新しい万能薬を作ってきました。買い取ってくれますか?」と、週に一度は大量に万能薬を持ち込んできたというのに。
 ある日を境にぱったりと、その姿を見せなくなってしまったのだ。
 入荷がなくなり、商品が売れ続ければ、在庫はなくなる。当然のことだ。

「今まで高額で買い取ってやっていたのだ。それを、調子に乗って……出し渋ればもっと値を吊り上げられるとでも思っているのだろうと、ルディク様はおっしゃっている。弁明があるのなら、城まで来い」
「あのクソ若造が……! やってられるか! 俺は捕まってやらねぇからな……!」

 一年前に前王が亡くなり、ルディクが即位してから国の状況は悪くなる一方である。
 どんな男かと情報を集めさせたり、グランベルトの街を治めているオリヴァー様と話したりもした。
 兄王子のシェイド様は生まれながらに魔女の呪いにかかっており、噂によれば、前王の命令で辺境の塔に幽閉されたのだという。

 王位はルディクが継いでいる。
 前王と王妃はシェイドに対する罪の意識からなのかなんなのか、ルディクをとても甘やかして育ててしまったらしい。
 オリヴァー様の話によれば「あまりいい王とは言えない」とのことだった。

 オリヴァー様は基本的には人の悪口を言わない方である。
 そのオリヴァー様が否定をするのだから、本当にいい王ではないのだろう。

 それはその通りで、ルディクが王になったとたんに万能薬を安価で買いたたくようになり、挙句、徴税も厳しくなった。

 グランベルトはオリヴァー様が私財を投げうつことで街の者たちの暮らしを守っているが、国民から金を、尻の毛までむしり取る勢いで徴税するルディクのせいで、貧困に喘ぐものが他の街にはかなり増えたようだ。

 貧困がすすめば治安が悪化する。
 働いても働いても金が手元に残らずに生活さえできなくなれば、皆仕事を捨てて、人から金を奪い取るようになる。
 実際、国境を守る辺境伯でさえ、オーランドと通じてあちらに反旗を翻そうとしているという噂まであると、オリヴァー様は悩まし気に言っていた。

「皆、クソ野郎に従う必要なんかねぇ! 逃げのびろ! オリヴァー様は正しい方だが、国王なんざ信用できるか!」

 俺は剣を手にして兵士たちを打倒し、家の者たちに声をかけながら外に飛び出した。
 そして馬に飛び乗ると、オリヴァー様の館に向かったのだった。

 この国はもう駄目だ。
 キャスもきっと、この国を見限ったのだろうと思いながら。


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