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1 天国から地獄

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「だからね、あんたの父親は叔父のトニーなのよ。あんたも、そっくりだって思っていたでしょう? バレたら困るの。今の生活を捨てたくないのよ。でもあんただって十九歳だし、自立できるから。ここでさよならよ」

 家族五人、初めての異国への旅行だった。
 仕事人間の堅物の父と、社交的な美人の母、来年成人する私と、一回り歳の離れた双子の弟と妹。
 見るもの全て新しくて、この一週間わくわくして楽しくて、幸せだったのに。

「大事なものを持ってくるように言ったでしょう?」

 お気に入りのワンピースが二着、下着は三着、大好きな本を一冊と祖母からもらった髪留め、肌のお手入れをするオイル、それだけを小さなカバンに詰めた。

「ほら、餞別。ちゃんとみんなに言っておくから大丈夫よ。船に乗る直前に番が見つかったから、この国に残るって。それって大恋愛よね、羨ましいわ」

 宿屋に一週間は泊まれるわよ、と笑って膨らんだ母の財布をそのまま渡された。
 でも、住み込みのところを探しなさい、ほらそこが斡旋所だからと言って。

「戻って来ないでちょうだい。ここで幸せになればいいわ、フィオレンサ」






 一方的にまくし立てられ、私は口も挟めず呆然とした。
 母が、女二人で最後に買い物に行ってくるわと言って、父と双子を宿屋に残して市場に出かけた。
 ぎりぎりになるかもしれないから、あなたは自分の荷物くらい持ちなさいって。
 母がすかすかの鞄を持った時は、残りの荷物は父に任せてこの後たっぷり買うつもりなんだって思った。

 それなのに、市場を離れ入り組んだ商店街に連れて来られた。
 楽しかった旅の最後に母から突き放されることになるなんて。
 一人ぽつんと取り残され、家族に別れも言えていない。

 誰も知らない、異国で。
 途方に暮れ、心細い。

 船に乗るまであと半刻ほどだから、追いかければ間に合う。
 あんなことを言われても、母に縋りたい気持ちも残っていて。
 ほとんど家にいない父に助けを求める?
 でも脚が動かない。


 




 私は父の歳の離れた弟に驚くほどそっくりだった。
 船乗りでほとんど帰ってこないけど、七年ぶりに帰ってきたのが先月だった。
 私は近くに住む父方の祖母とも似ていたから、そっちの血が濃いんだろうって思っていたし、周りからもそう言われていた。
 でも、疑う人もいたんだろう。

 母と祖母は仲が悪かった。
 母が私に厳しいのは、長女だから双子の見本になるように。
 時々、祖母に似ているのも、母よりも仲がいいのも気に食わないのかと思ったこともあった。
 でも結局、私は過ちの産物だったらしい。

 追い出したいくらい目障りに思われていたなんて。
 母似の弟を溺愛しているのはわかっていたし、好きな洋服を好きなだけ買える生活を手放したくないんだろう。

 妹は祖母に懐いているから心配だけど、そっちに助けを求めてほしいと思う。
 妹に対しては、父も甘かったように思うから大丈夫であってほしい。
 懐いていた双子にも、仲のいい友達にもさよならさえ言えてない。

 拾った貝殻で細工をしようと部屋の隅に置きっぱなしにしたこと、庭に植えたハーブの様子、気になることがたくさんあるのに、やっぱり動くことができない。

 息を吐いて、ようやく一歩前に踏み出した。
 
 
「……あのさ、悪いんだけど聞こえちゃったんだよね」

 後ろから声をかけられてゆっくり振り向く。
 
「……はい」

 警戒して硬い声で返事をする。
 情けないし、恥ずかしい。
 目の前に背が高く、さらさらの黒髪と黒い瞳が印象的な男の人が立っていた。

 じっと見つめられて、私もなんて言っていいかわからなくて、ひたすら見つめ合う。
 それから、男の人が大きく息を吐いてから、口を開いた。

「…………ちょうどよかった。……あのさ。しばらく俺の家で小さい子の面倒をみてくれない? 依頼、出したばっかりなんだけど」

 背中を押されて、職業斡旋所の扉をくぐる。

「こんにちは。昨日の話なんだけどさ、ちょうど仕事探してる子を見つけたんだ」

 眼鏡をかけたふくよかな女性がじっと私を見る。

「かけてちょうだい」







 私は出稼ぎに来た人間として紹介され、そこで家政婦として登録してもらった。
 声をかけてきた男の人……ネッドさんの素性は斡旋所の女性が太鼓判を押してくれた。

 彼は二十七歳で一人暮らしをしていて、行商をしている兄夫婦から五歳の子供を一晩預かってほしいと言われ、そのまま兄夫婦と連絡が取れなくなってしまったという。これが三日前の話。

 その後、隣町で土砂崩れがあり、戻れなくなっているのだろうと言う話で、道が開通して帰ってくるまでの間、彼の家で甥の面倒をみることとなった。
 鷹獣人の商人から兄夫婦を見たと聞いて安心したばかりらしい。

 空を飛べるなんて、獣人の能力はすごいと思う。
 目の前のネッドさんも、獣人なのかもしれない。
 人間ばかりの国で育ったから、明らかに人間とは違う姿じゃない限り、私にはわからない。
 けど、きっとそう。
 
「うちまで案内するよ」

 すでに出港して、小さくなった船を横目に、彼の家に歩いて向かった。

「あれに乗る予定だったの?」
「はい……」
「そう。……この国、いい国なんだ。獣人と人間が共存していて活気があるし」

「はい……好きになれたらいいなって思います……」
「これも何かの縁だと思って、よろしくな。俺は、フィオレンサと会えてよかった」

「はい、私もネッドさんに会えてよかったです。心細いところを助けていただきありがとうございました」
「誰だって……あんなところを見たら手助けするよ。……それが、俺でよかったと思ってる」

 そう言ってネッドさんが私の手をとった。

「これからよろしくな?」
「はい、よろしくお願いします」

 温かくて大きな手を私はぎゅっと握り返した。
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