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37 十年後
しおりを挟む父であるマルスランが、生まれて間もないジュリエットを壊れ物のようにそっと抱き抱えて優しく見つめている。
今年九歳になるリュシアンは、離れたところからそれを眺めていた。
何となく見つかりたくなくて、物陰に隠れる。
そこへ二つ年下の妹カミーユがやって来て、マルスランの腕の中を覗き込んだ。
風に乗せて二人の会話が聞こえてくる。
「……お父様、ジュリエットはいつ起きているの? 私、いつもねているところばかり見ているわ」
「生まれて間もないからね。カミーユもそうだったが、寝顔も可愛いだろう?」
「……そうかしら? なんていうか……」
カミーユが首を傾げた。
「カミーユの生まれた頃にそっくりだよ。小さくて愛らしい。これからもっと可愛くなる。それに、二人ともロゼールに似ている」
「じゃあ! 私もお母様みたいになれるのね」
「……なりたいのか?」
「うん!」
「そうか。カミーユは特別可愛いよ」
「嬉しい! ありがとう! お父様!」
カミーユは目をキラキラさせて、それから二人が目を合わせて微笑み合った。
「……僕にはあんな風に笑いかけてくることないのに」
眉間に皺を寄せて、いつも厳しい顔を向けて来る。
練習用に渡された剣をぎゅっと握り、くるりと背を向けた。
妹たちはかわいい。
母様も優しい。
だけど……。
「父様は、きっと僕のことが嫌いだと思う」
剣を片づけた後、まっすぐ母であるロゼールの部屋へと向かった。
途中で会った侍女から、部屋でのんびりしていると聞いたから。
リュシアンの姿を見てにっこり顔を綻ばせる。
せっかくだから、一緒にお茶にしましょう、と促されてテーブルにいっぱいお茶菓子が並ぶ。
「……母様、多すぎませんか?」
「いいのよ。だって、リュシアン。食べれるでしょう? 二人だけの秘密にしてね」
優しく微笑まれて、さっきまでの嫌な気持ちが吹き飛んだ。
けれど。
「その手、どうしたの?」
そう問われて、思わずテーブルの下に隠す。
すると少しきつめの声で、
「リュシアン、手を出しなさい」
ロゼールの心配そうな表情にそっと目の前に手を出した。
手には潰れた肉刺がいくつもあって、大きく開くと傷が開いて痛い。
「……こんなになるまで、頑張ったの? 先に手当が必要ね」
侍女を呼んで薬箱を用意させる。
「父様が、なれるまでマメやタコができるんだって言いました……僕はまだまだ足りないんです」
リュシアンの手をとると、そっと優しく包んで薬を塗る。
「本当に頑張り屋ね。だけど、休むことも必要よ」
リュシアンの剣筋が良くて鍛えがいがあると言っていたからマルスランがやりすぎてしまったのね、とも。
「父様がそう言ったのですか?」
「ええ。だって、リュシアン。あなたは私達の自慢の息子ですもの」
そんなに焦らなくてもいいのよ、と。
母様のことは信じられる。
でも、父様がそう思っているとはちょっと信じられない。
本当だったら嬉しいけれど。
「さぁ、内緒で食べてしまいましょう?」
「はい、母様」
久しぶりに母様と二人きりであれこれおしゃべりして楽しかった。
それから、たくさん肉刺ができて、潰れて、手の皮が厚くなった。
まだまだ父様には追いつかない。
強くて憧れの人。
「お兄様、見てっ! 魚が跳ねたわ!」
カミーユが池の周りではしゃぐ。
「……珍しいことじゃないよ。もう少し落ち着いたほうがいいんじゃない?」
「ん、もう……! 誰もみていないんだからいいじゃない」
二人で木苺を籠いっぱいに摘んで急いで屋敷に戻るところだった。
今がちょっとした息抜きでもあり、母様を喜ばせたいからでもあり。
「早く戻ろう」
「待って! あ、きゃっ……!」
バシャンと大きな水音が聞こえてカミーユが池に落ちた。
「おにぃ、さま……っ……!」
もがいて、こっちに向けて手を伸ばす。
リュシアンは迷わず飛び込んだ。
深くはない、けれど小さくてドレスを着たカミーユは恐怖に怯えリュシアンの頭にしがみつく。
「……っ、カミーユっ!」
思いがけない力の強さと、重みに池の水を飲んだ。
これでは二人とも沈んでしまう!
「リュシアン! カミーユ!」
父様の声だ。
助かった、と思ったのに父様は後ろから頭を水の中へ押し込んだ。
「なんてこと……!」
母様の甲高い声。
やっぱり父様に嫌われている。
リュシアンはそこで意識を手放した。
目が覚めると柔らかな寝台の上にいた。
「……どうして子供達にあんなことをしたの?」
「不安にさせて悪かった。助けるためには一度おとなしくさせる必要があったから」
母様が珍しく父様を咎めていた。
ぼんやりとした記憶だけど、苦しくて吐いて、目の前に怖い顔した父様がいたような気がする。
「リュシアンの身体も大きくなってきたし、あの池は急に深くなるんだ。こちらまで溺れるわけにはいかなかったんだよ。ロゼール、おいで」
父様が母様を抱きしめて、背中を撫でる。
「ものすごく怖かったわ……リュシアンとカミーユが……」
「あぁ……そうだね」
二人が慰め合うように口づけを交わすのは、リュシアンが目覚めたことに気づいてないからかもしれない。
こんな時でも仲がいいらしい。
時々こっそり手を繋いで誰にも気づかれていないと思っているみたいだけど、領地でもお手本の夫婦だって思われている。
「カミーユは目覚めたのに、リュシアンのほうが回復に時間がかかるなんて……鍛錬に時間をかけすぎじゃない? 最近は良くなってきたけど、手のひらの肉刺がとても痛々しかったわ」
「…………リュシアンは、やればやるほど伸びるんだ」
「でも、まだ子供よ?」
「……だが、同じくらいの歳の子達より身体も大きい。あっという間に俺より大きくなるだろう」
父様が驚くほど柔らかい笑みを浮かべた。
「……そうかもしれない、でも……」
「期待しているんだ。強くなるよ、リュシアンは」
母様は黙ったまま話を聞いている。
「だが、時々胸が痛い。きつく言ったほうが伸びる子だと思うけれど、これが正しい教え方なのかどうか」
父様がそんな風に考えているなんて思わなかった。
「褒めるのも必要だと思うわ。リュシアンは、人一倍頑張る子だから」
「……そうだな。そこがまたロゼールに似て可愛い」
二人が寝台へ近づいてくるのを感じて慌てて目を閉じた。
けど。
額に大きな手を乗せられたのを感じてそうっと目を開ける。
「リュシアン、気分はどうだ?」
「……大丈夫」
「そうか。カミーユから聞いた。ためらわずに妹を助けようとした勇気を認めるよ。とっさに判断するのは難しい。ただ、まず叫んで助けを求めてほしい。それから」
「あなた、まだ目が覚めたばかりよ。それくらいにして」
母様が心配そうにのぞき込む。
「どんな気分? 気持ち悪いとか、どこか痛むとかない?」
「……大丈夫、早く木苺のパイが食べたいです」
まだ頭はぼんやりするけど、心がふわっと軽くなった。
父様が一瞬笑いかけて真顔に戻る。
もう少し叱りたいのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
でも、前みたいに嫌われているとは思わなかった。
「父様、助けてくださってありがとうございます。カミーユは大丈夫ですか?」
「あぁ。もう起きて遊んでいる。……料理長がパイの準備をしていることだろう」
父様の言葉に、今日食べられるかわからないけど、と母様が続けた。
「とても楽しみです」
それからカミーユがやって来てごめんなさいとありがとうと言った。
晩餐に出された新鮮な木苺ののったパイは、これまで食べたクリームパイの中で甘酸っぱいおいしさで、忘れられない味となった。
******
お読みくださりありがとうございます。
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とても素敵な物語でした。
読後感が良くてジ~ンします。
読ませて頂いて有難うございました。
こちらに感想嬉しいです( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )♡
私も好きな話なのでそう言っていただけてよかったです🌟
hiyoさま、こちらこそ読んでくださりありがとうございました〜🤗
やっぱり男同士だと同性な分厳しくなっちゃうのかなーなどと思いつつ、
私も母親とはよくバトルしたなぁと😆
仲裁お疲れさまでした〜🫖🍵
ロゼールは幸せな家庭は築けないと思っていた分、子どもも大切にしているんじゃないかなーとo(。・‧̫・。)o♡︎♡︎
鍋さま、いつもありがとうございます〜🤗
マルスラン、息子には言葉が足りなかったですよね(,,•﹏•,,)
これを機会にお互いに歩み寄って、より家族仲良く暮らすと思います♪
領地も潤って穏やかに過ごす中、ロゼールは長女と王子の縁談にちょっと頭を悩ませる……そんな構想だけはあるんですが、あるんですが……書けたらいいな〜とそんな気持ちは持っています♫
金木犀さま、小話も読んでくださりありがとうございました〜🤗