【新編】オン・ユア・マーク

笑里

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解夏

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 小柴呉服店のウィンドウに飾られた風花、美織、孝太の3人の大きな写真は尾道商店街を通る人々に否応なく大きなインパクトを与えているのが風花としてはとても恥ずかしくもある。そんな場所へ母を連れて行くのが照れ臭い。
 店が近づくにつれて少し歩みが遅くなる風花の気持ちを知ってか知らずか、母は構わずにツカツカと歩いて行くので風花は慌てて母の背中を追いかけた。
 大河内写真館の前で風花を抱いた昔の写真を懐かしそうに見て、次に隣の小柴呉服店の風花の写真が飾ってあるウィンドウへ駆け寄ってガラスに両手をついて実物よりずっと大きな袴姿の風花を母が見上げていると、店の中からすごい勢いで美織の母が飛び出してきた。
 二人の母は黙ったまましばらくジッと見つめ合っていた。二人の過去を知らない風花には、まったく不思議な光景だった。

「あの、娘の……綺麗な写真を見せてもらいにきました」
 恐る恐るという感じで最初に口を開いたのは、風花の母の方だった。
「どうぞ……ごゆっくりと撮っていってください」
 驚いた表情のまま、美織の母が震えるような声で返事をした。
 ガラスにくっついて見てたから、不審者とでも思われたのかな——
「あの、おばちゃん。これが私の母で」
 誤解されてはいけないと思った風花が美織の母に慌てて声をかけた。

 突然、母たちが堪えきれないように同時に笑い出した。そしてお互いに歩み寄るとしっかりと抱き合い、今度は顔を埋めて泣き出した。
「何が娘の写真よ」
「どうぞ、ごゆっくりって何よ」
 お互いに抱き合ったまま背中を何度もさすっている。
 わけがわからないのは風花だった。ミオんちのおばちゃんは確か、あまりよく覚えていない同級生だって言ってなかったっけ。

「風花、そこで何してんの?」
 後ろから美織の声がして風花が振り向いた。
「あっ、ミオ。あのね」
 風花は今の状況をどう説明をしていいのかわからず、まだ店の前で抱き合っている二人を指差すと、美織もポカーンと口を開けて立ち止まった。
「ど、どういうこと? あの女の人はだれ?」
「ええっとね、うちのお母さん」
「ええっ、うちのお母さんと知り合いだったの?」
「——そんな感じ」
「知ってた?」と美織。
「全然」
 風花が肩をすくめた。

「まったく、そんなとこで何をしよるんか」
 そこへ、隣の大河内写真館からのっそりと孝太の父が出てきて、呆れた顔で言った。
 その声を聞いて顔を上げた母二人は、もう涙でぐちゃぐちゃだった。
「みっともないのお。顔ぐらい拭いた方がええぞ」
 孝太の父がニヤニヤ笑っている。
 気がつくと、道ゆく人たちが何が起こっているのかと、店を取り囲むように立ち止まって見ていて、母二人は慌てて呉服店へ飛び込んだのだった。

「風花、紹介するわ。お母さんの親友のふみちゃん」
「ミオ、こちらがお母さんの大親友のさっちん」
 落ち着きを取り戻した母二人は、娘たちに互いを改めて紹介した。
「だってお母さん、そんなこと今まで一言も——」
 真っ先に美織が抗議の声を上げた。
「まあ、そういうな。大人にも、誰にも言われない小っ恥ずかしい青春時代の過去があるもんよ」
 孝太の父も店に入ってきて、冗談めかして美織に言った。
「じゃあ、おじちゃんは知っとったん?」
「おうよ。今度母ちゃんがおらんときに、ゆーっくり教えてやるよ」
 もったいつけたように孝太の父がいうと、
「喋ったら絶対容赦せんけんね」
と美織の母がきつく睨んだ。

 結局、何があったのか教えてくれなかったが、帰りの坂道を登る母の足取りが軽くなっている。
「ねえ、お母さん。孝太くんのお父さんとも知り合いだったの?」
「うん、そうよ。今朝、彼を見て昔の草太さんにそっくりでびっくりしちゃったよ」
「ええっと、まさか彼氏?」
 そこだけは、どうしても聞いておきたかった。
「違うよお」母の照れた顔。「まあ、ぶっちゃけ初恋の人」
「うわっ、衝撃の告白」
「昇華の水泳部でねえ、あの頃はすっごいかっこよかったのよ」
 母は遠い昔を思い出すように、一人でニヤついている。
「あのさあ、まさか私に水泳を習わせたのって——」
 ふっと頭に浮かんだことを風花が口にする。
「まあ、関係なくもないってとこか、な」
「あー、お父さんにチクってやろ」
 母が焦って「絶対お父さんには内緒だからね」と念を押した。
「それにしてもさあ、何も草太さんの息子と娘がねえ」
「ちょっとお母さん、そんなしみじみ言わないでよ。付き合ってるっていうような関係じゃないんだから。孝太君は友達よ、友達」
「本当かなあ」
 疑いの眼差しで母がチラリと見る。
「本当だってば。そんなこと言うと、さっき聞いたことをお父さんにチクっちゃうからね」
「ごめん、それだけは許して。お願い!」
「どうしようかなあ。じゃあ、黙っててあげるから何か買って」
「わかったわよ。何が欲しいの。言ってごらん」
「尾道帆布のリュック」と風花は即答した。
「よし、手を打った」
「やったあ」
 少し前まで、母と笑いながらこの坂道を登る日が来ることなど想像もできなかった。今日は熱い太陽さえも心地よいと風花は思った。
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